第29話 乙女心はユーモアと
午後になり、エストがダンジョンに潜っている頃、実技授業を受けていたメルはモヤモヤしていた。
「……エスト君、今何してるのかな」
初めて会った時から、無性に彼が気になって仕方がない。隣の席を取れても、視線は黒板ではなく本を読むエストに向けてしまう。
彼が昼に抜けると、たまに授業をサボって図書館で勉強する。魔道書を読むことが最短で魔術を学べると言われ、その教えを忠実に守っているのだ。
「あら、どうしましたの?」
「クーリアちゃん……ううん、なんでもない」
「いいえ、何かありますわ。魔法陣の乱れは心の乱れ。今の貴女の魔法陣、ぐちゃぐちゃのべちょべちょですもの」
「もう少し良い表現は無かったのかな?」
クーリアの言う通り、メルの前にある魔法陣は歪んでいた。
あまりにもイメージが定まっていないために円形すら維持出来ず、無駄に魔力を使い続けている状態だ。
一度落ち着こうと魔法陣を消すと、メルは部屋の隅に移動した。
すると、クーリアも一緒になって隅へ行く。
「それで、どうしましたの?」
「えっと、エスト君は今何してるのかな〜と」
「……なるほど。エストさんが気になるのですわね。そういえばずっと一緒に居ますものね」
「うん……授業中もつい見ちゃうんだ。髪も白くて綺麗だし、目はぱっちりしてるけど鋭くて、体は細そうに見えるけど本当はガッシリしてるし、他の男の子と全然違うもん」
熱く、それはもう熱く語る姿を見て、クーリアは一瞬にして結論を出した。
メルはエストに恋をしている、と。
貴族として沢山の社交会を重ね、惚れた腫れたの話を身近で聞いていたクーリアには、それが間違いなく恋であることが分かってしまった。
ただ、自分自身にそういった経験は無く、どのようなアドバイスをすればいいか分からない。
貴族ならば10歳で結婚などよくある話だが、あくまで平民であるメルとエストには、10歳で将来を約束するには早すぎる。
ガツガツ行っては疎ましく思われ、引きすぎては興味すら失われることを危惧し、迂闊に言葉が出ないのだ。
「そう……ですわね。確かにエストさんは他の男子とは違います」
「でしょ? 思っちゃうんだ、あの本が私だったらな〜って。普段は冷たいけど、魔術に向ける熱い目線が私に向いたらって思うと……うへへへ」
「こら! 淑女がそんなお顔をしてはなりませんわ!」
「あ、ごめんなさい」
とてもエストには向けられない表情を正すと、筋肉担任にアドバイスをもらいながら魔術を使う男子を見た。
「フ、
「そうだその調子だ。魔術を使う前に一度深呼吸をしろ。緊張する気持ちは俺にも分かる」
「は、はい」
飄々としたエストなら、きっとキーワードを唱えなくても鋭い風の針を飛ばすのだろう。自分に確固たる自信があって、常に刃を研ぎ続ける精神力。
そして、ダンジョンという危険な場所に身を置き、魔術を使わないと命が危ぶまれる状況を作っている。
他の男子生徒は、ここが安全な場所と認識しているから、安心して魔術を使っている。
しかし、エストが出た数回の実技授業中、彼は1秒たりとも警戒心を解かなかった。それは、いつどこから、どんな魔術が飛んできても対応できるようにと考えていたから。
そんな、魔術に対する覚悟が他の人から感じられない。
「……はぁ、エスト君」
「なに?」
「え?」
胸の内から零れた言葉に、絶対に返ってくるはずのない人から反応が返ってきた。
見上げると、そこには街で買ってきたのであろう、串焼き肉を頬張るエストが立っている。
「エストさん!? どうしてここに!?」
「思ったより早く攻略が終わったから。それに、しばらくダンジョンに入らないし、ちゃんと受けてみようかな、って」
しばらくダンジョンに入らない。
ちゃんと受けてみようかな。
それ即ち、いつもより長くエストと過ごせるということ。
