第317話 黒い狐は縮こまり


「よくお戻りになられました、エストさん、皆さん。魔族に関してはジオ様より聞いております。本当に、お疲れ様でした」



 帝都に入った一行は城に招かれ、流れるままにルージュの部屋で迎えられると、一国の皇女が頭を下げて謝辞を述べた。


 トキマサは聞いていた話と違うことに戸惑っていたが、特にこれといった作法に縛られる必要はなかった。


 それよりも、高級なソファに座ってクッキーを食べるエストに目がいってしまい、まるで緊張を知らない様子に溜め息が出る。



「リーチを倒せたのは運が良かった。空間魔術とも相性が良かったし、天空龍の方が死にかけたからね。魔族よりドラゴンだよ、怖いのは」


「まるで参考にならないお話ですわね!」



 そんな話をしながらしばらく時間が経つと、突然ルージュの部屋のドアがノックされたと思えば、皇女は真剣な眼差しでエストを見つめた。


 どこか幼さを取り戻しつつも豊富な戦闘経験で宿った警戒心に、これから話す内容に困惑するだろうなと思いつつ、言葉を重ねる。



「エストさん。皇帝陛下がお会いしたいと」


「わかった。でも、話すことなんて無いよ?」


「魔族との戦いを終わらせたのに、ですか?」


「うん。そんな話より、まだ魔道書に書かれていない魔術の話がしたい。魔族の使う魔術に新しいものは無かったからね。宮廷魔術師で面白い魔術を作った人とか居るんじゃないの?」


「……と、とりあえずご案内します。皆さま、少し席を外すことをお許しください」



 このままではエストのペースに呑まれてしまうと感じたルージュは、滑らかな所作で立ち上がると、エストを連れて廊下に出た。


 思えばエストは、帝城に入った経験が乏しく、真っ赤なカーペットや空気清浄の魔道具に目を輝かせ、キョロキョロと見回しながら歩く。


 その中でも、足を止めて見てしまう物があった。



「……うふふ、珍しい物でもありましたか?」


「彫刻かな。僕は創り出すことは得意でも、削り出すことは苦手なんだ。だから、この英雄像が興味深い。よれた服の皺や、剣身についた血脂の跡も彫って描いて、戦いの後に剣を掲げた英雄だとひと目でわかる」



 エストが見入ったのは、かつて人間同士が戦争をしていた頃に彫られた、帝国の英雄だった。名前は無く、ただ同じ人物を描いた芸術品が他にも存在し、皇族や貴族の先祖であるとされている。


