第250話 山脈の爪牙
豊穣の祭り……という名目で自然魔術を使ってから、一週間が経った。
いよいよ秋と呼ぶに相応しい乾燥した空気の中、昼食のために休憩をしていると、システィリアが風変わりな物を見つけてきた。
手にぶら下げた縦長の筒状の物体は、濡らした木屑のように深く茶色く、それを持った彼女の顔はどこか誇らしげだった。
「システィ。ポイしてきなさい」
「イヤに決まってんでしょ! せっかく棒蜂の巣を見つけたんだもの、蜂蜜を取らなきゃ勿体ないわよ」
食休み中のテーブルの上に置いた棒蜂の巣は、どう見ても蜜があるようには見えず、カラッと乾燥している。
既に中の蜂が蜜を食べ尽くしたのだとエストは思っていたが、システィリアが巣の上部を横に切ると、中から大量の棒蜂が飛び出してきた。
「システィリアさん……地獄絵図ですよぉ!」
「この蜂じゃなければ死んでいたな」
「針が無いってわかっていても、僕はできないなぁ」
「大丈夫よ。ほら、コレを見なさい」
けたたましい羽音に包まれながら巣の中を見せてきた。
エストは氷の網で蜂を回収しながら中を覗くと、そこには黄金に輝く蜂蜜の都が広がっていた。
まだ冬に入る前ということもあり、上部の蜂蜜しか食べていなかったようだ。せっせと育児をする棒蜂を見ては、舌なめずりをするシスティリア。
ゆっくりと刃を入れ、出来る限り殺してしまう蜂の数を減らしながら蜂の巣を頂戴すると、エストにひとつ頼み事をした。
「見せたくて取ってきちゃったから、一緒に戻してくれないかしら? アンタの魔術なら、また木に付けられるでしょ?」
「うん。2人はちょっと待ってて」
大量の蜂が入った氷の網と一緒に森へ入ると、システィリアが示した場所に自然魔術の
緑色の光が消えると、彼女は祭りの時と同じ魔術だと気づき、優越感に浸る。
嬉しそうに笑うシスティリアと拠点に戻れば、ライラたちが蜂の巣を瓶に詰め終わっていた。
「今年は棒蜂の巣を見つけられていなかったから、どうしてもやりたかったのよね」
「確かに、言われてみればそうかも」
「お2人はよく蜂蜜を取るんですか?」
「たまにね。昔、システィに教えてもらってから、見つけたら取るようにしてるんだ」
まだ旅人として、冒険者として未熟だったエストに、野草や食べ物の知識を与えたのはシスティリアだった。
その時には彼女は手を引っ張る存在であり、棒蜂の蜜は、憧れの始まりでもあった。
胸を張るシスティリアに続いて馬車に乗ると、前方に広がるは壁のように反り立つ険しい山々。
パルマ山脈である。
迂回して進むことも出来るが、時間短縮のために登ると決めている。
魔物も多く生息するこの山々では、山越えにBランク以上の冒険者パーティが推奨される。
緩やかに大きくなる勾配を感じれば、かすかに血の匂いが漂っていた。
「アンデッドは居ないけど、かなり臭いわね」
鼻を摘んで耳を垂れさせたシスティリアに、エストはぽんと手を打った。
「ライラ、風魔術を使うんだ。山脈の南側に風を吹かせよう。応用編だね」
「……それは応用ではなく無茶ぶりでは?」
「風のメリットを考えるんだ。吹かせ続ける必要は無い。一度強く押し出すだけで、空気は入れ替えられる」
進み続ける馬車の中、ライラは杖を握った。
意識を集中させ、ひとつひとつの構成要素に注意する。
魔術の一歩は集中から。
順に組み上げられる緑色の円に魔法文字が刻まれ、6つの円からなる単魔法陣は、中級風魔術、
緩やかに馬車の速度が落ちると、車輪と地面を土の鎖で結び止められ、ライラの魔術が発動する。
「ふぅぅ……いきます。
魔法陣が緑色の光を放って弾けると、山頂から強風が吹きすさぶ。
ガタガタと揺れる馬車だが、しっかりと地面に固定されているため飛ばされることはない。反面、周囲の草木は大波に飲まれたように傾くと、蔓延する腐敗臭を洗い落とした。
エストの要望通り、空気の入れ替えに成功した。
そう……息をついた瞬間だった。
「おっとマズイ。あ……あら〜」
一際大きな揺れが馬車を襲うと、バキッと嫌な音を立てて馬車が飛ぶ。前後左右に揺れながら覗く景色は、段々と遠くなる山脈の斜面だった。
「ひぃぃぃやぁぁぁぁ!? な、何が起きてるんですかぁ!?」
「音から察するに、大型の鳥の魔物に掴まれたわね」
「エスト、何とか出来るのか?」
「え〜…………できなくは、ない」
「じゃあやりましょ」
御者台から見える前方の空間から、10メートルを超える大型の鳥の魔物……アルバフロフトのお腹、白い羽毛が見えていた。
