第351話 根底の狂気


 旅行前日の夜、エストは確認を取っていた。



「師匠、本当に行かないの?」


「わらわとアリアはあまり外に出ない方が良いからのぅ? 水やりは欠かさぬからの、3人で楽しんでくるのじゃ」


「それは有難いけど……お姉ちゃんも?」


「メイワールで楽しんだし〜、システィちゃんに殺されないためにもね〜」


「そっか。じゃあ3人で行ってくるよ」



 初めての一家揃って温泉旅行を、と思っていたエストだが、そう上手くは行かなかった。


 表には出ない魔女と活性化の件で満足したと言うアリア。

 双方の意見を交えて、温泉旅行はエスト、システィリア、ウルティスの3人で行くことになった。


 夏も鼻先に来ているこの季節、活動のしやすさから冒険者や商人も多いため、現地は人が多いことが予想出来る。


 システィリアが一足先にファルム商会を通して宿を確保しているので、3人は安心して過ごせるだろう。



「王都を経由してヌーさんたちに馬車を牽いてもらう?」


「それだと以前の逆ね。王都から馬車を乗り継いで行きましょ」


「となると……片道2ヶ月かな」


「ワンワン、バウバウ。明日は仕事よ」



 すっかり転移や風狩狼ウィンドベネートでの長距離移動に慣れたシスティリアは、馬車の速度を忘れていた。


 2人の話をエストの膝の上で聞くウルティスはというと、体重を預けたまま目を閉じている。



「こうしましょう。王都の屋敷で1泊。それからニルマースに転移して、帰りは馬車。どうかしら?」


「賛成するよ。ただ、少しでも体調に異常を感じたら言ってほしい」


「約束するわ。ウルティスは……ふふっ」



 ウルティスも確認を取ろうとしたが、既に寝息を立てている。エストのひんやりした手が頭に乗せられると、安心したように脱力した。


 普段はアリアと寝ているウルティスだが、今日はエストとシスティリアの間で眠ることに。

 寝室に運んで明かりを消すと、手を繋ぐ2人の間でウルティスが眠る。



「8年後も同じことを経験するのかしら」


「するよ。僕らにとってウルティスは……どういう扱いなんだろう」


「養子? でも親扱いはされないわよね」


「まぁ、後からできた家族かな」


「……この子にとって、妹か弟が出来るのは間違いないわ。なんだか不思議な気持ちね」


「……うん。親バカになったらどうしよう」


「既に妻バカよ、アンタは」


「愛妻家と言ってほしいね。そういうシスティも僕に甘いよ」


「仕方ないじゃない……好きなんだから」



 暗闇でも見える彼女の表情に、エストは片手で顔を覆う。その動きを音だけで捉えたシスティリアは、握っていた手を繋ぎ直し、指を撫でた。


 心の底から湧いてくる幸福感から、エストの口元が緩んでしまう。寝ようと思って息を整えるが、彼女が気になって眠れない。


 首を横に向けると、月明かりに照らされた黄金の瞳と目が合った。



「アタシには言ってくれないの?」



 甘える声でねだるシスティリアに、エストは少しだけ体を起こすと、繋いでいた手を離し、口付けを交わす。


 システィリアの耳がピクっと跳ねた。

 布団の中で尻尾が振られ、見つめ合っていた瞳がとろんと蕩ける。



「言わないよ。これで伝わるからね」


「……もういっかい。一度じゃ伝わんない」



 二度目も頂いた彼女が嬉しそうに目を細めると、再び横になったエストが手を繋ぎ直した。

 そうしてお互いの体温を感じながら瞼を閉じれば、自然と心地好い眠りにつく。



 そして早朝、目を覚ましたエストは庭に出た。


 まだ寝室では2人が眠っており、起こさないように庭へ直接転移したのだ。

 水球アクアに顔を突っ込んで洗い、寝癖も一緒に直すと、柔らかい芝生に寝転がった。そして、まだ藍色の空に輝く星を見つめる。



『ヌゥ』


「おはよう、ヌーさん。僕ね、幸せなんだ」


『ヌゥゥ』


「残りの人生、システィと子どものために使いたい……そう思っていたけど、やっぱりこの夢も手放せない」



 空に手を伸ばし、星を掴むように拳を握る。

 すると、ひとつの青い単魔法陣が現れ、2つ、3つと分裂を始めて空を覆い尽くしていく。

 やがて8000を超える魔法陣が様々な色を発し始めると、エストが大きく息を吐いたタイミングで、ピタリと動きを止める。


