第239話 担保に杖はいかがですか?


「……まずはごめん。ケルザームを倒した後、クラーケンに引き摺られて、海底で倒したのはいいんだけど、その後すぐに水龍が襲ってきて……本気で魔術を使ったら海が凍っちゃった」



 再び目を覚ましたエストの元に、侯爵やファルムが集まっていた。高級宿ということもあり、位の高い者を呼べる部屋だったことは幸運である。


 椅子に座って紅茶飲んだエストは、皆の前で頭を下げた。



「クラーケンを……倒した?」


「エスト様、水龍というのは……まさかドラゴンで?」


「うん、そうだよ。僕が倒したクラーケンを一口で食べた上に、僕の下半身を食べたのも水龍。でも、あの魔術を使っても水龍は倒せなかった」



 水平線の果てまで凍らせても倒せない。

 ドラゴンが……龍という種がどれほど格の違う存在かが知られると、ひとまずはエストの生還と今後についての話し合いが行われた。



「オーグから貴方が沈んだと聞いた時、肝を冷やしたぞ」


「僕も冷えたよ。クラーケンの毒が複雑すぎて、解毒にかなりの時間を使ったからね。水龍が来なくても、溺れてたんじゃないかな」


「……どういう神経で戦っているのだ?」



 その質問には無表情で流すエスト。

 しかし、机の下でシスティリアと握った手が震えており、彼女にだけは当時の心境が伝わった。


 侯爵の話が途切れると、非常に話しづらそうなファルムが、両手を組みながら切り出した。



「エスト様。大変な目に遭われたことは重々承知しておりますが、漁師や冒険者に大きな損害が出ました。事の途中から侯爵様が支援してくださいましたが……皆さんから、損害賠償をするようにと話を預かっています」



 仕事に大きな影響を受けた漁師やその家族、そして冒険者は、今回エストが起こした事に怒りを見せた。

 特段彼らに得がある事件でもなく、船に傷がついたり、魔道具が破損したりと、沢山の被害を生んだ事実がのしかかる。


 これに対し侯爵は『こちらで払ってもいい』と言うが、ライラの件もあり、借りを作りたくないエストは被害額を払うと言った。



「僕は……自分のためにあの魔術を使った。それで他人を傷つけたなら、きちんと謝って相手に納得してもらいたい。額はどれくらいなのかな?」


「冒険者を含め、魚を売買する商人、及び商会にも影響が出たため、合わせると8000万リカになります」



 8000万リカ。Cランク冒険者がおよそ33年で稼ぐ金額に相当する。北のダンジョンでヒュドラを狩るにしても、月単位の時間がかかるだろう。


 その金額を聞いたシスティリアが手を握り、侯爵に出してもらうのも手だと伝えるが、エストは首を横に振った。



「いつまでに払えばいい?」


「期限に関しては決めておりません」


「そっか。じゃあ出来る限り最短で、ファルムが立て替えてくれないかな」


「……はい?」



 エストは、侯爵ではなくファルムに支払いを……それも立て替えを要求した。その真意が読み取れないシスティリアは、怪訝そうにエストを見つめた。



「担保はこの杖でいい? 純アダマンタイトの杖にミスリルの魔水晶を付けた物だ。これだけで……ブロフ、幾らになる?」



 さりげなく魔水晶を差し替えていたエストは、ミスリルの魔水晶をファルムに向け、机の上に杖を置いた。

 その重量のせいか、机の足からミシミシと軋む鳴り、本物のアダマンタイトであることの信憑性が増す。



「値も付けられん。だが、少なく見積もっても10億リカは超えるだろう。そいつは国宝中の国宝だ」


「ってことで、はい。だけど、ファルムの手元に置いててよ」


「……つまり、ワタクシが賠償自体はすぐに支払いますが、エスト様はその杖を担保に、ワタクシに8000万リカを支払う……ということでよろしいですね?」



 手早く紙に今回の契約内容を記していくファルム。内心では、賢者との深い繋がりを得ることに光を見出すが、エストは更にその上を行った。



「うん。漁師たちには、君が支払ったと言っていいよ。それでお金に関してなんだけど──」


「お、お待ちください! それではエスト様の名誉が……」


「名誉? 別に要らないけど。被害者も、僕に謝って欲しいんじゃなくて失った分のお金が欲しいんでしょ? それも、できるだけ早く。じゃあそっちを優先しないと、皆が納得しないよね」



