第122話 日陰の支配者


「さ、寒い……砂漠の夜を舐めてたわ……」



 ドゥレディアに入って1日目の夜。

 火の傍で眠るブロフをよそに、システィリアは砂漠の寒暖差に身を震わせていた。

 隣で眠るエストと握っていた手を離そうとすると、温かい風域フローテを展開された。



「起きて……ないのよね。……もう」



 無意識下で魔術を使えることはもちろん、求めていた魔術を的確に、程よい威力で使えるエストに敬意と感謝を抱くシスティリア。

 そっと頬に唇をつけると、エストの腕を抱きしめながら眠った。



「──システィ、そろそろ行くよ」



 まだ日が昇る前に起きた一行は、暑くなる前に移動を始める。本来なら夜に移動することが望ましいが、夜は魔物が活発に動きやすい。

 安全面を考慮して、移動開始は夜明け前が最適だと話し合った。


 背嚢をブロフに預けたエストは、まだ眠そうなシスティリアを背負って歩く。



 顔を出そうとする太陽を背にしていると、砂の海に蠢く黒い波が視界に入った。



「日陰アリの群れだな」


「美味しいの?」


「酸味が強くて食えたもんじゃない」


「じゃあ無視しよう」



 ぞぞぞぞっと音を立てて西へ走る日陰アリは夜行性の魔物である。強い陽の光を嫌い、人の大きさはある中型の魔物でさえ喰らうが、肉体の脆さからDランク上位と分類された。


 ただ、夜間の狩りに出くわしてしまえば、その危険度は一気に跳ね上がる。



「もう少し出発が早ければ、オレたちもああなっていたかもしれねぇ」



 ブロフが指をさした方には、赤茶色の染みがついた魔物の骨が散乱していた。



「中型だな。一晩で食い尽くしたか」


「す……凄まじい食欲だ」


「なぁに言ってんのよぉ……」



 日陰アリの食欲におののくエストに、背中の上で二度寝をしていたシスティリアが声を上げた。



「おはようシスティ。もう少し寝る?」


「……歩く」



 柔らかい砂の上に降りると、大きく伸びをするシスティリア。遠くでは日陰アリの群れが引いていき、よく見るともうひとつの群れと合体して、さらに大きな群れへと化していた。


 ドゥレディアでは、こうした普段見ることのできない魔物や動物の営みが手に届く範囲に近づく。


 慣れない土地。

 知らない慣習。

 初めての体験。


 これが旅の目的である『経験を積む』ということだと思い、胸が高鳴る。普通の人が知り得ないものに突っ込んでいく精神は、ブロフやシスティリアから見ても目を見張るものがある。


