第226話 ユーモレスクへの供物 1

 そして、何事もなく次の楽曲が始まる。

 響きの良い弦楽器を多数取り混ぜ、そこに素晴らしい声の歌姫を幾人もパートごとに交代させる手法で表現された、歴史を歌い、現王の功績を讃え、そして王を継ぐ第一王子がいかに勇壮で聡明かを歌い上げる曲で始まった後半は、つつがなく曲目を進めていた。


 ほんの短い間、スサーナが見下ろす階下の席の間の通路や、薄暗く垣間見える複数の出入り口にどうやら騎士らしい人々がさり気なく立ち、背にある通路に濃厚な人の気配――そう、例えるなら部隊と呼べる人数の、規律の取れた集団が待機しているような――を感じたタイミングがあったが、どうやら見る限り会場の人々に混乱や怯えはなく、何か動きがあったとしても秘密裏に、そして迅速に行われたことは確かなようだった。


 ――何事もなく、済んでくれるでしょうか。

 スサーナが首を曲げて振り仰いだ中央の貴賓席は他の席々よりもずっと明るく、広く豪奢な席にゆったりと座って音曲に耳を傾ける数人の人たちが垣間見える。


 中央に壮年の男性。そしてその横に20前ぐらいの青年が座り、一段下がった周囲には王族なのだろう人達の席がある。

 どうやらひっきりなしに人が出入りしているような雰囲気ではあるものの、何か緊急性のある変事が起こっている、という様子ではない。

 席の左右に大きく寄せたカーテンのせいで詳しい人数などは解らなかったものの、スサーナの目は静かに談笑しているらしいレオとフェリスの姿を捉えていた。


 ――多分、これで、この後何もなかったら、それで終わりですよね?

 そしたら、なんだか疲れることばっかりだった旅行だったけれど、丸く収まった、ということにして、お守りを返してもらって、右腕が心もとなかったぶん文句の一つでも言って、それから空き時間で観光しよう。お家のみんなにお土産を買って。騒ぎのことも土産話には出来るかも知れない。それで、お家に帰るのだ。

 おうちに帰って、叔父さんとブリダを冷やかして、お祖母ちゃんに勉強の話をして、フローリカちゃんと遊ぶ。まあ、決意はしたわけだが、たった半月程度のことなのだから楽しみにしたっていいだろう。こんな疲れることの後なのだから、おうちからしっかり距離を離していくという決意は次のお休みからということにしたってきっとバチは当たらないはずだ。

 それで、学院に戻る時には海を思わせる玩具やら、なんだか面白げなものでも魔術師さんたちの店で贖ってレオくんとフェリスちゃんにお土産にしたらいい。


 スサーナは次から次へ、安楽な楽しい予定を考える。


 ――そう、そうなるはず。そうならなきゃおかしいですよね。大人の人達がしっかり気を配ってくださっているんですから。

 喉が詰まるような不安感にスサーナはそっと指を組み、手当り次第、思いつく限りの神々に祈った。





「ご報告致します。」

 ヴァリウサ王ジャースは臣下の耳打ちを受けて一つ頷く。


 使用人のが終わった、というものだ。

 偽名を使い、書類を偽造し、潜んでいた刺客は10名ほど。その全ての捕縛が滞りなく終了した、という報告。


 彼らの多くは下働きに扮し、演奏会後の会食のグラスに毒を入れる手はずだったということだった。護符を身に着け慣れた王族たちには効かぬ手段だが、その習慣が薄い貴族達には有効だ。


 今朝早くに駆け込んできた臣下が報告してきた、ヤロークの者がこの祝賀の式典で貴族の暗殺を目論んでいる、という計画は、驚きはあったものの「有り得る話」として受け止められた。


 彼の国の王族が諸侯を纏められなくなってより長い。表立っての謀反こそ神々に許されぬゆえに起こさぬものの、王家の意向や国体よりも自らの利益を優先する考えは特に辺境では強いという。周辺のうちで最も豊かなヴァリウサの国土を切り取ることを望んでいるヤロークの貴族達が存在するということは明白な事実だった。


