第141話 触らぬ貴族に祟りなし 8
それから半日はスサーナ的に比較的平穏だった。
王子様を目視したものの、特に声を掛けられることもなくうまく上位貴族の少女の怒りを削いでくれただけで去っていき――つまりやってきたこれは上に立つものの心意気というやつだろうかと少し感心した――特になにかあるというわけでもない。
二時間目の途中にそっと教室に入っていった所、戸口付近に居た生徒に力いっぱい舌打ちされ睨まれたのがだいぶ申し訳なかったことが記憶に残っているぐらいにその日のその後の授業はいつもどおりだった。
昼に合流したお嬢様達が、決死の覚悟で上位貴族の教室に侵入しことを知らせてくれたのだと教えてくれたので、スサーナは感謝の気持ちとともに厚く御礼を言う。
「いいのですわ、スサーナさんは私達の侍女ですし? お友達でもありますし」
「ええ。当然のことをしたまでですもの。」
彼女たちといい関係を持てたことに感謝したスサーナである。
それはそれとして、昼休みの終わりに曖昧に目配せしあったお嬢様達に妙なことを聞かれてスサーナは首を傾げた。
「……でも、呼んで良かったのかしら。まさか……本当に……ねえ。」
「ええ、正直、あちらが本当に動かれるとは……。レミヒオが可哀想かも……」
「レミはレミだからいいとしても……ねえスサーナさん、恋ってしてらっしゃる?」
「はい?いえ、特には。…… さっきから何のお話でしょう」
「……いいえ、気にしないでくださいな。それならそういうことも……?」
「スサーナさんは気にしなくて構いませんわ。……ええ、まだそのおつもりと決まったわけではありませんし」
コソコソと曖昧につつきあいつつ首をひねりつつも何の話かをスサーナに教えてくれず、お嬢様達は二人だけで何やら納得して話を終えてしまう。
平民達の教室でもスサーナとミアが貴族の少女たちに連行されていったのは知られており、噂は野火のように広がってはいたのだが、放課後、渦中の人となったミアがさっと寄宿舎に戻ったあと。
なぜだかそっと目を輝かせた同級生の女子やらが寄ってきたのに聞いた所、「ミアが上位貴族の子弟に見初められたのに貴族の女子達が嫉妬してミアに制裁を加えんとしたが間一髪当該の貴族子弟や王子殿下に救われた」という少女大歓喜の恋愛小説みたいな噂に変貌しており、スサーナの関与は綺麗サッパリ些末事として切り落とされていた。
まあ、だいたい周りにいただけなのでさほど差異はなく、まあ噂自体もいろいろ非ロマンチックな事態を除けば間違ってはいない気がする。
というわけでミア本人にしてみれば迷惑でしか無いだろうエピソードを楽しく恋愛譚として消費している商家のお嬢さんをあしらいつつとりとめなくマシンガントークしていく彼女らの話を流し聞いた所、どうやらテオとアル、ついでに第五王子殿下にはファンクラブ的な物があるらしいという恐ろしい情報を耳にするスサーナである。
なんでも主に貴族のお嬢さんがメンバーで――お嬢さんたちの主流はそれは貴族なのだから当然なのだが――そのため、羊皮紙や顔料なども金を惜しまず使ったテンペラ画や羊皮紙スケッチの姿絵が出回っていると言う話である。
――うわあ、まあ皆さん美少年ですもんね……。接触したくない!
なるほど苛烈な反応をされたわけだ、あれは抜け駆け扱いということか、と納得する。
しばし。
「あの子かーーーー!!という思いはあるのよね。」
「あー、ねー。あの子平民クラスの男子にも人気あるし。やっぱり男って素朴そうな、普段見るのと毛色が違うタイプが好きかー! みたいな。」
ひたすら相槌を打っていた所、スサーナはなぜかよくわからないながら放課後の教室で開催される商家女子達の女子会に巻き込まれた。
なんとなく、仲良し二人組のうち片方だけモテちゃってあぶれた系女子、として同情されている気がしないでもない。
「ま、いい男そこだけじゃないし、まだ可能性はあるよー。というか貴族の女の子じゃなくても恋愛対象的にアリってわかった以上希望はもてた!」
「まだ一月だしね! 公子息ってあと二人ぐらいいるし、候なら10人ぐらい居たはずだよね。あと今年は留学生多いんでしょ? 他の人たちもカッコいいといいなー。」
「上の級にも顔と家柄を兼ね備えた素敵な人はいっぱいいるよね!」
――肉食系!
