第315話 過保護な賢者
「……食べすぎた。動けない」
「普段の倍も食べるからよ? 反省しなさい」
宴会が終わり、テーブルを埋めつくしていた料理たちも、残ったものを全てエストが食べきったおかげで談笑の場になっている。
オギ婆とエイダの酒癖が悪く、絡まれるブロフたちは心底面倒そうな顔で対応しているが、特に問題は起きていない。
一方で、少し離れた位置に氷のソファを用意したエストは、システィリアの膝枕で食休みを始めた。
「美味しかったよ……やっぱりシスティの料理が世界で一番美味しい」
「ふふっ、エストはいつも嬉しいことを言ってくれるわね」
「本当に好きだから。だから……心配なんだ」
「心配?」
「腰のことだよ。明日、大陸に戻ったら一気に帝都まで転移させる。トキマサを学園に送って、僕は図書館で新しい魔道書を探す」
「……話が繋がってないわよ」
「僕が探すのは魔道医学書。腰痛は普遍的な症状だから、システィと同じ症例があるはずなんだ」
「そういうこと。分かったわ。アタシも──」
探す。と言う前に、エストは彼女の唇に人差し指を当て、首を横に振った。
帝立魔術学園の図書館は大陸最高峰の蔵書数を誇るために、とてもじゃないが腰痛持ちの状態で本を取れるほど優しくない。
どうか宿で休んでいて欲しいと言うエストに、システィリアは首を横に振った。
「大丈夫よ。歩けないほど痛くないのよ?」
「でも……」
「心配しすぎ。そこまで痛くなくて、違和感程度って言ったでしょ? アタシは治癒院に行くわ」
「……わかった」
双方譲らない思いだったが、大抵はエストが折れる。
今回は肉体の強さに自信があるシスティリアを信じてのことだったが、内側からの痛みや違和感は筋肉では防げない。
普段よりも強く抵抗しようとも思うも、他ならぬシスティリア本人が最も理解していることなのだ。
歯切れが悪そうに彼女の頬を撫で、自身の顔を覆った。
食後の眠気が来てしまい、そのまま眠りそうになると──
「ンッ……ふぅ。痛みの波が来たわね」
苦悶の声を上げたシスティリアに、エストは飛び起きて背中を摩った。
「呻くほどなら相当だよ。絶対」
「そ、そうかしら? 成長期じゃないの? 修行中も筋肉痛と成長痛はあったわ。その時に似てた」
「18でしょ? ……どうなんだろう。僕はまだあるだろうけど」
「アタシの成長は止まることを知らないわ。いずれエストの身長を追い越すために、日々ニョキニョキと伸びているもの」
「も〜、茶化す場面じゃないよ! 本気で心配してるんだよ? 僕」
珍しくエストに怒られた彼女は、ぺたりと耳を垂れさせながらも、『安心させたかったのに……』と呟いた。
当然それを汲み取れないエストではないが、システィリア自身が軽く見すぎていると感じたのだ。
今までにシスティリアが外傷以外で傷ついた姿を見たのは、エストが水龍に半身を食われた時と、旅を始めてすぐのオーク洞窟ぐらいである。
そこに並ぶ腰痛に、エストは並々ならぬ脅威を覚えた。
「どうしましょ? アタシがエストを見下ろすくらいの大きな女になっていたら。それでもエス──」
「愛してるし、愛するよ。君は外見だけが素敵じゃない。心の在り方も立派なんだ」
例えどうなろうとも彼女を愛することを誓った身だ。急激にシスティリアの身長が、タケノコのような速度で伸びたとしても、エストは変わらずそばに居るだろう。
どこまでも澄み切ったエストの瞳を見て、柔らかい笑みを浮かべたシスティリアは嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ふふん、そうでしょうとも。なんと言ってもアタシの旦那様なんだから。ずっと愛してるに決まっているわ」
「……それ、もう一回言って? 旦那様って」
「えへへ、ダメー。次に言う機会を楽しみにしていなさい」
「今だよ。今がその、次に言う機会だよ」
「エスト? 軽々しく言ったら有難みが薄れちゃうじゃない?」
「……確かに」
「フッ」
「鼻で笑ったね? 今、僕を笑ったでしょ!」
「チョロいエストも好きよ。愛してるわ」
エストはその言葉で反論の意思を弱め、しなしなと萎れた植物のように力を抜くと、ソファに座り直してシスティリアの肩を抱いた。
