第9章 深い海、落ちた光
第218話 街道商人に気を付けろ
「──さて、旅の続きを始めようか」
エストとシスティリア、ブロフの3人は、それぞれのやるべき事を終え、旅の続きに出ることにした。
ジュエルゴーレムのアルマに関してはエストの人生単位で研究する課題にしたため、しばらくは庭の置物になる。
使用人たちは困った顔をしていたが、慣れる未来を信じて受け入れたのだ。
「ケルザーム……だったかしら? 深海の魔物を食べに行くのよね」
「おい、グルメの旅なのか?」
「本当の目的地はユエル神国だよ。最短で行っても1年以上はかかるから、道中でゆっくりしつつ冒険者をしようと思う」
「……エストのことよ、ゆっくりなんて出来ないわ」
「……だな」
使用人に見送られながら屋敷の門をくぐると、フリッカ国王と王女のシェリス、そして宮廷魔術師団が待ち構えていた。
フリッカが手を挙げると、全員がその場で跪く。
「出られるのだな、エストよ」
「うん。屋敷もそうだけど、色々とありがとね。2人の武器も」
ちらりとシスティリアの腰へ目をやると、新しい銀の輝きを放つ直剣を納めた、白い鞘が差さっていた。
これはフリッカが依頼の報酬として出した、腕利きの職人への紹介がもたらしたものであり、システィリアの剣にはアダマンタイトと鋼の合金が。ブロフの大剣には、よりアダマンタイトの割合を高めた独自の超硬合金が使われている。
大剣の方は、流石に国王の私財で払うにしても凄まじい金額になり、大半はブロフが支払った。
金細工、そして宝石細工によって財を成したからこそ、戦士としての武器に力を入れられたのだ。
「改めて、魔族討伐、王都防衛の礼を言う」
フリッカが深く頭を下げると、エストは頷く。
「受け取った。もう行くね」
「ああ。そなたらの旅に、幸が多からんことを」
最後にフリッカと握手を交わし、貴族街を後にする3人。久しぶりの平穏な旅に胸を踊らせるエストだったが、王都の中央から伸びる道を見て、足を止めてしまった。
なぜなら、現在王都は賢者一行を見送る大規模なパレードが行われていたのだ。
花弁の舞う中央通りに出ると、大きな拍手と喉が割れんばかりの感謝の声、そして応援が街を包んだ。
「気にするなって言ったのに……」
肩を落としながら歩くエストが呟いた。
「ま、いいんじゃない? アンタの功績よ」
「英雄だな。胸を張れ」
「2人とも厳しい。けど……悪くないね」
門の近くでは、エストの生徒たちが集まっていた。
騎士や冒険者に挟まれた彼らだが、その立ち姿は立派であり、自信に満ちた顔はエストの表情を柔らかくした。
そして遂に門が開かれると、本当に街道かどうか見紛う程に草が生い茂っていた。
「こっち側は復興が進んでないのね」
「エストの出番か?」
「まさか。掻き分けて進んで行くよ」
エストの顔には面倒の2文字が書かれており、パレード後の英雄とは思えない態度に2人はジト目で見つめた。
だが、エストの背丈を優に越す雑草も多く、視界の確保はしようと
切れた雑草から凄まじい青臭さが立ち上り、顔を顰めるシスティリアの隣でエストは鼻をつまんでいた。
「これでよく見えるね。行くよ」
柔らかい土を踏みしめて進むエストに、2人は着いて行く。
王都から東に伸びるこの街道は、海の幸を運ぶ商人の血管とも言われている。
しかし、灰燼のギドによって途中から寸断されており、現在の貿易路は北の街道に合流するルートに変わった。
年内復興を目処に依頼を出しているが、新たなレンガの焼成方法がどれほど光るか、国王も未知数の領域である。
「──街道が見えてきた。結構進んだね」
焦げた街道が視界に入ると、改めて領域系魔術の恐ろしさを実感する3人。王都を中心に、一体どれだけのものが焼失したのか。
そんなことを考えていれば、街道に乗った途端にローブを引っ張られるエスト。
「アンタのローブ、緑色になってるわよ?」
「お嬢もだぞ。草の汁で臭い」
「珍しい。ブロフがギャグを言うとは」
「違うぞ」
青々とした自然の血を落とした一行。
本来は木々に囲まれた道だったことを知ると、暑い日差しを遮る木漏れ日の中、ブロフが問う。
「エスト、神国で何をするんだ?」
「聖女伝説を知ろうと思ってね」
「あれ? 前は『光魔術の勉強に〜』とか言ってなかったかしら?」
「もちろんそれもあるけど、自分の知識が間違っているかもしれないからね。実は聖女にも魔族退治の伝説があるんだけど、賢者と混ざってたりするんだ」
「その真相を確かめよう、と」
大きく頷き、杖を掲げるエスト。
龍玉の魔水晶越しに通った光は、エストの瞳と同じ色をしていた。
光。それは闇を晴らす力である。
転じて魔を祓う力を持つとしても、信じられない話ではない。なぜなら既に、
初めて見たのは万象のナトが使ったもの。
その次はジュエルゴーレムの攻撃。
光を使った攻撃というのは、エストとしてもまだまだ知らないことが多く、より知識を深めるには光魔術の本場であるユエル神国がいいと思ったのだ。
「頼りにしてるよ、2人とも」
