第336話 エストの地雷


「……あれ? 僕、寝ちゃってたのか」



 アリアに抱き締められながら目を覚ましたエストは、6年前を思い出しながら再びを目を閉じ、姉の温かさに心の氷を溶かしていく。


 旅に出る前よりも昔。入学前の生活では、毎日アリアか魔女と共に寝ていたものである。


 思えば、その頃のエストは心が凍っていなかった。


 魔術の勉強に全てを捧げ、ひたすらに研究していた日々。成果を2人に褒めてもらい、外で体を鍛える日常。


 今もやっていること自体は変わりが少ないものの、やはり小さな“違い”がエストの中に宿っていた。



「……あ、エストだぁ。えふふふっ。か〜わい〜」



 起床したアリアがエストの後頭部に顔をうずめると、昔を思い出して嬉しそうに抱き締めてきた。

 完全に一体化したドラゴンの血が流れるアリアの体が温かく、後天的に魔力を宿したエストにはない、純粋な熱が心地好い。



「もう、僕そんな歳じゃないよ? かわいいより、かっこいいって言われた方が嬉しい」


「おはよ。エストがかっこいいのは当たり前だよ〜」


「……おはよ。あ、朝ご飯食べに行こう?」


「照れてる〜、かわいい〜」


「かわいくない! ほら、行こ!」



 顔を赤くしたエストがベッドから降りれば、アリアは大きく伸びをすると、着替えているエストの背中に手を当てた。



「良い筋肉だね〜。読みやすい……でも崩しにくい。うんうん、立派な戦士の体。舐め……じゃなくて、撫で回したくなるね〜」


「……よかった。それで本当に舐め回すのがシスティだよ」


「え……マジ?」


「マジ。頻繁に舐めてくるから、キスが上手くなった」


「う〜ん、知らなくてよかった情報かも〜」


「舌って意識して使ってたら鍛えられるんだね」


「深掘りしなくていいよ?」



 惚気話とも暴露話とも取れるお喋りをしながら着替えた2人は、冒険者ギルドで朝食を食べることにした。


 だが、朝だからといって食べる物は変わらない。

 大盛りのサラダとスープに、腕ほどのパンを2本と、ウサギ肉のソテー。オークの赤身ステーキを3枚も平らげると、朝の元気を養った。



 ギルドの裏にある訓練場に来た2人は、自由に使っていい木剣を手に取ると、力を抜いて向かい合う。



「仮面をつけるのも意外と楽しいや」


「ね〜ね〜、剣でいいの〜?」


「ううん。槍にするよ」



 そう言って氷像ヒュデアで刃を伸ばしていけば、エストお手製の槍へと姿を変えた。

 それなら最初から氷で創ればいいと思うアリアだったが、そこもエストのこだわりなのだろうと、木剣を順手で構えた。


 軽く腰を落とし、ドラゴンの瞳でエストを見つめれば、狼の仮面越しにエストもまた同じ瞳で見つめ返し、構えを取る。



 周囲にはアリアの姿をひと目見ようと冒険者が集まっているが、模擬戦とは思えない張り詰めた空気に、皆が固唾を飲んで見守った。



「それじゃあ〜…………やろうか」



 凛としたアリアの声が聞こえた瞬間、エストの眼前に茶色の切っ先が迫っていた。

 しかし、読んでいたとばかりに首を傾げて躱すと、横に薙ぎ払われる前に右脚を振るえば、アリアは後ろにステップを踏んだ。


 3秒に満たない攻防が終わると、次はエストが槍先をアリアの胸を目掛けて突き入れるも、舞うような体運びから繰り出される、強烈な斬り上げで穂先をズラされた。


 そして槍の柄を掴んで引っ張ったアリアだが、当然それを警戒していたエストは、引っ張られると同時に氷を伸ばすことで、逆にアリアの体勢を崩すことに成功する。



 だがエストは追撃を入れようとせず、3歩引いて槍の長さを戻した。



「あ〜あ、大正解。突っ込んできたらお姉ちゃんキックが炸裂してたのに」


「同じことをしてシスティに肋を4本折られたことがある。砕けた骨が肺を貫いて、危うく死にかけたから学んだよ」


「やるね〜システィちゃん。流石ウチの一番弟子。ま、システィちゃんしか弟子いないけど」



 そうして再び向かい合った2人。

 アリアの攻撃に合わせるように、エストが距離を保とうとした。なぜならリーチの長い槍では、相手との距離が近すぎてもまた、間合いの外だからだ。


 そんな槍のセオリーを熟知しているからこそ、アリアはひらりとひらりと、右へ左へ花びらの如く柔らかい動きで惑わしながら、凄まじい速度で距離を詰めた。


 あっという間に懐に潜り込み、エストの肩に突きを放とうとした瞬間──



「ッ! 遅延詠唱陣!」


「踏んだね?」



 アリアなら容易く間合いを確保すると読み、エストは遅延詠唱陣に囲われた状態でその時を待っていた。

 魔法陣を踏んだアリアの靴が凍りつくと、眼前にエストの拳が飛んでくる。しかし、即座に反応したアリアが体を後ろに倒せば、その勢いを使って氷から足を引き剥がし、蹴り上げに繋げた。