 そういった部分もまた彼の魅力だと、システィリアたちは知っているのだ。



 夜が明けてから朝食をとり、数時間ほど歩いている時のこと。最後尾を歩くエストが、先に佇む人の影を見つけた。



「ブロフ、馬車が立ち止まってる」


「助けるんだな?」


「うん。システィ、髪色を変えてね」



 フードを深く被ったエストを筆頭に、前方の人影に向かって走る。徐々にその姿が鮮明になった時、突然エストが足を止めた。


 視線の先にあったのは、立ち往生した馬車なんかではなく、服を着たまま白骨化していた人だった。



「な、何よこれ……」


「頭頂部に2つの穴、獣人だ」


「……この人は昨日、街に入る前に見た……」


「その可能性が高い。日陰アリに食われたな」


「嘘よね? 一晩で骨になるの?」


「なるぞ。だから夜は火を炊いて眠るんだ。骨を見ろ、この獣人は若い。明かりもなしに夜を越そうとした」



 荷車の前にはラクダの骨まで散乱しており、日陰アリに飲み込まれたことがわかる。これこそが砂漠の危険度を表す光景である。


 まともな知識も無く入った者を、容赦なく喰らい尽くす。それがドゥレディアの大半を占める自然の在り方だ。



「ブロフ、ドゥレディアでの弔い方は知ってる?」


「知らん」


「ちょっと、エスト? 獣人のことならアタシに聞きなさいよ! これでもたくさん勉強したんだから!」



 そうしてシスティリアの指導のもと、亡くなった獣人とラクダを埋葬すると、コップ1杯の水を振り撒いた。

 砂漠ではすぐに水が蒸発するため、天に昇っていく水に導かれるよう、死者を思うことがドゥレディアでの弔い方だ。



「さてと、この荷車はどうしようか」


「水が入っているのよね。アタシたちで届けるのはどう?」


「運ぼう。困ってる人が居るかもしれない」



 久しぶりに土像アルデアの馬を出すと、荷車に積まれていた壺の中の水を補充してから歩かせた。

 馬の精緻さに驚く2人を見て、胸を張るエスト。

 特技とも言える像作りは、完成度が増すばかりだ。



「待て。中の水は少し減らせ」


「どうして? その方が助かるよね?」


「この距離を移動して水が減っていなければ、水魔術が使えると言っているようなものだぞ」



 ブロフの言葉にハッとした2人。ここで水魔術を使うことの危険性をしっかりと考えねば、容易に己の身を滅ぼしかねない。


 今まで息をするように使っていた魔術だけに、想像以上に厳しい生活が強いられる。



「ありがとうブロフ」


「アンタが居なかったら危なかったわね」



 ふっ、と鼻息で返事をするブロフは、片手で髭を触っていた。

 広大な砂漠を歩き続けていると、何度目かの夜になる。すっかり慣れた様子で火を炊いたエストたちは、食事にしようと鍋を取り出した。


 もうすぐ切れるサンド・ワームの内臓を調理していると、システィリアの耳が異音を拾う。



「……幻聴かしら?」


「幻聴? 何が聞こえるの?」


「なんかこう、ザザーって、波みたいな──」



 首を傾げるブロフだったが、エストは拠点を出て氷の柱に乗ると、数メートルほど伸ばして高い位置から見渡した。


 すると、杖を出しながら飛び降りたエストは即座に火魔術の準備を始める。



「システィ、幻聴じゃないよ。物凄く大きな日陰アリの群れがこっちに向かってる。多分、この程度の火だと飲み込まれる」


「な、なんですって!? アタシたちも……」


「大丈夫。僕に任せて」



 システィリアの頭を撫でながら言うと、北に向かって杖を構えるエスト。その背中には確かな自信があり、共に戦おうとしたブロフも武器を下ろした。


 次第に大きくなる波の音──日陰アリの足音に、緊張の波が広がる。


 前線に立つエストは小さな火の単魔法陣を無数に展開すると、魔力量にものを言わせた物量で押し切ることにした。



「数には数で対抗させてもらうよ。火炎塊メゼア



 日陰アリの大群が魔法陣の下に入った瞬間、刹那に太陽が現れる。ものの数秒で足音が消え去ると、鼻を突くような異臭が辺りを漂う。

 その臭いこそがアリの強烈な酸味の元であるが、鼻のきくシスティリアを思い、風で吹き飛ばした。



「……とんでもねぇ」


「バカよねぇ。賢いのにバカだわ」


「魔術師の強みは数にあるからね」


「アンタは相手が多くても強くても関係ないでしょうに……ありがとね」



 焼け焦げた砂を地形操作アルシフトでかき消すと、食事の準備に戻る一行。

 日陰アリの恐ろしさである驚異的な捕食速度も、食われる前に倒してしまえば意味がない。剣士や戦士では戦うことが困難な小さな体躯と素早い動きは、魔術師からすれば格好の的である。


 1体の大きな魔物には戦士や剣士が。

 多数の小さな魔物には魔術師が。


 冒険者パーティとは、それぞれの役職に応じた強みを活かすことが重要なのだ。



「よくあれだけの魔術を使えるな」



 料理の完成を待っていると、武器の手入れを終えたブロフが話しかけた。



「消費量ならそこまで多くないよ」


「そうなのか?」


「一発の威力を落として数に振ってるからね。それに、魔力量自体は強引に増やされたから、全力で使っても多分大丈夫」


「……本当に人間か怪しいな」


「やめときなさい、ブロフ。エストはアンタが出会ってきたどの魔術師よりも異質だもの」



 配膳しながらブロフの目を遮るシスティリアは、疑うだけ無駄だと言う。誰よりも近くで彼を見てきた者が言っただけに、一歩引いて頷くブロフ。



「今に始まった話じゃあない。生まれる時代が違えば王の素質とも言える。お前の体は、神に祝福されているんだろう」



 鍛えられることも才能のひとつだと認めると、システィリアお手製のサンド・ワームのモツ焼きを楽しんだ。

 煮ても焼いても美味しいサンド・ワームは、見た目にさえ目を瞑れば旬の魚より濃厚な肝の味を楽しめる。


 若干一名、まだ見た目に慣れていない者もいるが、全身をビクビクと震えさせながら食べる姿は微笑ましい。



「明日からのご飯、どうしよっか」


「西の山に緑が見えていた。動物が居るはずだ」


「アンタの不思議空間、いっぱいお肉が入ってるわよね?」


「……なぜそれを?」


「あのねぇ。そんなこと、アタシが分からないとでも? どうせカチコチに凍らせたオークやワイバーンが詰まってるんでしょ?」


「あ、あれは頑張った時のご褒美だから」


「目が泳ぎすぎよ。とりあえず明日はその肉を使うわ。あの山で果物が採れるといいのだけれど……」



 ビタミン不足を補うためにも、凍らせた果物を持ち運ぶことを考えるエストは、亜空間について2人に話すことを決めた。


 同時に、時空魔術の不完全性や戦闘中に使う場合のリスクも伝え、運搬にしか使えないことも話すのだった。

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