第217話 指輪に誓って


 それは、寝室での出来事。

 ブロフに宝石を渡したエストが走って帰宅すると、ギルドや学園、果ては王城にまで捜しに行ったシスティリアが、帰ってきたエストにホッと一安心した。


 が、どこに行くとも伝えず、追われる身でありながら報告も無しに日を跨いだエストに、システィリアは耳と尻尾を立てて怒っていた。



「ごめんなさい。ちょっと落ちたり、戦ったり、また落ちて戦ったり、解体して燃えたりしたら今日になってた」


「……怪我は無いの?」


「うん、無いよ」


「……ならいいのよ。もうっ、心配ばっかりさせないでよね。アンタのせいで全然寝てないんだから」


「ごめん……とりあえずお風呂に入ろっか」



 2人の顔には疲れが浮かんでいた。

 システィリアの怒りが収まると、既に用意されていた風呂に入る2人。

 彼女の髪を洗いながら、しばらくは単独行動を控えようと思うエストだが、今回ばかりは仕方がないと割り切った。


 透き通るような青い髪が濡れて暗くなるが、早朝の空のような藍は美しく、普段から手入れしているだけあってするりと指が通る。


 石鹸を塗った手で狼の耳を揉むようにして洗うと、くすぐったいのかぶるりと震えたシスティリア。



「ホントに上手ねぇ……気持ちいいわぁ」


「システィだけの特権だよ」


「ふふふっ、いいでしょ。でもエストにだってあるのよ?」


「そうなの?」



 髪と耳についた泡を流すと、システィリアが体を反転させた。真っ直ぐに向き合ったエストがじっと見つめていると、彼女に肩を掴まれ、背中を向けさせられた。



「アタシが洗ったげる。それがアンタの特権」


「おぉ……頭が溶けるぅ……」



 細くしなやかで、それでいて力強い指圧マッサージを受けたエストは、全身の力が抜けるような心地良さにヘロヘロとした声が出た。


 頭から首、肩へと手が移っていくにつれ、段々とシスティリアの手つきがいやらしくなる。



「……良い身体。無駄なく鍛えられて、男らしくて……脳が悦ぶ匂いがするわ」


「システィは本当に僕のことが好きだね」


「エストが愛してるもの。アタシも愛してるわ」



 背中からエストに抱きつきながら、首筋にキスをするシスティリア。ゆらりと尻尾を動かしながら少しずつ体を向き合わせると、何度も唇を重ねた。


 石鹸の匂いとはまた違う、お互いが本能から求める匂いが充満する浴場は、2人の理性を溶かしていった。






 ──一方その頃、使用人たちは。

 食堂に集まって小さな会議を開いていた。



「……本当に仲良しですねぇ、ご主人様たち」


「お盛んな時期ですもの。当然のことです」


「私知ってる。シアとフィーネ、風呂掃除してない。換気が出来るからって、私に押し付けてる」


「ほう? リエラにばかり風呂掃除をやらせているので? お2人とも」


「「いやぁ……えへへ」」


「ふっ、今日は2人にやらせるべき。苦労を知れ」


「「そんなぁ……!」」



 週末夜の恒例、雑談の時間である。

 大体はエストが話しかけてくれただの、システィリアが今日も美しいといった話題であるが、今日は仕事についての話し合いが主だった。


 主人夫妻が不定期に汚す風呂掃除に、風魔術が使えるリエラに仕事を回されすぎていたのだ。



「なぁ、誰か庭の水晶について知らないか?」


「「「「水晶?」」」」



 庭師の面が強いカルが、今日もウィルキリアの手入れをしていたところ、いつの間にか庭の隅に大きな地血晶が生えていたのだ。


 その正体はエストが転移させたジュエルゴーレムのアルマなのだが、まだ誰にも話していないせいか、謎に包まれている。



「はて……エスト様からは何も」


「フェイドさんでも知らないとなれば、誰も知らないな。実は門の前を通りかかったお貴族様に、『あの大きな水晶はなんだ』と質問攻めにされてな。仕事が中断されて鬱陶しかったんだ」