ボソッと呟いたその言葉に、システィリアは尻尾を振り、ブロフは頬を指で掻きながら歩き続けた。
それから1ヶ月の旅が続き、遂にケルザームの産地と言われる港街が見えてきた。
王都より南東に進み、海のそばに作られたこの街は、漁業に商業、それからダンジョンによる魔石産業が活発であり、遠くから見ても活気に溢れていた。
が、しかし。
「暑い……溶ける……」
「エストぉ……アタシ……もう、無理……」
「この暑さは堪えるな」
真夏の暑さにやられた一行は、活気という言葉とは程遠い、フラフラとした足取りで海を眺めていた。
丘の上から見える街と海は美しいものだが、エストの魔術で気温下げてもなお刺してくる太陽の光に、汗が止まらなくなったのだ。
これより先、街までは木々が無く、日差しを遮ってくれる物はひとつも無い。
あまりの暑さにローブを脱いでいる以上、フードを被ることも出来なかった。
そんな時、背後からカタカタと馬車の走る音が聞こえてきた。
氷を首元に当てて涼む2人を横目にブロフが振り返ると、豪華な箱馬車が一行を通り越していく。
「……馬車、使おうかな」
「アンタのプライド、暑さに負けるの……?」
「うん、負ける。考えてもみてよ。日差しを遮る涼しい馬車の中で、冷たい水を飲みながら風を浴びて、向こうに広がる海を眺める……」
「……馬車、良いわね」
「ね……あはは」
力なくエストが笑っていると、通り過ぎた馬車が止まった。
すると、慌てた様子で馬車の持ち主であろう恰幅のいい男が降りてくると、3人の前で頭を下げた。
「これはこれは! 賢者エスト様ではありませんか!」
「……誰?」
「失礼。ワタクシ、名をファルムという、しがない商人でございます」
氷水を飲むエストが『ふ〜ん』と言ったところ、システィリアとブロフは目を見開き、男の方を見て口をパクパクさせていた。
エストが首を傾げていると、真っ先にブロフが真剣な眼差しで聞く。
「まさか、ファルム商会の?」
「ええ! ご存知ですか、ブロフさん」
「……その道で知らない奴は居ない」
「豪商ファルム……王国、帝国、神国の三国で最も力を持つ商人……よね?」
「はっはっは! そのような力はありませんぞ? システィリアさん。それはそうと、ご結婚おめでとうございます」
エストとシスティリアを交互に見ながら祝辞を口にするファルム。
ここで賢者一行と出会ったのは偶然だ。千載一遇のチャンスに商機を感じるが、ひとつだけ大きな謎があった。
それが、賢者エストという男である。
彼の噂は音のように早く伝わるが、霞のようにおぼろに消えていく。実際に関わった者は賞賛の声を上げ、彼を知らない者は何も言わない。
何を望み、何を嫌い、何を好むのか。
賢者という話は知っていても、ひとりの人間としての情報が殆ど無いのだ。
「ところでエスト様、こんな所で何をなさ……あれ?」
「エストならあっちよ」
いつの間にか姿を消したエストに、システィリアが指をさす。振り返ると、馬車を牽いていた2頭の馬に、エストが水を上げていたのだ。
ひとしきり飲み終わった馬が、エストに頭を擦り付けて感謝していた。
「街までもう一息だよ。頑張ってね」
『ブルルッ!』
「エスト様……あ、ありがとうございます!」
「馬は繊細だ。停めるなら日陰にね」
2頭の頭を撫で、システィリアたちに手を振った。
まるでファルム商会に興味が無いエストに、まさかそんなはずはと思うファルムだったが、彼は本当に興味が無かったのだ。
馬がエストを追いかけようとするのを止め、歩いていく3人を追うファルム。
「あの! エスト様、何か欲しい物など──」
「君、昔のパルフィーにそっくりだね」
パルフィーという言葉にブロフが反応すると、それに続いてファルムも眉がピクリと動いた。
「僕はもう辞めたよ、人を魔術でしか見ないことは。その目は気持ち悪い。ちゃんと話がしたいなら、街で声をかけることだね」
凄まじい斬れ味の言葉を浴びせると、ファルムは一本取られてしまう。
単純に、舐めていたのだ。
これだけの人物が、過去に商人と問題にならなかったはずがない。街道という気が休まらない場所で話など、それこそ仲間でもない限り嫌なものだろう。
おまけにこの暑さだ。
ストレスを感じている相手に商談など、出来るはずがなかった。
目の前の欲に目が眩んだことを認め、ファルムは謝罪する。
「申し訳ありませんでした。では、後ほど街で伺います」
「僕は紅茶が好きだよ。ちょっと甘いやつ」
「っ……ありがとうございます……!」
初めて知った人間としてのエストの情報。
この対価は高くつくと判断したファルムは、一足先に港街へと走っていくのだった。
「いいの? 好物を教えちゃって」
「僕の本当の好物はシスティの手料理だからね」
「もうっ、エストったら」
「……はぁぁぁ」
もう少し暑さにやられていろ。
心の底からそう思う、ブロフであった。
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