第7話 贈り物
魔道懐中時計の構造を理解してから一年が経った。
エストの体も大きくなり、魔女と同じくらいの身長にまで育った。
毎日のトレーニングは欠かさず。
魔術の勉強と鍛錬も欠かさず。
そして、魔道具への理解も深めていった。
最近になってエストは、魔女の誕生日を聞いた。
どうやら冬の初めらしい。
今の季節は夏なので、誕生日プレゼントを渡そうと決意する。
「エスト〜、そろそろお昼だよ〜」
「……」
アリアの声に気づかないほど、没頭していた。
視線の先は机の上。
分解した魔道懐中時計と、氷の歯車たちである。
時計を何度も分解し、再構築する度に思ったのだ。
あれ? 魔力の消費に無駄があるぞ? と。
実は一般的な魔道懐中時計は十年で魔力が切れる。
それは魔帯真鍮の魔力が尽きるからであり、魔力切れになると当然、時計は動かない。
魔力を長持ちさせようと思ったら、普通は魔帯真鍮を大きくする。
しかしエストは、他の方法で寿命を伸ばす方法を発見した。
「……はぁ。神経使う」
手元には、糸も斯くやな細い
その針先にある歯車は
魔帯真鍮に薄い
そして氷の膜から歯車の糸と同じサイズの糸を伸ばし、鈎針状の
結んだとしても、その糸は見えやしない透明かつ極細の物。
自分の魔力による生成物だから分かる、結べた感覚だけが頼りだ。
「これをあと三百十二回……終わったらギューしてもらおう」
神経を使う精密作業。
それを子どもの身で、それも三百を超える回数をこなすのは尋常ではない。
ただ、エストは楽しいと思えた。
完成した時計を見て、魔女の喜ぶ顔が見たかった。
努力を覗いたアリアに、褒めて欲しかった。
たったそれだけの理由で、市販に流通する魔道具では最も高価と言われる、時計を作るのだ。
完成した暁には、たっぷり甘える。
雨で体力作りの出来ない日は、一日没頭する。
一本一本、目では見えないために魔力を感知して結んでいく。
モデルと全く同じサイズの歯車を
中の構造が見えるようにすることを見越して、透明な氷のままの部分と、薄く色を付けた部分をこだわる。
あまりの集中力を使うため、日に五つの歯車を組むのが精一杯だった。
調子が良い日は倍は組めるが、調子が悪い日は二つ組めたら良い方だった。
一つ、また一つと歯車が合わさる。
本来、魔道懐中時計にある魔帯真鍮は、ごく微量だが魔力のロスがあった。
しかし今エストが組み上げている物には、その無駄が一切無い。
一度稼働を始めれば、二十年は動き続ける。
売れば一つで財を成せるだろう。
でも、絶対に売ったりはしない。
愛する家族に贈るため、感謝の気持ちを込めて組む。
「──できた」
手を付けてから約一年と半年。
季節は秋も終わる頃。
遂に、魔女に贈る氷の魔道懐中時計が出来た。
上部のスイッチを押して蓋を開くと、ガラスの様に透明度が高く、ガラスよりも硬い氷に守られた文字盤が現れた。
時間を示す数字の下には、異常なまでに再現度が高い魔女と、これまた異常にリアルなアリアが。
そして、笑顔のエストが三人で手を繋ぎ、原っぱの上で寝転がった光景が描かれていた。
一言で表すなら──愛。
誰も欠けてはいけない、純真な愛がこもっていた。
また、背面のスイッチを押すと三人の氷が透け、内部の精巧なムーブメントが丸裸になる。
稼働する歯車。それはロマンである。
この魔道懐中時計のコンセプト。
それは愛とロマン。
渡す相手は、他でもない魔女……否、母親であるエルミリアだ。
いつになくエストは緊張していた。
手の震えを自覚し、もし喜ばれなかったらどうしようと、マイナス思考に陥っていた。
だが、勇気を出してドアを開く。
その先のリビングでは、いつものように椅子に座って本を読む魔女と、掃除をしているアリアの姿があった。
