第224話 王の後継者のための協奏交響曲 3

 演奏の催しは、夏の長い日が落ちきった頃予定通りに始まった。

 奉祝のために作曲された全く新しい序曲が演奏され、そして神々に捧げる声楽曲がまず神殿音楽隊の手で奏せられる。それに続いて、30もの楽器を用い、国内で最高の腕を持つと言われる演奏者達が皆で一つの曲を合奏するという協奏曲が。


 いくたりかの貴族が急な仕事が入ったと用意された席につかず、また数人の者が最初の曲が始まるその前までに「聞きたいことがある」と呼び出され席を立ったが、ほとんどの参列者にとってはこの祝賀演奏会は厳粛ではあったが従来の催しと同じく、滞りのないものであった。


 繰り返しが多く長大な楽曲の間は、慣習的にその最中には声を潜めた会話や多少喉を潤すことが認められている。それは祝賀の演奏でも変わらず、貴族たちは小声で言葉をかわし合い、他愛ない世間話や噂話をし、社交に勤しむ。


 結構な数の貴族達に話題を提供したのは、ミランド公ギリェルモ・アランバルリの席に現れた年若い娘達のことだった。


「見給え、あの席……」

「ああ、確かにミランド公のブースだ」


「珍しいこともあるものね」

「ええ、どのような方々なのかしら」


「何者だろうね、噂を耳にしたことは?」

「さあ……だがごらん、どちらもなかなか整った見た目じゃないか?」


 ボックスの前仕切りに手をかけ、背伸びするように身を乗り出した娘二人。お忍びらしい簡素な服装の一人は熱心に舞台から目を離さず、いかにも貴族の娘らしい一人は物思わしげな顔で場内に視線をさまよわせる。

 薄暗いボックス席のこと、細部はおぼろげだが、どちらも十分美しいであろうことは陰影に沈んだ曖昧な姿からも見てとれた。(とはいえ、二階のボックス席はどのような娘でも美しく見える、と常々言われているのだが)


 彼女らのことが貴族たちの口に登ったのはもちろんそれだけが理由ではない。

 ミランド公は洒脱な人物と知られてはいるが、普段からを自分の席に呼ぶようなことはしない男だ。芸術に理解を示し、美術品の収集を好みはするが、同じく美の体現であるところの美しい女性達にうつつを抜かす、というのを見たことがある貴族はいない。若くして亡くした妻に義理立てをしているとも囁かれており、彼のボックス席に女性がいる、というのはなかなかに異例なことだったのだ。


 二人共ごく年若いように見え、貴族らしい格好をした娘はお披露目前の令嬢を示す格好をしていたため、ミランド公がお披露目前に社交界に触れさせるために伴った何者かであることは間違いない、と貴族たちは判断する。正式デビュー前の娘が本番で恥をかかぬように庇護者の監督のもとで催し事に触れさせる、というのは一般的な慣習だ。

 ただし。

 ミランド公はごく若くに奥方を亡くしており、再婚をせず、子供は一人もいない。彼の地位は臣籍に降りた第五王子が継ぐものだと噂されている。それに彼と緊密な親戚にも年頃が一致する娘はいない。

 ささやきあう貴族たちの間に二人の少女の出自に見当がつく者はおらず、あるものはお忍びの異国の王族であろうかと言い、あるものはミランド公の隠し子ではないかと囀ったが、結局二人の娘の正体はわからないままだった。





「お前らさ、よく前の方に出ていけるよな……」


 ジョアンが呆れ顔で呟く。


「えっ、なんで? だって後ろ側だと音が籠もっちゃうよ! ジョアンも前でちゃんと聞いたらいいのに!」

「遠慮しとく。……スサーナは、お前までなにしてんのさ。ミアがうつった?」

「私は……実は人目に触れない後ろの方に居たいんですけど……さっき試したらやっぱり仕切りまで来ないと会場内、ちゃんと見えないんですよね……」


 外からは見えないボックス席の内側に椅子を引いて座ったジョアンに向けてミアはきょとんと、スサーナは情けない表情で振り向いた。


 ミランド公の侍従に案内されたボックス席はすばらしく豪勢な場所だった。個室状になった席にはふかふかに布張りの椅子が4つ。すこし無理をすれば四人ともが一番前列で音楽を浴びられる広さの開口部。そして奥にはうたた寝が出来る広さの長椅子があり、コートクロークと使用人待機室がその奥に控えている、という作り。

