第335話 いつまでもお姉ちゃん


「あれが……メイワール」



 カラカラと音を立てて進む馬車から身を乗り出し、仮面越しに見えるダンジョン都市を眺めたエスト。

 要塞の如き街は、中心と三方、合わせて4つのダンジョンを有し、郊外の3つのダンジョンが頻繁に活性化するため、常に武装した兵士、並びに魔術師が警備している。


 魔物の侵入は拒む街は、人の侵入には寛容だった。


 これといった検査も受けずにメイワールの中に入ったエストは、馬車を降りると大きく伸びをした。



「活性化したって雰囲気じゃないね」


「ダンジョンの活性化は波があるからね〜。お姉ちゃんが報告を受けた時は第1波。例年通りだと〜、第3波がヤバいんだよ〜」


「強い魔物が溢れてくるの?」


「まぁね〜。ゴブリン、オーク、狼系、コボルト、リザードマン、トレント、ボタニグラ、オーガの上位種はだいたい出てくるかな〜?」


「……数は?」


「前回は酷くて〜、それぞれ100体くらいだったかな〜? お姉ちゃん走りっぱなしだったんだよ〜!」



 活性化により溢れてくる魔物の波は激しく、第2波までは都市の防衛能力で抑え込めるのだが、第3波の上位種たちとの戦いでは、毎年100人前後が命を落とす。


 そのため、第1波が観測されると高位の冒険者に指名依頼として殲滅、及び補助の命令が下る。

 メイワールの冒険者と共に、ギルドの従業員や街の住民を守るために。



「出番まで余裕があるし〜、お姉ちゃんとデートしよ?」


「え〜……?」


「断られたらここで泣いちゃうもんね〜!」


「わかったから泣かないで」



 泣いたら面倒くさいという理由で引き受けたエストは、パッと顔を明るくしたアリアに腕を抱きつかれながら街を観光することにした。


 メイワールは街の中心にもダンジョンがあることから、そのダンジョンを囲むように円形に道が敷かれ、放射状に家が建ち並んでいる。


 主要なギルドや武具屋、パン屋といった施設はダンジョンにほど近い場所に多く、道の端まで行くと殆どが民家になり、ダンジョンで経済を回す街ならではの構造をしていた。



 中でもエストが気になったのは、風呂屋が多いことだった。



「ほら、ダンジョンの魔物って肉体は消えるくせに返り血は残ったりするでしょ〜? だから〜、臭いや汚れを落とせるお風呂屋さんと〜、代わりにお洗濯してくれるお店が大人気なんだよ〜」


「なるほどね。店が増えるほど回転数が増えて、外から来る冒険者も増えるんだ」


「大正解! ご飯屋さんに並ぶ重要な役割があるんだね〜」



 街を見て思ったことや感じたことを口に出せば、その都度アリアが教えてくれる。これでも100年近く生きている龍人族であるため、知識に富んでいるのだ。


 そういったところもエストは尊敬しており、姉が信頼出来る理由のひとつである。


 夕方まで街を歩き、晩ご飯を美味しそうに食べるアリアと笑いながら食事を楽しめば、少々遅い時間に宿に来た。



「今からじゃ宿、とれないよね」


「そんなことないよ〜。2、3日ダンジョンに潜る冒険者が多いから〜、宿屋は意外と空いてるんだ〜」



 お酒も入り、普段より更にベタベタと触ってくるアリアが言えば、言葉通り遅い時間でも2部屋とることが出来た。


 仮面を外したエストが亜空間に手を突っ込んでまさぐっていると、特に置く荷物も無いからとエストの部屋に上がり込んだアリアは、ベッドの上で大の字に寝転がった。



「うへぇ……今日は楽しかった〜」


「僕も楽しかったよ。お姉ちゃん、色々教えてくれてありがとう」


「おうお〜う。お姉ちゃんを崇め奉れ〜」


「ははぁ〜、アリア様〜」


「……ん、やめとこ。バレたらシスティちゃんに殺される」



 身の危険を感じてベッドの縁に座り、今日買った魔道書や魔道具を広げるエストを見て、昔から変わらないなと口角を上げた。


 ガラクタのような魔道具にも価値はあると言い張り、無意味な機構に胸を踊らせ楽しむ姿は、アリアの大好きな弟のままである。



「どう? 一日システィちゃんと離れてみて」


「……過干渉だったかな、とは思うよ」


「まぁね〜。心配になる気持ちも分かるし、気遣ってくれることが嬉しいとは思うけど〜……変わらない方が良いんじゃないかな〜ってウチは思ったかな」



 システィリアからエストがしつこい、なんて相談を受けたわけでもないが、システィリアの行動ひとつにエストが近くに居るのを見て、アリアは心配していた。



「システィはね、体は丈夫なんだ」


「ほうほう?」


「でも……心が一度壊れている。ほら、僕が海を凍らせた時があったでしょ? あの時が……かなり酷くてね……。だから僕は、邪魔だと思われてもいいから、システィを独りにしたくない。嫌われるかもしれないけど、それで寂しい思いをしないならいいんだ」



 妊娠という同じ経験を得られないからこそ、相応の覚悟を決めて隣に居たと言うエスト。


 分からないものは分からない。

 だから、せめて孤独にしないようにと、システィリアを想っての行動だった。


 そこまで言われたらアリアも否定することはせず、自分の距離感を再認識したことに頷いた。


 おもむろに立ち上がれば、後ろからエストの頭を撫でたアリアが優しく抱き締める。



「だいじょ〜ぶ。エストに言いにくいシスティちゃんの悩みは、お姉ちゃんが聞くから。魔族の時もそうだけど、エストはちゃんと心を休めなさい。常に気を張って過ごしていたら……次に壊れるのはエストだよ?」



 優しく、諭すように。家族や仲間を頼れというアリアの言葉を聞いて、ふっと肩の力を抜いたエストは、そのままアリアに体重を預けた。



「……忘れたんだ。もう、人生の3割以上を緊張して過ごしてる。物心ついてからだと、半分以上。素直になることと、肩の力を抜くことは違った。正直に言うことと、相手を思いやることは違った。何もわからなくなって、僕は……心の休め方も忘れちゃった」


「だったら新しく作ればいい。それがエストのやり方でしょ〜? どうすれば休めるのか、考えるんだよ〜」


「違うんだよ、お姉ちゃん。心が休まった状態を知らないから、できないんだ。これまで戦い続けたのに、急に戦わなくていいってなると、自分の立ち位置を見失う……そんな感じ」



 溢れ出す不安と恐怖に満ちた言葉を受け止め、アリアは撫で続けながらベッドに座る。隣に座ったエストの顔は、酷く暗い。


 僅か10歳にして魔族との戦いを始めたせいで、エストの心は常に死と隣り合わせでいることに慣れてしまったのだ。


 その状態を脱しようと試みるアリアだが、彼女には出来ない。エストの心を救えるのは、戦うことか、システィリアが手を引っ張って連れ出すしかない。


 新居を建てて庭を彩り、研究と愛情に溢れた生活を送っているように見える分、エストの表情に出にくい影は、色濃く残っていたようだ。


 アリアの体温に包まれて眠ったエスト。

 閉じた瞼からこぼれる心の雫が、静かに枕の染みを作った。

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