第143話 お門違いな悲憤慷慨 2
「まさかそんなはずは……」
スサーナは忙しく考えた。
まさか先日あれだけドラマティックな介入をされておいて、更にミアにヤキを入れようという根性が彼女たちにあるだろうか。
いや、あるかも、あるかもな、ファンクラブってファンクラブだから。
ああいや、他の個人、あの場に同席しておらず眼の前で王子様の介入を見ていない誰かが同時多発的に動いたということもないでもないのか。
平和な方の出来事なら、改心した貴族の少女たちがお近づきの印にミアをお茶に誘った、ということも無いとは言えないかもしれない。
とはいえ、それならわざわざ伝言していくという気はしないし、良くない想定に寄せたほうが後々安心だろう。
「ふーん、そんなはずはって言えるんだ。」
「ううん……いえ、言い切れるかって言うと言い切れないですね! ありがとうございます。どちらに行くと言っておられました?」
飛びついたスサーナに、男子生徒はんー、と言いながら自分の顎を撫でた。
「スサーナさんってさぁ、昼とかいつも居ないけど、学内巡りとかした? 内部詳しい? クラスで学内回った時に居なかった気がするんだけど。」
「うっ……オリエンテーションは参加してましたけど、それではなく……? 昼休みにやったんです? ええと、オリエンテーションで回った施設と北棟と西棟ぐらいはなんとか解るんですが……」
「ふーん、じゃあ口で説明しづらいところだから案内する。こっちだよ。」
「ありがとうございます!」
スサーナは勢いよく頭を下げた。
事務棟には貴族は立ち入らず、花瓶を落としたのは男性だろう、と聞いてはいたが、スサーナはクラスの男子は流石に疑っていなかった。
なにしろ、動機が思いつかない。接点が薄いのだ。大人しく授業を受けて休み時間はほぼ消える自分と、昼はまだ居るものの放課後にいないミア。
貴族と平民ほどの感覚的断絶はないものの、商家の子たちは寄宿舎の子たちをまだ貧乏人と侮っているし、そのせいもあって少し距離が空いていてそれぞれでグループを作っている感じなのでなおのこと会話をする機会も多くない。女子は人数の比率に大差があるので話す機会も増えだしたが、男子は全然だ。ノートを回すぐらいが精々で、それも、それで恨まれる要素になるとは思えない。
貴族でもなければ顔見知りぐらいに見慣れた無関係の人間に生命に関わることをするのはそれなりに動機が必要だとスサーナは思っている。
男子生徒の後をついて一階に降り、外に出る。
成長期らしくひょろっと背が高い彼はコンパスが長く、早足でずんずん歩くので離れずについていくのに少し苦労した。
「こっち……ですか?」
「うん。ここ抜けると近道でさ」
「ああ……?」
学院の建物が多い方ではなく自然環境が残っている方よりにどんどん進んでいくのでスサーナは一旦足を緩めたが、思い返してみれば貴族の女の子たちが最初にミアを詰っていたのも図書館への近道の森の中の遊歩道だ。
森の中を抜けるルートに入り、獣道みたいな踏み固めた道筋を歩く。
――これ、もう春で明るいからいいですけど、冬場で日が落ちるのが早い時期だったらちょっと怖いシチュエーションですよねえ。
学内敷地で管理されているらしい、とはいえ、結構森は深い。
前を歩く少年が明らかに目的地のある動きで歩いているのが救いだ。
それなりに歩く。
「ああ、あの中なんだけど」
少年が指さしたものを見てスサーナは目を見開いた。
「え?」
戸惑う目をした彼女に少年は一つ息を吸って、勢いよく言う。
「あの中、部屋みたいになってるんだよね。図書館のほうにも似たようなのあるけど。人目につかないから色々使われるって先輩に教えてもらったけど。誰かに聞いてない? 例えばさ、内緒話とか、……いじめとか?」
彼が指さしたのはまるで大きな泡か純白のマッシュルームが生えでたようなものだ。
サイズは家族用のテントほど。
建物、と言い切るのにも悩ましい佇まいだが、扉があるので人造の建造物らしいと判る。メルヘンと言えば言えるかもしれぬ。
――確かにそんな話……あー、それっぽい話ありましたね。興味がなかったから聞き流してたなあ。
スサーナは女子会で確かに「図書館側にあずまやがある」という話を聞いていた。
上級生が逢引をしているらしい、という話の一環だ。
しかし、それがあんなものだとは予想だにしない。
スサーナが戸惑った理由は場違いなメルヘンのせいではない。丸いそのなにかの壁、建材に見覚えがある気がしたのだ。
