第240話 弱さに怯えた一匹狼


「おぉ、この街も久しぶりだ。懐かしいなぁ」


「ふふふっ、懐かしいわね! エストが大きくなって、さらに男らしくなったから惚れ直したわ」


「そういうシスティこそ、大人びて色気があったよ」



 ファルムと立て替えの契約を交わしたエストは、約束通りに杖を担保に賠償を支払ってもらい、商会に対して8000万リカの借りを作った。


 魔術師の命とも言える杖を預けることは、当然リスクが大きい。しかし、今後の取り引きも考えれば、それぐらいの信用は置いても問題ないと判断したのだ。



「宿をとろう。こっちの季節はもう秋だよ」



 肌寒い空気がローブの中を通っていく。

 懐かしい魔道都市ラゴッドを歩く2人は、白雪蚕のローブを身に纏い、指を絡めて手を繋いでいる。

 再会した時と変わらない街並みの中、目に付いたのは大通りの宿だった。


 獣人は公衆浴場に入れないからと、庭を借りて入った風呂を思い出す。


 道を挟んだ杖屋は看板が無くなっており、隣の武具屋と統合するのか、改修工事が行われていた。



 変わらない景色の中でも、小さな変化はある。

 無意識にその宿屋に入ると、女将は2人の顔を見て、柔らかい笑みを浮かべて『おかえり』と言ってくれた。


 エストとシスティリアは、女将が覚えている客の中でも格段に異色な人物であり、短い期間に様々な話のネタになったものだ。


 3日分の宿泊料金を支払ってとったのは、あの時と同じ部屋だった。


 背負っていた背嚢を下ろしていると、下の階から食事を楽しむ笑い声が聞こえてきた。



「この高級じゃない感じも好きなのよね」


「僕も。人に揉まれるのも悪くないなって思う」



 ベッドに腰掛けたエストがうんうんと頷けば、システィリアは自分の腕で抱きしめるように胸を防御すると、上目遣いで言った。



「……揉ませないわよ?」


「え、何を? ……誰に? ……僕!?」


「ふふっ、どうかしら。それより、エストの転移で来ちゃったし、休憩も兼ねてご飯にする?」



 エストの隣に座り、肩に頭を預けたシスティリア。

 狼の耳がぴこぴこと動き、的確にエストの首をくすぐった。



「いや、ダンジョンに行こう。魔力的には3割しか使ってないからね。余裕があるんだ」


「分かったわ。アンタに着いてく」



 考える素振りも見せず、即答した。

 だが、もう長いこと彼女と過ごしているエストは分かったのだ。


 その言葉には自分を気遣う思いが、強く混ざっていることに。



「……ありがとう。疲れたら言うんだよ?」


「……エストが癒してくれる?」


「もちろん。だって僕、システィの夫だもん」


「うへへっ! ……お、おほん。当然ね! アタシだってエストの妻よ。アンタの方こそ、疲れたら癒してあげるんだから!」



 そんなことを言い合いながら、宿を出て西の洞窟へ向かう2人。傍から見ればただ愛情溢れるカップルなのだが、システィリアを見て足を止める冒険者も多かった。


 冒険者中で話題のシスティリアが、ある人物の横でデレデレになっている姿は噂でしかなかったのだ。

 それがこうして街を歩いている以上、再びこの街でも小さな話題を生んだ。


 新たにラゴッドを訪れた冒険者にとって、孤高のシスティリアは剣士の高みである。

 そんな彼女の隣に居る者は誰かと、顔を覗かせた瞬間、特徴的な白い髪で分かってしまう。



「あれ……賢者か」


「初めて見たぜ。こうして見るとただのカップルなのにな。あの見た目でとんでもねぇ魔術を使うんだろ?」


「……バカップルだろあれは。だがよ、賢者の魔術は凄いぞ。ワイバーンが手も足も出ねぇんだ! 信じられるか? 魔物が置物みてぇに凍るんだぞ!」



 フードに収まったシスティリアの耳が動くと、道往く冒険者の話し声を拾った。

 以前ラゴッドに現れたワイバーンの話か、はたまたエストが気分的に狩った時の話か。それでも好きな人が褒められている声は、彼女にとっても嬉しかった。


 より大袈裟にエストの腕に抱きつき、胸で挟み込む。少々歩きづらそうなエストだったが、口元が笑っているのを見ては歩き続けた。



 洞窟前までやってくると、システィリアはようやくエストから離れ、フードを持ち上げた。

 顔を振ってから髪を整えれば、ふわりと花の香りが漂う。


 つい彼女の綺麗な横顔を見つめたエストは、照れくさくなった心を抑え込み、いつもの無表情で足を進めた。



「あら、どうして照れているの?」


「……僕の心が読めるの?」


「えへへ、エストのことだもの。わざと無表情を作る時ぐらい、アタシには分かるわ」



 剣を納めたまま、隣を歩くシスティリア。

 尻尾が嬉しそうに左右へ揺れ、エストの顔を見ては柔らかく表情を崩した。



「……君が、綺麗だから。何度見ても慣れないぐらい、綺麗で、可愛くて……つい見てしまうんだ」



 素直に全て言葉にした。エストは顔が熱くなるが、氷龍の魔力を循環させて強引に冷まし、決して表情に出ないように取り繕う。


 だが、普段と違って2人だけということもあってか、目を逸らしてしまう。すると、温かいシスティリアの手が頬に添えられた。


 視線を戻した先に居た彼女は、真っ赤である。


 首元から額まで血液を激しく巡らせ、聡い耳は力なく倒れこみ、ローブの穴から通された尻尾はピンと立ち上がっていた。



「い、今更だけど……照れちゃうわね」


「……うん。でも本当に毎日可愛くて──」


