第295話 空に落ちた影



『お前がエストか。リヴ様から伺っている』


「あ、あぁ、うん。ちょっと、あの、背中に乗せてくれない……?」


『……本当に恐れぬのだな』


「ごめん今喋る余裕ない。落ちたら死ぬから!」



 雲の上に居るエストだが、その体は天空龍が生み出した強烈な上昇気流によって浮いている。

 自身の風魔術がかき消されるため、なんとかその大きな体躯の乗りたいと言えば、今度は横殴りの突風がエストを攫った。


 人が住めそうなほど大きな島の如き巨体は、その表面が翡翠色の鱗で覆われており、1枚の大きさが3メートル近くある。


 里長の家にあったのはやはり天空龍の鱗だったかと思うエストは、薄くなった空気を吸った。



「ありがとう。どこまで聞いてるの?」


『残る五賢族は1体。下の歴史が大きく進むから、エストに魔力を宿せ。とまで』


「僕が龍の魔力を持っていることは?」


『そんなもの、見るまでもない。命魂尽くす意志であろう?』


「まぁね。君の魔力を宿して、僕が死ぬ確率とかわかる?」



 エストがそう言えば、浮遊している天空龍は大きな首を曲げて、人よりも大きなアメジストの瞳で見つめると、エストの“中”を見た。



『8割、といったところか』


「え……やめてお──」


『無理だ。リヴ様に言われたことなのでな』



 拒否しようとした時には遅かった。

 エストの脳天に1本の稲妻が伸び、その肉体を焦がさんと全身へ駆け巡る。首、胸、腹、足と全ての部位に刺すような痛みが走ると、心臓から湧き出る猛烈な違和感に胸を抑えた。



