第260話 龍の呼び声、狼の愛


 それは、システィリアと共に森を散歩し、平原に出て火を囲んでいた時のこと。

 肩を寄せあって暖をとっていたところ、エストの体に流れる氷龍の魔力が突然疼き出したのだ。


 システィリアに悟られぬよう目を閉じていると、平然と彼女は察して抱き寄せ、背中を撫で続けた。



「深呼吸して……そう、ゆっくりね」



 てっきり朝の模擬戦が響いたものだと思う2人。

 しかし現実は違い、エストの頭に直接声が響いてきた。


 ──盟友、盟友。聞こえるかい?



「……氷、龍……? 幻聴?」



 ──違うよ。ようやくボクの魔力が体に馴染んだんだ。前に言っただろう? ボクの声が聞こえるはずだって。



「…………ふぅぅ。それで? なんの用?」


「エスト、どうしたの? 誰と話しているの?」



 突然会話を始めたエストに聞くと、彼女の手を握りながら答えた。



「氷龍だ。魔力が繋がって、声が聞こえる」



 しばらく様子を見ようと決めたシスティリアは、エストの言葉を信じて手を握り続ける。



 ──聞いてるかい? 盟友、水龍と出会っただろう? 体内にボクと炎龍、盟友と伴侶の魔力が流れているけど……水龍の魔力が、極微量だけど残っている。



「あぁ、うん。体を真っ二つにされたよ」



 ──実はその魔力に……いや、後で話そう。そういえば盟友は、人間で言う歳を重ねる日を迎えるんだよね?



