第413話 Bランクと二ツ星
ウルティスが氷獄修行を初めて2ヶ月が経った。
冬も後半に入り、春が待ち遠しくなる季節。
少しずつ修行時間を増やしたいと言ったウルティスは、今ではもう週に一度しか帰ってこない。
今朝は所用で魔女が家を出ており、アリアも珍しくのんびり起きると言い、システィリアはまだ眠っている早朝。
ティーカップで白湯を飲み、ベビーベッドの前に立つ男がひとり。
「あぁ可愛い。システィの可愛い部分を全て受け継いでいる。今からそんなに可愛くなってどうするの? 生まれながらにして幸福な人間になっちゃうの? いいね最高だよ。元気に育ってくれたら僕も幸せだよ」
誰も聞いていないのを良いことに、エフィリアの「可愛い」を全身全霊で受け止めるエストが居た。
かれこれ30分、ずっとこの調子である。
「お耳もちっちゃくて可愛い。艶やかな白い髪も可愛い。お顔が可愛い。金色の瞳が可愛い。小さなお口が可愛い。君はもう……全部可愛い」
「何言ってんのよ」
「っ!? …………聞いてた?」
猫可愛がり……否、狼可愛がりをしていたエストの背後から、凛とした声が飛んでくる。
「10分ぐらい前からよ。可愛がりすぎでしょ」
「……あのねシスティ。君の娘が可愛いのがいけない。まぁいいじゃないの。ねぇエフィ」
「アンタの娘よ! ってかアタシたちの!」
その違いが分からないシスティリアではない。
エストの頬をつんつんした後、エフィリアを覗き込むようにしながら目線はエストに向けた。
「ゆくゆくは赤ちゃん言葉で可愛がるのよね」
「なっ、そんなわけないだろ!?」
「どうかしら? ダダ甘なエストだもの。また皆に隠れて話しかけるんでしょ? アタシには分かるわ」
「…………いいじゃん別に」
「ええ、いいのよ。皆の前でもちゃんと接してあげなさい。今更アンタにどうこう言う人たちじゃないわ」
という理由で、この日からエストがエフィリアの相手をする頻度が劇的に増えた。家族内で唯一の男が娘を溺愛する姿に、エストは多少の抵抗があったらしい。
しかし、普段からシスティリアに所構わず愛情表現をしているため、皆にとっては今更の話だった。
そんなこんなで多少は親らしく振る舞うようになったエストの家に、珍しく来客があった。
もう春も半ばのことである。
2代目のボタニグラも芽を出した。
髪を整えてもらって上機嫌なシスティリアがドアを開けると、馬車を待機させた翡翠色の髪をした好青年が立っていた。
腰にレイピアを差し、溢れる気品は貴族のそれであり、何より積み重ねた戦闘経験により、体から絶えず威圧感を放っている。
「あら、ユルじゃない。どうしたのかしら?」
「……お宅の主人から一向に誘われないものでな」
「主人は男色じゃないわ。アタシと娘に愛情を注いでいるもの。アンタが入る余地は無いわよ」
フッ、と鼻で笑って追い返そうとするシスティリアだったが、ユルの方はそんな冗談を真に受ける器ではない。
敵意は見せずに、ここに来た要件を話す。
「そういう話ではない。ダンジョン攻略に誘われていたのだが、連絡が来ないものでな。ドラゴン狩りをするのだと、今代の賢者が高々に話していたが……まさか怖気付いたわけでもないだろう?」
「あら、おかしいわね。エストならちょくちょくドラゴンを狩ってきているわよ? 研究とかいって、庭に埋めてるもの」
「……は?」
そう言って庭に埋まっているジュエルゴーレムのアルマを指さすと、数週間前よりかなり小さくなった魔石が芝生に寝転んでいた。
元は人の背丈ほどあった魔石が、今ではゴブリンの魔石と大差ない大きさである。
これはアルマの研究として、魔力許容量を調べるためにエストが置いたものだ。
徐々にではあるが、それでも凄まじい速度で魔力を吸収し、自身の体から宝石のような魔水晶を生成している。
このアルマから生えた魔水晶もエストは研究しているのだが、まだ他の魔水晶、ひいては魔石との違いが分かっていない。
「まぁ、そういう話なら上がってちょうだい」
「……あぁ」
ユルが玄関で靴を脱ぐと、洗面所に案内されて手を洗った。エフィリアを思って高価な石鹸も完備している。
最近では、結界術式を用いた全自動浄化領域を作ろうとしているエストだが、結界の維持にまだ理解度が足りないと嘆いている。
「いらっしゃい。ユルから来るとはね」
「貴様……いつになったら攻略に行くのだ?」
「う〜ん、じゃあ、今日行こうか。もうひとり攻略に誘ってるんだけど、まずはそっちを呼びに行こう」
トントン拍子なんて比にならない速度で攻略の予定が決まると、呆気に取られたユルに魔女が口を出す。
「ここの所、研究の進みに満足いってないようでな。気分転換も兼ねて、エストと行ってやって欲しいのじゃ」
「あ、あぁ……アリアも行くのか?」
「エフィちゃんも居るしウチは行かないよ〜。システィちゃんは〜?」
「行くに決まってるじゃない」
「え?」
エフィリアをベッドに寝かせ、亜空間から必要な物を取り出すエストが困惑の声を上げた。
エストの予定では、ユルとユーリの3人で行くつもりだったからだ。
