第261話 氷を溶かす
エストが魔女の森に帰ってから4日が経った。
圧倒的な存在感を放つソレは、音もなく現れた2人の男。
方や二足歩行の小型ゴーレムに運ばれ、黒い髪を掻きあげた気だるげな雰囲気を放ち。
方や中性的な容姿で、エストを大きくしたような白い髪と氷の瞳をしていた。
アリアが剣を向けると、中性的な男──氷龍が、無警戒にアリアへ近づいた。
「へぇ、君が盟友の姉か〜! 君のことはよ〜く知ってるよ。盟友がた〜くさん話してくれたからね!」
「……誰? 盟友?」
「聞いてないのかい? ボクは氷龍。盟友はエストのことさ! 人間は歳を重ねる日を祝う習慣があると聞いてね。ボクも盟友を祝いたくて来たんだ!」
氷龍とアリアが目を合わせると、確かにその瞳には龍の気が感じ取られ、人間とは全く違う濃密な魔力から、氷龍の言葉を信じたアリア。
ブロフとライラにも挨拶をしに行く氷龍を横目に、ここまで連れてきた主……ジオは、館の中へと入っていた。
「おい、出迎えろよ。クソ優秀なバカ弟子」
「あ、先生。いらっし……その脚は?」
リビングでまったりと紅茶を飲んでいたエストは、小型ゴーレムに運ばれるジオを見て目の色を変えると、すぐに椅子に座らせた。
傷口となる両の太ももに掛けられた緻密な氷魔術を発見すると、顔を上げる。
「氷龍の気まぐれだ。死んでないだけ有難い」
「……ちょっと怒ってくる」
「待て。お前は龍に対する認識が甘すぎる」
玄関先に居ることは分かっているので、エストが飛び出そうとする。しかし、最悪の事態を恐れたジオは、エストの持つ龍への価値観が違うことを指摘した。
「本来龍ってのは、天災、災厄、災禍……そういった人間の手に負えない、自然災害級の存在だ。だがお前は、そんな風に認識していないだろう」
「……まぁね。氷龍は友達、炎龍は力をくれた凄い人、って感じかな」
「ハッキリ言おう、それは間違いだアホ弟子」
「アホじゃないよ! でも……言いたいことはわかる。みんな僕に優しくしてくれるから、本当の姿というか、人間側の認識とズレているってことだよね」
「ああ。お前の魔術と嫁特化の頭でも理解出来たか」
「ふっふん! 大人だからね」
「……クソガキが」
紅茶を淹れさせてからエストを椅子に座らせたジオは、氷龍がエストを賢者として認めた際に、初代を排除するかのように脚を凍らせたと語った。
3代目が居るなら初代は不要だと言う氷龍だったが、今も各地に現れる深海のイズの眷族……弱い魔族を殲滅していたのはジオだ。
幸い、残りの五賢族がエストに熱中しているため魔族の報告が上がっていないが、もしもの場合は対応が遅れる。
いずれにしても脚を治した方が良いと判断したエストは、ジオに掛けられた呪いとも呼べる魔術の解析を始めた。
「ったく、そんなに俺が大事か? 俺も良い先生になったものだな。ククっ!」
「いや別に。僕はこの魔術が知りたいから解析してるだけ。どうせ先生はしぶとく生き残るんだからさ」
「テメェ、次こそは吠え面かかせてやるからな。この脚になってから、どれだけイカサマの特訓をしたと思ってる」
「……先生の作る氷、茶色っぽいのかな」
「ンだとゴラァ! 誰が汚ぇ心だッ!」
「別に僕、色しか言ってないけど。あれれ? もしかしてイカサマをすることが汚い、心が汚れてるって知ってて使うの?」
「…………今すぐ治せ。その顔面、蹴り飛ばしてやる」
「はいはい。ちゃんと僕に感謝してからイカサマをすることだね」
そう言って内部の術式を複製したエストは、紙に複写しながら術式を破壊する方法を模索する。
本当に手で描いているのか疑うほど完璧に写すエストに、ジオは面白そうにしながら紅茶を啜った。
「ふむふむ、32重の256個の構成要素か。あれ? 意外と
呪術に近い魔術の全体像を掴んだエスト。
しかし予想以上に複雑に組まれた術式であることに気づいてしまい、机の上に並べた32枚の魔法陣を見ながら腕を組んだ。
「先生、氷龍は何か詠唱をして掛けたの?」
「いや? 一瞬だったぞ」