 エストの言う通りにすれば、民からファルム商会の株が吊り上がる代わりに、賢者エストとしての名誉は地に落ちるだろう。


 商人に支払わせた、と言うことで生まれるリターンは、豪商が持つ、未来を考える力の前では塵のようなものだった。

 今後、大きな取引をする際『間接的に賢者の名誉を傷つけた』と言われてしまえば、ファルム商会の全てに悪い影響をもたらす。


 エストの口から出た甘言は、まさに食虫植物が出す匂いの如く。


 意識的にしろ、無意識にしろ、立て替えたことを公言することは商会にとって大きな損を生むと、豪商ファルムは考えた。



「……このファルム、エスト様との初めての取引が、ここまで大きな額になるとは思いませんでした」


「じゃあやってくれるんだね」


「はい。夕方頃、トレント紙と羊皮紙の契約書をお持ちしますので、それまで杖はエスト様の手に収めてください」


「……契約は大事だもんね。わかったよ」



 早速契約書を作りに椅子を立ち上がるファルムだったが、エストがもうひとつ言いたいことがあると、呼び止めた。



「支払いは魔石と現金、どっちがいい?」


「……魔石というのは、どのような物を?」


「中型の火属性魔石。あと炎龍の魔石だね」



 さらりと告げられた炎龍の魔石という言葉。

 伝説の存在とされるドラゴンが、ダンジョンの主魔物として現れる話は度々聞くものの、今の今まで倒されたことは無い。


 ……魔道都市ラゴッドの、火山洞窟以外は。



「炎龍? まさか、ドラゴンを……?」


「うん。だから、換金前に持って来た方が良いのか聞いてるんだ。大きくて重たいし、砕くのも大変だからね」



 なんでもない事のように話すエストに、侯爵とファルム、そしてライラの3人は目を丸くする。

 かつてエストが杖の加工に使ったことは、システィリアとブロフの思い出である。しかし、それを知らない3人は肝を抜かれてしまった。


 特に、シトリン侯爵。


 ドラゴンをも倒せる者に剣を向けたことを、今になって思い出したのだ。

 抜けたはずの肝が冷え、顔が青ざめていく。



「……魔石のまま買い取らせてください」


「分かった。単価の設定は君に任せるよ」



 ここまで来ると、エストの異常な部分が明らかになかっていく。まるでドラゴンを相手するのが怖くない素振りは、未熟な冒険者でさえ出来ないことだ。


 それをしてしまうエストの度胸……否、人間性に、彼らは一様の恐怖を覚えた。


 彼を相手に阿漕な商売をすれば、割を食うのは商売人の方である。どんな毒物よりも取り扱いに気を付けねばならないのが、エストという存在だった。



 ファルムは片手で顔を覆うが、その広い顔は隠しきれない。ひとつ大きな息を吐くと、真剣な眼差しでエストに告げた。



「この際ハッキリ言いましょう。それひとつで支払い完了に致します。ですので、出来ればで構いません……2つ納品して頂けたら幸いです。無論、片方は相応の額で買い取らせていただきます」


