第258話 おかえりと言われる場所
「結局、伯爵は手を出して来なかったわね」
「もう僕の方で手を打ったからかな。帝国との国境にある街だけど、今後ファルム商会を通じての取引をしないと言われたから」
「エストさんにかける時間が無い、と?」
「そういうこと。僕の後ろにファルムが居るって、ようやく気づいたんでしょ」
結局ロックリアに2泊した一行は、遂に東門を抜けることにした。
うっすらと雪が積もる平原はエストの記憶に重ねられる。魔女の森から街へ行く時に、目を輝かせてアリアと歩いたものだ。
リューゼニス王国とレッカ帝国の国境。
そこにある異常に鮮やかな森は、両国不干渉の盟約が結ばれた、魔女と龍人族が住まう場所。
朝から出発した馬車が昼前には森の方へ進路を変えると、ライラが身を乗り出した。
「エ、エストさん! 街道から外れましたよ!?」
「合ってるよ。舌を噛むから戻って」
「あと、魔力濃度から高いから深呼吸して体に慣れさせなさい。ブロフも。体調を崩すかもしれないわ」
「……おい、どんな場所に行くってんだ?」
魔力の影響を受けにくいブロフでさえ身を案じられる濃度など、それこそ精霊樹や龍の住処に連なる環境だ。
道無き道を馬車が進み、明確に“森に入った”と感じた瞬間、魔力の膜を通ったような感触が走る。
そして、後ろから深呼吸をする音を聞きながら進んで行くと、遂に森の最奥──開けた場所にポツンと建つ、小さな家があった。
「……帰ってきたんだ」
実に5年ぶりの里帰りだ。
変わらない景色なのに、自分が成長したせいか鮮やかに映る故郷の存在に、まるで湯船に浸かったような安心感を覚えたエスト。
それはシスティリアも同じだったのか、馬車を停め、降りてからは大きく息を吸い、もう3年も前となる修行の日々を思い出した。
「あ、あれ? もう着いたんですか?」
「うん。驚くと思うけど、ここが僕の実家」
馬を消し、フードも上げたエストは、システィリアと並んでドアの前に立つ。握るとひんやり冷たい真鍮のドアハンドルを握り、押し開けた。
中から香る、魔道書と食べ物の空気。
外見とは違う拡張された空間。
玄関の先から見える、リビングに置かれた4人がけテーブルの端。
どれもが懐かしく感じる景色に、エストは声を絞り出す。
「た、ただいま! お姉ちゃん居る?」
玄関から大きな声で姉を呼ぶと、聞き馴染みの深い、のんびりとした声が聞こえてきた。
「ん〜、いるよ〜。おかえり〜…………え?」
刹那の困惑の後、椅子を倒して立ち上がったのか、ドタバタと大きな音を立てながら玄関に飛び出したのは、深紅の赤い髪をレースの髪留めで結んだ、正真正銘エストの姉──アリアだった。
頭に生えた赤黒い角は前方にねじれ、薙げば人が吹き飛ぶであろう龍の尻尾がピンと立つ。
その様相にブロフが大剣に手をかけるが、次の瞬間にはアリアはエストを抱き締めていた。
「うわぁん! エスト〜! おかえりぃ〜!」
「……ただいま、アリアお姉ちゃん。4年ぶり……いや、もう5年になるのかな。久しぶりだね」
「うん、うん! ずっと心配してたよぉ〜!」
角と尻尾を除けば、その容姿は一ツ星のアリアと全く同じである。以前にも聞いたことがある、エストの姉について思い出したブロフは、彼女が人間ではないことに動揺した。
また、ライラも一歩引いており、それが一ツ星のアリアだと気づいた瞬間に腰が抜けてしまう。
一方アリアは、鼻水と涙でエストの肩を汚し、隣に立つシスティリアを見れば、2人一緒に抱き締めたのだ。
「システィちゃんもおかえりぃ〜!」
「ただいま、アリアさん。積もる話も多いのだけれど、まずは2人を紹介したいの」
「うん…………だぁれ? ドワーフと……人間? エストのお友達ぃ?」
「僕のパーティメンバー、仲間だよ。ドワーフの方はブロフ。戦士だね。女の子の方はライラ。魔術師だよ」
「……それ、エストとシスティちゃんで足りてない?」
「アリアさん、それは失礼よ!」
そう言って2人の紹介を続けようとするシスティリアに、アリアは龍の目を向けて詰め寄った。
「おかしいな〜? システィちゃんには〜、エストと2人で役割が完結出来るように〜、みっちり教えたんだけど〜? もしかして、前衛……サボってる?」
「さ、サボってないわよ! それにエストが2人を引き込んだの!」
「面白そうだったから、つい」
「そっかぁ〜! じゃあ仕方ないや〜!
