第406話 手も足も出させない


「我々の研究を知られたからには生かして返せん……死ねぇいっ!」



 そう叫び、研究所の所長が青い多重魔法陣を展開する。それは中級水魔術で最も攻撃力が高く、最も制御が難しいと言われる、水魔術の水龍波アクロケルナの術式だった。


 魔法陣を見た瞬間、傍のウルティスは悟る。


 ──あ〜あ、と。



「ふははは! 喰らえ! 水龍波アクロケルナ!……は?」



 魔法陣から小さな水龍の頭が出た瞬間、魔法陣が霧散した。

 相対するエストは、腕を組んでうんうんと頷いている。



「僕はその魔術あんまり好きじゃないんだよね。本物の水龍のブレスを知ってると、真似と言うにもおこがましい威力だからさ」


「な、何を──」


「だから、再現してみたんだ。水龍波アクロケルナ



 エストが右手を研究施設……魔道具に囚われているトレントに向けると、魔法陣を出すことなく、右手のひらから音速を超えた水の塊が射出された。


 ドパンッ!


 当たったトレントが爆散すると、そこでようやく研究所員たちが異変に気付く。



「まぁこんなもんだよね。もっと威力を高められるけど、それをすると上から街が落ちてきそうだし。……さて、君は僕に魔術を放とうとしたね。つまりは僕も君に魔術を放っても、反撃として納得できるわけだ」


「……来るな……来るな化け物!」


「敵襲! 敵襲っ!」



 エストに右手を向けられた所長が酷く怯えると、どこに潜んでいたのか、大量の魔術師と暗殺者がエストに襲いかかる。



「──!」



 メルが叫ぶが、エストの魔術によって完璧に遮音されている。


 そして暗殺者のひとりが素早くエストの背後を取り、ナイフを突き立てた瞬間……暗殺者が瞬く間に凍りつき、地面に転がった。



 ──ドクン。



「ひぃっ!?」


「大丈夫、生きてるから安心して。僕は優しいからね。君たちが口に仕込んでいる毒を全部浄化したよ。さぁ、魔術に自信がある人は撃ち込んでくるといい。面白い術式を僕に教えてほしい」



 無邪気な笑みを浮かべて宣言するエストに、取り囲んでいた魔術師らが一斉に魔術を放つ。


 口頭詠唱、魔法陣詠唱、完全無詠唱と発動条件は様々であり、属性も基本4属性はもちろんのこと、中には闇属性魔術も向けられていた。



 しかし。



「バカな! 魔法陣が全て破壊された!?」


「だめだめ、もっとオリジナルの色が強い術式が見たいんだ。たかが583個の魔法陣、既知の物なら見なくても壊せるよ」



 空間探知内の魔力は、全てエストが掴んでいる。

 毎日の鍛錬が術式破壊の速度を地道に上げていき、今では1秒足らずで数百の魔法陣を破壊出来る。


 何人か暗殺者が近付こうとすると、本職の斥候でも分からないような、高度な隠蔽がされた遅延詠唱陣が発動し、暗殺者は氷漬けになってしまう。



 異常。


 メルとオールスの目に映る光景は、たったひとりの魔術師が片手間にやっていい次元ではなかった。



「ねぇ、無いの? これだけ魔術師が居たら、オリジナルの術式くらいあるでしょ? 早く見せてよ」



 その目に宿す澄み切った好奇心は、見る者によってはこう感じるだろう。


 ──狂っている、と。



「よし、無いね。じゃあ僕の魔術を見せてあげる」



 エストは右手を軽く握ったまま前に出すと、中指と親指を合わせた。

 そして、以前開発してそれっきりだった立体魔法陣を展開すると、その色は綺麗なエメラルドグリーンの輝きを放つ。


 が、何も起きない。

 それに魔法陣が消えない。


 しかし右手を魔法陣に突っ込み、指を鳴らした瞬間。



 世界が悲鳴を上げた。



 仲間以外は卒倒し、音を聞かない植物系の魔物すら一瞬で萎び、地下研究所内が小さな地震によって壁や天井にヒビが入る。


 魔術で強化された石材といえど、あまりに増幅された音は魔素から震わせるため、強化術式もろとも破壊されたのだ。



「エスト……くん?」


「よし、ここにある資料を全部探そう。僕の研究に役立つかもしれないし、宮廷魔術師団にも写本を贈るよ」


「……よ、よいのですかな?」


「いいよ。これがきっかけで面白い魔術が増えたら嬉しいし。最近の魔道書はつまんないのが多いからね。画期的じゃなくていいんだよ。空想を実現するロマンチストが増えてほしいんだ」


「その方が……楽しいもんね」


「そう! やっぱりメルは理解者だ」



 嬉しそうに笑うエストを見て、メルがぽっと頬を染めた。あの日から変わらない純粋無垢な笑顔が、メルの心を惹き付けてしまうのだ。


 そうこうしている間にもウルティスは紙を集め、テキパキと魔物ごとに資料の整理をしている。


 その補佐にオールスが立ち上がり、エストは所員たちに氷の手枷と足枷を付け、肩から下を氷漬けにしたオブジェを並べた。


 終わり次第、メルと協力して資料をかっさらっていく。


 エストは途中で読みたい気持ちをぐっと抑え、今までに見たことがない魔物をつっついたり、魔物の実をこっそり食べようとしてメルに止められたりしながら、4時間ほどかけて全資料を集めた。