真っ白の磨いた角材か輝石のような硬い光沢の何か。スサーナが人生で数度目にした島の結界の起点地と、魔術師の塔の建材はみな同じようなもので出来ていた。
眼の前にあるものは、色といい質感といい、どうにもそれに似ているような気がした。
「あの中、ですか?」
「うん、行ってきなよ。色々あるだろうし? 俺邪魔しないからさぁ」
建材がどうあれ、学生が日常使いしているというなら仕方なく、中にミアがいて、貴族女子が居て、場所柄平和なお茶会ではなさそう、ということになると行かない選択肢はない。
まあ、なんとなく怪しかろうが、万が一火サスのごとく後ろから花瓶でぶん殴られたところで腕にお守りが付いている限りなんということもあるまい。中にいる貴族女子が万が一武装していたとしても同じことだ。
スサーナは景気づけに袖の中に仕舞ったお守りを撫で、それからそっと扉の取手を握り、押し開けた。
「……ミアさん?」
声を掛けるが返事はない。中は、これまで見てきた起点地などとは違って窓があり、自然光が差し込んでいる。それなりに薄明るいが、十分な光量という感じではないが、体育倉庫系のいじめは薄暗いのがセオリーという気もするので判断はつかぬ。
扉の後ろから覗き込むような恰好からもう少し扉を開ける。
中は静まり返っていて、人のいる気配はしない気がする。
「だれもいない……?」
――もしかして移動した?
そう思った瞬間だった。
ドンッと力強く背中を押される。前傾姿勢だったせいで踏みとどまることは難しく、中へ数歩まろびこむ。そこで後ろをむこうと意識しながら踏みとどまろうとしたスサーナは、踏み出した足元に床がなく、体重が掛かった足が空を切ってバランスを崩した。変に後ろを向こうとしていたせいで体を捻りながら虚空に全身でダイブした事をなんとなく察していた。
落ちたのは多分2mほどだった。
その程度の落下でも有能な護符はしっかり働いていて、どういう仕組なのかはいまいち判別がつかないが、落下の衝撃は殺され、肩を強く打つということはなく済んだ。
身を起こして座った姿勢になる。すぐにうす青い光は消え、周辺が薄暗くなる。
護符のおかげでふわっと落ちたせいで擦り傷一つ無い。おかげで痛みに気を取られることもなく、少々焦りながらも考える。
――今のは多分、あの子ですよねえ。
まさかクラスメートは流石に疑っていなかったんですけど何なんだろう、と考えかけたところで扉から彼が入ってくるのがわかる。扉の向こうは午後の日が明るくて穴の中を覗き込んだシルエットが黒く見えた。
「うわ~、図書館のとこと作りが似てるから油断してくれるとは思ってたけどめちゃくちゃ上手く行ったわー。」
興奮半分、わざと高音を張ったの半分みたいな鼻にかけた声。
――いええ、図書館の方も知らないのでそのせいというのも違うんですけどね!
スサーナは反射的に思うが全く自慢できる要素ではない。
「なんのおつもりなんです?」
声を上げたスサーナに、クラスの男子はすこしイラッとしたような口調になった。
「なにって、怖くないの? しばらくそこで反省しろよ。そのうち誰か見つけてくれるんじゃないの? 夜はまだ寒くなるらしいし、魔獣が出るかもしれないけど。」
「反省って……なにを反省すれば」
「わかんないフリ? あーバレてないと思ってる? ミアさんいじめてんのお前だろ! 前から貴族共と仲良くしてたのバレてないとでも思ってんの? お前が手引きしたんだろ、お前が蝙蝠だってことはわかってんだよ!」
「……は?」
声を荒げた少年に、刺激してはいけないなあと思いつつも人生最大級のは?が出たスサーナだ。
「ええと……誤解ですよ?」
叫ぶでもなくむしろ穏やかに聞こえる声が出たのはあまりに頓狂なことを言われたために反応が追いつかなかったためだ。正直もし自分の前世が関西の人間であるなどすれば反射的にツッコミを入れていたかもしれない。などとスサーナは思う。
「なにが誤解だよ。付いてきたの、自分がハブられてミアさんいじめやってると思って気になったんでしょ? 貴族の女たちに媚びへつらっといて仲いいフリとかホントムカつくんだよ。ミアさんは優しいからお前のこと疑ってないんだろうけど、お前が貴族の取り巻きやってんのはすぐわかんだよ!」
ええー、となる。ミアは貴族女子にいじめられている。なるほど正だ。スサーナはお嬢様達の侍女である。なるほどこれも正だ。しかしそこをイコールで結ばれても困る。
そりゃすぐわかる、と言えばお嬢様達がクラスの皆の前で宣言したのだから明らかな話である。隠れている要素は一切ない。それなのにそんな風に勘ぐられるのか。
――ええとー、これどうすればいいやつなんです?
