第171話 生命の魔法
「エルフが女しか産まれない理由? 教えてあげる。ただ魔力は注入して」
「は〜い」
魔女エルミリアの過去を知り、これからは定期的に実家に帰ろうと思うエストは、無色の魔石に魔力を注ぎながら聞いた。
自然の魔女ネモティラとエストしか居ない豪華な客室で、彼女は清涼感のある香りを出す花を咲かせた。
「昨日も言ったけど、ハイエルフは純血種。純粋なエルフの男女からしか産まれない、本物のエルフ」
「ふむふむ」
「今のエルフと違って、ほぼ無尽蔵に魔力を生み出す臓器を持っていた」
「……凄いね。魔術が使い放題だ」
「だから狩られた。人間に」
エルミリアに移植されたのも、狩られたハイエルフの心臓だった。当時の人間は愚かにも、ハイエルフを実験材料としか見ていなかった。
今はもう滅んだ言語を使い、会話ができなかったことも拍車をかけ、人間によるエルフ狩りは種族を根絶させるまでに至ったのだ。
「残った数少ないハイエルフは、色んな種族と子どもを作った。人間、獣人、果てはドワーフも。そうして何とかして生きながらえてるうちに、純粋なエルフは完全に消え、混血種……雑種ね。それが今のエルフなの」
「……違いは何?」
「魔力量が激減した。純血よりも生み出す魔力量が少ないせいで、生物としての許容量まで減った。次に、寿命が生まれた。今のエルフは3000年も生きたら老いて死ぬ」
「ハイエルフは老いなかったの?」
「うん。空気中の魔力すら生命活動に使うから、この世界が魔力で満ちている限り、不老の存在だった」
そんなハイエルフも、今では完全に絶滅したらしい。唯一残っているのが、エルミリアの心臓である。彼女をハイエルフと呼ぶことは難しいだろうが、生きている臓器は彼女の心臓だけなのだ。
──という話を聴きながら、エストは魔石に魔力を注いでいく。
魔石が山積みになった部屋から持ち出した数百もの無色の魔石を、親指から中指までの3本で挟んで注ぐ。すると、僅かに赤みを帯びた、限りなく透明に近い魔力で満たされていく。
机の上に両手で頬杖をつきながら、ネモティラは一連の流れを見ていた。
「綺麗な色……エルは銀色なのに」
「僕も昔は水色だったんだけど、気づいたら透明になってたんだよね。適性って後から変わることがあるの?」
「……無い。けど、ダブル、だったっけ。2属性持ちは、生まれ持った適性の上に、体の成熟に合わせて発現することもある」
「……それで時間と空間が出たんだね」
「……砂漠で1本の髪の毛を拾うような確率」
「水色が先だったから、時間の適性を持って生まれてたのかな?」
実際に精霊と会った時、時の精霊クェルが水色の球体だったのだ。元々が水色の魔力だっただけに、最初に発現した属性が時間だと推測できる。
そう口にしたところ、タイミング良くエルミリアとシスティリアが部屋に入ってきた。
この場に居ないブロフだが『女だらけで居づらい』と言い、自室でアクセサリー作りに励んでいる。
「その説が正しいのならば、時間の属性も下位属性を使えることになるのぅ? わらわとセンパイ……ジオの考えじゃと、空間だけが属性の支配者だとしておった。興味深いぞ?」
「幼い頃から時計に興味があったらしいし、感覚的にそれで合ってるんじゃないかしら?」
「……確かに。言われてみれば」
ポケットに入れていた魔道懐中時計を机の上に出すと、ニヤッと笑う魔女も懐から同じ懐中時計を取り出した。
自慢げにシスティリアに見せびらかした後、ぷくーっと頬を含ませる姿に歯を見せて笑う。
そしてエストがボソッと、
「またクェルに会えたら聞きたいな」
「「「ダメ!」」」
「……会えるかどうかわかんないのに」
精霊を知る魔女たちを筆頭に、その危険性を充分に教え込まれたシスティリアまでもが、エストの興味を向かせないように全力で否定した。
