第361話 月に叢雲花に風
「ほ〜らエフィ。ウルティスお姉ちゃんがアリアお姉ちゃんと戦ってるよ〜。他にもライラお姉ちゃんとお婆ちゃんも魔術を使ってるね〜。う〜ん……凄まじい女性率」
庭を望む窓でエフィリアをあやすエストは、改めて家の女性率が高いことに気が付いた。
今日はブロフが依頼に出ていることも相まって、完全に男ひとりになっていたのだ。
寂しい気持ちは微々たるものだが、皆の気持ちや考えに共感しづらい点においては、エストが最も危惧する問題である。
女心、ひいては子ども心を理解出来るよう決意を固めると、エストの背中にシスティリアの耳が当たった。
「次は男の子だといいわね」
「優しい頭突きだね。いや、耳突き?」
そんなことを言われながら抱き締めたシスティリアは、肩の上からエフィリアを覗く。
彼の腕の中で眠るエフィリアは筆舌に尽くし難い愛おしさに包まれており、エストの背中に顔を擦り付けては大きく深呼吸した。
ようやく落ち着いた日常を送り、子育てに専念出来ると思っていると、目を覚ましたエフィリアが泣き出してしまった。
「ご飯がほしいみたいだ」
「アンタの本音?」
「確かにお腹空いてるかも。システィは?」
「……くっ! アタシもお腹空いたわ」
エフィリアを渡し、システィリアのからかいを華麗に回避したエストは、冷蔵保存庫の中を見ては亜空間から補充すると、軽食を作り始めた。
食材に気を付けながら台所に立つ姿を、椅子に座ったシスティリアが目を離さない。
「エフィ、パパがお料理してるわよ。カッコイイわね。将来はあんな人と出会うのよ?」
「パパ呼びは嬉しいけど、まだむず痒いね」
「賢者呼びと比べたらどっちが好き?」
「……パパ」
「ふふっ、近い将来そう呼ばれるのよ? この子に。アタシも早くママって呼ばれたいわ。そしていつか、ババア呼びされて怒るのが夢なの」
「粗暴な子に育つ未来を描かないで!」
娘の荒くれ者のような言動を夢見るシスティリアに、それだけは避けたいと切に願うエスト。
軽いオープンサンドを2人分作り、エフィリアを受け取ったエストが隣に座ると、システィリアの尻尾が振られる。
「いただきます。そういえば、アンタは反抗期が無かったってエルミリアさんが言ってたわね。一度もババアって呼ばなかったの?」
「うん。親として以上に、魔術師として尊敬しているからね。師匠からすれば、あまりお母さん呼びをしないことが反抗だと思ってそう」
「確かに、稀にしか言わないものね。やっぱり師匠の方がしっくり来るのかしら?」
「まぁね。あと、たまにお母さん呼びすると嬉しそうにするから。慣れない程度にしてる」
「うわぁ、悪い人ね。どうするのよ、エフィに『師匠』って呼ばれるようになったら」
「その時は頭を下げてでも辞めさせる」
「エルミリアさんが泣くわよ!?」
喋りながらも手早く食べたシスティリアは、手を洗ってからエフィリアを抱き上げ、エストは少し冷めたサンドを食べる。
料理は美味しいうちに食べて欲しいと言い、エストは必ずシスティリアを先に食べさせるのだ。
そんな気遣いに笑みがこぼれ、エフィリアには彼のような優しい人に育って欲しいと願いながら抱いていると、エストの胸からビーッ、ビーッと機械音が鳴る。
残っていたサンドを口に入れ、音の鳴る冒険者のギルドカードに魔力を注いだ。
『もしもし、エストさんのギルドカードで間違いありませんね?』
「うん、
『お食事中にすみません』
しっかりと咀嚼し、嚥下の後に水も飲んでから再び声を掛ける。
「で、なに? 指名依頼は嫌だよ」
『嫌と仰られましても……辺境シュバイドの開拓村から、エストさん宛に指名依頼が届いたのです』
「アリアお姉ちゃんに行ってもらうね」
『だ、ダメです! Aランクと二ツ星では、圧倒的に指名料金が違いますから! ともかく、三ツ星による免除期間も終了していますし、お願いしますね』
「じゃあ三ツ星を手配したらいい? 僕と同じ料金でいいから、勝手に呼んでくるよ」
『えっ──……な、なりません! それはギルド的にも非常に困ります! 当依頼はエストさんにしか出来ないお仕事なのです!』