 このタイミングでするということには疑義もあったが、式典の場でという国内の動揺、有力貴族が殺害されたことによる混乱はどちらも彼らを利するものだ。

 そして――

 護符のすり替え。

 毒を防げぬように、という意図としては、貴族達は護符を身に着ける習慣に薄いためすり替える意味はあまりない。


 最も古い臣下の家柄、五公家と呼ばれる貴族達には緊急時の選王権を含めてのいくつかの特権がある。そのうちの一つに宝物庫への出入りが存在する。

 宝物庫のうちには普通の機能の場所ではない場所もある。ごく古い時代に成立した王国であるヴァリウサであれば、それは神々の時代の遺構だ。

 凡百の宝飾品を収めるだけの場所ではなく、特に貴重なものをしまう場所は、王とそれを許した者のみ開閉できる。

 地の底を流れる川のように諸国の宮廷の噂に囁かれる話に、五公家に渡される護符のうちどれかにその機能が隠されている、というものがあった。


 それ自体は根も葉もない面白おかしい噂。しかし、刺客の尋問を請け負った者の報告によれば、それを念頭にかまをかけたところ、彼らが宝物庫への侵入を目論んでいたということを吐いた、という。

 通常なら厳重な警備が敷かれ、侵入すらままならぬ宝物庫への通路だが、この祝賀の祭典の間にはいくつかの宝物の出し入れのために開かれる。


 狙いはネーゲの文字盤。

 先年捕らえられ、獄死したヤロークの貴族の所持品だったそれを取り戻すことが彼らの狙いだと、刺客は確かにそう言ったのだそうだ。

 それは貴族の不始末の手打ちとしてヤロークからヴァリウサへと渡されていた。


 ヴァリウサはネーゲの秘文の解読にも所持にも力を入れては居ない。むしろ必要ないと距離をおいてきたものだが、うかうかと今手のうちにあるものを他国に渡してやることは出来ぬ。


 厄介なことだ、と王は短く息を吐く。燻りの種を自ら抱え込んだようなものだ。

 だが、ここを乗り切れば事はまた好日の海に荒磯が沈むように凪ぐ。後は外交で対処するべき事象へと変わるだろう。



 沈思しかけた王は、後ろからの衣擦れの音と、息の根を抑えられたような違和感に目をやった。

 後ろから入ってきたのは同族の供を二人従えた王宮魔術師だった。

 王としての機能を持ち、彼らが霊覚と呼ぶものを備えるようになってから、望むと望まざるに関わらず彼らのたましいの重い気配を悟るようになった体は魔術師の側に近づくと威圧けおされる。

 王はそれを悟られぬように眉を上げ、彼が幼い王子だった頃から姿の変わらぬ美しい魔女に会釈した。


「ご足労痛み入る。貴女方に来ていただくことはなかったようだが……せめて、我国の誇る楽士達のわざを聴いてゆかれよ」

「然様でしたか。ならば結構。約定ゆえに式典の終了までは留まります。」


 鈴を鳴らすような、しかし異様に一本調子な声で氷の魔女と呼ばれる魔術師は言い、感情の一切見えないよく磨いた貴石めいた目を王に向けた。


 魔術師達は通常、儀式を伴わぬ類の式典に現れることはない。

 時ならぬ魔術師の訪れに、同席した護衛たちや彼らの威圧を感じることのない彼の息子たちも身を強張らせ、静かに空気が張った。


 今回、魔術師のを担うオルランド卿が、事態を重く見、魔術師の召喚の申請を行ったのだと伝えられている。

 役、王都に戻ることを許されたばかりの青二才の勇み足よと諸侯は笑うような行いであるし、せっかくの祝いの席にと眉をひそめる者もいるだろうが、ジャース王自体は王宮魔術師の訪れを悪いこととは捉えていなかった。


「エウスタシオには迷惑だろうが、麗しき氷の魔女殿と同席する栄誉を浴するのだ。ヤロークのやつばらのはかりごとも悪いことばかりではないようだな」


 褒め称えた言葉が耳に届いているのかどうなのかすら解らぬ様子で、王宮魔術師は表情を微動だにさせずに階下を眺めやる。

 それですら上機嫌に見える王の横顔を目にして、第一王子エウスタシオは王の横の座席でそっと静かなため息を吐いた。

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