第155話 湯気纏う彼女


「エスト、聞いて驚け。あのバカでかい魔石……6000万リカになった……一生遊んで暮らせるぞ」



 宿で休んでいたエストの元に、それはもう大金が舞い込む話がやってきた。

 いくらあの牛魔の魔石といえど明らかにおかしい値段だ。そのことについて聞かれたガリオは、6層の情報もギルドが買い取ったと言う。


 未攻略のダンジョンは踏破するだけで稼げるという。それは出現する魔物の危険性を考えてのこと。

 命の価値といえば聞こえは悪いが、後続の冒険者の死傷率を考慮すれば妥当な言葉である。



「公平に分けたとしてひとり800万以上……本当にいいの?」


「もちろんだ。お前らが居なかったら死んでたからな。あの悪魔野郎、俺が戦ったどの魔物より強かった」


「……そっか。改めて、怪我がなくてよかった」


「倒れたのはお前だけだ。ったく……」



 コツンと頭を小突かれたエストは、申し訳なさそうに笑った。

 倒れた理由も魔力欠乏症という、どのタイミングでそんなに魔術を使ったんだと問い詰めたくなるものだ。

 しかし、直近で熱を出していたこともあり、ガリオたちはエストに詳しく聞こうとはしなかった。


 それに甘えたエストは、ガリオたちだけでなく、システィリアやブロフにも、精霊と会ったことを伝えていない。


 ずっと胸に抱えることは苦しみを生む。

 だが、精霊の存在を明かすことは大きなリスクを孕んでいる。

 話すなら既に精霊と会っている者……ジオが好ましい。

 相手は三ツ星冒険者。向こうから連絡が来ることはあっても、こちらから送るには氷獄へ赴いた方が波風を立たせずに済む。


 そんなことを考えていると、ガリオがパンパンに膨れた皮袋を机に置いて扉の前に立った。



「聞きたいことはあるが、飲み込んでおく。お前にはやるべきことがあるだろう」


「もう行くの?」


「ああ。次に会う時は新たなダンジョンか帝都だな。あと、それと……」



 珍しく歯切れを悪くするガリオは、頭を掻きながら言う。



「まぁなんだ。早いとは思うが、おめでとう。お前が一生を共にする相棒と出会えたことは、俺も嬉しい……幸せにしてやれよ」



 返事を聞かずに出て行ったガリオに小さく呟く。



「もちろん。ガリオさんも頑張ってね」



 久しぶりのガリオとのダンジョン攻略は、実に危険で、楽しいものだった。

 炎龍の魔力が使えるようになってからは身体能力が飛躍的に上昇し、火魔術の扱いも格段に上手くなっていた。


 ただ、それが自分の力と思えない時があった。そんな時、ガリオたちは力強く背中を押し、支えてくれた。

 システィリアとブロフだけじゃない、仲間という存在が胸を温める。


 そんな気持ちが表情に出ていたのだろう。

 買い物から帰ってきたシスティリアがベッドに飛び込んできた。



「たっだいま! 何か良いことあった?」


「おかえり。ガリオさんと挨拶したんだ」


「そっか……アタシもミィたちと買い物をして、お別れしたところよ。あの人たち、色んなところを旅しているから流行に敏感なのよね」



 現地の人に聞くだけでは足りない情報を次々と持ち込まれ、システィリアの両手に買った物が増えていくという。


 ただ、マリーナは歳相応らしい服や化粧品を勧めていたが、下世話なミィは様々な知識を吹き込んだ。

 いつ試してやろうかとウキウキするシスティリアの目を見てか、ひとつ提案するエスト。



「システィ、お風呂に入ろうか。せっかく温泉を貸し切ったのに、全然入れてないでしょ?」


「っ! え、ええ、イイワヨ? タノシミ」


「片言だね……何か企んでる?」


「まっ、まさか! アタシは正々堂々悪逆非道を尽くすタイプよ!」


「綺麗に打ち消したなぁ」



 何かされることは前提として、今のエストに耐えられるかどうか。本人としても勝てない勝負はしたくないが、目的の温泉は楽しみたい。

 それも、システィリアと入れるなら殊更だ。


 早速お風呂の用意を手に、2人は受付を介してから貸し切った浴場へ向かう。



「まだお昼だけど、楽しみだね」


「ふふっ、その歩き方を見れば分かるわ」



 どうやら足が軽くなっていたらしい。

 しっかりと彼女の手を握ったエストは、早く早くと共有の脱衣所に連れ込んだ。

 先に行っててと言うシスティリアに頷き、扉を開けた先には澄んだ青空が広がっていた。


 大きな浴槽は綺麗に磨かれた石を使っており、ぬめりや汚れが一切無い。


 ここがニルマースで屈指の美しさを誇る、露天風呂である。


 澄み切った空を穿つマース火山の火口。

 焦げ茶色の山肌を彩る麓の森が見える絶景は、ついぼーっと立ち尽くしてしまう。



「わ〜、綺麗ね! 部屋よりもよく見えるわ」


「……来て良かった」



 いつの間にか背後に立ってたシスティリアが、後ろから抱きつきながら景色を眺めていた。

 背中に感じる2つの誘惑にそっと目を閉じ、身体を洗う2人。

 エストは途中、横からジロジロと視線を感じていたが、振り向いたら負けだと思い我慢した。


 あらかた洗い終わったところで、肩をトントンと叩かれるエスト。



「ねぇ、尻尾はエストが洗ってちょうだい」


「え〜? どうしよっかな〜?」


「は〜や〜く〜。風邪引いちゃうわよ?」


「わかってるよ。振り返らないでね」


「どうして?」