魔女はエストに気づき、微笑みかける。
そしてアリアもまた、意識を向けた。
後ろ手に隠した懐中時計は、まだ見せない。
「あ、あのっ! 師匠」
「なんじゃ〜?」
魔女は本を閉じて、エストに向き直った。
エストの背筋はピンと伸び、真っ直ぐに魔女の瞳を見る。
横に居るアリアには、見えていた。
愛しい弟の努力の結晶が。
一年半だ。七歳で始めた魔道具弄りが、実に九歳目前にして完成させた一大プロジェクト。
「えっと……その……」
言い淀むエストの言葉を、魔女は静かに待つ。
エストのことは全て受け入れる。
その覚悟が、魔女にはあった。
「その、そろそろ誕生日……だよね」
「そうじゃのう。825歳になるの」
「そ、それでね。僕、えっと……」
魔女は何となく気づいていた。
これから誕生日プレゼントを受け取るのだと。
エストは一歩近づき、手を前に回した。
両手に包まれたそれは、美しいカスミソウの氷細工が特徴的な、魔道懐中時計である。
カスミソウの花言葉は、永遠の愛。
「師匠、ちょっと早いけど、誕生日プレゼント。まずは……開いてみて」
「ありがとう、エスト。わらわ、もうすっごく嬉しいのじゃ」
嬉々として魔女は懐中時計を受け取ると、上部のスイッチを押した。
そして文字盤を見た瞬間──涙が溢れた。
アリアも初めて見る、魔女の涙。
ボロボロとこぼれ落ちるそれは、師として、家族としての愛を真っ直ぐに受け、それでも尚溢れたものだった。
「あれ……おかしいの。嬉しいのに、笑っておるのに、涙が止まらぬぞ。わらわ、わらわ……初めてこんなに」
魔女の表情は、屈託のない笑顔だった。
そして、渡したエストも。
何があったのだろうとアリアが覗き込むと、アリアもまた、ボロボロと涙を溢れさせた。
まるで写真のように精巧な氷細工。
その技術は、誰も経験していないのに、実際に原っぱに寝転がった記憶があるかのように感じさせる。
エストは魔女に抱きついた。
頑張ったよと。大好きだと。
この日、世界で一番幸せな人は魔女エルミリアである。
たったひとりの息子に、世界で一つだけの物をもらった。
まだ止まらない涙を懸命に堪えながら、魔女もエストを抱きしめた。
更にエストを挟むように、アリアも抱きしめた。
「よく頑張りました、ウチの弟。何日も何日も、一生懸命に頑張ってる姿はよ〜く見てたよ。何回も何回もやり直してたのも、ウチは見てた。ホント、頑張ったね」
「……うん!」
アリアの言葉に、エストは元気に頷いた。
針の維持に失敗して一からやり直しになった時、アリアが優しく慰めてくれたからだ。
魔女にも秘密にし、陰からずっと応援していた。
そんな姉の言葉は、エストの心の支えになった。
少しして、魔女はエストから体を離した。
大きく深呼吸をした後に、口を開く。
「ありがとう。わらわはエストの師で良かった、母で良かったと、心からそう思っておる。これからの楽しい日々も、辛いときも、幸せなときも、わらわはこの懐中時計と共に時を刻むと約束しよう。改めて言おう。ありがとう、エスト。わらわは……わらわとアリアは、そなたを愛しておる」
「──うん!!」
もう一度強く抱きしめ、感謝を伝えた魔女。
この日はずっと二人が泣いていたために、珍しく三人で一つのベッドを使って寝た。
少々狭くはあったけど。
それでも、二人の温もりが心地よかった。
冬が明けると、エストは九歳になる。
魔術学園の話はというと……入学試験は受けに行くと、エストは言った。
残り一年と少し。
三人の暮らしは、まだまだ続く。
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