第7話 日常とお友達 4
騒ぎが起こったのはその日の夜だった。
あれからフローリカ達一家は夕食を共にして泊まっていくということになった。
なった、というよりも多分その予定だったのをスサーナが後で知った、ということなのだが。
スサーナはとても喜んだ。なんとなく打ち解けられそうな雰囲気が漂ったところで叔母が呼びに来たために友人への一手を掛けそびれていたのだ。
一緒に食事。夕食の後の自由時間。もしかしたら一緒のお風呂。流石に眠るのは家族で一つの部屋なのだろうが。
チャンスはいくらでもある。打ち解けて――せめて、夜着をスサーナの持っている中で一番フリフリして可愛いやつを借りてもらわなくてはならない。
「ふふ、収穫収穫……フローリカちゃんはオムレツとカラマリフライが好き……」
そして、甘いものはなんでも好き ! スサーナは夕食の時得た情報を反芻しながら夜の中庭に出ようとしている。
時間は夕食後。客人が来たために浴場の石の浴槽に湯を入れるとおばあちゃんが言うので――普段はたっぷり浸かるのは珍しく、大きめのたらい一つ程度のお湯をそれぞれ使うことが多いのだ――スサーナは風呂桶にうかべるためのジャスミンの花を摘むことにしたのだ。
夜気の中、中庭の底に渦を巻いて花の香が積もっているようだ。モッコウバラ、くちなし。名も知らぬバニラに似た香りをさせる蘭。そしてジャスミン。
大人の男女はこういうときを選んで中庭で愛を囁きあうものだそうだが、6歳のスサーナには縁がない。……付け加えるなら紗綾にも別に縁はなかった、はずだ。今も昔も色気より食い気、恋愛よりも友情である。
無いとは思いつつも、一応人の気配を探ってから中庭に踏み込んだ。
踏み台に乗り、ジャスミンの大きな茂みから花を摘む。花を丁寧に一つずつ
「蜜菓子とシロップ煮はいろいろ見たことはあるけど、ふわっふわのケーキはないかな……? どっしり系ばかりな気がしますし、そういえばホイップクリームもない……気が……」
ぶつぶつと呟き、腕組みを仕掛けた瞬間に花籠を取り落としそうになり、急いで持ち直す。
島の菓子はチートが無理そうだなあ、と思う程度には豊富だが、基本的には飴菓子系か日持ちのするどっしりした焼き菓子だ。そしてシロップに浸けたり糖衣をかけたりするものがメジャーなため、だいたいしっかり甘い。実際食べるときには酸味の強い果物のシロップ煮なんかを付け合わせるので気にはならないが。
空気をふんだんに含んだ、イチゴなどを乗せれば自重でへしゃげるような、生地の甘味がうっすら穏やかな淡雪のようなふわふわケーキ。アレが作れればきっとフローリカの歓心も買えようし、知識チートで食の歴史に名を残す!みたいなのにもなれたろうに。スサーナは最近すっかりご無沙汰だったいまここに知識チートがあればモードになってぐぬぬと歯噛みをした。
ああ、こんなことなら料理教室に通っておくんだった。簡単なクッキー程度ならそらでも焼けるが、残念なことにこの世界には普通にクッキーがあった。
「……あとレシピなしでも作れるケーキ…… 高校の時ひたすら焼いていたシフォンケーキぐらい……? ……! シフォンケーキ!!!! シフォンケーキはいけるのでは?」
たしか1900年代以降に出来たレシピだと聞いたことがある。新規性高そう。ふわふわ。材料は多くない。きっちりした計量を旨とするお菓子の中では多少の誤差を飲み込む程度の柔軟性がある。そして、この世界には、サラダ油として運用できそうなぶどう種のオイルが存在する。
万歳!と花籠を投げ出し、当然ぶちまけられてそこらへんじゅう散らばる花を目視して、すとん、と落ち着いた。
「あああーっやっちゃった……もったない……」
そして籠を拾い直して花を摘み直しつつ、どんどん落ち着いたスサーナは
「とはいえ、多分ハンドミキサーがないと厳しいレシピですよね……オーブンの温度もたぶん一定に保たなくちゃいけないだろうし……ううん」
ぬか喜び要素にばかり思い当たる。チートは一日にしてならず、とため息一つ。
「いちおう……なんとか……試してみて…… あっ厨房、厨房借りられなきゃ話にならないじゃないですか……!!」
根本的問題:6歳児は厨房を自由に使えない。
スサーナの家の厨房には薪オーブンがあるが、当然6歳児が切り盛りできるような造りではなく、実際に料理を始める前にはオーブンの開け口に頭を突っ込んで中の薪を調整し、燃え具合を見て足し、炭の配置を直すというような作業が必要である。結構な重労働であるらしく、日常的に火を入れているとは言い難い。
さらに言えばもっと取り回しの楽な調理かまどもあるが、大きくした四角い七輪のような代物で、はっきり言ってケーキを焼くにはまったく向かない。……そして、それですら6歳児には使わせてもらえるような代物ではないのだ。
つまるところ現代のキッチンのように気軽に使える場所ではなく。