スサーナは遠い目になる。この手の誤解を解くのはそれはそれは難しそうで本当に困るのだ。
この少年は明らかにミアのことが好きなんだろう。そうスサーナは理解する。彼女を守りたいという思いは立派だが、明らかに矛先がずれている。まあ、貴族に矛先を向けられてもとてもひどいことに――彼にとって――なりそうで、それもそれで困るのだが。
――恋は盲目ってやつなんでしょうか、ああもう、ミアさんが偶然ここを通りかかったりしませんかね!
スサーナはやぶれかぶれで思うが、流石にそんなことは起こり得ようがない。行動半径内だった図書館側の森とは違い、ここは結構離れた場所だ。
「ええとー。えー、それでこれは制裁……みたいな……? ええーと、花瓶落としたのももしかして貴方で?」
「そうだよ! なんなの? あんな所であんなもん読み返して。楽しいわけ? あーくそムカつく、ミアさんがどういじめられてるかメモとか取りやがって、頭おかしいだろ! なんだよ、あれ読んで喜ぶのかよ、貴族の女が! ほんっと気持ち悪いわ!」
――ああー、疑われそうな要因は一応あったってことですかねえ……。それで後先考えずに激昂して手近にあった花瓶を、というような感じですか。ううんどうしたもんか。
ミアがどんな目に遭ったかという日記はテオとアルに説明するためのものだったのだが、怪しいと思って見た場合、なにやらサイコパスめいた所業に見えたというわけか。
特に何も考えず、数回は教室で取り出していたし、屋外で何かあったあとはその場で書いたこともあった。彼が目にする機会もないでもなかったことだろう。
テオとアルが見やすいように美文や島言葉の混じった文章ではなく、わかりやすい平易な文で書いたのも状況を考えるととても悪かった。実に読みやすかったことだろう、とスサーナは思う。
この世界ではあまり被害記録を取り続ける、というような事は一般的ではないため、その行動は誤解されるに足る非があると言われたら何も言えない。
「いえあの、そういうものではないんですけど、えーっと、花瓶を落としたのは良くなかったですよ……当たったら人死にですし、ミアさんに当たる可能性もあったわけですし……」
「は? 何偉そうぶってんの? お前が悪いんだろ!」
叫んだ少年に、うん、ちょっと話の運びは悪かったね!とスサーナは首をすくめた。
とは言うもののどう説得していいものかよくわからない。
――いやうん、えー? ほんとこれどうしましょう。
一番いいのは第三者による冷静な説得だが、この場にはそんなもの居るわけがない。
――私が飽くまで違うと言い張っても信じなさそうな気がするしなあ……。
スサーナが悩んでいると、クラスメイトの少年は怒りの籠もったぜえぜえという呼吸をし、少し落ち着いたらしい。嘲りを声に出そうと最大限頑張った、という声音でハッと笑い、胸を張った。
「まあいーや。今日はいいタイミングだったよ。机に細工するより絶対こっちのがいい。神々は見ておられるんだよな。……そこで精々自分のやったことを泣きながら反省しろよ。こっちは全然人来ないし、見つけてもらえるの、明日とかになるかもね。奥の方だし魔獣いるかもしれないけど、齧られても自業自得だよな」
言い放つと背を向け、すごい音を立てて戸がしまる。ものとしては引いて閉めるタイプの扉なので、少しスサーナは少年の肩が心配になったりもした。
――開けとけば魔獣が入ってくるか余計心配になりそうなところを、そう言いながらドアを閉めてくれるんですから基本的にはいい子と言う感じも……いや、でも魔獣居るんですかね。本土なんだからいるのか。見たこと無いから多分このあたりにはいませんよね……? いや、居てもお守りがあるか……。
遠ざかっていく足音を聞きながらスサーナはため息を付いた。
――難儀だなあ。
魔獣も怖いには怖いが、人間関係というやつもげに恐ろしい。
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