「微妙に気になる……そうだよ。誕生日会をやるけど、氷龍も来るの?」



 ──ああ、是非ボクからも祝わせておくれ。2日後には人間の魔術師を連れて行くよ。楽しみにしておくことだ。



「わかった。先生にもよろしくね」



 弾むような氷龍の声が聞こえなくなると、エストの魔力は疼かなくなり、平常を取り戻した。


 心配そうに見つめるシスティリアに微笑みかけ、そっと手を伸ばして頬を撫でた。目を閉じて手の感触を味わう彼女に、先程の会話の内容を伝えることにした。



「誕生日会、先生と氷龍も来るみたい。先生は後で誘おうと思ってたけど、運が良いね」


「……まだ人が増えるの? あのお屋敷から溢れちゃうんじゃないかしら?」


「あはは、だとしたら面白いね。師匠の魔術を破る人なんて、今まで見たことが無いから」


「……アンタに慣れたから忘れてたわ。エルミリアさんも充分に人間を逸脱してたこと。アンタの周りに普通の人は居ないのかしら? 友達の名前を挙げてみなさい」



 システィリアに言われては仕方がないと、エストは指を折って確かめながら列挙した。



「ガリオさん、ミィ、ディアさん、マリーナ、ユル。ナバルディとルージュとシェリスに、フリッカでしょ? それにファルムと船長……」


「Aランクと二ツ星、王族に皇族、果ては豪商……どこに『普通』があるのか、アタシには分かんないわ」


「が、学園時代はもっと普通だもん!」



 しかし、その内のひとりは宮廷魔術師団へ入団し、学生のうちから名を刻む、優秀な魔術師となったことは違いない。


 なんのフォローにもなっていない言葉を聞きながら、システィリアはエストの頭を抱き締めた。



「……まぁ、いいのよ。アンタの特異な縁は、周りに居るアタシたちにも幸せを運ぶわ。今のエストが一番よ」


「システィ……! おっぱい大きくなった?」


「…………よく気づいたわね」


「そりゃ僕が、どれだけシスティを愛していると思ってるの? 気持ち程度だけど、僕にはわかるよ」



 エストの変態的観察眼は見抜いてしまった。

 ただでさえ良いスタイルの彼女が、さらに魅惑的になろうなど、これ以上なく嬉しい変化である。


 しかしシスティリアとしてはそうでもなく、着られる服が減り、せっかくのデートでも太って見えてしまうといった問題点もあった。


 そんなことをエストに言うと……。



「僕だけにシスティを見せてほしい。確かに周りは気になるかもしれない。でも、それが僕らを邪魔するわけじゃないだろう?」


「でも……」


「それに、システィを見て太っていると思う方がおかしいよ。君がどれだけ努力をして体型を維持しているか、僕は知ってるからね」


「……ええ、そうね。アタシはエストだけのものよ。周りは置いておいて、エストが喜ぶのならそれでいいわ。ううん……それがいいわ」



 いつもシスティリアを見るのはエストである。

 何年経ってもその横顔を見ては視線が吸い込まれ、凛々しい立ち姿に背筋を伸ばし、見つめられたら胸が高鳴る。


 人は彼女を獣人だからと、色眼鏡で見るだろう。

 だがエストは違う。

 純粋に人として、女の子としてシスティリアが好きで、愛している。その熱量は計り知れず、近くに居るライラたちもあてられるほど。


 そんな真っ直ぐな愛情をぶつけられて、応えないシスティリアではない。



 椅子代わりの倒木の上で、さらにぴったりくっついて座り直す。おもむろに彼の顔を覗き込むと、倒木の上に押し倒した。



「……システィ?」


「こ、これは、アタシなりの愛情表現よっ!」



 頬を赤く染め、尻尾を左右にゆらりと揺らす。

 若干目は泳いでいるが、その耳はエストの言葉を聞き逃すまいと立ち上がっていた。


 エストに跨った彼女は、体を前に倒す。

 腰、胸、そして頬の順番で密着すると、尻尾を激しく振っていた。


 ただ触れ合っているだけで心地好い。

 布越しの体温は少し冷たく、されど頬から伝わる熱は熱く、ドクドクと早く鳴る心臓の音が、肌から伝わってしまいそうなほど。


 筋肉の感触。潤いを保つ肌。氷のように澄んだ瞳。耳が喜ぶ声。冷たくも愛のこもった言葉。システィリア最優先の行動。手入れの技術。愛情の伝え方。


 そんな言葉では足りない、エストの魅力。

 どこに惚れたと言われたら全部と答えそうなほどに彼女の心を溶かし、蕩けさせた。


 上体を起こしてエストと見つめ合う。

 その澄んだ瞳に反射する自身の顔が赤く、髪も汗ばんで顎の輪郭に張り付き、蕩けた表情をしていた。


 決して他人には見せない顔。

 エストだけに見せる、本当のシスティリア。



 吸い込まれるように、唇を重ねた。



 目はギュッと閉じられ、僅かに体も強ばっている。

 そこをエストが、背中を撫でて脱力させた。

 息を吸うために小さく唇を離しては、また体温を貪るように口をつけ、ピンと立った尻尾はヘロヘロと下がっていく。


 どれくらいの時間、そうしていたか分からない。

 エストの体感では数分だったが、気づけば陽は傾いており、焚いていた火も音を立てずに灰と化していた。


 口の中にシスティリアが居るような、そんな熱い口付けが終わると、再び彼女は抱き締めた。

 そして、エストの耳元で囁く。



「……まだ足りない」


「……足りないの?」




「……うん。もっとエストが欲しい。もっとそばに居て。もっと抱きしめて。もっともっと……愛して」


「……うん。愛してるよ、システィリア」



 甘く蕩けるような至上の誘惑に、全力で応えるエストであった。



 翌朝、2人が帰ってくるとアリアが何があったのかを聞いたが、システィリアが腕を抱いては何も言わず、エストが『散歩してた』と、無理のある答えを返した。


 しかし、アリアは帝国まで行ったのかと思うと、エストの言葉に納得したのだ。



「……えへへ、ウソついちゃったわね」


「うぅ……悪い人になっちゃった」


「大丈夫よ。散歩という名目は合ってるもの」



 匙1杯の罪悪感を味わいながら、胸を撫で下ろすのだった。

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