第225話 王の後継者のための協奏交響曲 4
薄暗い通路に立ったレオカディオ王子は当然ながら王族らしい盛装を身に着けていた。
ワイルドシルクらしい光沢が強く薄いシルクシャツ。縁取りの縄装飾の所々に布地に色を合わせた真珠を散らし、その上に図案化したヤグルマギクと孔雀の尾羽根、弓矢文様を金糸で刺繍したターコイズブルーの上衣を重ねている。さらに身分を示す色と刺繍を施した肩布を留めているのは宝石を贅沢に使って立体的に形作った王家の紋章をあらわしたブローチだ。
流石にこんな格好の王子様を通路に立たせておくのはどんな観点から見たところで許されない気がする。
それに何より、自分たちはご厚意で入れてもらっているだけの平民であり、入れない権利なんてものは無いだろう。理由も「不測の事態がイヤ」ぐらいでしかない。
スサーナは短く泡を食い、それから一歩下がってレオカディオ王子を招き入れた。
「ええと……どうぞ、レオカディオ殿下。いまちょっとおもてなしできる者がいなくて申し訳ないですけど……」
「ありがとうございます。どうかそんなことはお気になさらないでください。」
にこにこと微笑んだ第五王子殿下はするりとボックスに入ってくる。そっと後ろに控えていた
――ジョアンさん、戻ってきたらひっくり返っちゃいそうだなあ……大丈夫かなあ。
スサーナは戻ってきたジョアンが盛装の王子殿下と儀仗服の護衛官と出くわしてひっくり返るのを想像し、そっと心配になる。
「あれ、レオ王子!」
人の気配に振り向いたミアが王子に無邪気に笑いかけた。
「ミアさん。お邪魔します。スサーナさんもどうぞお楽に。座ってよろしいですか?」
ミアに小さく手を上げて応えたレオカディオ王子はスサーナに屈託なげに微笑んで問いかけ、スサーナの立っただいたい向かいにある椅子の一つを示した。
「あっ、どうぞ!」
大きく椅子を引き、どうやら外から見えない位置を選んで座ったらしいレオカディオ王子のもとにぱたぱたとミアがやってくる。
「レオ王子どうしたの? 抜けてきちゃっていいんですか?」
「ミアさん、駄目ですよ、流石にその呼び方……失礼ですよ」
「あ、そうか、学院じゃないもんね。」
「ふふ、ちょっとだけ来ました。ここにはラウルしかいませんから大丈夫ですよ。どうかお気にしないでください。スサーナさんも別にレオくんと呼んでくださっても……」
流石に人が聞いたら馴れ馴れしいと眉をひそめそうなミアの呼び方にスサーナはそっと口を挟み、当人に首を振られてふにゃふにゃと口ごもった。
この王子様は愛称呼びをよほど好むようで、似たようなやり取りをしたのは一体これで何回目だろうか。
とは言うものの、お気軽にレオくんと呼ぶわけにはいくものではない。
しっかり言語化してない思考では初期印象を引きずってレオ君呼ばわりしていることも結構あるのだが、うっかり呼び慣らしすぎてふさわしくない時に口から出たら首が飛ぶ気がしてならない。
「いえ、そんな。どなたかに聞かれたらどうするんですか。恐れ多いと叱られます」
「それこそ僕が友人故にそうせよと言ったと告げれば済む話だとは思いますけど……ええ、でも、無理に言っても良くないですしね。今日は我慢します。」
どうやらじゃれているだけだったらしくすっと引き下がったレオカディオ王子がこほん、と小さく咳払いをした。
「それで、こちらに伺った理由なんですが。……理由、と言うほどの理由でもありませんけど。皆、ミランド公が連れてきた謎のご令嬢の正体を知りたくてうずうずしているようなので。その事で。」
「謎のご令嬢だってスサーナ! ちょっとドキドキするね! 謎のご令嬢スサーナ……いい響きじゃない?」
「ミアさんのこともだと思いますけどね!」
楽しげに両手をぽんと打ち合わせたミアにスサーナはツッコミを入れ、それからレオカディオ王子に向き直る。
「なにか目に余る不作法があったとか、こちらのボックス席に居る資格がないと思われたとか、そういうことでなければいいんですけど……」
「そういうことではありませんから、安心してください。皆話題に飢えているんですよ。」
首を傾げたスサーナにレオカディオ王子はいたずらを告白するような表情で、僕自身も気になって、と肩をすくめた。
