第318話 影に生きるは剣士の妹


 城を出た一行は帝都で2番目に高い宿をとり、エストはトキマサを連れて学園へ。システィリアは治癒院に行き、ブロフたちは冒険者ギルドへ帰還報告をしに行く。


 冬に片足を突っ込んだ空気は冷たく、せっかくだからと手編みの手袋をつけたエストは、トキマサと共に帝立魔術学園に訪れた。



「はああ……なんと大きな建物……立派だ」


「可能性は低いけど、ミツキが居ないかもしれない」


「構わぬ。帰ってくるまで待つというものよ」


「わかった。着いてきて」



 薄暗い雲が覆う空の下、エストは魔力探知で数百人余りの魔力を捉えながら、コツコツと淀みない足音で歩いていく。


 懐かしい景色だと思いながら学園長室の前に立つと、ノックをしてすぐドアを開けた。



「おや? 誰かと思えばエスト君か。珍しいな、君が直接訪れ……──」



 学園長であるネルメアが突然の訪問に困惑と喜びの表情を見せたのも束の間、エストの後ろに立つ黒狐族の男を見て、声が出なくなった。


 なぜならその男とは、かつて彼女がミツキを連れてカゲンを出ようとした時、ミツキが大好きだった兄とそっくりだからである。


 あの日より随分と背丈も伸びて顔も立ち姿も立派なものになったが、残った面影に思わず息を飲んだ。



「この人はトキマサ。ミツキのお兄ちゃん」


「紹介にあずかった、それがしは剣士のトキマサ。訳あってえすと殿に頼み、我が妹と再会したく参った次第。魔女殿がミツキをしてくれたのだな?」



 保護。そう呼ばれる筋合いは無い連れ去り方をした記憶があるネルメアは、狼狽えたように背もたれに体を押し付け、顔を両手で覆う。


 本来であれば、サツキが言っていたように『誘拐』と称されて当然の行為だったのだ。

 それがなぜ、兄であるトキマサが『保護』と言えるのか。理由を考えれば、彼女はすぐに結論へと至った。



「あの祭りの正体を知った……まさかエスト君、あの魔族を殺したのか?」


「うん。ここに居るトキマサも一緒にね」


「そうか……そうか……! よかった……!」



 膝の上に落ちた両手で拳を握り、遂に悲願が達成されたと喜ぶネルメア。

 しかし、その理由を知らないエストは、とりあえずソファに座った。


 トキマサもエストに倣って座ると、ネルメアは3度手を叩く。すると、黒い服に身を包んだミツキが、お盆にクッキーと紅茶を乗せて現れた。


 彼女はそっとテーブルにお盆を置くと、凄まじい速さでエストの後ろに隠れ、トキマサを見る。



「ミツキ? トキマサだよ」


「…………それは分かる。でも、どうしてここに兄さんが? もう……会えないと思ってたのに」


「カゲンに行ったらたまたま出会ったんだ」


「じゃあ、神飢しんきの祭は──」


「無くなった。人が捧げられることはもうない」



 エストがそう言うと、ミツキは耳をピンと立ててその言葉の意味を理解し、小さく振っていた尻尾が段々大きく振られれば、エストをソファに押し倒して頭を擦り付けた。



「ちょ、ちょっとミツキ!?」


「ありがとう………………ありがとう」


「……僕だけじゃないよ。最初に疑ったのがトキマサだからね」


「……ほんと?」


「うむ。某はあの日ミツキが去ってから、祭のことをずっと調べていたのだ。だが、知っている者は居なくてな……そこでえすと殿が、思い切って調査をしたのだ」


「やっぱりエスト」



 そう言って何度もぐりぐりと顔を擦り付けて喜ぶ様子は、システィリアもよくやったものである。

 これが獣人族の喜び方なのかと思っていると、ネルメアの前であることを思い出したのか、ミツキはあっという間にソファの影に隠れてしまった。


 まるで猫のような俊敏な動きだと口には出さなかったものの、ソファから伸びた手がエストの腕をつねった。



「ミツキ。トキマサには抱きつかないの?」


