第196話 鷹を追いかけて
エストが国王に文句を言っている間のこと。
少し重たくなったドアの向こうで、ルミスは隅の席で魔道書を読んでいた。
4年生に上がってこのクラスに配属されたものの、生徒の雰囲気は過去のルミスが知る緩みきった空気ではない。
元より勤勉なルミスは更に魔術にのめりこみ、学園卒業という証で働こうと息巻いていた生徒は、自ら図書館に赴き、魔道書を借りている。
その要因は全て、エストにある。
「エスト先生……早く帰ってこないかな」
「ルミス。そんな恋する乙女みたいなこと言ってたら、システィリア先生に殺されるわよ?」
「ち、違うよ! そういう意味じゃないの!」
読んでいた魔道書で咄嗟に顔を隠したルミスは、昨日実技で
いつの間にか隣の席が空いていたらしく、教室を見れば半数の生徒は別の教室へと聴講しに行っていた。
残った生徒も魔道書を読むか、エストが『楽しめるように』と大量に作ってくれた術式クイズを、数人がかりで解く姿が見える。
「ミリカちゃんは行かないの?」
「私はいい。エスト先生じゃないなら、クイズを解くかルミスと話している方が楽しいもの」
2人は、今でこそ登下校を共にするほどの仲ではあるが、以前まではそうではなかった。
遡ること一週間前、午前の授業が終わって食堂で食事をしていた時のこと。誤ってスープをこぼしたミリカが負った火傷を、たまたま隣に座っていたルミスが治療したのだ。
エストやシスティリアのような現実離れした光魔術ではなく、じっくりと魔法陣を精査しながら詠唱しているルミスを見て、親近感から交流が生まれた。
「今日のシスティリア先生、ちょっと様子が変だったわよね。なんていうか、ぽわぽわしてなかった?」
「……寝不足、とか?」
「ないない。獣人族は3時間眠れば一日元気に動けるのよ? 寝不足ってそれ…………ねぇ?」
エストとシスティリアがずっと同じ部屋で寝てることは日々の会話で生徒が引き出していたので、そんな深夜に何をしていたか、ミリカは察してしまう。
数秒遅れてルミスも気づくと、顔を真っ赤にしながら彼女の肩をバシバシと叩いた。
「で、でも! 別におかしくないもん!」
「声が大きい! それで? どうして早く帰ってきて欲しいの?」
辺りの様子を伺いつつもルミスの呟きの真意を聞こうとすると、彼女は魔道書を机の上に開き、指でなぞった。
その魔道書には、こう書かれている。
「歴史は繰り返す。良き事柄には悪事の足跡あり。光の裏には影が差す。魔術に限らず、万事に通ずる」
「それは……何の魔道書?」
「闇魔術だよ。先生がよく言う、『自分が不利な属性はよく学べ』って言葉に従って借りてきたの」
「ふ〜ん。歴史は繰り返す、ねぇ」
「先生なら、魔術以外でこの言葉の意味が分かると思ったの。だって先生……歴史の話をする時、苦しそうだったから」
魔術とは切っても切り離せない歴史を教えている時、エストの脳内では魔族との戦いが思い出される。
出来ればもう二度と経験したくない最悪の戦闘は、魔術の変遷を教える上で、必ず通る道にあるのだ。
なぜなら、人間の魔術は魔族との戦いで大きく進歩したからだ。人間同士の戦争で対人系魔術が発達すると同時、魔族との戦争で対魔物系の魔術が発展した。
どちらの歴史も、山のような死体の影に刻まれたものだ。
名も知らぬ魔術師、名を轟かせた剣の英雄、かつての賢王。それらが人や魔族との争いで失った事実は、エストが求める『楽しい魔術』を遠ざけてしまった。
今や肩書きで注目される宮廷魔術師団も、過去を振り返れば大量の人間を殺すための魔術を開発する集団だ。
戦争なき今の世には、その鋭い刃を見せつける意味があるのかとエストは問うた。
しかし、生徒でそれを答えられる者は居ない。
これが一般人の質問ならそうでもないが、エストが言うとなれば皆慎重になる。結果、答えは出なかった。
だが、エストはそれでいいと言う。