「洗うどころじゃなくなるから」



 その言葉にニヤリと悪い笑みを浮かべるシスティリアだったが、今回は見送る決断を下した。

 悪戯をするのは2回目からの方がいいと、ミィに言われたからだ。最初は2人で楽しんだ方が、後悔しないと言っていた。


 尻尾の毛を通すブラシの感覚とエストが洗ってくれる優しさを感じながら見る絶景は、確かに汚してはいけないものだった。


 仕上げのオイルは部屋で塗ると言い、あっという間に洗い終わってしまう。



 2人でそ〜っと温泉に足先をつけると、少しずつ肩までゆっくり浸かる。

 肩を揃えてホッと息を吐けば、温泉はジワジワと体の芯を癒し、戦いで強ばった筋肉が解されていく。



「前より筋肉ついたわね。腕もカチカチね」


「でしょ? トレーニングは欠かしてないからね。そういうシスティも、スタイルを維持しながら筋肉をつけてるよね」


「やりすぎたら胸が萎んじゃうってアリアさんに言われたの。だから、適度に鍛えられる具合を見極めてるの」


「……綺麗だよ。君の努力を感じる」



 こてん、とエストの肩に頭を置く。

 湿って耳の形が浮き出た狼の耳が動き、エストの首をくすぐった。

 ゾワゾワとした感覚が背中を駆けた時には、彼女の手がエストの右手に重ねられていた。



「……何があったの?」


「……誰にも言わない?」


「ええ」


「墓場まで持っていく?」


「同じ墓場だもの」


「…………精霊の居る空間に落ちたんだ。そこで僕の適性が2つあることを教えられた」


「……2つ?」


「時間と空間。属性としては最高位の2つを、僕はあるみたい。精霊も驚いていたよ」



 魔力とは、厳密に分けると11に分類される。

 基本となる火・水・風・土。

 それより少し貴重な光と闇。

 魔女と呼ばれる存在しか持っていない、雷と自然。そして氷。


 更に、賢者の伝説にも残る空間。

 最後に、誰も知らない、観測できない“時間”。


 しかし、人が知るのは10、及び9つである。

 氷は忌々しいものとして抹消され、時間は誰も知らないがために存在しえない。


 どれも常軌を逸した歴史を持つ魔力を、エストは持っていた。



「……時間は、何ができるのかしら」


「教えてもらったよ。多分、あれが歴史にある『精霊の導き』なんだろうね。僕は魔法陣を見せられただけだけど」


「サラッととんでもないことしてるわね」


「しょうがないよ。時間魔術は空間魔術と合わせないと意味が無いからね。それ単体だと、金属を錆びる前に戻したり、物を早く劣化させることしかできないみたいなんだ」


「じゃあ今はそれができるってこと?」


「うん……使う気は無いけどね」



 時間魔術は限られた対象にしか使えない。

 それは時間が空間と密接に結びついているからであり、その壁を突破することは精霊であってもできないこと。


 ゆえに、時間魔術単体では並の4属性よりも劣った魔術しか使えない。


 だが……空間魔術と併せた時、その真価を発揮する。



「例えば、指定した空間内の時間を自由に操ることができる。それは物だけでなく空間内なら人間や魔物にだって効く。動きを止めたり、急速に老化させたり、その逆も」


「……それは」


「うん。悪用すれば文字通り世界を壊せるだろうね。2代目賢者なんて比にならない力だよ」



 途端にエストが恐ろしく見える。

 ──が、それは悪用した場合のこと。

 彼が悪用しない道を選ばせたらいい。それに、そもそもエストにはそんなことをする勇気は無い。


 人を守るために魔術を使う。


 名を授けられた時から言われた言葉だ。

 エストの中で魔女の……母親の言葉が生きている限り、それに反することはしない。



「……心配して損したわ」


「損?」


「今更アンタが使える魔術が増えたって、この先やることは変わりないもの。旅をして……ドラゴンを仲間? にして、魔族を倒して……それで、アタシと結婚する。別に精霊に会ったからって、変わらないでしょ?」



 それは、心からの信頼だった。

 お互いに進むべき道は決まっているのだから、今になって切り拓く道具が増えても、やることは同じ。

 愚直に目的に向かって進むだけである。


 そんな彼女の真っ直ぐな想いに、エストは力を抜いて彼女にもたれ掛かった。



「……はぁ。僕はまだまだシスティを知らないみたいだ。凄く……悔しい」


「これから知っていけばいいのよ。アタシだってまだまだエストのことは知らないわ。でも、こうして話して知っていくのが大好きなの」


「僕もだよ。システィのそういう真っ直ぐなところは、ずっと好きだ」



 温泉の中で、ゆらりゆらりと尻尾が揺れる。

 新たな力を使う時は、来ないかもしれない。

 それでもいいのだ。使う時に悩む力は判断を鈍らせる。その一瞬の悩みで大切な人が失うとすれば、今ある力で対抗するのみ。


 そうして精霊との出会いを明かしたエストは、胸に抱えていた重りを外すことに成功した。



「ふぅ……そろそろ上がりましょうか」


「そうだね……今日はのんびりしよう」


「今日“も”、の間違いね」


「いいんだよ。のんびりできるうちにしておかないと」


「もう、エストってば……」

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