上を見えれば幌を突き破る漆黒の爪が見えており、人に当たれば体が真っ二つになりそうなほど鋭く、大きい。
高山地帯に生息し、基本的に人を襲うことはない魔物だが、魔術に強く反応する傾向があり、その強さはBランク上位からAランク下位をうろついている。
発見例と死傷者の比率的に、変わり続けるが大きく変動しないランクの魔物として知られ、その肉の味は──
「不味い、らしいんだよね」
「つべこべ言ってないで、何とかしてちょうだい!」
殺す以上は食べるのが礼儀だと思っているエストにとって、ここでアルバフロフトを殺し、馬車を転移させることは流儀に反する。
美味しく出来るのなら試したいと思う気持ちもあるが、不味いという事前情報を持っている以上、逃がすことも視野に入れていた。
そこで、あの魔術なら殺さずに無力化が出来るのでは、と杖を亜空間から取り出した。
「もう少し握っていてね……」
「……なんだか嫌な予感がするわ」
「奇遇だな。オレもだ」
「ずっと嫌な予感しかしていませんっ!!」
杖先に現れるは鮮やかな緑。
複雑に多重化されたその魔法陣は、風魔術とは違う、上位の……更に上の、属性の支配者たる輝きを放つ。
ライラに見えたのは一瞬。
だが、そこで組まれた数十、或いは百を超える構成要素が美しく連なり、輝く瞬間を目撃した。
「
同様の魔法陣がアルバフロフトの頭上にも出現すると、その2つは鎖で結ばれたように魔力の繋がりを形成し、アルバフロフトはエストの支配下に置かれた。
揺れが収まり、上空を飛行する馬車は東へと進んでいく。
「アンタのその魔術、どのくらいの強さまで魔物を従えられるの?」
「多分この子が限界だよ。今も制御がかなり難しいから、Aランクに分類される魔物は無理だね」
「……魔物を、従える……?」
「ブロフ、ちゃんと教育しなさい」
「お嬢。これに関してはオレも説明出来ん」
魔術に詳しくないブロフには、精霊樹での出来事を教えられるほど、エストや自然の魔女についての理解が深くない。
左目を閉じ、軽く集中しているエストに視線が集まれば、自然魔術という最強格の属性魔術について軽く話した。
今も研究していることや、消費の多さから来る食欲の増加など、メリットとデメリットを簡潔に教えたのだ。
「……そろそろ山脈を越えたかな」
「まさか、山を飛び越えるなんて思ってもみなかったわ。忘れられない思い出ね!」
「い、いつ落ちるかも分からないですけどね……えぇぇ!」
「大地の民としては、空の旅はむず痒いな」
決して下を見ないようにするブロフに、システィリアは尻尾をゆらゆらと左右に振りながら、煽るような口調で言った。
「ふ〜ん、ドワーフは高い所が怖いの?」
「……ああ。賢いからな」
「負け惜しみかしら? 狼はそんなことしないわよ?」
「負けたら腹を見せるから、か?」
「ぐぬぬ…………!」
珍しくブロフの勝利で終わりそうなところに、エストの追撃が刺さる。
「システィは、負けたらしょんぼりするよ。こう……子犬みたいな、なんとも言えない表情になるんだ」
「ちょっとエスト!?」
「ハハッ、それはオレが悪かったな。子犬か」
「凄い……あのシスティリアさんが大敗北?」
空の恐怖はどこ吹く風か、賑やかな馬車に戻っていると、1時間と少しの空の旅が終わりを迎えた。
街道の手前で馬車を降ろせば、エストは外に出て杖を振る。
空間把握で常に対象の位置を捉えながら、山脈の方へアルバフロフトを飛ばし、感知されないほど遠くに行かせてから
少し待ち、再び襲ってこないことを確認すると、馬車に戻ろうとするエスト。
しかし──
「危ないッ!」
馬車から飛び出して来たシスティリアに激突された。
後ろへ吹っ飛ぶエスト。
「エスト、大丈夫? 怪我は無い?」
「それは僕のセリフかな。君の尻尾と左足……食いちぎられてる」
じんわりと広がる血の池の上で、平気そうな顔をするシスティリア。治療しようと馬車から出るライラをブロフが止めると、その影は姿を現した。
木々に溶け込むような葉の色をした体毛。
四足で駆ける速度は風の如く、鋭く素早い牙の一撃は、見えない斬撃の様である。
エストよりも僅かに高い位置にある剥き出しの牙には、システィリアの赤い血が付いていた。
「狼……ふん、アタシがやるわ」
「……援護するよ」
エストの魔力感知よりも速く接近したその魔物は、ウィンドウルフ………その上位種。
風の狩人こと、ウィンドベネートだった。
「ツイてないね。本物のAランクが来るなんて」
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