「自分で知ったらいいのよ。答えの無い道を歩くのは魔術師なら当然のこと。人のランプで照らした道より、自分で少しずつ解き明かすのが楽しいんだから」
「…………っ」
「なんて……これも先生の言葉だけど」
「でも、凄く……胸に刺さったよ」
「歴史書も借りましょ。私には先生の表情が分かんないけど、ルミスが言うなら本当だと思う。2人で探してみない? 先生がつらそうにする理由」
その誘いに、ルミスは大きく頷いた。
「うんっ! ミリカちゃん!」
そうして、残りの自習時間の殆どを図書館で過ごすことになった2人は、空いた時間に図書館で勉強するようになる。
「──おはよう。今日はシスティ休みだよ。それと、質問ノートが120枚もあったけど、君たちは魔術の理論化に意識しすぎ。80枚くらい破りそうになった」
翌日、そんな挨拶で始まった朝の出席確認が終わると、いつも通りにグラウンドへ出ようとする生徒を止めたエスト。
じっくりとひとりずつ見ていくと、一旦座るように言う。
「昨日トレーニングしたのはクオードだけか」
ルミスの前の席に座る、眼鏡をかけた水の適性を持つ男子、クオードの名前が出ると、教室中から視線が集まる。
仕方なさそうにクオードは立ち上がり、僅かに顎を上げてエストを見た。
「毎日やれ、と仰っていたので」
「うん、それでいい。魔術師における体を鍛えるメリットは、単純な体力確保以外にも、敵から逃げられる体を作ってくれる」
「……と言うと?」
「来週から始まる
遠征。それは毎年恒例の行事でありながら、学年が上がることに危険度が増していく、一週間かけて行う魔術師の適性確認試験だ。
どの学年でも毎年ひとりは死者が出てしまい、昨年の彼らの代はかなり酷く、各クラス3人以上の死者が出たのだ。
この遠征は欠席することが認められず、入学の際に何度も注意されることで有名である。
そんな4年生の遠征の舞台に選ばれたのは、王都から南東へ馬車で一週間の位置にある、怪樹の森。
さもピクニックにでも行くかのように明かされた場所に、ミリカは机を叩きながら立ち上がった。
「ミラージュマンティスが現れる超危険な森じゃないですか! そんなの私たち、生き残れません!」
「あっそ。じゃあ死んだら?」
「…………え?」
冷徹な言葉に、空気が張り詰める。
「僕さ、Bランク程度の魔物に殺される生徒に教えてるわけじゃないんだよね。さっきも言ったけど、格上の魔物でも逃げられるように体作りもさせたワケだし。その上で戦えるように魔術を教えてる。じゃないと、戦場で使い物にならないんだよ」
使い物になる魔術師を育てる。
それがエストが国王と交わした契約だ。
ゆえに、この遠征で命を落とすようであれば、使い物にならない魔術師ということ。
同い歳であっても生徒は友達ではない。
彼らの命を守るようにとも言われていない。
他人に等しく興味が無いエストにとって、生徒が減ることには何の感情も抱いていないのだ。
しかし。
「まぁ、僕が守ってあげるよ。君たちの魔術師としての適性試験だけど、その程度の魔物にも対処できないなら仕方ないよね」
他者を守るように教育された以上、義務ではなくとも彼らを守る意思がある。
そして、煽るようなエストの言葉は、着実に実力を伸ばし始めた生徒に火を付けた。
「それじゃあ、死にたくない人はグラウンドに集まろう。ミラージュマンティスは戦ったことがないけど、ドゥーレマンティスなら食べたことがある。逃げ方と戦い方、それから時間の稼ぎ方。ちゃんと覚えなよ」
瞳に灯した炎を燃やし、真剣に授業に取り組ませる。
不器用ながらにも生徒の心に刺激を与えるエストに、ルミスは小さく笑っていた。
命の守り方を教わる今日の実技授業は、いつも以上に真剣な雰囲気だったと、ミリカと共に感心するルミスだった。
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