 念の為に他の部屋がないか探知するが、空気穴があるだけだった。



「ふぅ。こんなもんかな」


「あたし頑張った〜! なでて〜?」


「よしよし、今日は一緒に寝ようか」


「お兄ちゃんのブラッシング大好き!」


「寝る前のあれ? 別に寝室に来てくれたらするのに。まぁでも、終わったらそのまま寝ようとするもんね」


「えへへー」



 エストに抱きついて頭をわしゃわしゃと撫でられるウルティスは、尻尾を振って喜んでいる。

 そんな姿を横目に、メルが呟く。



「……親子仲、良いなぁ」


「ダンジョン孤児らしいの、ウルティス嬢は」


「そ、そうなんですか? てっきりシスティリアさんとの子どもかと……あ、でもお兄ちゃんって」


「うむ。神国のダンジョン活性化の時に、アイスワイバーンに襲われていたところを賢者様に助けられたそうじゃ。それ以来、賢者様のところで魔術と武術を学んでいると」


「……そりゃあ、あの歳で上級魔術も納得ですね」



 資料漁りをしている時に、てっきりエストの娘だと思っていたオールスは本人に訂正されたのだ。娘はちゃんと別に居る、と。


 妹分として確固たる地位を築きつつあるが、最大の敵であるシスティリアを打ち倒すため、日々特訓をしている。

 勝利した暁にはエストを貰うのだと豪語するウルティスだが、それは夫婦になりたいのではなく、一緒に遊んで一緒にお菓子を食べて、一緒に寝ることだそうだ。


 ……現状と同じであることは、本人は気付いていない。



「オーガの時に見せた術式は、賢者様がウルティス嬢のために作ったそうじゃ」


「へ?」


「とんでもないお方よのぅ。普通、あそこまで実用的な術式を公開すれば、一財産になるのに」


「ま、まぁ……エストくんの魔術は、楽しければそれでいいですから。きっと、ウルティスちゃんのことを考えて、使いやすくて覚えやすい術式ですよ」


「うむ。軽く聞いただけじゃが、火針メニス火槍メディクを合わせた術式らしい。それがどうしてあそこまで上手く一体化できるのか、儂には皆目見当もつかんが」



 その日の気分で新しい術式を創る男である。

 これまでの歴史に沿った魔術を好む宮廷魔術師と、それらを知った上で破壊する……型破りなエストの魔術は、副団長でも理解出来ない。


 オールスは……それが悔しいと思った。



「儂は、残りの人生を魔術に捧げようぞ。せめて死ぬまでにもうひとつ、新たな術式で人を驚かせたいわい」


「お、いいね。その時は僕にも見せてよ」



 いつの間にか氷のオブジェたちが消えていると、エストが会話に割り込んできた。



「もちろんですとも。賢者様をあっと驚かせれば、この老体も満足して逝けますわな」


「じゃあ驚かなかったら死なない?」


「その時は満足出来ずに死にますぞ」


「え〜……まぁ、貴重な魔術師だ。オールスならできるって信じてるよ。君は大勢の人のためになる術式の考案が上手い。きっとその術式も、たくさんの人を喜ばせる魔術になるよ」



 エストが鉄生成の術式を思い浮かべながら言うと、オールスの両目からポロポロと光が流れ落ちた。



「ふ、副団長?」


「メル、泣かせちゃダメだよ?」


「私じゃないよ!? どう考えてもエストくんでしょ、泣かせたの!」



 やんややんや言い合う2人に、オールスはウルティスが差し出したハンカチで涙を拭いた。

 ハンカチに刺繍されている赤い狼の顔が可愛らしい。



「儂は……その部分を見て欲しかった! あの術式に込めた願いは、喜んでくれることじゃった。じゃな、皆軍事にばかり目を向けて、誰もその事に気付かんかった。……じゃから、賢者様。この儂を見つけてくださって、ありがとう。最大級の感謝をここに」



 優雅な礼をするオールスに、小さく頷いた。



「泣いてる暇は無いよ。時間があれば僕がどんどん考案しちゃうからね。君は僕のライバルだ。どれだけ多くの人が喜ぶ術式を考えられるか、勝負しよう」



 ニヤリと笑うエストに、同じ笑みで返すオールス。



「うむ。儂は実績もありますからな。そう簡単には負けない自負がありますぞ」



 目線で火花を散らす2人を見て、メルが唖然としている。あのオールスがここまで覇気に満ちた姿を、初めて見たからだ。



「これが……地獄王」



 土魔術師の最高峰たる副団長であり、の姿に、思わず圧倒されてしまった。

 その歳でまだ上を目指す心の燃料があるのかと、メルは対面のエストを見ると……納得してしまう。



「エストくんに触発されたんだ。ふふっ」


「お兄ちゃん、お腹空いた〜!」


「おっと、もう夕飯時だね。報告は明日にしよう。アカームまで転移するから、朝の10時にギルドで待ち合わせでいい?」


「うん、大丈夫だよ」


「転移を経験出来るのですな!」



 ちゃんと待ち合わせを設定したエストは、足元に半透明の魔法陣を出した。そこに全員が乗ると、一瞬にしてアカームの宿の前に転移した。



「なんと……」


「相変わらず凄い魔術だね」


「じゃ、僕らはこれで。また明日」


「ばいば〜い」



 驚く2人を横目に、エストたちも転移で帰った。




「のう、メルよ」


「副団長? どうしました?」


「賢者様が捕えられた研究員共……どこに行ったのじゃ?」


「……さぁ?」




 翌朝、南西街道にて、氷に囚われた大量の人間が居ると騒ぎになることを、2人はまだ知らない。

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