第412話 ゆきやまのくまさん
「あ、居た。
氷獄の雪山に入ったエストは、白銀の景色に溶け込む熊を見つけた。全長5メートルはありそうな氷熊の額には、水晶のような角が一本生えている。
過去に何度か戦ったことがあるエストは、氷熊に向けて魔力吸収結界を張ってみた。
「魔素の並びが複雑だ。純粋な魔物の魔力は奪えないのかな?」
熊の魔力よりも空気中の魔力を吸い出してしまい、中々上手くいかない。やがて氷熊がエストを発見すると、真っ白い大きな爪で襲いかかった。
しかし、その爪は見えない何かにぶつかって止まる。
「物理結界ね。空間中の魔力を固定する術式だけど、時魔術の構成要素を組んだら凄く強力になったんだよね」
氷熊に見せるように半透明な魔法陣を見せるエスト。
ジオや魔女が使える物理結界とは僅かに違い、手探り状態の時魔術から『固定』の要素を持ってきている。
そうすることでイメージに頼る部分を減らし、システィリアの攻撃を3回まで耐えられる結界へと進化した。
その分、消費魔力も増えているのだが、エストにとっては誤差の範囲であった。
「これ反転させたら捕まえられそう。そいっ」
途中で術式を変えて裏返しの物理結界にすると、氷熊は見えない箱の中に閉じ込められた。四方と天井を結界に阻まれ、殺意の宿った瞳でエストを見つめる。
「今日は熊鍋かな〜。お腹空いてきた」
思いつきで結界内の空気を掌握したエスト。
外傷をつけずに狩りをしようと思い、氷熊の口に
パタリと動かなくなる氷熊。
亜空間に入れられることを確認すると、周辺に生えているキノコを探し始めた。
熊鍋に使うキノコである。
結界術式もそうだが、初級魔術を組み合わせるだけでも驚異的な殺傷能力を秘めていると、エストは改めて実感した。
魔術の危険性はウルティスにも口酸っぱく言っているが、自身の適性が秘める万能性に背筋が冷たくなる。
魔術師に求められる自制心。
それは魔術の暴走を防ぐことはもちろん、容易に秩序を破壊する道具になることを防ぐためにも、必要なものである。
「あった、アイシュルーム。ハナカオリダケもある。ってことは……見つけた。ミツキノコ」
修行時代に氷獄の植生は把握してある。
寒冷地にのみ生えるキノコと、花の香りがするキノコ。そして、焼くと蜜のような甘さが特徴的なキノコを採取した。
この辺りはキノコが好む木が豊富なので、氷熊や真っ黒なイノシシの生息域になっている。
黒いイノシシは帝都でブロック肉ひとつで18万リカもする高級肉なので、見かけたら狩るようにしている。
しかし、日中は冷たい雪の中に隠れ、夜中は必要最低限の食事をするとまた雪に潜むため、見つけること自体が難しい。
エストの魔力探知は山頂から吹き降ろす氷龍の魔力で掻き消されるため、役に立たない。
「まぁ、お肉は今度でいいや」
それから2時間ほど、小さな動物や魔物に魔力吸収結界を使ってみたが、目立った成果は得られなかった。
「ウルティス、ただいま。氷獄には慣れた?」
「おかえり! もう慣れたよ!」
「良い適応能力だ。精進したまえ。僕はそこで解体してるから、気にしないでね」
「は〜い!」
ログハウス前で、シュンを連れて鍛錬するウルティス。
この極限まで体を動かしにくい環境で満足に剣を振るえるようになれば、肉体的には充分な強化になるだろう。
あとは技術を磨き、魔術と同時に剣術を使えるようになれば、ワイバーンを狩れるまで強くなれる。
ウルティスの成長ぶりに気分を良くしたエストは、鼻歌混じりに氷熊を解体する。
ブロフから試作品として貰った解体用ナイフが使いやすく、丁寧かつ迅速に毛皮と肉を分けていく。
「さすがはアダマンタイトとミスリルの合金。値段にして300万リカとか言ってたっけ? 超高級品なだけはある」
希少金属をふんだんに使ったナイフは、驚くほどスムーズに解体出来てしまったため、エストは違和感に気付けなかった。
解体が終わる頃にはウルティスの鍛錬も終わっており、肉は亜空間へ、皮は綺麗に畳んでログハウスに持って入った。
すると、昼食を作り終えたジオが首を傾げる。
「お前、珍しい魔物を狩ったな」
「珍しい? これ氷熊だよ?」
「バカか。その角はクリスタルベアーだぞ。等級はBランクだが、30年に一度のペースでしか見つからん魔物だ」
「へ〜。美味しいの?」
「600年くらい前に食ったが、絶品だったな」
「じゃあ熊鍋は今度にしよっかな。ありがとう先生」
「おう、無知な弟子よ」
「……はい」
無知を否定出来ないために、無表情だが奥歯を噛んで返事をしたエスト。
毛皮はあの人に渡せば良いローブなりコートなりを作ってくれるとのことで、ジオは昼過ぎにはログハウスを出ていた。
