第227話 ユーモレスクへの供物 2

 王立の音楽堂は、貴族達が住む街区の外すぐ、いわゆる二枚目と三枚目の壁の接する所、ごく裕福な商人たちが都市計画に関わったあたりに建てられている。

 通常はその素晴らしい建物はそれだけで完結して運用されているが、大規模な式典や社交の催しに供せるよう、すぐ横に建つ――第二王妃に捧げられたゆえにミレーラ宮と名付けられた――会館に馬車を介さずに地上渡り廊下と地下通路で渡れるようになっていた。


 演奏会への列席者達は終了後順次そちらへ誘導され、階層毎に入れられる帰還の馬車を待つ間、簡単な立食の席が用意されるという手はずである。


 その時間がやってきても、どうやら緊急事態が起こっている、という雰囲気は感じられない。

 会場の気配を探っていたスサーナはうっすら不安感を抱えたまま、最後の曲が始まる頃にやってきたミランド公がゆったりと落ち着いて、一刻を争う、というふうではないのをそっと眺めた。


 ミランド公は最後の曲を椅子に座って聞き終わり、それから気を使って後ろの方に控えた子供たちを手招く。


「ははは、そう猛獣を見るように怯えなくても構わんよ。一応私は君たちの遠い先輩にあたるものだ。とはいえ私は苦手な学問の時間は遊びに出るような不真面目な学徒だったが。」

「そ、そうなんですか」


 緊張しながらもジョアンが反応する。


「ああ、そうだとも。見るに……寄宿舎の学生かな? 懐かしいものだ。あのボロ屋はまだ建っているのかね。平民の学生は皆優秀だったな。従者たちの盲点なのを良いことに匿ってもらって……夜通し酒を飲んだことが何度あったことか。もう何十年も前の話だがね」


 人懐っこげに言ったミランド公にジョアンとミアは予想外のことを聞いた、という顔で眼と眼を見交わし、がぜんこの上位貴族に親しみが湧いたらしかった。

 スサーナはなんとなく元々持っていたイメージ的にそういうことをやりそうだな、と思っていた部分もあったのでそこまでは驚かない。


「さて、この後は食事が出るらしいが、せっかく知り合ったのだ。もう少し親交を深めたいものだな。君たちも良かったら一緒に来ないかね。」


 ジョアンとミアを見てニコニコと微笑んだミランド公にジョアンがぽかんと一体何を言っているのかわからない、という顔をしたのが見える。


 ミランド公はおどけた仕草で、面倒な仕事のある老人の特権でね、私のような爺を気遣って特別に少し良いを出してもらえる、と笑ってみせた。


 用意される軽食の場は立食パーティーのような形式で、明確な敷居があるというわけではないが、本来は上位貴族達のいる間にのこのこ入っていける、というわけではない。

 案内される場所は招待状、もしくは身分で違うはずで、学院から招待された子供たちが入れられるのは下級貴族や郷士達と同じく末席になる。


「えっ、いえっ、あの、俺た、私達わたくしたちみたいな者がいたら目障りなんじゃ……」


 ジョアンが自分の袖を見て、よそ行きではあるものの、布地から職人の技術を凝らしたミランド公の衣装とは全く違う、のっぺりと平坦な布地と深みのない荒い染め、ひと目で分かる差異に小さく首を振った。これでは平民であるとひと目で分かってしまうことだろう。

 普段貴族に対して跳ねっ返りめいた意見を示すジョアンだが、流石に敬語だ。


「なあに、誰も気にはせんよ。どうしても気になると言うなら上着の一枚ぐらい予備の用意はある。」


 丁度良く殿下と背格好も一緒のようだからね、と言ってそのまま従者に着替え用の上着を持て、と本当に声を掛けたミランド公に、いったいどんな上着を貸し与えられる予定なのか悟ったらしくジョアンの顔色が驚きと緊張で赤白忙しくなった。

