第142話 お門違いな悲憤慷慨 1

 それから2日。気をつける、と言っても高層階の窓に近寄らなければいいんだろうか、と軽く悩んだスサーナは、とりあえずミアの騒ぎが起こる前の生活パターンに戻していくことにした。

 どっちにせよ腕にお守りが付いている以上肉体的損壊は不可能なような気がするのだ。

 スサーナが貰った護符を信頼する度合いは結構なものである。



 昼にお嬢様達のところに行った所、どうもあの場にいたらしい下級貴族が驚愕の表情でぴゃっと距離を取ろうとして長机の上にあった羊皮紙を叩き落としてしまったので苦笑したスサーナは拾うのを手伝った。


「ええと、はい、どうぞ。とりあえず纏めただけなので、順番とかありましたら申し訳ないですけど直しておいてもらえると。」

「ひゃいっ、も、申し訳なく思っておりますわ」


 怯えた表情で近寄ってこないので、わあ、よほどあの時のショックが大きかったのかと思う。まあ、いきなり最高に位の高い人間が制裁現場に現れて相手を擁護したらそうもなるかとスサーナは心中を想像して同情する。それは怖い。とても怖い。


「……ええとあの、先日いらした方ですよね。ご覧になったとおり私はおまけなので、ええと。ミアさんに酷いことをされるのは良くないと思いますけど、それ以外はあまりお気になさらずいてくださいますと……」

「それは…… あのう、ミランド公のご後援を受けておられるとか」

「ああーえーと、専門技能がある平民生徒は上位の貴族の方々がご支援くださっているそうなんです、毎年。ええと、そういう程度の縁でもお気にかけてくださる第五王子殿下は本当に素晴らしいお方ですね」


 広い意味では嘘ではない。一昨日そういえばミアも後援を受けているような嘘は良くなかったのでは、と言ったスサーナに大まかに言えば間違っていませんよと言い放った王子様の言い分がこれだった。特待生に対する支援は入学してすぐは地方割で、どの子供にという形になるのはある程度才能を見てからになるそうだが、偶然ミアもミランド公由来の支援金の範囲だったということで、それを力強く膨らめたらしい。

 スサーナのやつは国際問題巻き込まれ賠償案件だと思われるので色々違うのだが、よくわからない期待をされるより一律それで言い張ったほうがいいというスサーナ全力の小賢しい判断である。


「! ええ、とても慈悲深いお方で、わたくし達下級貴族にもよく目をかけてくださいますの。おわかりになってくださって嬉しいわ!」


 一転顔を輝かせて言葉に力がこもった少女に、スサーナはああーこれは推しに対する人の反応だ、と思った。

 ――そこのファン兼任でしたか!

 いきなりにこやかになった彼女に見送られ、お嬢様達と合流する。


「スサーナさん、あまり滅多なことを言わないほうがよろしいですわよ。先々どのような立場になるかわからないのでしょう?」

「ええ、スサーナ。一昨日、お顔を合わせられたのですよね? ……何かおっしゃられませんでした?」

「え、何かまずかったでしょうか? ああまあ、良くはないですよね。節度を保った距離に居る方が後々不公平感が出るようだと。 ……あ、はい。演奏室にいらしていて。お友達が少ないのでお友達にという事を仰られていました。お嬢様方も近いうちに呼ばれるのではと……」


 スサーナは少し首を傾げ、それから納得した。いかにも距離が遠そうなことを言っていたのにちょっと嘘っぽくなるのはちょっと良くないかもしれない。推しのお友達になれるというのはファン的には明らかに大きなやつだ。

 スサーナとしては実のところさほど大嘘ではないつもりなのだが。


「お友達……」

「お友達ですか……」


 釈然としないようないわく言い難い表情をしたお嬢様達二人はまた彼女たちだけで目を見合わせ、しばらくなにやら囁きあっていたが、待っていたスサーナがええとパレダ語の単語はいいんでしょうかと言ったので、大人しく次の時間の予習に入った。