「……アレひとつに8000万もするかな? まぁ、君が言うなら信じるよ」



 取り引きにおいて、信用という言葉ほど軽く、重圧を放つ存在は無い。これを蔑ろにした瞬間、全ては悪しき道へと伸びていくのだ。


 深く頷いたファルムが部屋を出ると、侯爵も屋敷へ帰ることにした。

 賠償に関して言いたことがありそうな表情をしていたが、それ以上に龍殺しの圧が重く、侯爵は黙ってエストという嵐が去るのを待った。


 齢14にして立てた功績があまりにも大きい。

 公言すれば、その誉れから貴族になる可能性も高く、侯爵は身を守るためにも触れないことを選んだのだ。



 客人たちを見送ると、4人はエストたちの部屋へ帰ってきた。



 プルプルと震えるライラが紅茶を飲む横で、ソファに座ったエストは、システィリアの太ももに顔を埋めた。



「……杖、手放しちゃっていいの?」


「……よくないよ。でも、僕が出せる価値ある物だと、杖以外にはローブしかない。ローブだけは絶対に手放せない物なんだ……それに、支払いが終われば返ってくるからね」


「でも杖も無しにどうやって炎龍と戦うのよ」



 その言葉は至極真っ当であり、大剣の手入れをしていたブロフも無言で頷いた。



「どうって……僕が動きを止めて、システィが斬る。ただそれだけだよ?」



 体の向きを反転させたエストは、大きな胸の向こうから覗く黄金の瞳を見つめ返した。

 単独で行くこともなければ、またブロフと行くこともない。2人でやれば必ず勝てる……杖が無くても余裕だと言うエストは、確かな自信を持っている。


 ぱちぱちと瞬きの末、システィリアはぽかんと口を開けた。

 残念にも、エストからは見えなかったが。



 よっこいしょ、という声と共に体を起こしたエストは、ちょうどテーブルとソファの間に立つと、3人の前で宣言する。



「ということで、僕とシスティはデートに行ってきます。期間は3日を予定しているから、ライラは修行を。ブロフはその手助けと、宿代を稼いでほしい」



 高らかなデート宣言に、ライラも口をぽかんと開けてしまった。



「何が『ということで』だ。どこに行くつもりだ?」


「ラゴッドだよ。温泉には入れないと思うけど、システィの心を癒しつつ、炎龍を倒してくる」


「……そそ、そんな簡単に炎龍を……?」


「本物に比べたら指一本ぐらいの強さだから」


「ほん……もの……? ひぇぇっ」



 想像したライラが気を失い、机に伏した。

 何とも間の抜けた格好だが、いつか『ドラゴンくらい余裕です!』と言わせたいエストは、今後のライラに期待する。



「システィ。一緒に行こう」



 まだ傷ついた心の修復が終わらないシスティリアに、エストは右手を差し伸べた。


 だが、そう簡単には手を取れなかった。


 大切な人を失う恐怖は、想像を遥かに超えるダメージを彼女に与えた。

 世界の全てがモノクロに映り、食べる物は味が消え、匂いも分からなくなり、耳を塞ぎたくなる孤独の恐怖に身を震わせた日々。


 また失ってしまうのではないか。

 また助けられないのではないか。

 また…………。


 目を伏せたシスティリアの顔を、エストが両手で持ち上げた。



「僕は死なないよ。なんでか理由、わかる?」



 純粋な質問に、彼女は首を横に振った。



「約束したからだ。君より早く死なない。2人で幸せになる。旅が終わったら、小さな飲食店を開く。どれかひとつでも達成しているならまだしも、まだ何も成せていない」


「……う、うぅっ…………うんっ」



 たった3つ約束が、2人を繋ぎとめた。

 溢れる涙が指から垂れ、エストの肘まで濡らしていく。



「泣いてもいい。悲しんでもいい。怒ってもいい。でもね……僕はシスティリアの笑顔が好きだ。本当のお別れが来る時は、『幸せだった』って……笑顔で別れよう。これも約束に追加する」



 そっと抱きしめれば、彼女の細く白い腕が背中に回された。そして小さく頷き──



「やくそく……追加するっ」



 体を離すと、口付けを交わす。

 ぎゅっと瞑られた目は最後の涙をこぼれさせ、息が詰まりそうになる度に向きを変え、何度も何度も愛を誓った。



 そういうことは部屋でやれ、と思うブロフだったが、考えてみれば自分たちが部屋に入って来ていることに気づいてしまう。



「はぁ……戻っておけばよかったぜ」

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