その様子にウルティスが首を傾げていたが、エストはあえて何も言わなかった。
そして一週間後。
個人鍛錬が終わったエストはレガンディに帰り、子育てと研究に邁進する日々を送っていた。
今朝の鍛錬も終わり、ウルティスを氷獄に送る。
ランチはシスティリアと屋台巡りをしようか、なんて考えていると、ジオに呼び止められた。
待機せよとのことで待っていると、コンコンとドアがノックされる。
ウルティスが開けると、そこにはもっこもこの防寒具に身を包んだ、狐獣人の金髪美女が立っていた。
翡翠色の瞳でウルティスを見た後、即座に視線がエストに移ると、凄まじいスピードで抱きついた。
「や〜ん久しぶり〜! エ・ス・トちゃん!」
「……久しぶり。レティさん」
「うふふ〜! しっかりそのローブを大切に使ってるの、知ってるからね〜! あと、お嫁さんも綺麗に着こなしててビックリ! 噂に聞いてたけど、とんでもない美獣人よね〜!」
「システィの髪と尻尾は僕が手入れしてるからね」
「あら〜! あのクオリティなら獣人専門の美容室を開いた方がいいかも! ウチと提携してくれたらぁ……良いこと、あるかもよん?」
とんでもないハイテンションでエストの頭を撫で回しているのは、大陸最高の仕立て屋と言われるレティである。
白雪蚕のローブの、布作りからデザイン、仕立てるまで全てこなす、エストの頭が上がらない人だ。
「レティ、今日はそっちのチビ助の服と、クリスタルベアーの毛皮でコートを頼む」
「や〜んジオくん、ワタシのこと頼ってる〜ん! ……で、そこのおチビちゃんがウルティスちゃんね。ふむふむ、採寸するわよ〜?」
レティのテンションに圧倒されたウルティスは、無言のまま採寸されていく。そして耳の形や尻尾の太さも測られると、レティは机の上に紙を出した。
そこには、ウルティスの測ったものと数字が羅列されている。
「クリスタルベアーはウルティスちゃん用?」
「うん。あと3歳児用のコートもできる?」
「それはまっかせて! う〜ん、でもウルティスちゃんはローブより鎧が似合う体つきになるから〜ん、そうねぇ。マントにしましょ」
「重たくない?」
「誤差よ誤差。ワタシには分かるわ。この歳でこの筋肉量と質の高さ。将来はシスティリアちゃんに並ぶ強い美獣人になる。だったら、ちょっと区別するためにも変えた方が可愛いじゃないっ!」
「確かに。毛皮は足りそう?」
「この大きさなら大丈夫よん! 大物だからねん! ジオくんから幾つか普通の服も頼まれてるからん……そうねぇ。2ヶ月後にジオくんが取りに来てねんっ!」
サラサラとデザイン案まで描いていくレティに、ウルティスは目を輝かせながら見つめていた。
その後は2人で装飾なり色なりを決めていくと、ちょうどウルティスが帰る時間までレティとの相談は続いた。
「それじゃあ、今日はありがとね〜! エストちゃんにまた会えた喜び、1年は忘れないわっ!」
「意外と覚えてくれるんだ」
「レティお姉さんありがとう!」
「いいってことよん! あ、そうそうエストちゃん。近頃ワタシの弟子が帝都で服屋を開くのん。獣人服を専門に取り扱うからん、システィリアちゃんといらっしゃい」
「……おいレティ。お前弟子なんかとってたのか?」
「ジオくんだって、エストちゃんをとったじゃない! まぁワタシの場合はあの子から頼まれてねん。センスも気概も充分。何より、人族でありながら、獣人用の服をひとりで作っていたから、手助けしたくなっちゃったのよん」
心の底から嬉しそうに語るレティ。
帝都の服屋については晩ご飯の時にでもシスティリアに伝えると言うと、レティは羨ましそうな目で頷いていた。
「ちゃんと幸せ、手繰り寄せてあげたのね」
「愛してるからね。じゃあ、またね」
「ええ! ジオくん、お願いするわねっ!」
「はいはい。エストたちも帰るんだろ?」
「うん。また明日」
そうして家の前に転移したエストは、暗くなった空の下、ウルティスと手を繋いで帰った。
「おかえりなさい。明日こそランチデートするわよ!」
「うん、ただいまシスティ」
「ただいまお姉さま!」
「ウルティスもおかえりなさい。ほら、手を洗ってらっしゃい。今日はレイクラットのシチューよ」
「ああ、あの湖上を高速で飛び跳ねる兎か……まさか仕留めたの?」
「エフィとの散歩中にね」
「さっすがシスティ。今日は高級肉だ〜」
「わ〜い!」
さらりと高級肉を獲る辺りは、エストとシスティリアが似た者同士と言わざるを得なかった。
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