「……エストの方が良い匂いするから」


「えすと殿……しすちりあ殿のみならず、ミツキまで」


「そんなわけないだろ!? た、助けてよ学園長! これで怒られるの、僕なんだよ?」


「はっはっは! でもキミはミツキがいた数少ない人間だ。甘んじて受け入れろ」



 ミツキの匂いを感じ取ったシスティリアが、エストに何をするか分かったものではない。下手をすれば、三日三晩眠れなくなる可能性すらあるのだ。


 そんなことになっては、次に腰痛に苦しむのはエストである。それだけは避けたい以上、何とかミツキの肩を掴むが…………持ち上がらない。



「ち、力が強い──!」


「……あたしも剣士。魔術師には負けない」


「ぐぬぬぬぬぬ……トキマサ……手伝って」


「了承した」



 流石に同じ剣士のトキマサの力には敵わないのか、簡単に引っペがすことに成功する──が。



「ふんっ!」


「ごふぅッ! な、なんでまた……」



 刹那の脱力と緊張によってトキマサの拘束を抜け出したミツキは、再びエストの腹に突っ込み、顔を擦り付けた。


 それが綺麗に鳩尾みぞおちに当たったエストは、本能が危機を覚えてしまい、バチッと魔力が弾けてしまう。


 天空龍の魔力によって弾けた魔力はミツキに激痛を与え、驚いた猫のように飛び退くと、今度はネルメアの影に隠れてエストを見た。



「はっはっは。咄嗟に出るのが雷魔術か。やるじゃないか」


「……今のは違う。ただ魔力が爆ぜた」


「……君はもっと自分の体を思いやれ」


「よくわかったね。でも、もうドラゴンの魔力は宿せないよ。天空龍で死にかけたからね。3体が限界」


「常人は1体も宿せない、とだけ言っておこう」



 エストの雷でようやく平常心を取り戻したのか、ミツキは高揚していた心を落ち着かせると、改めてトキマサの前に立った。


 そして優しく抱きしめると、その感覚はいつかの兄と変わらない、安心する抱き心地だった。



「……兄さん。また会えて嬉しい」


「ああ……ミツキの元気な顔が見れて満足だ」


「兄さんは変わらないね」


「そう言うミツキこそ」



 8年ぶりの再会に水を差すのも悪いと思い、ネルメアの側までやって来たエスト。



「君はこれからどうするのだ? 今度はウチで講師をやるか? 月給100万リカなら出すぞ?」


「ううん。家と土地を買ってるから、システィとのんびり暮らす予定」


「そうか……冒険者は辞めるのか? 一ツ星とAランクだろう?」


「最低限、降格処分にならない程度に働くよ」


「まるで余生を送るような設計だな」


「やるべき事はやったからね。賢者としての仕事は終わり。余生を過ごすっていうのも、言い得て妙だ」



 エストには、リューゼニスのような永遠の時間が無い。ここまで働き詰めで生きてきた以上、椅子に座ってのんびり魔道書でも読みながら、季節の風を浴びたくもなる。


 今のエストたちには休息が必要なのだ。


 これ以上無理をすれば、心か体のどちらかが、或いはその両方が壊れてしまうから。



「おいおい、アレを置いて帰るのか?」


「システィが心配なんだ。宿はとってるから大丈夫だよ」


「全く……相変わらずマイペースだな」




 そうしてエストは学園を去ると、宿に戻って着替えを済ませ、システィリアの帰りを待つ。

 過労が呼んだ腰痛なら今すぐにでも休ませるべきであり、他の何か……病が引き起こしたものなら、全力で治療法を探すのみだ。


 ふと魔道懐中時計を取り出したエストは、時間を見た。



「17時42分……もう真っ暗だ。迎えに行こう」



 日が暮れると、息が白くなる程度には冷えてくる。

 寒いのが得意ではないシスティリアを思い、エストは炎龍の魔力を滾らせ、治癒院の方へと走るのだった。

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