第360話 誕生
ある夏の深夜、レガンディ郊外の広大な土地に建つ家は騒然としていた。
バタバタと足音が鳴り響き、助産に駆け付けたメイドたちの声の裏で、光魔術を発動させた魔法陣が唸りを上げて部屋中の肉体を癒す。
布を噛み、苦悶の声を上げながら必死に手を伸ばすシスティリアは、ひんやりとした手を全力で握る。
メキッと骨にヒビが入る音が鳴るも、握られたエストはメイドの指示に従い、
本能から出る呻き声を上げ、メイドの合図と共に息んだシスティリアは、砕ける度に再生するエストの手を再び粉砕した。
「うぅっ……! うぅぅぅぅ!!!」
髪がベッタリと張り付く汗をかき、メイドの掛け声と共に強く下腹部に力を入れた瞬間──
「産まれましたぁ! 布を……そいっ」
ずるりと抜け出すようにシスティリアから出たそれは、赤子の姿で立派な狼の耳と尻尾を濡らし、誕生を知らせるように大きな産声を上げた。
煮沸消毒をした上でエストの魔術で浄化した鋏で処置をすると、
丁寧に羊水を拭き取り、呼吸をする新生児を包んだメイドは、息を整えつつあるシスティリアに抱かせ、母乳を含ませた。
「はぁ、はぁ……う、産まれた……のね」
「うん、産まれたんだよ。立派な女の子だ」
「えへへ……ふぅ。この高揚感、魔族との戦い以来だわ」
「英雄にしか出せない感想だね。っと、この子も白狼族……なんだね。
産声を上げ、呼吸を繰り返す赤子の耳を見れば、システィリアの血を受け継いだ立派な白狼族の印があった。
それはつまり、光の適性を持って生まれたことの証であり、狼獣人……否、全獣人の中で最強と言われた、驚異的な身体能力を持つ証拠である。
ちらりと髪色を見れば、そこはエスト譲りなのだろう。白く透き通るような、絹とも見紛う美しい白髪を生やしていた。
「エスト。その髪はどっち?」
「……多分、空間属性」
空間の精霊ロェルが白い球体であったことから、恐らく空間の適性だろうとエストが言うと、システィリアを挟んだ反対側から魔女が微笑みながら頷いた。
「うむ、空間属性の適性があるようじゃな。瞳の色はまだ見ておらぬが、システィリアと同じならば空間と光。エストならば時間属性も有しておるじゃろう」
「ふふっ、賢者の座を奪われちゃうわね」
「……是非とも譲──いや、ダメだよ。危険極まりない。それに魔族は僕らで倒したんだ。この子には自由に生きてほしい」
「ふふっ……ええ、そうね。きっと好きなように生きて、自由の中で幸せを掴めるはずよ」
赤子を抱くシスティリアの肩を優しく抱き寄せ、出産という一大イベントの終了に息をつくが、部屋の中はまだ慌ただしい。
使ったお湯や布の処理にメイドたちが奔走し、ようやく落ち着きを取り戻す頃には、窓から朝日が差し込んでいた。
この日のために用意していた新生児用のベッドに寝かせると、尋常ではない体力と精神力を使ったシスティリアは、半ば気を失うように眠りについた。
しかし、決してエストの手を離さなかった。
どうしようか悩むエストだが、メイドたちに『赤ちゃんのことは任せてください』と言われると、システィリアの頭を撫でながら共に眠る。
昼過ぎまでじっくりと眠って体力を回復させた2人は、交代で対応に当たるメイドの近くで、お婆ちゃんとして声を掛ける魔女と、緊張したウルティスの元へ行った。
「お、おねえさま! あかちゃん、すごいね」
「ふふふ、そうでしょ? 分かんないけど」
「のう、2人は既に名前を決めたのか? 早いうちに呼び掛けた方が、良き絆を結べると思うのじゃが……」
心配する魔女の言葉を聞いてシスティリアと顔を合わせたエストは、実は数日前に2人で考えた名前があると言う。
「この子の名前はエフィリア。愛称はエフィ」
「ふむ、エフィリアか……良い名じゃ」
「名付け親はアタシよ! この子にピッタリな綺麗な名前だわ。強く気高く美しく、賢く逞しく優しい子に育つわよ」
「お、多いね……その期待が重圧に感じないよう、気を付けないと」
エストがそう言って優しい笑みを向けながら顔を覗き込むと、エフィリアの眼前に光の粒が現れた。
「……今のはエストがやったの?」
「違う。魔素感知をした僕が言う。今のはエフィリアがやった。まだ魔術を教えていないのに、光魔術を使ったんだ」
信じられないといった様子でシスティリアが抱き上げると、エフィリアは泣いて存在を知らせ始めた。
しかし、驚愕する2人に反して、ひとりだけ懐かしさを覚える者が居た。
「……くく、ククク、あっはっはっは!」
「ど、どうしたの師匠」