「ん〜〜っ!! い、いいの! 今はその……アタシも照れちゃうから! ほら、ここダンジョンだし……ね? 気合い、入れましょ?」



 言い慣れた言葉。聞き慣れた想いのはずだった。

 だが今のシスティリアには……一度喪ったと思った彼の言葉が、まるで付き合いたての男女のように照れくさくなって、少女らしい反応をしてしまう。


 そんな彼女が真っ直ぐに愛おしいエストも引っ張られてしまい、胸の高鳴りが抑えられない。



 しかし、その鼓動はすぐに落ち着いてしまう。

 眼前に現れた赤い肌のゴブリンが、赤熱した剣を片手に突っ込んできたのだ。



「せいっ! よっ……と」



 エストに向かって振り下ろされた剣は、カンッ! と金属音と立てると天井に突き刺さり、次の瞬間には首を落とされてゴブリンが散った。


 なまった体の錆を落とすシスティリアは、剣を納めて振り返った。

 ゴブリンと言えどエストを殺すには充分な相手から守ったのだ。自信に満ちた笑顔である。



「ありがとう。頼りになるね」


「ふふ〜……アタシの傍を離れちゃダメよ」



 嬉しそうに笑う彼女だったが、すぐに剣を抜き直すと、エストの斜め前で構えをとった。

 前方から5体のレッドゴブリンが現れ、涎を垂らしながら斬りかかってきたのだ。


 先頭の1体を即座に斬り伏せ、続く2体、3体と魔石へ変えていく。しかし攻撃の隙を突いた残りのレッドゴブリンは、無防備なエストへと突撃した。




「……ダメ、ダメダメダメ、ダメぇっ!!!」




 絶叫と共に剣を握り直し、凄まじい速度で斬り掛かるシスティリア。


 まだ距離があるゴブリンの四肢を目にも止まらぬ速さで切り刻み、胴体を細切れにし、首を落とした瞬間に頭を十字に斬った。


 一方、エストは糸のような氷の針をゴブリンに飛ばすと、体内で氷を爆ぜさせ魔石へと変えた。

 杖が無くとも、魔術は強い力を持つ。



「ハァ、ハァ、ハァ……──」



 荒い息を吐くシスティリアはその場で剣を落とし、膝をついてしまう。


 ……トラウマになっているのだ。


 目の前でエストが襲われることが、彼女にとって最も嫌な光景を思い起こさせ、ゴブリンであっても無茶な全力で斬りかかってしまう。


 歯を食いしばって両手を見つめるシスティリア。

 力なく閉じようとする手が忌々しく映り、さらに呼吸を浅くさせた。



 そんな彼女を、エストは膝立ちになって抱きしめた。



「大丈夫……大丈夫だよ。システィは頑張ったんだ。僕のために戦える、優しくて強い人だ。だから……自分を責めないで。大丈夫だから」



 ──『大丈夫、今助けるから』


 幼い声が、彼女の中で確かに響く。

 4年前、エストと出会ってすぐの頃。

 エルダーオークの洞窟で倒れたシスティリアに、彼はそう言って助けてみせた。


 強くなると誓ったあの日。

 絶対に屈しないと決めたあの日。

 密かに恋心を抱き始めた、あの時。


 救ってくれたのは、今もそばに居るエストだった。



「うっ……うぅっ、アタシは……アタシはぁぁ……!」



 初めて死を感じた魔族との戦い。

 日常とはかくも鮮やかに映り、誰に覚えられることもなく消えると知った。

 それでも足掻き、戦い、居場所を守るエストの隣に立つ自分は、本物の脅威を前に竦んでしまう。


 根を張った弱さは心を脆くする。

 鮮やかな枝葉は日々を彩り、実った果実は甘い幸せを享受する。


 楽しい生活が続くほど失い易く、また、失った心に大きな穴をつくる。



 決して埋めることの出来ない大きな穴。

 だが、そんな星が堕ちたような胸の窪みに、エストは慈雨を降り注がせた。



「ありがとう、僕のために強くなってくれて」



 震える彼女を強く抱きしめ、背中を優しく撫でたエスト。ローブ越しに伝わる熱い体温が、彼女の愛そのもののように感じ取れた。


 窮地に助けられない己の弱さに嘆き、苦しみ、それでも足掻き続けてきた彼女の姿をエストは知っている。

 今回の件で、積もった思いが爆発しただけで、それまでも大きな苦労と重たい責任を背負い、戦い続けたことをエストは知っている。



「システィは頑張ってる。つらいことから逃げなかった。真正面から立ち向かって、今も戦い続けてる。……本当に凄い人なんだ。誇ってよ。凄いんだから。君が胸を張らないなら、僕が代わりに誇る。システィリアという人間が、どれだけ凄い人かを」


「っ!」



 すぅっと背中の重りが下りていく。

 孤独に戦い続ける日々は、4年前に終わっていたのだ。今の彼女には、エストが居る。代わりに胸を張り、共に悩み、喜んでくれる人が居るのだ。



「自分を信じて。パートナーを信じて」



 一段と強く抱きしめたエストに、何度も頷くシスティリア。彼の言葉のおかげで、大嫌いな弱い自分を信じてみようと思えたのだ。


 弱さに怯える弱い自分に、一緒に戦ってくれる人が居る。その温もりに気付くと、手の震えは治まっていた。



 もう大丈夫だと思ったエストが体を離そうとすると、彼女はギュッと掴んで離さなかった。



「……もうちょっと、このまま」


「…………わかった」



 視線の先に居る冒険者から目を逸らし、抱きしめながらシスティリアの頭を撫で続ける。


 ギルドで話のネタになること間違いなし。

 少々恥ずかしく感じる、エストだった。

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