第132話 刺激的な肉
「ん〜、行きたいけど勉強中だし……あ、ウィルも一緒に連れて行こう。勉強しながら戦えばいいや」
休憩中のエストのもとに、行商人を連れたブロフがやって来た。
「……ブロフさん、本当に大丈夫なのか?」
「……知らん」
「勝手に連れて行かれる私の身にもなってくださいよ! どうしてよりによってジャイアントスコルピオなんですか!」
首根っこを掴まれた猫のように無力なウィルは、命に関わらないならと承諾するが……相手はAランク中位である。
ただ功績を認められてAランクになった冒険者なら、何も出来ずに肉塊となるのが関の山。
そもそも単独で挑むこと自体間違っている相手なのだが、能天気なエストは軽い返事で承諾した。
そうして、ブロフとエスト、そして引きずられるようにウィルの3人が街を出ようとした時、緊張が走る。
ラクダに乗って帰ってきた傭兵の一団が、数人の亡骸を抱えていたのだ。
『ジャイアントスコルピオがこっちに向かっている! 戦える者を総動員してくれ!』
「なんか叫んでるね。お腹すいたのかな」
「……ジャイアントスコルピオが来るそうです」
「待ってるだけでいいならラッキーだね」
「この人本当におかしくないですか?」
「いつものことだ。慣れろ」
異常が通常なエストだから諦めろと言うブロフだが、そんな彼も一般的なドワーフよりも筋力が高く聡明であり、逸脱している存在だ。
魔力感知を広げてジャイアントスコルピオの位置を把握すると、大きなあくびをしながら向かうエスト。
「さてと。昼ご飯はシスティからお弁当を貰ったし、夜ご飯に頂こうかな」
「か、勝てるんですかね……?」
「倒せなかったらべルメッカが潰れるだけ。せっかく直したのにまた壊されたら悲しいからね。全力で行くよ」
僅かにべルメッカの外に出ると、反応のあった方向を望む砂丘を登った3人。
照りつける砂漠をよ〜く目を凝らして見れば、かなり遠方から砂煙を上げる何かがべルメッカに向かっていた。
時間が経つほどに砂煙は大きくなり、その全容が見える頃にはジャイアントスコルピオの巨体に目を見開く。
その体はワイバーンより大きく、黄金のように輝く甲殻がギラギラと光を反射する。
少し平べったい背中の上には鎌のような毒針が構えられており、一心不乱に走っていても揺れていない。
両腕の先にある鋏は、切断ではなく粉砕が目的だと思われる大きさをしており、鋭い顎の先には人間の脚と思しき物が刺さっていた。
どうやらアレが件のジャイアントスコルピオで間違いないらしい。
「魔族の魔力に釣られちゃったのかな」
「そう考えるのが妥当だろう」
「お2人とも冷静すぎませんか!?」
「焦っても意味無いからね。それよりこの1文なんだけど、名詞の位置がおかしくない? 文法と違うよね」
「ああそれは────って、来てますよ!!!」
発音の練習用にと買った本を見ていたエストは、ジャイアントスコルピオそっちのけでウィルに質問していた。
これでは話と違う。
そう言いかけた次の瞬間──
「っ……な、何が、起こって」
パキパキと氷の割れる音が聞こえる。
視線の先で、砂漠が凍っていた。
まるで突然冬が訪れたかのように冷気が肌を撫でると、僅かに動けていたジャイアントスコルピオも静かになった。
魔法陣はおろか、魔力の動きすら分からなかった。
杖も持たずに魔術を使い、本人は至って真剣な表情で勉強をしている。
……意味が分からなかった。
「オレの出番がない」
「ごめんブロフ。思ったより弱かった」
「まぁいい。相変わらずの賢者ぶりだな」
そんなに賢者っぽいかな? と首を傾げるが、エストの記憶にある賢者は寡黙であり、喋る時はとことん喋る。
ずっと本を読んでいて料理は大味で……そこまで共通点は無かった。
しかし、ブロフが言いたいのはそういうことではない。
賢者の如き魔術を使う者として、形容したに過ぎないのだ。それをエストが理解するのは、少し先のことである。