「ぐうっ……! これ……ヤバいかも」



 喉から出ようとする異物感を吐き出せば、それはべちゃりと音を立ててエストの服を紅く汚す。


 確率20パーセントの強制ギャンブルだった。

 勝てたらいいな、程度の確率である。

 そこに命を賭けることなど、賭け事で生きるギャンブラーか、一縷の望みで賭けた崖っぷちの人間のどちらかだろう。


 脳が痺れるような目眩に襲われ、エストの意識は遠のいていく。


 今までの龍の魔力と違い、水龍と戦った時のような、うっすらと脳裏に浮かぶ“死”の一文字。


 抜けていく力で拳を握り、鋼の意思で生還を望むエストだが、許容量を超えた天空龍の魔力が体外へと放出されていく。



『3種の龍を宿して尚、人の姿を保つか。精霊が傑物と呼ぶ所以だな……しかし』



 バチバチと音を立てながら放たれる、エストの魔力。

 肌に稲妻が駆け抜けた跡を残し、動かぬ左腕がピクピクと痙攣しており、心拍のリズムも大きく乱れている。


 精霊のお気に入りであるエストでも、特別肉体が強くなったり、龍の魔力を宿せるようになったわけではない。


 全ては本人の資質と、魔女が幼少期に混ぜた霊薬の力にかかっている。



 蹲るエストの肌がひび割れ、血が吹き出す。

 無数の剣で貫かれたが如く全身から血が流れ出る様は、肉体を内側から引き裂く、龍の爪に襲われているようだった。


 歯を食いしばって耐えるエストも、もう限界が近い。


 次第に穴という穴から血と共に透明な液体──エストの純粋な魔力が溢れ出ると、それはすぐに肉体を修繕する。



『……ほう?』



 カチッ。龍の魔力を出し切ったのか、エストの魔力が吹き出せば、ひび割れた肌を治し、稲妻が走った跡を消す。



『光の魔力……? 違うな。この気配……概念の魔力』



 再びエストの体が引き裂かれる。

 しかし、まるで傷が消えると、カチッと時計の針が動く音がした。


 時間は一方通行。前に進み、止まることは出来ても、過去に戻すことは出来ない概念。

 過去は記憶であり、記憶とは曖昧なもの。

 曖昧さは魔術の根幹でもあり、魔法を生み出す糧となる。


 痛みと魔力でぐちゃぐちゃになったエストの思考は、支離滅裂な魔法陣を創造した。


 エストの瞳から光が消える。

 肉体の窮地に生存本能が爆発的に魔力を熾し、欠損回復ライキューアを……否、更に高速で治癒する時間魔術。


 肉体再生クロゲネスを開発、実行したのだ。


 時間が戻ったと錯覚させるゼロ秒の回復。

 時間の適性を持ち、光魔術に、そして肉体に対する深い理解が無ければ使えない、死の淵からも連れ戻す治癒魔術である。



「……っあ」



 声にならない音を発し、エストは瞼を閉じる。

 そして力強く目を開けると、回復した右手を鱗に打ちつけ、口内に溜まっていた大量の血を吐き出した。



「適応………………できた」


『馬鹿な……3種の龍だぞ?』



 大きく息を吸うと、その空気の薄さに咳き込みそうになる。それを押し込んで体に魔力を行き渡らせれば、体中を炎龍、氷龍、天空龍……そしてエストの魔力が流れる感覚が走った。


 人差し指を立てれば、指先からバチッと弾ける天空龍の魔力を放出した。


 エストの言葉に嘘は無い。

 本当に適応したのだ。

 ただでさえ死ぬ可能性が高い龍の魔力を。

 その3つを、己の肉体に宿したのだ。


 凄まじい疲労感の中、新たな力を手にしたエストの口元は緩んでいた。



『……化け物め』


「ドラゴンがそれを言う? 僕よりもずっと強い……うん、強いんだからさ」


『水龍は弱かった。それだけだ。だがお前のソレは常軌を逸している。特別などという言葉では収まらんぞ。異常だ』


「よく喋るね。殺す気で魔力を宿したんじゃないの?」


『……ああ』



 4種の魔力が均衡を保ちながらエストの肉体を流れていく。少し力を込めると普段よりも深く力が入るような、リンゴ程度なら軽く潰せる感覚がした。


 力を入れることよりも制御することに意識を向ければ、今まで通りに過ごすこともでき、大きく息を吐いたエスト。



 人差し指と親指の間でパチパチと小さな雷を出して遊んでいると、天空龍の突風がエストを襲った。



「ちょっと!? 落ち、落ち落ち落ち…………ないっ! いや落ちる! 落ちてる!」



 先程とは違って風の乗り方が分かるエストだったが、それでも相手はドラゴンである。

 地面へと落ちていくエストに背を向ければ、仕事が終わったと言わんばかりに東へと進む天空龍。



『さらばだ、エスト。いかづちはお前の背にある』



 そんな声が聞こえた頃には、エストは高高度落下を決めていた。

 天空龍の足元にある雷雲は嵐を巻き起こし、雨風に殴られるようにして落ちていけば、迸る雷の軌道が感覚で分かった。


 龍の血による鋭敏な感覚に感動しているのも束の間、エストは落下している。



「でも……うん、風でなんとかできそう」



 炎龍や氷龍では出来ない、風によるクッションを作ったエストは、しっかりと最終落下地点を定めると、そこに上空へ向けた風の渦を作り出した。


 まるで竜巻のようなソレが風域フローテによるものだと、誰も分からないことだろう。



「落ちる場所は……カゲンの中だね。よし」



 里の中ならシスティリアと合流可能だと喜ぶと、エストの体はふわりと浮いた。

 そしてゆっくりと地面に降り立ち、土の感触を確かめた。


 辺りには何も無い。前方に1本の木があり、どうやら子どもたちが遊ぶ丘の奥に着地したらしい。


 手を握り、ちゃんと生きていることを実感していれば、雲が晴れていく世界を背に、システィリアが丘の上からエストを見つけた。



「……勝ったよ。心配させちゃったかな?」


「ぜ、全然心配なんてしてないわよっ!」



 そうは言いながらも、尻尾を全力で振りながら走ったシスティリアはエストに抱きついた。


 その瞬間、バチィ! と青白い光が見える、特大の静電気が起きるのだった。



「うぅぅ……いたかったぁ」


「……す、すぐに対策するから、待っててね」



 涙目になって頬を擦り付けるシスティリアを優しく撫でるエスト。

 その表情に賭けに勝った快感は無く、ただ彼女の元に帰れたことを、心の底から喜んでいた。

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