「やはりそやつは魔術師の才があるようじゃ。エストよ、お主も産まれてすぐ、習ってもおらぬ魔術で狼を追い払おうとしたのじゃよ。そうか……くっくっく、これが血の繋がった親子というものか」
それは魔女が森でエストを拾った時。
棄てられたエストが生存本能で使った氷魔術を、魔女は鮮明に覚えていた。有り得るはずが無い、生後間も無い人間の魔術に、魔女は強く魅入ったのだ。
あれから16年。
再び同じような光景を目の当たりにするとは、夢にも思っていなかった。それがエストの血を引いた娘なのだから、笑わずにはいられなかった。
ひとしきり魔女が笑えば、当時のことを懐かしそうに語る。
「……ふふっ、エストにそっくりね」
「でも見て。耳の形とか、目元はシスティに似て綺麗だよ」
「耳、そんなに似てるかしら?」
「内側の筋の入り方とか一緒だよ。尻尾もほら……綺麗な毛並みだ。いつか、櫛とブラシを贈る日が来るんだろうな」
我が子の未来を想像するだけで一喜一憂するエストにエフィリアを抱かせると、システィリアは自身の尻尾を持ち上げた。
「アタシにはくれないの?」
「もちろんあげないよ。君をいつまでも美しく見せるのは僕の仕事だ。死ぬまで渡すつもりは無い」
「アタシってば愛されてるわね」
「誰よりも僕が愛してるからね。エフィが妬いちゃうくらい、僕の愛を見せつけてあげるよ」
「……もうっ。エルミリアさんも何とか言ってよ」
「それでよい。今のうちから2人の愛情をたっぷり見せつけ、注いでやるのじゃ。わらわはそうしてエストを育て、立派になってくれおった。前例はあるぞ?」
ニヤッと八重歯を見せた魔女がウルティスを連れてリビングに転移すると、ちょうどエフィリアが泣き始めてしまった。
メイドの指示に従って母乳をあげるシスティリアは、視線はエフィリアそのままに、尻尾を妖艶に揺らす。
「アンタのおっぱいじゃないわよ?」
「僕がほしがってるみたいな言い方だね」
「あら、違うの?」
「……あ、これどう答えてもダメな会話だ」
気付いた頃には時既に遅し。
システィリアの手のひらで転がされたエストは、1日10回もの授乳の度に、システィリアに同伴を言い渡され、話のネタにされ続けた。
そうして、授乳以外ではエストもかかりっきりでエフィリアに愛情を注ぎながら、ボタニグラの研究と高速構築の鍛錬を続け、気が付けば誕生から2ヶ月が経とうとしていた。
体重が増えてふっくらとしてきたエフィリアは、この頃からエストの出す氷の蝶を目で追い始めた。
リビングに現れる水晶のように美しい蝶に、もう狼の本能が頭を出したのか、掴もうと暴れることも増えた。
「ぁー、うー」
「おっと、ママをお呼びかな? システィ」
「今行くわ」
発声が出来るようになったエフィリアをシスティリアが抱えてあげると、手足をばたばたさせてから母乳を飲んだ。
すっかり育児に夢中の2人を見て、アリアと魔女は16年前を思い出す。
「ウチらが目指してた育児だね〜」
「うむ……この目で見れて良かったわい。まさかこのわらわに、孫という存在が出来るとはのぅ?」
「まごー?」
「そうじゃ。ウルティスも姉として、エフィリアを守ってやるのじゃ。守るためには何が必要か、分かっておるな?」
「ちから、だよね。おねえさまも、アリアおねえちゃんもいってた」
「うむ、大正解じゃ! しっかり覚えておって、偉いのぅ」
密かに姉になった喜びを噛み締めるウルティスは、最近は鍛錬にも熱が入り、人族語にも少しずつ慣れてきた。
燃えるウルティスの視線の先では、排泄をしたエフィリアが泣きだし、水魔術と光魔術を交差させ、神速の処理を目指す2人が居た。
「フッ、この程度のうんちでアタシが困るとでも?」
「あ、またしたよ」
「……エストぉ、おねがぁい」
「おまかせを。それ、1秒
「1秒数える前に終わってるじゃない」
「1000分の1秒で終わらせるのが僕の流儀」
「速すぎるのよバ……おほん。アンタ!」
エフィリアが産まれてからというもの、システィリアは言葉遣いに気を付けるようになっていた。
冒険者に舐められないよう研ぎ澄まされた口調で、万が一にでもエフィリアを傷つけることが無いようにとの考えだ。
「ホント、ウチの子はどうしてこんなに可愛いのかしら」
「システィに似てるからかな」
「アンタも似たような可愛さよ」
「じゃあ2人分の可愛さを持っているからだね」
親バカの気が段々と濃くなる、2人であった。
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