 そして放課後。演奏室に行くつもりはさらさらないスサーナはお嬢様達の明日の予習分を済ませると一旦教室に戻った。

 なんというか、出生の秘密というと大袈裟だが、自分が鳥の民かもしれないということは忘れていないスサーナだ。


 まさか学院に入れるからには身元調査その他をしていないということはないと思うし、混血でもやっぱり外聞は悪い要素のはずなので、何も言われていない以上混血ということすらバレていないと推理できるということになってしまうのだが、もしバレて、その際に王子様に関わっていたりしたらとても問題になりそうで冗談じゃない。


 下級貴族のセルカ伯は口を拭って知らん顔していられるライン、と言ってしまうとアレだが、おばあちゃん達がリスクを考えた上で看過できると判断したラインのはずだ。もしバレてもレミヒオを雇っているぐらいだしさほどの問題にはならないだろうと思う。もしかしたら混血かもとわかって知らんぷりしている可能性もある。

 しかし王子様のご学友ということにもなると漂泊民関係者とかはいてはいけない要素扱いなのではないかとスサーナは思う。王子様を謀った罪とかで処刑されたりするのはよくない。


 調査結果は知りたいし、知らなくてはいけないような気はするが、それはミア経由でだっていいはずだし、もしかしたらこれで終わるかもしれない。

 それに今後はテオ達がミアの身辺には気を配ることだろう。


 昨日、また演奏室前に居て顔を合わせたレオ王子は、学院側にも事件のことは伝えたと言った。

 そして、どうもスサーナとミアが揃ったことがちょうどよかったらしい。その後お久しぶりのラウルさんが現れてミアとともに事務棟へ伴われ、応接室のような作りの部屋で事件についての証言を聞かれた。

 一昨日、寄宿舎に帰ったあとでネルが目撃者だと知らせたくないとそっとミアに伝えてあったため、そのあたりはぼかして先日あったことを証言したのが、なんだかとても職員の人が気がない様子で、聞き取りもなあなあな感じだったためにぼかした部分に深く突っ込まれることもなかったのだ。


 どうも、こういう事――普段は転ばされたり服を破かれたり止まりだが――は毎年あるらしい。

 起こったことが過激なので調査はするし、どうもテオや王子様、身分の高い方々が要請したため――それと、流石に未遂とはいえ人が死ぬ行為までいくと学院の独立自治の範疇外のため――市内から特別に警吏やら騎士を入れて調査を許すということになったらしいが、正直毎年あることだというような事を言われ、調査をするという態度を学院側が示すとたいてい収まるので心配いらないとやる気のなさそうな職員に言われたため、スサーナもまあそうなのかなあ、と納得している部分はある。


 その後で聞いてみた感じ、テオもアルも、レオ王子まで、なんらかの陰謀にしてはいきあたりばったりに過ぎるし手ぬるい、と口を揃えた。


「何かの脅しか牽制にしても僕らは正直「なにもやってない」ようなものだし。僕らを牽制して止まるものがない。それにそれなら脅迫状の一通も届いていいはずだしね。」

「ミランド公側の何かということも有り得るんでしょうけど……あの人はいつでも何か抱えているので、牽制されるタネはあるといえばいつでもあるんですが。それなんですよね。何の通知もない。何かあったら注意喚起ぐらいはありそうなものです。」

「まあ、私をどうにかしたところでミランド公には何の影響もないですよねえ」

「そうとも限らないんですが……まあ、普通ならもっと先に突付きたいだろう場所は沢山あるのも確かです。」


「目的が、僕らが、なにか行いをすることなら、影響が少なすぎますね。僕らの年では『お手付き』も公的に出来ないですから、大義名分に薄い、です」

「アルさん御自分が仰ってることの意味はわかっておられますか」

「? 何か用語が間違っていましたでしょうか?」


「レーナの差金だと思わせてテオや僕らと仲違いさせるつもりだった、という考え方は出来ますが、それで得ができるかもしれない派閥はいないでもないですが、それにしてはあまりにも杜撰なんですよね。するならもっと簡単にそれっぽくできるのだから、それが目的ならやっていてもいい。あまりに唐突なんです。」