「なるほど……確かに、僕は龍を舐めてたね。いや、水龍にやられた時に再認識するべきだった。これを一瞬で組み上げるか……いいなぁ、僕もそうなりたいなぁ」
「お前なぁ、いよいよ人間辞める気か?」
「既に半分くらい龍の魔力だよ?」
「後天的な亜人化は往々にして短命だ。それで生き長らえるヤツなんざ、俺は一度しか見たことねぇ」
暗に『人のままで居ろ』というジオだったが、エストも本当に人間を辞める気ではない。システィリアに愛されない肉体になることは、エストにとって何よりの絶望である。
だが、そんなことが言える雰囲気ではなく、ジオの話を聞くことにした。
「師匠だけなんだ」
「……知ってたのか」
「本人から聞いたよ。だから、僕は技術として龍の魔術を会得したいだけ。先生の方こそ、僕を大事に思ってるんだね。僕も良い生徒になったものだね! あはは!」
「チッ……ムカつく野郎だ」
そんな話をしながら、16枚に丸印を付けていくエスト。
印の付いていない紙だけを並べ、印がある方を束にして置いていくと、ジオはその行動の意味を理解した。
エストはもう、半分の解析を終えたのだ。
氷龍自身にしか解除出来ないと思われた術式を、この男は冗談を交えながら解除の手を進めた。
どんな頭の構造をしているんだと、ジオはこめかみに汗を垂らす。このクソ優秀なバカ弟子がどれだけ優秀なのか、改めて思い知る。
ひとつ、またひとつと印が付けられていく。
残り8枚。それが解けたら解除が出来ると言う時に、廊下から2つの足音が近づいてきた。
「おや、センパイも来ておったのか」
「ジオ……その脚はどうしたのかしら?」
「久しぶりだな、エルミリアとエストの嫁。このバカ弟子にクイズを出していたところだ。脚は問題文と思えばいい」
「そうじゃったか。エストの邪魔しては悪いのぅ。わらわたちも氷龍に挨拶するとしよう」
「エスト、頑張ってね!」
「……ん」
集中するエストは声ではなく音で返事をしては、リビングから出て行く2人を見送ったジオ。
今の彼には、脚が治る喜びよりも前に、エストがどのようにして魔術を解除するのかが楽しみで仕方がない。
優秀とは正直に言うものの、人間よりも遥かに賢く、強い龍の魔術を解くなど、歴史にも残っていない偉業である。
そもそも龍の掛けた魔術が片手で数える程しか無いが、いずれも解析は出来ず、闇に葬られたのだ。
部屋に掛けられた時計の針が刻む音。
窓越しに聞こえる氷龍たちの話し声。
風が吹き、木々がざわめく自然の声。
その全てが聞こえなくなるほど集中したエストは、丸印を着実に増やしていき、遂に最後の1枚となった。
最後の1枚は、実に簡単な内容だった。
鏡合わせのように正反対の術式をぶつけることで、簡単に霧散することが分かったからである。
そうして最後の1枚に丸印を付けたエストは、両腕を伸ばしてう〜んと伸びをした。
「うん、終わり。呪術時代の術式を勉強してて良かったよ。構成要素を構成要素の鎖で連結させるなんて発想、今はもう使われてないもん」
「……じゃあ、本当にお前は」
「解けるよ、その魔術」
「本当か!? じゃあ頼む!」
「え〜? しょうがないな〜」
ジオの前に立ったエストは、人差し指を振った。
その瞬間、パキッと音を立てて術式が破壊されると、出血が始まる前にエストの
差し出された手を取って、ジオは立ち上がる。
久しぶりの足で立つ感覚に感動を覚えると、エストの頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でた。
「エスト、感謝する。お前を誇りに思うぞ」
「……急に何? 気持ち悪い」
素直なジオに異常なまでの不快感を覚えたエストは、渋い顔をしながら撫で終わるのを待った。
そして、ストレッチをしてから肩を回すジオは、玄関に立つと、悪い顔をしながら振り向いた。
「
「いや僕は……はいはい、一発だけだよ?」
そうして、脚が治ったジオに驚く氷龍が、その綺麗な顔面に右拳のストレートが決まる瞬間を全員で見届けるのだった。
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