 その袖を決然とミアが取る。


「ねえ行くでしょジョアン! こんな機会二度と無いよ!」

「そっ、そうだな。ミア、お前もちょっとは考えてるのか。……そうだよな。こんなコネを作る絶好の機会……」


 ごくり、と息を呑んだジョアンにミアはあっけらかんと首を振ってみせた。


「偉い貴族の人用に出るお料理だよ!!! 食べない選択肢はないよね!」

「お前気後れってもんをおふくろさんの腹の中に置いてきたのかよ!!!」


 ジョアンが思わずという風にツッコミを入れ、ミアがぷうっと膨れた。くっくとミランド公が喉の奥で笑うのが聞こえる。


「むう。スサーナも食べたいよね? 偉い貴族のご飯!」

「なあスサーナ、こいつになんか言ってやれよ……ちょっとは出世について考えてると思った俺が馬鹿だったよ」


 それぞれ同意を求めて振り向いてくるのにスサーナは少し愉快になり、それから私はお受けしたいと思うんですけど、と静かに微笑んだ。

 私は、も何も、なんとなくミランド公の態度的にスサーナが来るのは規定事項だった気はするのだが、まあわざわざそこを指摘するようなものでもない。


 やった、と無邪気な声を上げたミアが腕に飛びついて来て、ジョアンが、――それでもなんとなく心強そうに――ため息を吐く。


 ――一番何か起こるかもしれない場所の側にいるのが一番いいですよね? 早めに対処すれば……、怪我をしても、治せるかも知れないし。


 夢に見たシーンが近づいてくる。

 もう対処は行われたのだから、何も起こらないと信じたい。でも、もしダメでも。夢では多分、毒と、それから大怪我をするようなことがあったはずだ。そのどちらも、多分うまくすればなんとかできる、はず。


 スサーナはそっと手を握る。命に関わるような怪我だったはずだがジョアンの傷は癒えた。それなら、もし誰かが大怪我をしたって自分はなんとかできるはずだ。

 人に見せたらレミヒオは怒るかもしれないが、どうか許してもらえるといい。鳥の民として大問題になるほどのものでなければいいと思う。


「決まりだね。さてではおのおのがた、変装の時間だぞ。」


 ミランド公が楽しげに言う。

 ミランド公の言いつけを受けて退出し、すぐに戻ってきた従者がジョアンに長めの緑絹のジャケットを羽織らせた。

 頬を引きつらせながらもジョアンはそれをきちんと着直し、ミランド公の指示に従って上着のボタンを掛ける。

 続いてミアにも薄いケープが渡される。ドレープを大きく取り、透けるような藍色に水晶を散らしたデザインは瀟洒で、長いものだが夜使うぶんには違和感はない。

 ミアがそれをドレスの上から羽織ると、下の、愛らしいものの安っぽいデザインの桃色のドレスは色味だけを視界に残して上品な印象に上書きされる。


「あ、すごい……。お姫様みたい!」


 はしゃいでスサーナの前でくるくる回ったミアにスサーナも同意する。

 しかしこの短い時間でよく格好を整えるものだ、とスサーナは感心した。

 よほど注意深く他人の衣装を見る人物でない限り、夜遅い時間で、広い会場である。十分以上に薄暗い場所だ。社交が主、という場ならいざしらず、音楽鑑賞で疲れてもいるだろう目で、服装の違和感はなんとなく誤魔化されてしまうだろう。

 ミランド公が自慢げに笑った。


「ははは、この爺は無駄に道楽者などやってはおらぬとも。夜会への紛れ込み方などお手の物さ。」

「それは、感心してよろしいことなんでしょうか……。」

「いや、まあ。うん。あまり簡単に紛れ込めるのも問題だがね。」


 今回の事情的にあまり見事に宴会の類に紛れ込むノウハウを示されると少し遠い目になってしまうスサーナだ。

 なんとなくセルカ伯から今回の事情を通されているのだろうミランド公はスサーナのつぶやきにすこしきまり悪げに笑い、まあ信頼ある立場ゆえに出来る遊びということだね、と言ったあとですらっと話を変えてみせた。


「おほん。……この上着はスサーナ嬢に似合うと思った物だが、まあ仕立て上がりを求めさせたものだ。今回はそちらのお嬢さんに差し上げるとして、次の機会にひと揃え、ぴったりなものを作らせるということで許してもらおうじゃないか。」

「いえそんな、恐れ多いです。」


 片目をつぶったミランド公の冗談にスサーナは苦笑する。

 ドレスのひと揃えなんてちょっとやそっとのお値段ではない。ミアが借りたケープも値段を聞いたらきっと恐ろしい金額を聞かされることだろう。平民を上流階級の席に入れるためとはいえ、半時間もかからずぱっと用意出来るのは上位貴族の恐ろしさ、というやつか。


「では行こう。道すがら学院の話など聞かせてもらえるかね」


 ミランド公がエスコートの腕を示す。

 スサーナは頷くとその腕を取った。




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