スサーナは盛り上がる女子達――あまり気取っていない口調で近隣の町のいわゆる成金商家の子たちと認識していた子らだ――に相槌を打ちつつ、なるほど結婚が目的だといろいろ考えることがあって大変そうだなあ、と感慨を覚える。
こんな年齢からそんな具体的に相手を見澄ましているのか。将来が関わってくることとはいえ、ふわふわした恋愛ではなくそうして実利を考えなくてはならないのは大変そうに思える。
「あーっでもいいなー! 理想の恋、したい!」
「わかる! 貴族との恋って言ったらさ、素敵な詩を囁かれたい!!」
「君を思って作ったんだよ……ってキャーーー!! 言われたい!!」
「夜ごと君を思って歌ったんだ……みたいなやつね!」
「あーっいいなーウーリ公って芸術に強いお家柄でしょ? 絶対巻物一巻分ぐらい作ってるよ……」
「異国の方はどうなんだろ。歌うのかな? あー王子様も凄そうじゃない??? 穏やかな方だって話だけどそういう人が情熱的な歌を読んでくれちゃったりしたらもう」
「あーっでも歌をお返しすることがあったら辛くない? 相手が凄ければ凄いほど辛そう」
「ご寵愛なら読めなくてもそこがまたかわいいとか言われちゃうんだよ! いいなあーーーっ!!」
……そうでもないかもしれない。
少女の憧れを流し聞きながら、
――リアルでも歌うんですか、詩。
スサーナはいきなり現世の恋愛に――もともとするつもりは更々無いが――期待が持てなくなる。
未だに恋愛物語の詩歌パートの必要性がよくわからないスサーナである。平安貴族的な用法ならまだしも長いやつを相手に渡すでもなく歌い上げる(相手に渡したり聞かせることもあるが少数派だと思われる)アレは、詠み方は理解したし技巧として鑑賞する楽しみも理解はしたが、いまいち感動どころがわからないのだ。
彼女としては山鳥の尾が長かったり玉葛が長かったりするほうが未だに親近感がある体たらくである。
――眼の前で目視したら笑わないように努力する必要があるかもしれない……
スサーナはなんとなく遠い目になった。
乙女たちになんらかのエネルギーを吸い取られたような気分がしつつひょろひょろと寄宿舎に戻ったスサーナは、物見高い先輩たちに捕まっていたミアに飛びつかれ、スサーナの部屋で強制お泊まり会と相成った。
そっと聞いてみた所、ミアは詩歌は曲の付いていないものはアウトオブ眼中だと判明し、ちょっと親近感を抱いたスサーナである。
次の日。もう不要かな、と思いつつも演奏室までミアを送っていったスサーナは、最近すっかり見慣れたテオとアルと一緒に王子様が居たりするのを目撃し、くるっと回れ右をしようかと悩んだが目が合ってしまったので諦めた。
何やら少し口をパクパクさせていたレオカディオ王子だったが、数回深呼吸をした後にスサーナの前まで進み出てくる。
「あっ、あのっ、おはようございます……ではなくて、ええと。夏ぶりですね……!」
正確には昨日ぶりなのだが、流石にそこに突っ込むほど非礼をしたいわけではないスサーナはあえて触れずに丁重な礼をした。
「第五王子殿下に置かれましてはご機嫌麗しく、何よりに存じます。あの折には大変な失礼を致しました。」
「いえ、あの、頭を上げてください。畏まらなくて結構です。どうか変わらずレオと呼んでくだされば嬉しいのですが。」
「いえ、流石にそのような……」
「あの、王子などと言っても僕などは臣籍に降りることが決まっているような物ですし。テオと立場は変わらないようなものなんです。アルのほうが本当は立場が上なぐらいなんです。彼らとは親しくお話をされていると聞きました。ですから……」
困った顔で言い募る王子様にスサーナはううんと一思案をする。確かにテオとアルとはミアが気楽な喋り方をしているせいで釣られてすこし荒い喋り方になっている部分はあった。
一応名前に様をつけるぐらいはしているが、それ以上のことは、アルが「敬称で呼ばれたり、難しい言い回しですと聞き取りづらいです」と言ったせいもあり、していない。
確かに近い立場の人間とは気楽な喋り方をするのに自分とはしないのはおかしい、と言われるとそれはそれで非礼なのではという気もするのだ。
「いえ、確かにええと、ミアの友人のよしみで親しく接していただいていますが、本当でしたらお二人にもそんなことは」
困った顔をしたスサーナにさらにミアから援護射撃が来る。ちょっと裏切り者ーとスサーナは叫びたい。
「本人がそうお話したいなら普通に話していいんじゃないかな? 偉い方々のことはわからないけど、お友達同士でならどう話してもおかしなことないと思うんだけどな」
「僕は今のほうが気楽でいいな」