もし、次に会えたとして無事に帰って来られるか分からないのだ。寿命が消えたり、反対にすぐそこに迫っていたり、時の精霊クェルはちょっとした気分でその者の“時間”を弄ぶ。
唯一の救いはクェルがエストに興味を持っていることだが、それが良い未来になるとは思えない。
しかし現状では、ネモティラの実験台にさせられそうな未来を回避できたことから、エストのクェルに対する信用は積み上がっている。
「そうだ、自然魔術について教えてあげる」
「え〜、じゃあ魔石は後にしていい?」
「ダメ。すぐに使いたい。分からない所は何回でも教えるから、作業しながら聞きなさい」
「……はぁい」
少し手伝ってあげたくなるシスティリアだったが、出来ることが無いと分かっているがために一歩引く。
すると、隙をついた魔女がエストの膝の上に乗り、一緒になって話を聞こうとした。
そんな魔女に対抗し、隣に座ったシスティリアがエストにもたれかかると、ふわふわの耳で彼の首をくすぐる。
全くもって、集中できる状態ではない。
「……手、止めていい。休憩」
「やった〜! ありがとう師匠、システィ」
「これ! それは言わぬが吉というものじゃ」
「黙って甘えなさい」
「……はぁい」
新たな魔術を学ぶのに、作業をしながらというのは可哀想な話である。そんなエストを思って2人が助けに入ったのだが、その優しさに気づいたものの余計なことを喋ってしまった。
不服そうに、されどリラックスしたエストだったが、さも読めて当然という風に自然魔術の基礎術式を目の前に出された。
目の前で停止する単魔法陣は、ネモティラの髪と同じエメラルドグリーンに輝き、魔法文字は他の魔術では見たことがない意味を示していた。
「『改変』『修復』に……『模倣』?」
「自然魔術は3つの動作が基礎。今あるものを基準に姿を変える『改変』。改変したものや、物の元々の姿を取り戻させる『修復』。そして、魔力を変質させて同じものを創る『模倣』……ゴブリンでも分かる説明でしょ」
自分の得意分野……というよりは自身が司る属性の魔術だからか、少し自慢げに語るネモティラ。
この3つを基礎にした術式を組み上げると言うと、エストは魔女の頭に顎を置き、考える動作を見せた。
「僕これ、もうできるんだけど」
「……は?」
「なんなら普段からやってるよ。コレとか」
そう言って机の上に出して見せたのは、手のひらに乗るサイズまで小さくなった、アリアを模した
完全に使いこなした今、完全無詠唱で使える魔術だが、複雑に組まれた多重魔法陣の中に、先ほど説明された3つが示す魔法文字が存在した。
「対抗戦より滑らかに動くのぅ。どれ、スカートの中は……ほうほう」
凛とした所作で歩く手のひらアリアを捕まえると、魔女は容赦なくスカートの中を覗き込んだ。
「何見てんのよ!? ……な、何色?」
「乙女の秘密じゃ。のぅ? エストよ」
「そうだよ。下着は高級品なんだから、そう簡単には見せられない」
「アンタが創ったんでしょう!? いいじゃない、アタシにもお〜し〜え〜な〜さ〜い〜よ〜!」
手のひらアリアを巡って低俗な論争が繰り広げられる中、いとも簡単に自然魔術と同じ構成要素を使った魔術を使い、手の中で暴れる動きを見せる姿に、ネモティラは開いた口が塞がらなかった。
「……人間が使えるんだ。この術式」
簡単に言えば自然魔術とは、手のひらアリアに命を吹き込むことができる魔術だ。活動時間は込められた魔力量で変わるが、魔術で生命を創れる唯一の属性である。
エストの極限まで磨き上げられた手のひらアリアは、その生命を注ぐ器としては、これ以上ない完璧な模倣品だった。
「み、見えた! 赤だったわ!」
「およ? わらわが見た時は青じゃったが」
「いいえ赤だったわ! どうなの? エスト」
