第110話 鏖殺☆脳筋魔術師
「あっはははは! やっぱ僕天才かもっ!」
全速力で灼熱のダンジョンを疾走し、リザードマンが攻撃する隙も与えず胸に風穴をあける。落ちた魔石を回収し、階層を一周すれば階段を駆け上がった。
そして次の階層も駆け抜けながらリザードマンを狩ると、20層目の主部屋前で数分の休憩をとる。
「この30分で70個は取れたはず。でも、お姉ちゃんなら……もっと速く走って稼ぐよね。僕も速度を上げないと」
休憩が終わり、風魔術で体を軽くすると
1層あたりの殲滅時間を短くするために、魔力感知で頭の中に地図を作ったり、
その効果は微々たるものだったが、1秒でも早く殲滅を終えると、総合タイムの短縮という遊びを見つけた。
本来なら命をかけて戦う魔物を、如何に早く倒して10層分走り切れるか。
他の冒険者が聞いたら呆れるか、あるいは怒りを覚えそうな遊びだが、エストはその遊びに本気になった。
「2体。1体。3体……数よりも頻度で殴らないと、僕は止まらないよ」
魔術を使う時は走る速度を落とす。そのため、1回の戦闘で戦うリザードマンの数よりも、短い間隔で次のリザードマンと戦う方がタイムに影響が出るのだ。
「よし、片道25分。1層あたり150秒ってところ? あれ、合ってるかな。まぁいいや、次は往復で」
氷龍に比べたらあまりにも弱すぎるリザードマンは、タイムを伸ばす障害物として認定され、エストの中では如何に早く障害物を排除して最上階、もしくは最下層を目指すか、という遊びになっていた。
片道の2倍記録と往復の記録では、微量ながらに差が生じる。
その差の要因は様々であり、リザードマンの出現頻度や魔術の発動はもちろんのこと、途中でダンジョンの道が変わることが何よりも大きな障害物だった。
1時間程度で進むべき道が変わるダンジョンは、片道でさえタイムがバラけることがある。
「往復57分……途中で変わったせいだね。ははっ、いいね。走ってて飽きないよ。燃えてくる」
そうして魔力が尽きそうになるまで走り続けると、11層目に帰ってきたエストは懐中時計を開いた。
前回記録した時間と今の時間から往復時間を割り出し、短くなっていたことに拳をつくって喜ぶと、あることに気がついてしまう。
それは、短針の位置である。
記憶の中にある短針は1をさしていたため、4を向く頃には帰る時間である。
しかし今、短針が目を合わそうとしている数字は……11。恐ろしいことに、時間で遊んでいるのに現在時刻を忘れていたのだ。
普段ならもう寝ている頃だ。なんなら夜更かしをしても、もう少し早く寝ている。
懐中時計を見たエストは一旦閉じてポケットに入れると、もう一度取り出して時間を確認する。
何度見ても、現在時刻は午後11時12分。
「……往復42分まで縮めたんだけどなぁ」
現実逃避を試みるも、頭に浮かぶのは最愛のパートナーである。『夜には帰る』という自分の発言が、何度も脳内で蘇るのだ。
とにかく帰らなければと思うエストだが、徒歩で行っては遅すぎる。それに警備の時間からして門も閉まっているため、取れる選択肢はひとつだった。
「バカだな、僕は。
残り少ない魔力を使ってラゴッドの中に転移すると、かいた汗が急激に冷えていく感覚が背中を走った。
それが気温によるものか、誰かの怒りを察してからか。今のエストには知る由もなく、宿へ向かって全力で走る。
少し魔力を使いすぎてしまい、軽い目眩で躓いてしまうが、構わずに足を出した。
「シ、システィ! ごめんなさい!」
バン! と大きな音を立てて部屋のドアを開けると、厚い寝間着を着てベッドの上で三角座りをし、枕を抱きしめていたシスティリアが顔を上げた。
仄暗い部屋に差した月明かりでも、目元が赤いことが見て取れた。
濡れた黄金の瞳が2つ。
か細い声が胸を刺した。
「……うそつき」
弁解のしようもない言葉に、エストは杖を捨てた。そして謝罪の気持ちを見せるため、ベッドの横で膝立ちになる。
彼女より少し低い目線で、決して目を伏せることなく事実を口にした。
「魔石集めが楽しくて、約束を忘れてた」
「……そう」
「1000個も集めたんだ。でも……システィの方が大事ってことを、見失っていた。殴っていい、覚悟はできてる」
そう言って頬を差し出すと、システィリアは四つん這いでエストの前に来た。
すうっと右腕を横に伸ばし、開いた手のひらに力がこもる。相当な痛みを前にぎゅっと目を閉じていると、風を切って振るわれた。
ぺちっ。
「っ…………え?」
瞼を持ち上げると、微笑んだシスティリアが頬を撫でていた。
「おかえりなさい」
「あ、うん」
「お・か・え・り・な・さ・い」
「……ただいま」