「はい、友人とはそのようなものですね?」
「ええっと……」
袋小路に追い詰められた気持ちのスサーナに、きらきらと王子様から追撃が入った。
「お友達、いいですね。僕は親しく言い合える友人が多くないので、友達になって頂けたら嬉しい……と思います。また色んなお話を聞かせて頂けたら……」
ここでお断りできる平民がいたらそいつは心臓に毛が生えている。スサーナは思う。
一回身分を知らない時に親しく接してしまっているのでなおのことだ。
王子様である、という要素を除けば氷齧りの同士だとか海の話だとか、それなりに親しみを持った相手なのでとてもタチが悪い。
それでもスサーナは一応常識的な観点からもう少し抵抗を試みた。
「ですが、私のようなものにそのような物言いをお許しになられましたら、他の者たちに示しがつかないと貴族の方々が思われませんか」
「では、余人の居ないところならかまいませんよね?」
「ううん、それでしたら……」
唸ってから頷き、それからスサーナはいや待て、余人のいないところで話す機会がそれほどあるというのか、と気づいたものの、後の祭りである。
「良かった、きっとですよ。ではレオと呼んでくださいね。その、お友達……ということで、ええ。その、親しくしていただけると。」
ほっと表情を輝かせたレオカディオ王子に手を取られてちてちと振られる。どうやら握手のやり方は覚えていたらしい。
「ええと、じゃあ、レオカディオ殿下、流石にその呼び方はご寛恕頂けますと……テオフィロ様もアルトナル様もこのように呼ばせていただいておりますので……」
「二人共テオとアルでいいんじゃないでしょうか。いいですよね、ねえ?」
「僕はそれでいいと思うよ」
「僕も、それで問題がないと思います。」
「いえ、本当にご勘弁ください!」
即座に団結した偉い男子三人にスサーナはぴいっとなった。そんな事をしたら今度はうっかり聞かれでもしたらスサーナがファンクラブ的な皆さんから睨まれかねない。
スサーナはそんな恐ろしいことは心底ごめんだった。
「じゃあ、二人共が様なら僕も殿下はやめてください。いっそ他の方がいない時はお忍びだということにしてしまいましょうか」
「そんな無茶苦茶な……。ええと、ううん、わかりました。他の方がいないときだけですよ。では、レオカディオ様とお呼びさせていただきます。」
「はい!」
最終ラインをなんとか保とうとするスサーナから「レオカディオ様」までなんとか呼び名を軟化させる成果をもぎ取った王子様はしばらく満足そうな様子をしていたが、しばらくしてから、ああ、いえ、今日ここに来たのはもっと別の用事があったんです、と真面目な表情をした。
「花瓶のことなんですが。当該の花瓶は確かにあの日、事務棟三階に飾ってあった花瓶だそうです。仰っていた時間帯前に事務棟に行った、貴族生徒に仕える男性の使用人、というのは見当たりませんでした。目撃した方にお話を聞かせていただければいいのですが……」
自分が狙われたとはいえ、流石にネルを王子様たちと会わせる訳にはいかない。
スサーナはすみません、気が動転していたもので相手がどんな方か覚えていなくて、と誤魔化した。
なんとかうまくミアにも言い訳して口を滑らせないよう試みなくては、と心に刻む。
「他に男の方が居るとしたら一体どのような立場の方なんでしょう。」
「そうですね。事務棟の職員、もしくは講師か教授、でなければ生徒じゃないでしょうか。」
「あっやっぱり幅広いんですね……。 もしかしたら偶然じゃないかとも思うんですけど、その可能性は?」
「偶然で、平均的な男性の胸の位置ぐらいほどの高さの窓から、一抱えもある重い花瓶に水を入れて下に落とすことがありますか」
「珍しそうですね……」
スサーナは眉を寄せる。正直誰かが自分を気にいらないとかそういう理由でのことなら放置していてもよさそうなのだが、ミアの件に関わっている問題だとするならそちらがターゲットになりかねない以上解決してもらわなくては困る。
「ええと、何か私がすべきことはありますか?」
「気をつけて過ごしていてください。あなたがお怪我をするのが一番心配です。」
スサーナはいやー絶対怪我はしないと思うので大丈夫なんだけど、と思いつつも頷いた。
「この2日何事もなかったですから、このまま沈静化するかもしれませんけどね。」
「だといいです。本当に」
レオカディオが眉を寄せて憂いげな表情をする。スサーナはこれはファンクラブの皆さんに見せたら新規の絵姿とかが出回るやつだな、となんとなく考えた。
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