意見が食い違うことに詰め寄られたエストは、明後日の方を見ながら言う。
「一応言うけど、それ。履いてないよ」
「「……ちっ」」
「嘘同士のバトル、両者敗北」
「それはエストが見せないのが悪いのじゃ」
「そうよ。アンタの腕で作れないわけないじゃない。アリアさんに対して手抜き?」
「あれ? いつの間に矛先が僕に……」
アリアの品性を守るためにスカートの中も様々な装飾で見えないようにしたのだが、それがかえって見た者を怒らせてしまった。
色はもちろんのこと、質感や重さも忠実に再現した手のひらアリアは、最終的に『見せないエストが悪い』と結論づけられた。
「はぁ……賢者エストって、バカなのね」
「そうよ。エストは賢いけどバカなの。最高よね」
「うむ。わらわの教えを守っているようで感心じゃな。エストの技術はより妖艶なアリアを創るためにある」
「……あ、途中から褒められてる」
ネモティラからすれば、こんな魔術に自分用の構成要素が使われていると呆れてしまう。しかし、その構成要素が魔術における“最適解”であることを、精霊である彼女は知っている。
人類は知らない魔術の“答え”。
未だ間違った知識が蔓延る世の中で、手のひらアリアだけは精霊が知る“答え”を組み込んでいた。
ゆえに、その魔術に穴は無い。
ゆえに、その魔術は強力である。
ゆえに、その魔術は自由度が高い。
“答え”を追い求める魔術師が多いが、エストの出した答えは、“答え”そのものをゴールにするのではなく、目的のための通過点にすることだった。
そうした斜め上の発想が、今の手のひらアリアを成しているのだ。
「自然魔術の基礎はその魔術と一緒。魔力による生命を吹き込む前に、その器を創る」
「じゃあやっぱり僕、天才かもしれないね」
「始まったぞ。エストの天才認識が」
「調子に乗ってコケるまで待ちましょ」
「……勘違いだったかもしれないなぁ」
「……回避しよったか」
危うく色んな属性で手のひらアリアを出しかけたが、また手を組んだ2人に言い負かされる未来が見えたのか、しゅんと小さくなるエスト。
「エル。このままだと習得に何十年もかかる」
ネモティラから暗に『出て行け』と言われてしまい、膝の上から降りた魔女は、エストの唯一の癒しを連れて行く。
「ちぇ。怒られてしもうた。ゆくぞ」
「アタシも? ど、どこに?」
「魔術の鍛錬じゃ。エストばかりに頼っては、後で苦しむのはお主じゃからの。ビシバシゆくぞ。目指すは宮廷魔術師団長の座じゃ」
「……気持ちはね。そのつもりで……あ、これホントのやつ? やだ! エストたすけて! アタシの平穏な日々が…………あぁぁ」
引き摺られて行ってしまった。
ようやく騒がしいのが去ったと溜め息を吐くネモティラは、心機一転、エストの氷のように冷たく透き通った瞳を向けられると、その奥底にある貪欲な魔術への渇望を感じ取った。
足りない。もっと。もっと魔術を。
目は口ほどに物を言う。賢者の素質たる魔術への渇望。決して潤うことのない砂漠の如き心に、ネモティラの興味が湧く。
果たして彼は、何を覚えられるのだろう。
まだ人間が到達していない自然魔術の習得。
過去に幾度か自然の適性を持つ者に教えたことがあるネモティラだが、その領域に至った者はひとりとして居ない。
そこに、彼は立てるのか。
親友の息子であり、賢者であり、時の精霊が手を出さなかったあまりにも非凡な人間。
ネモティラは初めて、期待を覚えた。
手のひらアリアの精度から、つい『出来るのでは?』と思ってしまったのだ。
「……ひひっ、始めよう」
「自然魔術にのみ許された、倫理の深淵。擬似生命の創造を」
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