そう理解したメルの表情は、ぱっと花が咲いたように明るくなった。
「じゃあ一緒に受けよう! エスト君!」
「え? う〜ん……うん、いいよ」
「やった! って、そんなに悩むの?」
「面倒事に巻き込まれたら盾にしようと」
「ひどいよ! ……いいけどさ」
「いいんだ、優しい。もしかして聖母?」
「今なら私、光魔術が使えるかも!」
「キーワードは
「ん〜、
エストに乗せられるまま口にするが、何も起きない。
と思った次の瞬間、メルの前で小さな光が弾けた。
「……え?」
「すごーい、ひかりのまじゅつだー」
「もう! 今の、エスト君がやったでしょ!」
「どうかな。僕の適性に光は無いけど」
「ぐぬぬぬ…………ふふっ、あははは!」
普段は絶対にしない魔術の遊びを、他でもないエストがしてくれたことに笑いが止まらなかった。
そんなメルの様子を見て、クーリアは何も心配する必要が無かったと思った。この調子なら、変に距離感を間違えることもないため、じっくり決めていけばいい。
それに、魔術師として上に立つ人に教えてもらえるなら、成長もできる。
あまり高貴な存在らしくないが、メルのおこぼれにあやかろうと思うクーリアである。
「エスト、今から参加か?」
「うん。何してるです?」
「……初級魔術発動の安定化だ」
「それは大事だ、です。でも僕はもうできるです」
「……頼むからその気持ち悪い敬語モドキはやめろ。お前なら別に構わねぇから」
以前読んだ本に、『生徒の立場であるならば、先生には敬語を使え』と書いてあり、取ってつけた『です』を敬語だと思っているエスト。
些か気持ち悪いので、筋肉担任ことライバは敬語を拒否した。
「じゃあそうする。それで、何したらいい?」
「魔術を使う前に緊張する生徒が居る。何かアドバイスをしてやってくれないか?」
「うん、わかった。どこの誰?」
「あ、あそこのユーリだ」
二つ返事で了承されると思っておらず、先程まで風の初級魔術を教えていたユーリの元に送ってしまった。
本来教師の役目である生徒のサポートだが、生徒同士の教え合いも重要視されるこの学園では、教師が生徒に頼んで教えることも珍しくない。
淡い緑色の髪をした男の子、ユーリの前に立ったエストは、不安定な魔法陣を左手でかき消した。
「わぁ!?」
「教えろと言われた。教えるよ」
「え、えぇ? 君は……って、その杖は何?」
「ガリオさんやミィは『つえー』って呼ぶ杖」
「あ、うん。ぼ、僕はユーリ」
「そう。ユーリは緊張することを自覚した方がいい。緊張を抑えるのは安心でもリラックスでもない。自覚だよ」
「えぇ?」
ろくな自己紹介もせず、ズバズバと緊張への対処法を教えるエスト。
制服も着ずに杖を持っているため、幼い魔術師と言われても誰も疑わない格好だが、その浮いている生徒を知らない人は居ない。
ヤバいヤツ。
男子からは、そう認識されている。
学園長にもタメ口で話し、代々水の魔術師の家系であるクーリアを技術だけで倒し、冒険者として噂が耐えない男子。
そんなエストを疎ましく思う生徒も多く、彼の周りはメルとクーリア以外居ないと言われている。
反面、女子からの人気は尋常ではない。
クールな態度や物怖じしない性格、実績から考えられる収入や、単純に整った顔立ちがカッコイイと、黄色い声が耐えない。
午後の授業では、男子と女子がエストの評価について争い会うことも稀にだがある。
それほどに、エストの評価は別れていた。
「ユーリは才能がある。多分、この中で誰よりも風魔術が得意なはず。だから、教えよう。風魔術の面白さを」
そんなエストは、新たな魔術師の卵を温めるようだ。それがどのような結果をもたらすのか、今はまだ、誰も知らない。
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