「どんな大きさなんですか? カルさん」


「フェイドさんの倍はある。しかも、7色に反射するからついつい見てしまうんだ」



 その特徴を話すカルに、4人は信じられない様子で聞いていたが、珍しく疲れた顔をしている彼を見て、本当のことだと信じた。


 見たことも聞いたこともない水晶の特徴に、全員で『う〜ん』と悩むが、答えは出なかった。



「──お上がりになられましたな。シア、フィーネ、今晩は2人が風呂を掃除するのです。いいですね?」


「「……はぁい」」


「リエラはお2人が眠られた後、各部屋のシーツを1階へ。カルも手伝いなさい」


「わかった」


「はい。行くぞ、リエラ」



 テキパキと役割分担をして掃除に行く5人。

 国王から突如としてこの屋敷で働くように言われた使用人たちだが、城では発揮出来なかったポテンシャルが屋敷では十全に発揮され、それぞれの仕事を全うしている。



「うふぅ……頭がクラクラするぅ……」


「シア! コケて頭を打ったら死にますよ?」


「分かってますよぉ……とほほ」



 そうして、夜の掃除は進んでいく。






 朝になり、エストは鳥のさえずりで目を覚ます。

 胸の辺りに感じる、愛しい人の寝息。そっと手を伸ばして耳と耳の間から撫でていくと、一糸まとわぬ姿のシスティリアはギュッと抱きついた。


 どこまでも可愛い彼女に、エストの頬は自然と緩んでいた。そうしてしばらく撫で続けていれば、モゾモゾと動き出すシスティリア。


 彼女が顔を上げると、そこには優しい表情で頭を撫でる最愛の人が居た。



「んふふ…………幸せ」


「おはよう。今日も可愛いよ、システィ」



 そう言って軽くキスをすると、それぞれの日常が始まる……が、この日は少し違った。

 ちょうど2人が着替えた辺りで、来客があるとフェイドが呼び出したのだ。


 応接室に入ったエストを待っていたのは、他でもないブロフであり、目の下には黒いクマが浮かんでいた。



「……例のブツだ。受け取れ」



 清潔な絹の包みを広げると、真ん中にブルーダイヤモンドを、その両隣にはアクアマリンとアイオライトが座る、青く美しい指輪が2つあった。


 宝石は大きすぎず小さすぎず、存在感はあっても生活や戦闘の邪魔にならない大きさである。



「もう出来たんだ……しかも2つとも?」


「オレを……ナメるな。本気を出しただけだ」


「そっか。ありがとうブロフ。帰って寝る?」


「いや……客室で寝る。もう限界だ」



 指輪を渡すと、フェイドに連れられ客室へ案内されるブロフ。尋常ではない集中力を使ったことは、顔色と指輪から感じ取れる。


 フラフラと歩くブロフを見送っていると、珍しい来客に驚くシスティリアが隣に現れた。



「飲み過ぎかしら? 珍しいわね」


「……そう、かもね。システィ、時間ある?」


「ええ。お散歩かしら?」


「そんなとこ」



 バレないように指輪を亜空間に仕舞うと、手を繋いで庭に出るエスト。



 太陽が刺すように照らす、庭の花畑。

 小さな蜂が花粉を集めにやって来ており、季節がすっかり変わってしまったことを知らせていた。



「……そ、その服、可愛いね」


「ふふっ、ありがと。でもどうしたの? なんだかぎこちないわよ?」



 可愛らしい氷の結晶の刺繍が施された白のワンピースに、綺麗に伸ばされた青いロングヘアー。

 酷く緊張するエストを心配して顔を覗き込むと、炎龍と戦った時よりも険しい表情で、必死に言葉を探すエストが居た。


 少しずつ歩く彼に合わせれば、ふぅっと大きな吐息が聞こえた。




「システィリア」


「っ……はい」



 久しぶりに呼ばれた名前に、ピクりと反応する。

 暑かった空気はエストから放たれる魔力で涼しくなり、心地良さと共に緊張が走る。



「改めてになるけど……」



 彼女の前で跪いたエストは、そっと左手をとる。

 そして手の中から指輪を取り出すと、彼女の薬指に付けた。




「どんな魔術よりも、君を愛している。

僕という人間の全てを捧げる。だから、

