第416話 パーパァ


「うえぇ……気持ち悪い」



 龍王の城から帰還し、翌朝。

 水龍の魔力に慣れないエストは、吐き気を催すと大量の真水を吐き出し、寝室に満杯の氷バケツが幾つも並べられていた。


 炎龍の魔力を宿した時と同様、体に馴染むのに時間が掛かるらしく、エストは寝込んでいる。



「大丈夫? これでもう15杯目よ?」


「……吐瀉物よりはマシ」


「ふふっ、初めての時も魔力を吐いてたものね。高熱も出していたし。アタシ、ちょっと降りるけど、またすぐ戻ってくるわ」


「うん……エフィ優先でね」


「どっちも等しく最優先よ」



 尻尾をひと振り。エストの髪を撫でたシスティリアが寝室を出て行った。

 幾度となく襲ってくる吐き気にバケツを構えると、透明な水を吐き出すエスト。


 本来なら胃から出てくる物だが、今のエストは喉から水を出しており、水龍のブレスのように真水を吐いている。


 その水は、システィリア曰く『庭の川より綺麗』だとか。

 贔屓の塊である。



「はぁ……あと4体も残ってるのか……」



 顔色こそ悪くないものの、げっそりしているエストが未来に不安を覚える。

 一応、近い所の龍の住処は教えられたが、エストが聞いたこともない国のどこかに居るらしい。


 酷く……酷く曖昧な情報しか貰えなかったのだ。


 魔族を倒したのにまた龍巡りとは……そう思っていると、寝室のドアが開く。チラリと顔を上げると、エフィリアを抱っこしたシスティリアが入ってきた。



「ほらエフィ。パパよ」


「だぁーだ」


「っ! ……も、もう一度」


「ぷぁーだ」


「エフィ!!」



 ベッドに降ろされたエフィリアがハイハイをして近付くと、エストのお腹の上で満面の笑みを浮かべた。



「ぱーぱ」


「そう! パパだよ!」


「ぱーぱぁ」


「凄いねエフィ! 遂に──オォェエエッ!」



 エフィリアを全力で褒めながら、ベッドの傍に置いていたバケツに水を吐き出す。

 あまりにも声が汚いが、エストもまた明るい笑顔で愛娘の頭を優しく撫でた。



「ふふっ、ママは?」


「まーまぁ!」


「あぁもう可愛いんだから。そうよ、ママでちゅよ〜?」



 龍に関するあれこれを全て吹き飛ばすエフィリアを、エストは清々しい気分で撫でた。自身の課題より我が子の成長が一番大事なのだ。


 胸に顔を擦り付けるエフィリアを可愛がっていると、ドアの隙間からジーッと覗く片目が2つ。



「わらわ、バァしか言ってもらっておらん」


「ご主人。ウチはブゥだったよ」


「ママとパパの認識、早すぎるじゃろうて」


「仕方ないよ。ママとパパなんだから」


「おばあちゃんと呼ばせるのが夢じゃ」


「お姉ちゃんと呼ばせるのが夢だね」


「……半年後には呼べるかのぅ?」


「……エフィちゃん次第だね〜」



 羨望の眼差しにエストは気付いており、耳の良いシスティリアも2人の囁き声が聞こえていた。

 きっといつか呼んでくれるだろうと心の中で祈りながら、パパとママを連呼するエフィリアが愛おしい、そんな親たちであった。



 それから一週間後のことである。



 いつもより元気いっぱいなウルティスが帰ってくる頃には、エストは水龍の魔力を制御出来るようになった。


 ウルティスと共に氷獄から帰ってくると、リビングでハイハイをしていたエフィリアが、真っ赤な髪の狼を見つけた。



「ぶぁ。ぱーぱぁ?」


「──へ? お兄ちゃん、今、エフィちゃんが……」


「ビックリした? でもやっぱり、パパとママ以外は上手く言えないみたいだ。ウルティス、お姉ちゃんとして接してあげられる?」


「うん……うんっ! あたし、お姉ちゃんになる!」


「ぱーぱ!」



 ハイハイでやって来たエフィリアは、ウルティスを無視してエストの足に頭突きした。

 脛がジーンと痛むも抱っこして口元のよだれを拭いてあげると、エフィリアがウルティスを見て言う。



「ぶぁ」


「あたし、ウルティス!」


「ぶぁ」


「う〜る〜てぃ〜す!」


「ぶぁ」


「……見下された! お兄ちゃん!」



 背も伸び、エストの鳩尾辺りに顔を埋めるウルティスだったが、それよりも少し高い位置に居るエフィリアは、下に居るウルティスに向けて言う。