 左手の拳は力強く握られ、手首から肘、肘から肩への筋肉は美しく、一見して野蛮そうな顔立ちも、衣服の整い方や頭につけた冠から、王や皇帝に連なる人物だと言われる。


 しかし、その人物の詳細はどこにも残っておらず、架空の英雄だとする主張も存在するくらいだ。



「彫刻がお好きなのですか?」


「……どうかな。僕は創る方が好きだから」


「うふふ、エストさんの作品なら、わたくしは高く買い取りますよ? 尊敬するお方ですから!」


「高く買うと後悔するよ。僕は数も多いからね」



 両手の上に手のひらシスティリアとアリアを創ってみせれば、ルージュもこれには難色を示した。

 いかに美しく、精巧な造りでも数が多いと価値が薄れてしまう。それを跳ね除ける賢者という称号も、本人は渾名あだな程度にしか思っていない。


 彼から物を買い取る時は用心が必要だと肝に銘じながら、ルージュは知識にこそエストの輝きが宿ると言う。



 そんな話をしながら執務室のドアをノックすると、返事の後に内から開けられた。



 すると、中にはフリッカ国王やドゥレディア代表のナバルディ、他にも神国の教皇や魔道都市ラゴッドの統治者といった、国の頭たちが談話していた。


 その輪の中で一際体が大きく、豪奢な赤い髪が特徴的な男が、机の上で小さく手を挙げた。



「よ、よく来てくれた、賢者エストよ。余はバーガン・エル・レッカ。このレッカを治める皇帝だ」


「凄い人たちの集まりだね。特にナバルディ」


「驚いただろう? ワシも急にここへ飛ばされてな。そうそう、あのラウィードの娘が商人を始めたぞ」


「……誰?」


「そなたが送ってきたではないか。王都であぶれたところを保護したと」


「…………あ〜、あの猫獣人の。そうなんだ」



 エストは殆ど覚えていないが、王都で助けた猫獣人の娘が、算術に交渉、地理に馬術を学び、立派な商人の卵になったらしい。


 まずはべルメッカ周辺から慣らしているそうだが、いずれエストに恩を返すため、王国や帝国にも進出するという。



 そんな友との話をしていると、いつの間にかルージュは消えており、会話の輪に混ぜられてしまったエスト。



 それぞれの首脳はエストと顔合わせをするのが精一杯であり、彼から滲み出る3体の龍の魔力に怖気おじけ付き、腹の探り合いが出来ないでいた。


 しかし、ナバルディやフリッカ国王は慣れているため、3人は仲良く談笑しつつ、どんな魔族を倒したとか、次はいつ訪れるのかなど、たわいもない話をした。



「──っと、もう15時か。僕、これから宿をとるから帰るね」


「宿ならば余が手配しよう」


「いらない。一番高い宿は落ち着かないんだ。それじゃあね、ナバルディ、フリッカ。また遊びに行くから」



 そうして、本来ならば萎縮するはずの首脳たちの集まりを平気な顔でエストは去った。


 緊張が支配していた部屋に、何も得られなかった者たちの歯ぎしりの音が響く。


 そんな姿を見て、ケラケラと笑い声と共に半透明の魔法陣が輝いた。


 魔法陣から現れたのは、他でもない、彼らを集めたジオ……もとい初代賢者リューゼニスである。



「な? 呼んでも無意味だろ? 前に言っただろうが。アイツを取り込むのは無理だって。触らぬ龍に祟りなし。エストは無関係が一番だぞ、お前らにとってはな」


「……リューゼニス殿」


「エストは賢者としての使命をまっとうした。だが、賢者であることに変わりはない。腫れ物扱いはするな。たかだか100年、自由にさせてやれ」


「その100年で、世界は大きく変わるのだぞ」



 誰が言ったか、その言葉にリューゼニスは笑って言った。



「馬鹿だろ。既に大きく変わり始めてんだよ。どこの国も、これから魔術は派手に進歩する。エスト程の天才も現れるだろうな」


「……では」


「だが、どうせ今に落ち着く。戦争が起きないうちは、エスト以外が発展させることは難しい。何せ、強い魔術の価値が薄いからな、この大陸は」



 別の大陸ならば、まだ価値はあるかもしれない。

 しかし魔族を完全に滅ぼした以上、人間と競い合うのは人間であり、技術進化の起点である戦争が起きない限り、平和が続くとリューゼニスは信じた。



「よかったな。アイツは誰の味方でもなければ、全員の敵にもなれる。下手な戦いは自滅するだけだ。これで俺も、しばらく平穏に暮らせそうだ」


「……なるほどな。ワシらを煽りつつ、戦争に釘を刺す。初代賢者の望みは平和だったか」


「当たりめぇだろ。こちとら1000年以上戦ってんだぞ。そろそろイカサマの練習をさせろっての」



 魔族との戦いに終止符が打たれ、初代賢者はようやく息をつく。永き時を生き、その身を魔族との戦争に燃やし、ようやく現れた3代目が遂に終わらせたのだ。


 1000年ぶりの平和を楽しむのに、人間同士の戦争は邪魔でしかない。

 そのため、こうして釘を刺した。




「せっかく平和になったんだ。しばらくは仲良くやろうぜ? ガキども」

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