「ははっ……ヤバ。自慢のお姉ちゃんだよ」



 凄まじい数の戦闘経験と研ぎ澄まされたセンスの為せる対応に、思わずエストは笑ってしまう。


 そして、次の瞬間には全力で地を蹴ったアリアが突きの構えでエストの右肩を捉えると、弟の右肩が木剣と共に砕け散った。



「うんうん、成長したね〜。お姉ちゃん嬉しい! あれだけ近接戦闘が苦手だったのに、よくここまで上り詰めたよ〜」


「……手も足も出なかったけどね」


「だけど、魔術は出てた。それで充分だよ〜。魔術師としては、も〜、さいっこ〜なんだから。ん〜……ちゅっ!」



 肩を治して反省するエストに抱きつくと、仮面越しにエストの頬にキスをしたアリア。

 二ツ星として、冒険者の高みに至る彼女に憧れていた数多あまたの冒険者たちは、その行動に顎が外れんばかりに驚いていた。


 対するエストもまた、アリアを抱き締め返すと、ご褒美のなでなでを頭に受けた。



「そういえば、弟子はシスティだけって言ってたけど、それより前に教えてもらってた僕は破門されたわけ?」



 突然そんなことを言い出したエストに、思わず撫でる手を止めたアリア。



「え゛っ…………あ、あはは〜。ウチの弟子は2人だよ〜? 何を言ってるのかお姉ちゃんワカラナイナー」


「そっか……僕はなかったことにされたんだ……」


「そんなことないよ! だってほら……良い体してるし! 思わず舐むん……撫で回したくなるカラダ! それはお姉ちゃんの作ったメニューがあったからでしょ〜?」



 その発言は、アリアの前に居る者がエストだと気付かない者が聞けば、狼の仮面をつけたボロいローブの男の裸を見たという、噂話の大きな種を生み出した。



「はぁ……確かに剣技は受け継いでないし、今回は許してあげる。でも、次に忘れたら嫌いになっちゃうからね?」


「うぅ……反省してますぅ」



 肩を落とすアリアの頭に、ぽんと手を置いたエスト。俯いていたアリアの表情は、にんまりと笑みが浮かんでいる。


 そんな姉に若干呆れながらも訓練場を出ると、2人はギルド2階の酒場にやってきた。


 パンとワインの匂いに包まれた空間で向かい合って座ると、果実水を頼んだアリアがこんな提案をした。



「せっかく正体隠してるんだし〜、臨時パーティでも入ってみたら〜?」


「なんで?」


「お姉ちゃんは目立つし〜、第3波まで多分……一週間はあるのかな〜。ずっと街に居るより〜、ダンジョン、攻略したいんじゃないの〜?」


「それならひとりでいいよ。動きやすいし」


「まぁまぁそう言わずにさ〜。修行中、システィちゃんは時々組んでたよ〜?」


「……チッ」


「ちょちょっ!? エストの本気の舌打ちなんて初めて聞いたよ!? も〜! そんな子に育てた覚えはありません!」



 仮面越しでも分かるエストの不機嫌な様子に、独占欲の強さを甘く見ていたアリアは、慌ててエストのそばに行くと頭を撫でた。



「そ、そうだよね〜。知らなくていい話だったよね〜」


「……別に。それがシスティの糧になってるなら、僕は気にしない…………と言えば嘘になる。うん、めちゃくちゃムカつく。僕を差し置いてシスティと戦うなんて、その人たちは人類史で最も幸運な人間だね。だけど、最も不運な人間でもある。もしその時のパーティメンバーが目の前に居たら、さすがの僕でも手が出るよ。もちろんグーでね。この苛立ちを内臓にぶつけたい」


「あ、うん……ごめんね〜?」



 深呼吸をひとつ、果実水を飲み干したエストは、コップに口をつけた部分に霜をつけながら大きく冷気を吐き出した。


 珍しい大きな感情の発露に驚きながら、アリアは椅子に座り直すと、チラチラとエストの様子を伺う。



「5分待ってて。心を落ち着けてくる」


「い、行ってらっしゃい」



 エストがそう言った瞬間、右手首から先を机の上に残したまま、エストの姿が消えた。



「……え?」








 そして、エストたちが依頼に向かってから2日目に入った新居にて。


 魔女と仲良く洗濯物を庭で干していたシスティリアの前に、ボタボタと大量の血を流しながら転移してきた、仮面姿のエストが現れた。



「エスト!? その姿に……怪我はどうしたの!?」


「平気。システィ、ちょっと失礼するね」



 仮面を捨てたエストが瞬時に右手を欠損回復ライキューアで治すと、システィリアを抱き締めながら頬にキスをした。


 髪に触れ、首筋に触れ、彼女の匂いと耳の付け根をクニクニと弄り倒しては鼻で吸い込み、システィリア成分を補給する。



「……寂しくなっちゃったの?」


「……ちょっとだけね。システィ、愛してる」


「ええ。アタシも愛してるわ。たっぷりぎゅーしていきなさい」



 そして、きっちり5分システィリアに触れて精神を回復させたエストは、再び酒場の2階へと転移で戻るのだった。







「右手を置いてどこ行ってたの〜? って……その様子だと聞くまでもないか〜」



 右手を亜空間に仕舞い、仮面を創るエストの表情は柔らかく、ひとめでシスティリアの元に行っていたことが分かった。



「臨時パーティの件、挑戦してみるよ」


「お、よかった〜。ちょうどあそこ、メンバー探してるみたいだよ〜」



 アリアが顎でクイッと指したのは、1階テーブル席に集まっている、3人の集団だった。

 2階の手すりから覗き込んだエストに、そのうちのひとり……金髪の魔術師が顔を上げると、右手を上げてエストを招く。




「…………あの人、どこかで見た覚えがある」



 そう呟いたエストの脳裏には、王立魔術学園での思い出が蘇るのだった。

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