「言葉は悪いんだけど……ミアでもスサーナでも平民だから。いくら僕らが怒ってもすごく大きな問題に出来ることじゃないし。成人前の僕らが出来るちょっとしたことで大きな得を出来る人が今いるかって言うと……」

「僕達の行動で変わった部分というと、学院内に騎士と警吏が入るぐらいなものですけど、それがしたいなら教授の私物を盗難するなどの行為で確実ですから……」


「ね。しかも花瓶はね。二人がそこにいたのも毎日のことじゃなくて偶然でしょ? 三階は人がいたりいなかったり。新入生事務の受け付けがあるから出入りは比較的多め。あの日の放課後の時間帯に人が途切れたのも偶然。三階に重い花瓶で花が飾ってあったのも偶然。……無い日もあるんだって、花。」

「それは……確かに陰謀みたいな緻密な計画だとしたら変ですよねえ。」



 というわけで、陰謀ということはあまりなさそうで、かつ演奏室にはレオカディオ王子もいそうだと学習した以上、もう行かなくてもいいんじゃないかと判断する。


 出来る限り接触を減らしていくつもりのスサーナである。接触できそうな場所はさほど多くはないのでそこを避ければなんとかはなりそうだ。

 王子様を避けるなど不敬だという気もするが、演奏室に来るようにと命じられたわけでもなければいつ会おうと約束したわけでもない。顔を合わせたときに遊ぶ友達というのは存在するわけで、そういうものだと言ってもさほど問題はなかろう。



 教室に入ると男子生徒がひとり残っていた。

 長机の下のところにかがみ込んで何かをしていたので、何の気なしに声を掛ける。


「どうかしました? 何かお探しです?」


 スサーナが教室に入ってきたことに気づかなかったのだろう、わっと声を上げた少年は慌てた様子でスサーナを見上げる。

 商家組の男の子の一人だ。


「ああっ、えーと、名前、スサーナさん、だっけ。ミアさんのところには行かないんだ。」

「あ、はい、今日はいいかなって思って。」


 彼は膝を払って立ち上がる。


「ふうん、なんか大変なんでしょ?」

「あ、はい、なんとか落ち着きそうで……」


 言いながらスサーナはそういえば一昨昨日睨まれたのはこの子にだったなあ、と思い出した。行かないんだ、ということはスサーナが演奏室に送り迎えをしていたのを把握していたのか、と珍しく思う。


 教室に掲示された連絡事項を確認して蝋板にメモをする。一通りメモを取り終わったところで彼が――名前は知らない――立ったまま自分のことを見ているのに気づく。


「あの?」

「さっきさ。ミアさん来てたよ」

「え、そうなんですか?」

「うん。戻ってきたら伝言してって言われてたんだよね。」

「そうなんです?」


 スサーナはすこしキョトンとする。普段はミアは演奏室に行ったらそのまま寄宿舎に帰るのだ。スサーナもその時次第だが教室に戻って掲示を確認することは少ない。

 明日は休前日にたまにある、授業時間が短い日で――変則的だが前世の土曜日程に近い――教室に掲示される連絡事項が多く書き忘れがある気がしたし、明日図書館に行こうと思い立ったために開館時間を確認しようと思ったこともありスサーナは戻ってきたに過ぎないのだ。

 ミアは一体何を思って戻ってくるかどうかわからないスサーナに伝言なんか頼んだのか。スサーナは不思議に思いつつも先を促す。


「あ、もしかしてそれで居残らせちゃってました? すみません。ええと、伝言ってなんなんでしょう?」

「うん、実はね。……貴族の女の子たちに呼び出されたから行ってくる、って。」

「え」


 スサーナは目をしばたたいた。

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