思っていたのと違う展開に困惑していると、そのまま頬をムニムニと引っ張られ、ベッドに招かれた。
エストは申し訳なさそうに腰をかけると、後ろからシスティリアが抱きしめた。
すんすんと鼻を鳴らして、一言。
「……ちょっと汗臭い」
「ずっと走ってたからね」
「頑張ったのね。ご飯、食べた?」
「まだ。これから食べに行くところ」
「……そっか」
先に寝てて、と言うとシスティリアは寂しそうに頷いた。
彼女の色んな表情が見たいと思っていたエストだが、その表情だけはさせてはダメだと直感が警鐘を鳴らす。
立ち上がって足元に
「やっぱりいいや。このまま寝よっか」
「ホントに? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。全然魔術も使ってないし、疲れてないから。今はシスティと一緒に居る時間の方が大切」
見栄を張った。本当は今すぐ食べろと体が叫んでいる上に、修行以来の全力疾走で脚も痛い。
──でも。それでも。
彼女の前では強く在りたい。
鋼の精神が、今は本能より理性で物事を判断しろと叫び、エストはその声に従った。
ジオに言われた言葉にも、影響されている。
『いいか? お前は女の前では強く居ろ。目の前のメシより相手の機嫌、眠たい体より相手の安心を優先しろ。お前ならできるはずだ』
聞いた時は適当に返事をしたが、今思えば金言だったとエストの脳内で再生される。
常にその精神を掲げることは、きっと不可能だろう。エストだって人間である。食わなければ死ぬし、眠らなければ不調になる。
だが、今この瞬間だけは、ジオの教えを守る時だと思ったのだ。
ローブを脱いで亜空間に仕舞うと、一歩だけ足がふらつく。幸いにも部屋が暗いおかけでシスティリアから見えていないようだったが、耳は聞こえていた。
「虫でも居たかしら?」
「い、いや。暗くて足元が見えなかった」
エストは薄手の寝巻きに着替えると、システィリアの横に寝転がる。街で2番目に高い宿ということもあり、ここでは掛け布団が用意されている。
2人でくっついて布団を掛けると、旅の時のようにエストの胸元に顔を埋めたシスティリア。
「……アンタの隣じゃないと、熟睡できない。むしろ勝手に熟睡しちゃって、朝起きれないの」
「安心する?」
「ええ……とても。熟睡させる罰として毎朝起こしてほしいわ。これは罪よ。安心罪ね」
「……じゃあ、罰を受けよう」
少し寒いねと言いながら抱きしめると、システィリアの頭を撫でた。まるで親が子どもに安心させるように、ゆっくりと。
寂しい思いをさせたことは、安心罪とは違う罪……
その罪を償うには、生涯をかけてシスティリアを安心させ、同時に永遠の安心罪を刻むしかない。大切な人との約束を破るというのは、償いきれない罪なのだ。
髪を、耳を。優しく撫でていると次第に寝息が聞こえ始めた。
瞼を閉じれば耐え難い空腹感と疲労感から、意識と本能の激しい剣戟が聞こえる。しかし、それらを自制心で振り払い、システィリアの頭を撫で続けた。
温かい彼女の体温を感じていると、次第に本能が優勢になる。エストの戦いは虚しくも敗北に終わり、耳に手を乗せたまま眠っていた。
「それで? 何か言うことは?」
「お腹がすいてました」
朝、エストはシスティリアに叩き起された。
その理由はたったひとつ。
寝ている間に彼女の耳を咥え、起きるまでしゃぶっていたことにある。
意外にも、システィリアの方は起きるまで気がつかず、それだけ熟睡していたことが分かった。
エストは口の中に入っていた毛を取っていくと、彼女の異様に濡れた左耳を見た。
「ふにゃふにゃだね」
「アンタのせいよ!? もう、元に戻るまで時間がかかるんだから、絶対学園の奴らに何か言われるわ!」
「……いや、気づかれないんじゃ」
「左耳だけふにゃふにゃでも?」
「き、気づきます。何かあったのかな〜と」
「でしょ!? いいわ、その時はアンタの評判を落としてやるんだから。『ずっとアタシの耳をしゃぶってました〜』ってね!」
果たしてそれは評判を落とすに値するのか? と疑問に思うエストだったが、システィリアが言うならそれでいいやの思考で頷いた。
それから朝食の時もぷりぷりと怒るシスティリアだったが、エストはずっと柔らかい笑みで見守った。
やっぱり寂しい表情は彼女に似合っておらず、笑顔か怒り顔がとても可愛いと、そう思っていたのだ。
そんな彼女が仕事で出て行くと、エストは宿でぼーっと考える。
「今日は休みにして、ブロフの所に行こう」
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