「アタシもドラゴンと戦いたいわ。それに、適度に強敵と戦わないと、ウルティスに舐められるもの。あとは、そうね……治癒士の枠に入れるならアタシが最適でしょう?」
「確かに。僕だけで治癒してたら効率悪いや」
「ふふっ、ダンジョン攻略なんて久しぶりね。ちょっと興奮してきたわ!」
尻尾を振って2階へ上がっていくシスティリア。
戦力は多いに越したことはないと、ユルもエストも同行には肯定した。
しばらくして軽鎧とローブを着たシスティリアが、愛剣を差してやって来た。
散歩感覚で『いってきます』という2人に、魔女たちが軽く『いってらっしゃい』と言う。庭でヌーさんたちに出掛ける旨を伝えたエストは、ユルにそう言えばと聞く。
「あの馬車は街で預けてね。ファルム商会なら手厚く世話してくれるはずだよ」
「その顔の広さは貴族も見習うべきだな」
「まぁね。僕の研究内容とドラゴンの魔石をあげてるし。じゃあ、まずは帝都に行くよ」
エストが芝生を足で叩くと、3人が一瞬にして帝都の広場に転移した。困惑するユルを置いて、エストとシスティリアは手を繋いで目的地に行く。
そこは、人通りの多い道にある屋台である。
ちょうど午前のオーク串を売り終えたタイミングで、エストが話しかける。
「ユーリ、これからドラゴン狩りに行こう」
「へぇぁぃ!? って、そちらはまさか……」
「システィリアよ。旦那がお世話になってるわね」
「い、いい、いえいえ! 遠征の際に、ボクの方こそお2人に助けてもらいましたし……あぁ嘘、後ろの方は──」
「ユル・ウィンドバレーだ。エスト、お前がこの少年を誘う理由はなんだ? 明らかに力不足だろう」
初めましてもなく足手まといと言い放つユル。
ユーリも何故かコクコクと頷いているが、エストはあっけらかんとしている。
「別にそこまで戦力を求めているわけじゃない。僕の魔術とシスティの剣があれば、第1層のドラゴン程度なら余裕だから。ユーリは話の流れで誘ったんだ」
「……あはは、エスト君、本気だったんだ」
「……そうか。見たところ風魔術師だな」
「は、はい! Bランクのユーリです」
「エストがいいと言うなら構わん。行こう」
強引に今日の屋台を閉めたユーリは、段々と集まりつつある観衆にドキドキしながらエストの転移を待った。
流石に一ツ星2人と二ツ星が居る中で、Bランクのユーリは浮いてしまう。観衆の目は3人に向いていたが、当然ユーリも視界に入っていた。
パッと視界が洞窟前の開けた場所に出ると、ここに来てようやくエストが杖を出し、結界を張る。
「ここはラゴッドの火山洞窟ダンジョン。まず30層のドラゴンを倒すから、そこで動きを確認しよう」
「ドラゴンか……私は初めて戦うな」
「ぼ、ボクも……当たり前だけど」
「それよりエスト、今日中に30層に行けるの?」
「問題なし。最短最速で走るから」
エストがそう言うと、皆と目を合わせてからダンジョンに入った。当然周囲の冒険者から目立ってしまうが、それ以上にエストの疾走が目立った。
鍛錬を重ねた空間探知のおかげで、今まで以上の速度で階段の位置を割り出したのだ。
文字通り最短ルートで、そしてエストが個人個人に張った結界は、
これでもかと多属性かつ高度な術式が練り込まれた結界だが、ユルでも見分けられないほど巧妙に隠蔽されている。
熱に強く、疲れもせず、剣も矢も魔術も通さない結界に守れながら、一行は凄まじい勢いで階層を駆け上がっていく。
ユルもユーリも全力疾走に近いのだが、何故か先頭のエストとシスティリアは雑談しながら走っている。
「あ、あの2人、おかしくないですか?」
「私が出会った時からおかしかったぞ」
「ボクもそうですけど、あの“余裕”はちょっと変です。まるで散歩感覚じゃないですか?」
「彼らにとっては本当に散歩感覚なのだろう」
「ひええぇ!!」
5階層毎の主部屋も蹴り開け、オークなり何なりといった主魔物を瞬殺し、宝箱は中身も見ずに亜空間へ放り込む。
ダンジョンは中から外への転移は出来るが、外から中へは難しい。
しかし、例外的に主部屋の前だと比較的転移は簡単なのだが、エストはシスティリアとのダンジョンデートも兼ねて、今日は1層目から走り抜けている。
そうして5時間ほどで、ドラゴンの待ち構える主部屋に侵入した4人。
今日初めてシスティリアが剣を抜くと、緊張が走る。
「じゃあ、とりあえず、僕抜きで戦おう。結界で守ってるから安心して戦えるよ」
「アタシが前衛、ユルが中衛、ユーリが後衛ね。ユルは適宜アタシと位置を入れ替えるわよ」
「……お前、エストに毒され過ぎだ」
「恐怖心とか緊張感とか、大事なもの忘れてきてますよ」
真顔で言い放つユーリに、眉をひそめたエストが「じゃあ」と言う。
「ユーリが前衛やる? さすがに友達は失いたくないんだけど……」
「……後衛、やります。やらせてください」
「ならこの陣形てま行こう。たかが一匹、気を引き締めれば問題ないさ」
そして、緊張もクソもないドラゴン戦が始まる。
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