どうしてもエストに行かせたい冒険者ギルドに、どうしてもエフィリアの傍を離れたくないエストは、珍しく声に怒気を込めた。
「産まれて間も無い娘が居るんだよ。どうして手の空いている他人に行かせられないわけ? しかもその依頼、ブロフたちが諦めたっていう、変なトレントが出る森でしょ? 僕がやるなら環境を滅茶苦茶にするけどいいよね?」
エストの口から帯電した冷気が吐き出されると、魔力で繋がっているシュバイド支部のギルド職員は、その威圧感に冷や汗をかく。
無理もない。今の会話でエストはギルドの位置を特定したのだ。シュバイド側の通信用魔道具に水色の雷が弾けた瞬間、職員の呼吸が荒くなる。
しかし、ギルドとしても引くわけにはいかない。
『はい。半年以内に出撃報告が無ければ、降格、或いは追放処分にかけられます』
「あっそ。じゃあそうしたらいい。僕は傭兵にでもなって、冒険者が受けるはずの依頼を片っ端から片付けてやる。依頼失敗で降格する冒険者、どれくらい増えるかなぁ?」
『……ほ、本気で仰っているのですか?』
もちろん本気……そう口に出す前に、システィリアがエストの手を掴んで止めた。その際、バチッと静電気が弾けるが、彼女は真剣な表情を崩さず、首を横に振る。
「落ち着きなさい。らしくないわよ。エフィから離れたくない気持ちは分かるけど、数日なら平気よ」
「でも…………はぁ」
感情のように燃え上がる体温を、氷龍の魔力で冷ましていく。すると嘘のように頭が冴え渡り、エストは溜め息を吐いて頭を抱えた。
「ごめん。依頼は受けるよ。内容は?」
『開拓村付近の魔物の排除です。主にトレントが標的ですが、それ以外の魔物も出現するため、村の防護柵を建て終わるまで駐在していただきます』
「クソみたいな依頼だね。報酬は?」
『60万リカを既にご用意されています』
その報酬は、Aランクの単発指名依頼としてはそこそこの額ではあるが、防護柵を建て終わるまで、という不確かな期間では圧倒的に足りない金額だった。
加えて、ブロフから依頼期間の話を聞いたことがないため、意図が透けて見える指名である。
「へ〜、3ヶ月分の生活費か。僕を指名した理由とか聞いてない?」
『依頼書には記されていませんでした』
「そっか。じゃあ今すぐ向かうよ。森を更地に変えればいいんだよね」
『な……何を仰っているのですか!』
「ははっ、冗談だよ。まぁ、村の対応次第だけど。連絡が取れるなら言っておきなよ? 今の僕、家族以外を守る余裕が無いってね」
嫌味たっぷりに言い放ってから通信を切り、エストは大きな、それは大きな溜め息を吐いた。
今までに見たことがない怒り方をしていた彼に、思わずシスティリアは頭を撫でてあげると、力なく垂れていた右手をとった。
おもむろに自身の胸に当てれば、凄まじい速度で跳ね起きるエスト。
「な、なに!?」
「もうっ、落ち着いた? アンタ、凄い荒れ方してたわよ」
「……ごめん。感情的になりすぎた」
「いいのよ。ちょっと揉んで落ち着きなさい」
そうして数分ほどシスティリアに甘えることで心の余裕を取り戻したエストは、柄にもなく強い口調で嫌味を言ったことを後悔していた。
「後悔はしなくていいわよ。仮にもアンタは、冒険者である前に3代目賢者よ? たった60万で守ってもらえるなんてバカな話。確実にその村はアンタの魔術と、名前目当てに指名したわ」
「……やっぱりそうだよね」
「ええ。アンタは利用されていい強さをしていないの。開拓村がやろうとしていることは、言ってしまえば兵器利用よ。国境付近で賢者が守護する村があると言えば、ドゥレディアはともかく、関わりの薄いフラウ公国が何を思うか分からないわ」
誰よりも近くで、そして客観的にエストの能力を見ていたシスティリアは、密かに尻尾を逆立てながら続けた。
「ふふふ……思い知らせてやるべきよ。アタシの愛するエストを利用しようとした、その罪の重さをね……」
黒い笑みを浮かべるシスティリアに、思わず苦笑いしてしまうエストであった。
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