第254話 雪の降る森


「寒いわねぇ。歩いてないと温まらないわ」


「そんなに寒いかな? 僕は割と平気だけど……ライラ、温かい風域フローテ出せる?」


「出せますよ〜! えいっ!」



 シトリンを出てから2ヶ月が経った。

 秋というには随分と冷え込み、吐いた息が白く染まり、エスト以外は毛皮の服を着込んでいる。


 馬車の旅は順調で、何事も無ければ予定より一週間ほど早くロックリアに着く。

 ただ、これからは雪が降ることも考え、ペースを落とすことも視野に入れている。


 ライラの魔術で幌の中が温まり、地図を見ていたブロフが大きく息を吐いた。



「この先はトレントの生息地だな。雪が降る前に抜けられるといいが……天はイタズラ好きのようだ」



 ブロフが見つめた外の景色には、雪が降り始めていた。

 御者台側から雪のひと粒が舞い降り、エストの手に乗った。そばにくっ付いていたシスティリアの耳にも雪が付くと、ピクっと反応して溶けてしまう。



「積もったら最悪ね。アイツらトレント、雪にも根を隠すから全然倒せないもの。腹が立って仕方がないわ」



 雪の降る森は厄介である。

 トレントだけでなくボタニグラなどの植物系の魔物が、ここぞとばかりに人や魔物を襲い、春に備えて栄養を蓄える。


 また、肥えたトレントは実をつけるようになり、通常よりも活発に襲うようになるのだ。


 冬の森はゴブリンも起きない。

 そんな言い伝えがあるほどに、トレントが森を支配する季節である。



「だが、トレントは金になる。若い根は薬に。幹は木材になり、砕けば紙に。枝も乾かせば良質な薪となる。捨てる部位が無い魔物だ」


「路銀の足しになりそうですね!」


「アンタの魔術で倒せるの? 炭にして売っても、そこそこの値段でしか買い取ってもらえないわよ?」


「うぅ……そうでしたぁ。私に土の適性があれば……」



 皆の視線がエストに向く。

 温かい風に居眠りをしていたエストは、システィリアに揺さぶられて目を覚ました。

 もう少しで気持ちよく眠れそうだったが、トレントは馬車を破壊する魔物として広く知られている。


 また馬車を修理に出すのは嫌なので、大きな欠伸あくびをしながら言った。



「見かけたら倒そっか。ライラに探知をお願いして、3人で叩けば安定して狩れると思う」


「風魔術って、トレントも探せるのかしら?」


「えっと、吹かせた風で大体は分かります」


「便利だな。だが、魔術に寄ってトレントが来るんじゃないのか?」


「お金が歩いてくるなんてラッキーだね」


「……さながらトレントは金のる木か」



 ブロフに向けてニヤリと笑みを浮かべるエスト。

 常人なら無理をして駆け抜けるか、或いは手前の街で複数の冒険者を雇ってから森を抜けるのだろうが、ことこの集団に限っては必要ない。


 襲ってくるのなら最大限に利用する。

 文字通り金の生る木として、次の街で美味しい料理を食べることが目的となった。



 しばらく道なりに進んでいると、雪の降る量が増えていく。うっすらと積もり始め、踏み固められた道を滑りやすく変えていた。



「それじゃあライラ、探知をお願い。反応があったら僕がトレントを止めるから、システィとブロフは根っこを斬ってほしい」


「分かりました! 行きますよ〜!」



 馬車を停めると、ライラが風域フローテを使う。

 遠方に現れた緑の単魔法陣が輝き、広範囲に渡って微かな風を吹かせた。

 空気の揺れを……魔力の抵抗を感じ取ると、エストにどう伝えようか悩む素振りを見せた。


 するとエストは、異常のあった風の位置を自身の魔力で特定し、水晶のワンドを振った。



「右前方80メートル。2体捕まえた」


「アタシがやるわ」


「左15メートル。1体捕まえた」


「ああ。行ってくる」



 エストの言葉で2人が飛び出すと、そこには確かにライラが発見したトレントが、無惨にも土の底からひっくり返された姿で倒れていた。


 弱点である根を断ち切り、完全に生命活動が停止したことを確認すると、システィリアの目の前でトレントが消えた。


 それはブロフの方も同じであり、2人が帰ってくると馬車は再び動き出す。



「楽な仕事ね。魔術師ってありがたいわ」


「比較対象がアリとワイバーンだぞ」


「でも、本当に凄いです。私が言う前にトレントを捕まえちゃって……」


「ふっふっふ。僕は“空気を読む”ことが得意だからね」



 そんなエストの言葉には誰も反応を示さず、悲しくなったエストはシスティリアに泣きついた。

 よしよしと頭を撫でられる様は、とてもじゃないが賢者に見えない。それこそがエストの恐ろしい部分でもあり、魅力なのだとシスティリアは言う。



 しばらくトレントの反応は無く、滑らないように速度を落として馬車を進めていると、遂に森の終わりが見えてきた。


 意外にも襲われなかったことに落胆するエストだったが、まだ完全に積もっていない森では、トレントも鳴りを潜めているらしい。


 平原の先に見える外壁に囲まれた街が、次の休憩地点だ。


 外壁は拡張工事をしているのか、歪な形に建てられているが、空を飛ぶ魔物以外は通れないほど頑強だ。

 王国の横断ももう終盤。

 今見えている街を除けば、残りの街はロックリアだけとなる。



「エスト。あれ見て」


「なに? …………うわぁ」



 御者台に肘を置き、前方を眺めていたシスティリアの尻尾に叩かれたエスト。一緒になって見た先には、ゴブリンに襲われた馬車があった。


 周辺は血にまみれ、それが人の血か、ゴブリンの血かは分からない。

 ただ分かることは、既に4人が事切れており、ゴブリンが10体以上の集団で襲ったことだった。


 近づくと漂う血の匂い。

 剣を抜いたシスティリアが真っ先に降りたが、馬車の影を覗くと剣を納めた。



むごいわね…………Dランクが4人も」


「システィ。こっちの商人、生きてるよ」



 エストに呼ばれてボロボロの馬車の中を覗くと、若い男の商人が気を失っていた。

 幸いにも目立った外傷はなく、通りかかった冒険者が気を利かせたのか、厚手の布が掛けられていた。


 そして、商人を起こそうとエストが乗り込んだ瞬間のことだった。



『ゲキャキャッ!!』



 商人の布に隠れていたゴブリンが、青銅の短剣を構えてエストに突撃した。

 いち早くシスティリアが反応するも、狭い車内では剣を振れない。


 このままではエストが危ない。

 そう感じた次の瞬間には、ゴブリンは全身が凍りつき、短剣がぽとりと床に落ちた。



「あ、あっぶなぁ。ヒヤッとしたぁ」


「……もうっ! 心配させないでよね!」


「いやぁ、野生は賢いね。気を抜いてた」



 システィリアにお尻を叩かれ、次はもう油断しないと言うと、エストは男を幌馬車に運び込んだ。

 目を覚ますことのない冒険者カードを抜き取り、一行は街へ向かう。


 お尻をさするエストにブロフが何かあったのかと聞くが、『システィの愛情だよ』と答えた瞬間、次は尻尾で顔を叩かれた。



 銀色に染まる空の下、悲しい事件の結果を手に、一行は街へと入るのだった。

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