君という人間の全てがほしい」


「僕と、結婚……してください」




 精一杯の言葉だった。

 何度も口にした『愛している』よりも深い、生涯を捧げる誓いの言葉。

 数秒の静寂が、エストの汗を凍らせる。

 手が震え、焦点も合わない。

 何度も頭の中で繰り返し練習した言葉がいざ口から出ると、全身の震えを隠すように歯を食いしばった。





 システィリアの答えは決まっていた。

 出会ってすぐの頃から、その言葉を夢見ていたのだ。

 頬から雫が伝う。

 自然と口角が上がる。

 声が震え、それでも左手の証に答える。




「はいっ! ……喜んで」




 その笑顔は向日葵よりも早く咲いた。

 エストにだけ向けられた、純粋無垢な青い花。

 立ち上がって抱きしめようと思うエストだが、あまりにも緊張していたのか、尻もちをついてしまう。


 そんなエストにシスティリアがのしかかると、柔らかい草の上で抱き合った。



「えへへ……これでちゃんとお嫁さんね」


「うん……不思議な気持ちだ」



 達成感のような清々しい気持ちに緊張の糸がほぐれていき、ガチガチに固まっていた体に自由が訪れる。

 


「ふふっ、今まで以上にアタシの全部をぶつけるから、覚悟しなさいよ?」


「覚悟ならとっくの昔にしているよ」



 彼女の全てを受け入れる覚悟。

 それはもう、エルダーオークから助ける時には出来ていたものだ。

 今になって変わることはないと言うエストに、彼女は顔を擦り付けた。



「そうだ。僕の分の指輪もあるんだけど」


「アタシに付けさせなさい!」



 もうひとつの指輪を受け取ったシスティリアは、自身の左手の薬指に付けられた物と見比べ、全く同じ宝石が同じ並びで付いていることに気づいた。


 お互いに似合う青色を軸にした宝石選びに、彼女は頬を緩ませた。


 芝の上に座った2人。

 差し出された左手に自身の左手で支えたシスティリアは、そっと指輪を通す。


 薬指の付け根に輝く銀と青は、これ以上なく似合うアクセサリーだと心の底から感じたのだ。



「な、なんだか緊張しちゃって喋れなかったわ」


「でしょ? その気持ち、よくわかるよ」



 極度の緊張感を共有した2人は、お互いに付けてもらった指輪を眺めた。

 光が当たってキラリと輝くブルーダイヤモンドを見ていると、出会った頃の2人がまだ幼く、実力も浅かった記憶が蘇る。


 しっかりと経験を積み、2年後に再会した時、肉体の成長は当然ながら、心持ちが立派になったシスティリアに感動したことを思い出すエスト。


 初めて人を心の底から好きと思えたのは、他でもないシスティリアだけであった。



 そして、システィリアもまた、エストだけであった。

 出会いは最悪。その後も最悪。

 恥と弱さをこれでもかと見せつけてしまったのに、エストは蔑むことなく、真正面からぶつかった。


 エルダーオークを倒し、お姫様抱っこで帰った時のことは一生の思い出である。

 あの瞬間、彼女は心で理解した。

 自分が出逢うべき人は、この人だったのだと。

 それからは、憧れや危なっかしい所を見ていくうちに、彼を想う気持ちが強くなり、恋心だと気づいた時には魔族との戦いが迫っていた。


 満足な別れも出来ずに連れて行かれるエストを見た時、どれほど自身の弱さを嘆いたか。

 しかし、その後の文通や2年後の再会を経て、抱いていた気持ちが更に大きくなった時、好きが抑えられなくなっていた。



「……大好き」



 気づけばエストを抱きしめ、そう呟いていた。



「僕も大好きだよ。愛してる」


「むぅ……アタシも愛してるもん」


「どうかな? 僕の方が愛してるかもしれない」


「ほほぅ? まだアタシの愛の深さを知らないの? 見せつけちゃおっかな〜? アタシのビッグなラブを」


「どんと来い」



 そんな和気あいあいとした言い合いをしながら、散歩を続ける2人であった。

 

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