「うん、死んだね。亜空間に入れてもいいけど、ブロフに仕事をさずけよう」
「凍ったまま持てと?」
「表面は冷たくないから、頑張って」
ぽんと肩に手を置かれ、ブロフは自身の何十倍……いや、数百倍はあろう巨体の前に立つと、鋭利な顎を掴んで持ち上げた。
小さなドワーフが巨大なサソリを持ち上げる姿はどこかシュールであり、エストも小さく笑ってしまう。
「……ホント、何なんですかこの2人……」
「で、さっきの文法の違いについてなんだけど」
「分かりましたよもう! 今状況を飲み込むので少し待ってください!」
本を片手に質問するエストと、それに答えるウィル。そしてジャイアントスコルピオを担ぐブロフの影は、街からもよく見えていたようだ。
一見ドワーフが倒したのかと思う登場の仕方だが、よく見れば獲物は凍りついており、甲殻が霜に覆われている。
すると、死体を置ける広場までの帰り道、エストは一気に人目を集めた。
ジャイアントスコルピオを降ろすと、ひと目見ようと住民が集まってきた。
邪魔をされても面倒だからと腰の位置まで氷の壁を造り上げれば、『おおっ』と声が上がる。
その中で、軽々と壁を跳んでエストに近づく影がひとり。
「これまた派手に帰ってきたのね」
「システィ! ただいま。晩ご飯だよ」
「おかえり。やっぱり虫を食べることになるのね……でもコイツ、ジャイアントスコルピオでしょ? 美味しいのかしら?」
「いっぱい試そう。失敗しても僕が食べるから」
『どうしてもっと早く倒さなかったんだ!!』
何とも心強い発言に、苦言を呈する者が居た。
ジャイアントスコルピオにやられた傭兵のひとりだ。彼の顔には、どこか喪失感が滲んでいる。
ウィルに耳打ちで通訳をしてもらいながら、近づいてくる傭兵に杖を構えるエスト。
「それ以上近づくな。お腹がすいているなら言って」
『文句を言いに来ただけだ!』
「要件は? 僕たちちょっと忙しいから手短にね」
『……お前がコイツを倒したんだろ? ならどうしてもっと早くに倒してくれなかった?』
「君がジャイアントスコルピオが来るって言ってたじゃん。まぁ別口として討伐も頼まれたけどさ」
『お前が早ければ……フィールは死ななかった!』
あまりにも荒唐無稽な物言いに辟易する。
傭兵という、冒険者となんら変わりのない仕事は常に死と隣り合わせだ。いつ死ぬかも、どんな怪我を負うかも分からない以上、覚悟を持って挑む必要がある。
その責任を。命のやり取りをすることへの責任を果たせなかった者が悪いのだ。
「もういいや。ウィル、適当に追い払って」
「はっ」
攻撃的になられても困るのでウィルに投げたエストは、ひと足早く解体を始めていた2人を手伝う。
「面倒なヤツに絡まれたわね」
「そうかな? 僕だってシスティが殺された魔物がこうもあっさり倒されたら、同じ反応をすると思う」
「……意外ね。ちょっとビックリしたわ」
「君を失って冷静でいられるほど僕は強くない。多分、あの人もそうじゃないかな」
ただ、エストなら自身の無力さに嘆いて、他者に当たることはしないだろう。人に当たらなくていいほどに強く、そして無力さを覚えるだけだ。
そうならないように普段から鍛錬を怠らず、魔術を極める道を歩んでいる。
「だ、大体バラせたわね。仕舞っていいわよ」
「顔赤いよ? 大丈夫?」
「大切にされていると再認識したな」
「アンタたちにデリカシーは存在しないのかしら……?」
恥ずかしいことを全て言われてしまったシスティリアに、エストは優しく背中を撫でた。それが謝罪の意であるかは不明である。
しかし、何があっても絶対に守るという固い意思が込められており、大きな安心感を与えた。
解体が終わり、昼過ぎには復興作業に戻っていたエストは、ウィルに発音を習いながら杖を振る。
ウィルが発した単語を復唱し、舌の動きや文字に対応した音を学ぶ。人族語と全く違う発音の仕方に苦戦を強いられながらも、ゆっくりと丁寧に覚えていった。