さらに言えば日常的にパンやケーキを家庭で焼くことを想定されていない。
「ううっ、パンを焼けるのは神殿だけって聞いた時に思い当たっておくんだった……!」
スサーナは頭を抱えて悲しみ、機械技術の発展を心から祈った。
そんな折。
「フローリカ!」
ぱたぱたとやってきた誰かが呼ばわる声。
その声のどことなく切迫した響きにスサーナは振り向いた。
「ブリダ。」
「あっ、お嬢さん!フローリカを見ませんでしたか?」
「いいえ、見てないです。どうかしました?」
「その」
少しきまり悪気な目線。
「ワガママを言って、ニコラスさんに叱られて部屋を飛び出しちゃったみたいなんですよ」
「ええっ」
仰天するスサーナ。
「い、一体なんでそんな事になっちゃったんですか? 夕ご飯のメニューが合わなかった? も、もしかしてフローリカちゃんに届けさせてもらった夜着が趣味じゃなかったとか。」
「私も詳しく聞いていたわけじゃないんですけどね、なんだか引っ越したくないって言い出したそうなんですよ」
「ああーーーっ」
同席すればよかった!スサーナは悔やんだ。
6歳児が冷静に自分の要求を伝えられると思ったら大間違いだ。そんな事わかっているべきだったのに。
さらに言えば譲歩した形を自分から出す、とかそんなこと出来ようはずがない。
一旦言葉にしてしまったら感情が高ぶってしまう、っていうこともあり得た。いや、いま思えばそうなって当然なのだ。
だって6歳だ。6歳なのだ。
スサーナはわかっているつもりでも自分が本当になんのまじりけもなく6歳だったときの感情をすっかり忘れているということを意識する。ついこの間のことなのにあまりに遠い。
6歳というのはこどもなのだ。圧倒的に、幼いこども。
「わ、わたしも探します」
「お嬢さんは落ち着いて、あら」
別のお針子が中庭を覗きに屋内から姿を見せる。どうやら皆で探しだしてくれているらしい。ありがたい、とスサーナは思う。
「ブリダ。見つかった?」
「ああマノラ。いいえ、まだなのよ。」
「どこ行っちゃったのかしら、外に出ちゃったんじゃなきゃいいけど」
この街は諸島の中でも比較的治安が良く、そのなかでも館の建っている、商業地域に隣接した場所は上の方だ。それでもやはり商業地域を港の方へ目指して行けば猥雑な場所もあるし、気の荒い水夫たちがたむろする通りもそこまで遠く離れているわけではない。港のとくに下卑たあたりの裏通りには非合法なものを扱う店もあるという噂もあるし、ヤミの人買いの噂もある。
だいいち、一番安全なあたりにいたとしたって、6歳の子供がひとりでこの夜にうろついていていいはずがない。
それに。
お針子たちがささやき交わす言葉に、気が気でないながらも耳をそばだてたスサーナは思う。
――やっぱり日本の治安みたいというわけにはいかないんだ。
家の中と中庭で本格的に世界が完結しており、外に出た記憶は記憶が戻る前から数えても両手の指で足りる、という状態のスサーナはこの世界の治安についてはよくわからない。でも、世界で一番治安がいいとか言われていた日本の夜道でも6歳の子供がふらふら外に出ていたら何が起こるか――それが犯罪以外でも――わからないのだ。いわんやファンタジー夜道をや。モンスターがいる、などということはまだじつは聞いたことがないのだけれど。
「どこかの部屋で泣いてるとかならいいんですけど……」
「ああお嬢さん、ええ、ほんとに。」
「ご心配でしょうけどみんなが探してますからね。いい子で待っててあげてくださいね」
ひとりごちたスサーナに、あまり良くないたぐいの噂に逸れだしたお針子二人は顔を見合わせて言い、また捜索に戻っていった。おそろしい噂話など、小さな子供に聞かせるものではない。
「ど、どうしよう」
スサーナはとりあえず花籠を台所においてくることにする。それから二階の自室の方を探してみよう、と思った。衣装棚の中とか、ベッドのしたとか、巻いて留めたカーテンの内側とか、6歳のこどもでなければ思いつかないところに隠れているかもしれない。もし見つけたなら慰めて、ニコラスさんのところに行って……なんとかして取り持てたらいいんだけれど。
ぱたぱたと走る廊下で、幾人もの家人とすれ違った。
「フローリカー! 出ておいで! よそのお宅に迷惑をかけてはいけないよ! フローリカー!」
叔父に付き添われながら、困ったように呼ぶニコラスさんにも。
「フローリカー!」
イルーネさんの心配そうな声は、台所の方からだ。
――ちゃんと家の中にいればいいんだけど。
みんな探しているのに見つかってないんだ。じわっとした不安が胸に湧いた。
どうか、二階にいてくれればいいんだけれど。スサーナは祈るように思っていた。
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