 ──「ぶぁ」と。


 お茶を飲みながらその様子を見ていたシスティリアは、確かに見下したような雰囲気を感じ取った。


 試しに彼女がアリアや魔女に近付けると、アリアには「ぶぁ」を。魔女には「ばぁ」を浴びせた。


 しかし、システィリアが抱っこすると「まーま」と呼ぶ。

 エストの時も「ぱーぱ」と甘える。



「格付けしたのか、親しか認めないのか」


「白狼族として見るなら後者だと思うわよ?」


「まーまぁ」


「ええ、ママでちゅよ〜? ウルティスお姉ちゃんには挨拶しないのかな?」


「ぶぁ。まーんま!」


「あらら、アタシとエスト以外見向きもしないわね」



 物心がついたらちゃんと認識するだろうが、現時点では親かそれ以外という認識であり、お姉ちゃん2人組は難色を示した。


 ウルティスの方は初めて見る赤ちゃんなので納得していたが、アリアはエストの時との違いを大きく感じているようだ。



「思えば〜、エストは全然喋らなかったね〜」


「そうなんだ。面倒だったんじゃない?」


「物心つくまではあまり発声せぬ子であったが……わらわにベッタリじゃった。それはもう可愛かったのじゃ。何をするにしても、ハイハイで着いて来ておったからの」



 懐かしむ魔女はその昔、危ない研究室までずっと着いてきていたエストを思い出す。


 記憶には無いが、昔の自分を語られるのが恥ずかしいエストは、流れるようにウルティスに視線を落とした。



「お兄ちゃん、あたしね、いっぱい術式覚えたよ!」


「凄いじゃん、頑張ったね。庭で見ようか?」


「うん! 来てきて!」



 ウルティスに引っ張られるように連れ出されたエスト。

 エフィリアだけでなく、ウルティスの両方を大事に思っている様子に、アリアたちからの評価が上がる。



 遊び疲れたのか、エフィリアはシスティリアに抱っこされたまま眠っている。



「お兄ちゃんにパパに夫に賢者。大変な役ね」


「システィちゃんも一緒だよ〜?」


「アタシは歳上だもの。出来て当然よ。でも、エストが今みたいに笑えてるならいいわ」



 庭ではしゃぐウルティスとエストを見て、柔らかい笑みを浮かべるシスティリア。数年前ではこんな時間が来るとは、予想も出来なかった。


 こんな日が続けばいいのに。

 そう思っているが、口から出た言葉は違った。



「エルミリアさん。地龍の居場所って知ってる?」


「む? 急じゃな。確かアランカ王国の大峡谷に居たはずじゃぞ」


「……何年前に滅んだ国かしら」


「滅んでおらぬわ! 砂越えしたらすぐの国じゃ。緑と谷が多い綺麗な国じゃぞ」


「砂越え?」



 それは、システィリアが初めて聞く言葉だった。



「ドゥレディア獣人連合を越えることじゃな。砂漠を越えて行かねばならんのじゃが、厄介な魔物が国境沿いに居るのじゃ。ゆえに、この大陸東部は砂漠で区切られておる」


「そうなのね。知らなかったわ。でも、厄介とはいえ魔物ならアタシたちは問題なさそうね」


「……ふっ、そうじゃな、行ってみれば分かるじゃろ。エフィリアはどうするのじゃ?」



 エストが龍の魔力を宿すことになった理由は聞いている。しかし、2人は絶賛子育て中であり、せめてエフィリアが5歳になるまでは行かない方がいいと言う。



「その辺りはこれから話し合うわ。特に期限も定められてないもの」


「うむ。行く時は、ヌーさんやワンワンたちを連れて行くことを勧めるぞ」


「分かったわ。エストにも伝えておくわね」



 重要そうな話をする一方。


 庭では炎が巻き上がり、消滅し、閃光と共に音速で飛ぶ槍が消され、次はそれが40倍の数で現れ、消され……と、魔術師として実力を上げたウルティスがエストに完封されていた。



「いいね。完全無詠唱は先生の教えかな?」


「うんっ!」


「じゃあ僕からは、隠蔽の仕方と魔法陣での騙し方を教えよう」



 そうしてウルティスは、剣術も然ることながら、初代賢者と3代目賢者の教えにより、常軌を逸した魔剣士へと成長する──。

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