夜になれば、宿に戻って緩やかな時間を過ごす。
教わった発音の復習や魔道書を深く読み込んだりと、ダラダラしないのが最近のエストである。
そして今夜は、ブロフと共に新たな世界へ旅立つ時だった。
厨房を借りたシスティリアがジャイアントスコルピオの肉を調理した。煮物に塩焼き、果ては蒸しに刺身と、食べられるのかすらも分からない料理が並べられた。
「
「い、いただきます」
まずは無難に塩焼きをフォークで刺すエスト。
剥き身のエビのように盛られたそれは、意外にも弾力がある。まるで食べ慣れた食材のように滑らかに口へ運ぶと、ひと口噛んだ瞬間にブニュッと肉が潰れた。
「おぉ……美味しくない。表面と中身の食感の差が絶妙に気持ち悪い」
「初めてシスティリア嬢の料理を不味いと思ったぞ」
「やっぱりね。アタシも味見はしたんだけど、同じ感想だったわ。味は薄いし噛んだら気持ち悪いし」
サンド・ワームは見た目の割に極上の旨みを秘めていただけに、期待して食べた分、不味さが際立つ。
塩焼きだけがダメなのかと煮物や蒸し焼きも食べてみるが、やはり表面はプリっとハリのある食感だが、噛んだ瞬間に気持ち悪さが溢れ出す。
これはどうしたものかと唸る3人。
不味い物を食べて真剣に悩む光景に、宿の管理を巻かれている夫婦は遠目に不思議がっていた。
「そうだ! システィ、これ使ってみてよ」
閃いたと言わんばかりのエストが、机の上に大きな瓶を置いた。キュポンッと音を立てて栓を開けると、中にはとろみのある液体が入っていた。
「……これ、ボタニグラの油かしら?」
「正解。揚げ物にしたら美味しいと思ったんだ。何の根拠もないけど」
「期待はできないな」
「でも、そうね。やってみる価値はあるわ!」
一縷の望みをかけてシスティリアが瓶を片手に厨房へ戻ると、残されたスコルピオを食べるエストに問う。
「あの油は幾らしたんだ?」
「390万リカ」
「……食い物へのこだわりが恐ろしいな」
王侯貴族ですら月に一度食べられるかどうかという油を、しれっと購入していたことに驚きを隠せないブロフ。
油は油でも、ボタニグラの種子から抽出した油は高級品である。揚げて良し、塗って良し、飲んで良しの万能な油は、その抽出量の少なさから値段が跳ね上がる。
そんな油を惜しげも無く使って揚げれば、例え食感が最悪なスコルピオも多少はマシになる……というのがエストの予想だ。
それから少しして、皿に盛られた揚げスコルピオがテーブルに運ばれた。
これはシスティリアも味見をしていないらしく、軽く塩を振って水分を切ってから揚げただけと言っている。
見た目は油の黄金色を吸った薄い黄色の身が、まるで内側から花が咲いたようなものだった。
3人でフォークで刺して聞こえる音は、サクッという見事な音色である。
「惑わされちゃいけないよ。問題は中身だから」
最初にエストがひと切れの半分を噛むと、フォークを刺した時と同じ音を立てて口内に運ばれる。そして数度の咀嚼の後、もう半分も口に入れた。
熱そうに湯気を口から吐きながら、感想をこぼす。
「一言で言えば、美味しい。味が淡白だからか油の香りも相まって本当に美味しい。それに、内側も揚げられているから不快感が一切無かった」
それを聞いて2人も口に入れた瞬間、ビリッと衝撃が走るような旨みを感じ取った。
「値段さえ知らなければ手が止まらなくなるな」
「ラゴッドで稼いだお金、殆ど使ったんだっけ? でもそのおかげで面白い物が作れたわ。ありがとうエスト」
「楽しんでくれたなら僕も嬉しいよ」
あれだけ不味いと言っていたスコルピオを、美味い美味いと言いながら食べる3人を見て、眺めていた夫婦は油への関心を深めた。
ただ焼いただけでは美味しくならない肉があることを知ったエストたちは、ジャイアントスコルピオの素揚げに舌鼓を打つのだった。
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