ちょこんと肩に乗せられた頭は、2つの大きな耳でエストをくすぐるも、安心したように力が抜ける。
システィリアは目を閉じて彼の体温を感じていると、普段より魔力の流れが滞り、僅かに外へ漏れ出していることに気が付いた。
何とか全身の肌で蓋をするようなイメージで抑えると、エストが優しく耳を撫でた。
「いつから漏れてたのかしら?」
「さっきだよ。5分くらい前。システィが呻いた辺りから、微量の魔力が溢れてた」
「……まぁまぁ、平気よ。体調に問題は無いわ」
「……今のところはね。さて、そろそろお開きにして、明日に備えよう。里長、それでいい?」
遠くで大きく頷く里長を見ると、エストは使った魔術を消していく。最後に椅子とテーブルだけが残り、ジオが消せば、これにて宴会は終わりを迎える。
エストの脳内は解呪の喜びや賢者としての役目を終えたことよりも、パートナーの体の心配が大半を占めていた。
挨拶も程々にフブキたちと家に帰れば、エストは風呂を沸かし、熱すぎず、ぬるくなりすぎないように調節しながら入れてやった。
そして今、風呂に入る彼女の前で魔道書を読んでいる。
「過保護ねぇ……そんなエストも好きだけど」
「君の体に何かあったらと思うと不安なんだ」
「それで気が済むならいいのよ? ただ……そうね。割り切った方が楽というか、視野を狭めないで欲しいの」
「……気を付ける。でも今は──」
「我慢するわよ。乙女に我慢は天敵よ? 明日の夜は眠れないと思いなさい」
「……はぁい。でも、程々にね」
濡れそぼった耳をピンと立て、ピンク色の肌があらわになったシスティリアは、上気した頬で可愛らしく首を傾げると、扇情的に舌なめずりをする。
湯気に乗った彼女の香りが、エストの鼻をくすぐった。
本能が刺激され、ぶるりと震えるような大人の匂いだが、昔から変わらない可憐な少女らしさを感じる花のような香りも混ざっており、エストの理性がぐちゃぐちゃに掻き回された。
濃い青色に濡れた髪が艶やかで、半目に細められた黄金の目は確実にエストを誘っている。
「……ふふっ。エストの方こそ、ね」
「シ、システィが誘惑しなければいい話!」
「あらやだ、アタシってば魅力的すぎて常に誘惑してるのかも……」
「……確かに、常に誘惑をされている気もするけど」
「それはアンタがアタシに欲情してるだけよ」
「梯子を外したね!?」
「はぁ? アタシはエストの匂いを嗅いだら欲情するわよ?」
「……同じ穴の狢ってやつだ」
「嫌よ。アタシは狐じゃなくて狼なの」
「気にするとこ、そこなんだ」
エストを弄ぶのか、はたまた赤裸々に話すのか。
その頬の赤みはのぼせたからか、ただ照れているだけなのか。
知りたい。もっと知りたい。システィリアが何を思って、何を考えて、何を感じているのか。
5年居ても尽きない興味を秘める彼女に惚れ直し、エストは体を拭いてあげると、髪を乾かすのだった。
温かい
「あぁあぁ……気持ちいい。なんだか貴族になった気分」
「屋敷での生活が貴族らしい生活じゃないの?」
「エスト。正論で返すのはやめなさい」
「……身の回りのことをやってくれる生活ってことね」
「そこは『君は僕のお姫様だよ』ぐらい言いなさい」
「君は僕だけのお姫様だ。こんなに綺麗な髪も、可愛い耳も、システィの心も……僕だけのもの」
そう言って後ろから抱き締めると、嬉しそうな声を漏らしたシスティリア。早くも明日の夜が楽しみで仕方なく、まだ整えられていない尻尾をバサバサと振った。
その様子を襖の隙間から覗くのは、4つの瞳。
「にーちゃん……かっこいい」
「えすとにーちゃ、おうじさま?」
「しっ! もどるよ、キサラギ」
エストたちのちょっぴり大人な瞬間を見てしまった2人は、実はエストが王子様なのでは? という疑問を抱きつつ、サツキの元へと行った。
「……覗かれてたわね」
「まぁ、大丈夫だと思う。それじゃあ、尻尾を拭いたら寝るよ?」
「は〜い。今日は細かい櫛で整えるのね」
「明日は朝から動くから、うんと可愛くしないと」
「……もうっ、エストってば」
それから20分、集中しっぱなしで尻尾の手入れをするエストだった。
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