「お一人がミアさんだということは容姿を聞いて見当がついたんですが、ミランド公がこちらにご招待した理由がわかりませんでしたし。もうひとりのご令嬢というのも……もしかしたらスサーナさんじゃないかとは思いましたけど、確信はありませんでした。格好も容姿も、皆はっきり見えてもいないのに好き勝手な物言いをしていましたから。……薄暗いですから、仕方ないんですけどね」
レオカディオ王子の言葉にスサーナはちょっと鬘を抑えてみせる。
「あっ、はい。あの、今日は
「ええ、そうしていると名のある家の令嬢だとしか思えません。その、とてもお綺麗だと思います。……あの、僕としては……その、元のありようを生かして結われても美しかったと思いますし。ドレスも……ええ、スサーナさんに映えるものは他に色々あると思って、その、そちらの方を見てみたいと思わなくもないという気もするのですが」
なにやらレオカディオ王子が言葉の途中で少し早口になって落ち着かなげに小さく咳払いをする。
――ええと。もっと身分相応な服の方が似合ってる、ってこと、ですかねえ。
スサーナはなんとなく言いづらそうに見えたのをそう判断したが、それでも鬘に違和感がないならそれでいいかと考えた。
スサーナ自身、自分にこの装飾過多なドレスが似合っているという気は全くしていないのだ。
ミッシィが着れば、きっと最高に映えたものだろうになあ、と少し彼女のことを思う。
「はい。不相応に素晴らしいものをお貸し頂いてしまって。でも髪に違和感がないようでしたら良かったです。」
「そ、そうでしたか。それはもう、全然違和感はないです」
レオカディオ王子がこくこくと慌ただしく首を縦に揺らし、それからええとあの、と言葉を継ぐ。
「ともかく、見に来てよかったです。どなたか冒険心溢れる誰かが覗きに来たとしても、ラウルが居る以上中まで入ってきたりはできませんし。」
「え、なにかまずいんですか?」
彼の言葉にミアがきょとんと目を見張り、スサーナははっと思い至った。
「あっ、第二王子殿下がいらっしゃったかも知れないんですね」
応えたレオカディオ王子が苦笑する。
「いえ、兄は多分こちらにいらっしゃるのがミアさん達だとは気づいていないとおもいます。ええと。中の兄だけじゃなくても、ミランド公が伴った令嬢はどんな方々なのか、あわよくば親しくなれないか、なんて考える方はいるんです。ミランド公は普段そういうことをしない方なので」
「そう、なんですか?」
「じゃあ、とっても幸運だったんだ、ねえスサーナ! えっと、あの偉い方、ご用事があって席が空いちゃうからここで見ていいって言ってくれたんです!」
「ええ、ええと……セルカ伯にロビーにエスコートして頂いている時にいらっしゃいまして、その時にご招待くださいまして」
「なるほど、そうだったんですね。」
ミアに続けてスサーナは説明し、しかし、そんな珍しい出来事だったなんて、とすこし渋い顔になった。
なんとなく、ミランド公には気さくな趣味人といった雰囲気があることだし、席が空いた時に気軽に誰かをそこで鑑賞させ慣れているようなことかと思っていたのだ。
「ミランド公閣下はこういう事をしなれておられるのかと思っていました。……後で問題になったりしなければいいんですけど。」
ヤロークの人間に気をつけていた、という理由があっても別に公式に誰かから命じられたというものでもないので、言い訳にはならないかも知れない。
祝賀を愚弄したとかそういう叱られが発生しなければいいのだが、と新しい心配事に気づいてしまったスサーナに、レオカディオ王子は気にすることはないですよ、と首を振る。
「お二人がどういう方かは僕も、アルも、フェリスやエレオノーラだって説明できるんですから。深刻に考えていただくことは何もないですよ。ただ、浮かれて軽はずみな行動を取る者が出ないとも限らないので。そこだけはご注意出来てよかったですし、なにもないうちに来れてよかった」
なるほど、もしも物見高い誰かがやってきたとしても、王子様がいる席で失礼なことをしようという貴族がいるはずがない。
では、レオカディオ王子がやってきたのはつまり何事もないように自分たちをかばってくれるためか。スサーナは思い当たり、丁重に頭を下げる。
「大変お気遣い頂き、感謝いたします。そういう事があるなんて想像もできておりませんでした。……こちらの席に移動したら第二王子殿下がミアさんの場所がわからなくていいな、と単純に考えていて。」