 その瞬間、全ての魔法陣が全く同じ速度で回転を始め、明け方の空を彩った。



「分裂魔法陣。停滞魔法陣。遅延詠唱陣……もっと色んな魔法陣を作りたい。まだ誰も知らない魔術で闇を照らしたい。そう思うんだ」



 空を埋めつくした魔法陣が小さく輝き、消滅する。

 幼少より使い続けた魔術が織り成す魔術の空は、誰しもが憧れる魔術師の象徴であり、誰もが知る負の歴史を持っている。


 水色の魔法陣から氷の塊が生み出されると、真っ赤な炎に溶かされた。

 上空から落ちた水滴が、エストの鼻先に落ちる。



「3代目賢者は歴史上最高の魔術師であり、最も人々を笑顔にした魔術師である。そう言われるためには、もっと鍛錬を積まないといけない」


『……ヌゥ』


「さぁ、鍛錬の時間だ。ヌーさん、風刃フギルを」


『ヌゥ!』



 名も知らぬ2代目賢者の尻拭いをした上で、魔術師の象徴として、幸せな魔術の発案者になりたい。そう願うエストは、まず強くなることを志した。


 何をするにしても、力が弱いと押しつぶされる。

 世のためシスティリアのため、そして……自分のために強くなりたいと願い、ヌーさんに風刃フギルの嵐を使ってもらう。


 10を超える不可視の刃を躱し、相殺し、乗っ取ったエストは、次は敷地内を走る。



「やっぱりダメだ。氷獄に比べると鍛えられた実感が湧かない。帰ってきたら、久しぶりに行ってみようか」


『ヌゥ?』


「ヌーさんは留守番だよ。あの環境はいくらヌーさんでも肺が凍って死ぬからね。でも、ゆくゆくはウルティスも氷獄行きかな。肉体を鍛えるには最高の場所だから」



 そんな話をしながら敷地内を3周すると、日も完全に昇り、朝の鍛錬をしにウルティスが庭に出ていた。



「おにいちゃん、おはよう」


「おはよう。アリアお姉ちゃんは?」


「まだねてた」


「じゃあ今日は僕と打ち合おう」


「ほんと!? がんばる!」



 そう言ってウルティスが木剣を2本持って来ると、汗を拭ったエストが片手で受け取った。


 2人で並んで素振りをすると、ウルティスとの差が明白に分かる。

 やはり何度振っても体に合わない違和感があり、剣の才能が無いことを実感するエスト。


 彼女に氷鎧ヒュガを使い、お互いに剣を構え合う。



「魔術も使っていいよ」


「いいの?」


「全力でおいで。力は使って学ばないと」



 エストの言葉に笑ったウルティスは一気に表情を引き締め、両手で木剣を構えながら小さく呟く。



「……火針メニス



 ちょうどエストの目を狙って火の針が飛来すると、弾き飛ばすか回避を読んでウルティスが距離を詰めた。

 対応というアクションに明確な隙が生まれることを知っている彼女は、ここぞとばかりに剣を振るが……相手が悪かった。


 目の前に立つのは、極度の魔術狂いである。


 風前の灯火だったウルティスの成長を、誰よりも知っているエストは、その左目で火針メニスを受け止めながら剣を弾く。



「え……?」


「良い術式だね。基礎がしっかりしてる。ただ、もう少し循環魔力が多い方が安定するよ」


「…………こわい」



 左目を完全に貫いた針が消滅すると、次の瞬間には再生していた。

 下手をすれば脳を焼いて即死していたかもしれないのに、エストは一切の迷いなく弱点で受け止め、アドバイスを吐いたのだ。


 頭のネジが数本抜けた行動に、ウルティスは心からの恐怖を口にする。



「こわいよ……おにいちゃん……どうしてよけないの?」


「避けたらウルティスの読み通りになるからね」


「えうっ」


「相手が思い通りに動かなくても、動揺しちゃダメだ。その動揺は魔術を狂わせる。狂った魔術は、大切な人も傷つけてしまう。だから相手がどれだけ怖くても、魔術だけは乱してはいけないよ」


「……はいっ!」


「じゃあもう一本。本気でおいで」



 合計33回の挑戦を経て、ウルティスはエストのおかしさにに気付いてしまった。どうしてあのシスティリアが心から尊敬し、魔術では絶対に勝てないと言うのか。


 根底にある魔術師の狂気に触れ、嫌でも実感したのだ。



「おにいちゃん……おかしい」



 と。

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