ウチはアリア。よろしくね〜」
エストにはダダ甘なアリアが納得すると、2人の手を取って自己紹介した。
だが、今の一瞬で見えたアリアの威圧感に気圧された2人は、一言も発することなく、エストたちに着いて行く。
椅子とテーブルの数が足りないので、エストが取りに行こうとすると、廊下に小さな影が立ち塞がった。
三角帽子のつばを持ち上げ、銀髪の中から輝く紅い瞳を見せたその人は、エストの前で両手を広げた。
「ふっふっふ……この先を通りたくば、わらわを倒してから行くのじゃ!」
「くっ、この魔力……か、勝てないぃ〜」
エストがその場で膝をつくと、わざとらしく倒れ込んだ。
すると、どこからともなく取り出した杖を振り、自身の象徴たる帽子を消した、少女の姿をした魔女──エルミリアは、エストの前で決めポーズをとった。
「フッ。師に勝とうなぞ100年早いわ!」
「……それはどうかな?」
「な、なにッ!? 離すのじゃ! こ〜ら〜! わらわは子供ではないのじゃぞ!」
魔女の両脇を掴んで持ち上げたエストは、くるくると2回転してから抱き締めた。
「……ただいま、師匠」
「……おかえりじゃ、エスト。精霊樹の時以来か。大きく、立派になったのぅ。わらわはエストが誇らしゅうてたまらんぞ」
「えへへ、賢者になっちゃった。凄いでしょ」
「うむ! それでこそわらわの弟子であり、わらわの子じゃ。偉いのぅ」
小さな手でエストの頭を撫でると、亜空間からもう1台のテーブルと椅子を幾つか取り出し、8人がけの長机にした。
向かい合うように6人が座れば、家主である魔女が静寂を切った。
「改めて、よくぞ帰ってきた。エスト、システィリア。そして久しいな、ブロフよ。そちらの娘は初めましてじゃな」
「は、はいぃ! 初めまして、わ、私はライラと申しますっ!」
「うむ、良い挨拶じゃ。わらわはエストの師であり母親のエルミリアという。息子が世話になっておるの」
「いえいえいえ! 私の方こそ、エストさんにはお世話になりっぱなしで……」
ライラとの顔合わせが終わると、魔女はおもむろにエストの顔を見た。
メイド服に着替えたアリアが淹れた紅茶を啜る横顔に、昔を思い出しながらニマニマとした笑みを浮かべてしまう。
「誕生日にはまだ早いが、どうしたのじゃ?」
「ん〜、ブロフとライラに基礎を教えてあげてほしいのと、報告があってね」
「前者は構わぬが……報告とな?」
一体何を報告するのかとエストの顔を見れば、凛とした表情で、真っ直ぐに魔女の瞳を見ながら左手を前に出したのだ。
その薬指に輝く、指輪を見せながら──
「システィリアと結婚した。僕はシスティを、命をかけて守り、幸せにすると誓ったんだ」
「………………お」
「お?」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉおんっ!!!!!!」
結婚したエストに向かい、大粒の涙を溢れさせながら、魔女はエストが聞いたことも無い声で泣き出した。
親の元から巣立つ我が子の成長と覚悟を前に、ここまで育ててきた魔女は沢山の感情でいっぱいになってしまったのだ。
「うぅ……お姉ちゃんは選ばれなかったぁ」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんだからね。恋人とか夫婦っていうより、いつまでも家族として頼れる人で居てほしいな」
「おぉぉぉぉぉん!! お姉ちゃんのままで居るよぉぉぉ!!!」
「……同じ泣き方してる」