それを聞いたミアが呆れた声でもう、まだそんな事言ってるの? スサーナは考えすぎなんだってば、と声を上げる。
「そのおかげでスサーナも一緒にいい位置で曲が聞けるからいいけど……」
レオカディオ王子はくすくす笑い、それからすこし真顔になった。
「本当に中の兄も困ったものです。ああ、ただ、少し……色々事情が変わったもので、演奏の合間に席を離れて出くわす、ということは多分今回はもうないと思います。……何かこの休みの間にバルコン席の方に彷徨いだす予定はあったようですけど、流石に止められました。」
続けて、後一度休憩はありますけどその時には僕も席を離れられないでしょう、と言う。今回は行く先が後見人のミランド公のボックス故に許されましたが、と王子は一旦言葉を切った。
「実は……何か捕物があるとか言う話で……。この席は護衛達の内側で、次の休憩時間には警備も厳しくなります。そういう意味では一番安全に近い場所ですから、お二人が気にすることは無いと思いますけど。一応、それも伝えに。人がバタバタするでしょうし、不安があると良くないですから。」
ええっ、王都ってそんなことが普通なんですか、と驚くミアを他所にスサーナはなるほどそういう予定なのか、と納得する。
夢では演奏会が終わった後になにかあるような感じだったが、それを待たずに演奏会中に悪者達を一網打尽にするほうが安全のような気はする。
「そこまで頻繁にそういう事があるわけではありませんけど……、時折は。」
騎士たちは優秀ですし、ご心配になることはなにもありませんよ、とレオカディオ王子は言う。その様子は本当に多少の変事には慣れているようで、普段よりずっと王子らしい様子に見えた。
「うええ、レオ王子は気にならないものなの? スサーナも怖いよねえ?」
王都はチミモウリョウってホントなんだね、とミアが腕で自分を抱いて震えてみせ、スサーナもええまあ、と曖昧に頷いた。
スサーナが怖いのは事件が起こることよりもその結果レオやフェリスをはじめとした友人たちが害されることであるのだが。
「全く気にならないわけではありませんけど、……あいにく、僕が出来るのは僕らのために働いてくれる者たちを信頼することぐらいなので。……その、お二人の身は僕がお守りします、と言えれば格好も付いたんですが、僕は剣術も体術もからきしですからね。お恥ずかしいことですけど。」
王子がそっと苦笑する。
「ええ、でも、守りたい方の不安を除けるような……安心できるぐらいの武術は身につけたいところですね。学院に戻ったらコースの申請をしてみましょうか。」
軽口を言ったレオカディオ王子のもとにすっとラウルが寄ってきて、恐れ入りますと静かに跪いた。
「お話中に申し訳ありません。お入れしても?」
ラウルが入り口を示すのを見れば、一体何事かという顔をしたジョアンだ。
「あっ、ジョアンさん。はい、ええと一緒にこの席にご招待いただいてるんです。」
「ああ、もう休憩時間も終わりなんですね。それでは僕は戻ります。」
レオカディオ王子が少し名残惜しげにほほえみ、席を立つ。
「その、後で簡単に食事が振る舞われるそうですから、その時にまた。」
王子と護衛官が去っていき、ぽかんとそれを見送ったジョアンが入ってくる。
「今の、王子様だよな。……なんだったの?」
「うん、ええと色々連絡に来てくれたんだよ。」
「連絡ぅ? 王子様ご本人がかよ。……なんか、ミア、お前ほんとに偉い奴らと仲良しなんだな……」
いっそ呆れたようなジョアンのつぶやきにスサーナはぷぷぷぷと首を振る。
――あっ。
そういえば一連の騒ぎでほぼ完全に忘れ去っていたものの、そう、そういえば、レオカディオ王子殿下がミアに懸想している、というような話があったのだ。
――わざわざ席に滞在して不埒者から守るって……あっ、それに、守りたい方とか言って、こう、なんというか一般的に甘い文句っぽい台詞ですよねえ。
――つまりあの、これは、世間一般にいわゆる逢瀬チャンスだったのでは。
邪魔 して しまった!!!!!
全力のやっちまった感にスサーナは頭を抱えたのだった。
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