2人して泣いてくれた結婚の発表は、薄々分かってはいたものの正式に彼の口から言われ、家族がひとり増えたのだ。
ちゃんと幸せを掴める子に育ったこと。
人を幸せに出来る子に育ったこと。
愛する人を守れるくらいに、強くなったこと。
家族として嬉しい2人は、何度もエストとシスティリアの頭を撫でた。
ようやく2人が落ち着いてきた頃には、ライラとブロフの緊張もほぐれていた。
「そういえば、アリアさんが龍人族ってことは知らなかったのよね?」
「そ、その種族名すら初耳ですっ」
「……昔、魔族と白狼族とやり合い、絶滅した種族……だったか」
「お〜、大正解〜! そ、ウチは多分最後の龍人族。ご主人に育てられた〜、エストのお姉ちゃんだよ〜」
「まさか一ツ星がその種族だとは」
ブロフは心からの敬意を払うと、その言葉にムッとしたアリアが頬を膨らませた。
「むぅ〜。情報古いよ〜? ウチは、これ!」
そう言って皆の前に差し出したのは、アリアの冒険者カードだった。
そこに刻まれた名前の隣、豪華な宝飾が施されたカードに刻まれたランクの欄に、2つの星が輝いていた。
「ウチはもう、二ツ星〜! 最強だよ〜ん」
「おめでとうお姉ちゃん。いつ昇格したの?」
「ん〜、おととい? ありがとね〜」
「ふふっ、ブロフってば珍しくしょげてるわ」
「……英雄のランクを見誤ったからな」
わいわい騒ぐエストたちは、それぞれの冒険者ランクについて話すことになった。
システィリアとブロフは変わらずAランク。
ライラも移動中は依頼を達成していないため、Cランクのまま。
そして、エストもまだBランクと言うと……
「はぁ〜? 有り得ない。お姉ちゃん、ギルドに抗議する。認めない奴はぶっ飛ばすよ」
「賢者として認められてBランクじゃと? ギルドはエストを舐め腐っておるのか? 星の1つや2つ、付けたところで変わらぬじゃろうが!」
猛烈に反対する2人が居た。
「ま、アタシもBはダメだと思うわ。依頼の受けた数よりも、強さで判断すべきよ。そもそものランク制度がおかしいと思うの」
「システィちゃんの言う通りだよ〜! 明日にでも言ってくるよ〜」
「……じゃが、当の本人はどうなんじゃ?」
「え、僕? 特になんとも。特別待遇を受けてるし、システィと一緒に居られるのならどうでもいい」
上がるのならそれはそれで面白く、Aランクならシスティリアと並べるため気持ちの面で嬉しく思う。
だが、特段Bランクで困ったことがなく、依頼よりも魔石納品の方が頻度が高いのだ。
ゆえに、愛するシスティリアと共に戦えるのならランクなんて関係ない、というのがエストの了見だった。
「……これは〜」
「……なんたる」
「「溺愛っぷり……」」
今も机の下で手を繋ぐぐらいには、好きで好きでたまらない2人。
一体いつからそんな子になったのかと、思い返せば家族として溺愛されていた記憶しか蘇ってこず、こうなったのは2人の影響だと分かってしまった。
「う、うん……お姉ちゃんは敵わないな〜」
「わ、わらわもじゃ。エストがよいのなら、それで構わん」
「ブロフたちが鍛えている間、システィと依頼を受けるのも良いかもね」
「そうね。誕生日会までまだあるみたいだし、デート……じゃなくてコンビを組むのも、悪くないわね」
あぁ、デート感覚なんだ……。そう気づいた頃にはもう遅い、アリアと魔女であった。
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