 二階の中央側であるために、下に舞台と一階席のすべてを、そしてぐるりにある他の二階席を見渡すことが出来る。


 案内されてその豪華さに顔を引きつらせたジョアンは早々に少し奥まった所に椅子を引いて避難している。スサーナも最初は奥の方に居ようとしたのだが、それだと場内を見渡せない、と気づいてしまったためにしぶしぶミアの横に出て、衆目に晒される場所で会場内を見回していた。


「なんでそんな中を見てたいんだよ。そこだと会場中から丸見えだけどいいの?」

「色々と……事情がありまして……。まあ……二度とお会いすることもない方々でしょうし、鬘とドレスでどこの誰かもわかりません、よ、ねえ?」

「まあ、第一俺らみたいな平民に心当たりなんかないだろうけどさ……それでもちょっと気分悪くない?」


 なんか向かいとかからずいぶん見られてる気がするけど、お前ら。そう呟いたジョアンに、内緒話のために奥に一歩下がった途端視線から開放されてほっとしたスサーナは確かに、と苦笑する。


 ――でも、ええ、こう。セルカ伯にも多分、期待をされていますし……。


 自分が居ずとも優秀な護衛達は居るだろうし問題はあるまいと思っているスサーナだが、やはりその場にいるならば気になるし、何よりセルカ伯が目配せをした、というのを「念の為に見ていてくれ」という意味だと考えている。スサーナは誰かに期待されることに弱い。


 ……実のところ、セルカ伯は完全に良識的な人物というわけではないが、彼なりのルールには従うタイプである。

 流石に命に関わるだろう事が起きかねないこの局面であれば、子供を使おう、とは思っていなかった。

 スサーナに向けた目配せも彼女を調査に使おう、というものではなく、「いざ何か起こった場合、一番安全であろう場所に居させよう」という意図であったのだが、そんなことはスサーナには知る由もない。


「物慣れない様子が珍しいんでしょうかね。あんまりに無作法で、ということでなければいいんですけど」

「……ミアがそんなだからな……あのお貴族様、絶対に人から文句をつけられたりしないって言ってたけど、本当だろうな?」

「ええ、まあ、ここに入れてもらえる、ということはご招待ってことになるらしいですから多分……」


 一度は振り向いたものの、二人の声を潜めての会話など聞こえすらしていない、というふうに前仕切りに張り付いてよだれでもたらしそうな表情で楽団の演奏を見つめるミアを眺めてジョアンがため息をついた。


「一体どうやってあんなお貴族様にエスコートされる羽目になったのお前」

「島でお仕えしていた貴族の方にあちらのホールにエスコートしていただいていたんですけど、その貴族の方のお知り合いで。途中でお会いしまして……」

「やっぱ、こつこつコネを広げるのって大事なんだな……」


「もう、スサーナもジョアンもぼそぼそ喋ってないでちゃんと聞かないと! こんな演奏もう二度と聞けるかわかんないよ」


 ミアに呼ばれたのを皮切りにスサーナも話を切り上げてミアの横に戻る。

 見下ろすと一階席で音楽を楽しむ貴族たちと舞台で演奏する音楽家達がよく見える。会場の中には異常は無いようで、おかしな動きをしている人物は見当たらない。

 こちらの音楽鑑賞は前世でのものとは少し違い、多少の雑談が許されたり、鑑賞態度自体は実にカジュアルだが、流石に音楽中に立ち歩いたり大きく動くものがいれば目立つ。

 もちろん、ボックス席の奥の通路などは見えないが、王族がいる中央ボックス席に続く通路には精鋭の護衛が詰めているというのでそちらは安心だ。

 ――この配置でなにかあるとしたら、下から撃たれるとかそういう感じですよね。

 もし下に夢で見た顔を見かけたらすぐに外の通路にいるだろう護衛にご注進しよう。そんな事を考えながらもスサーナもそれなりに音楽の演奏に耳を傾けた。


 四章からなる協奏曲が終わり、軽い器楽曲が演奏された後、幕間になる。

 用足しをしたり、軽い軽食を取ったりする時間だということで、ジョアンはロビーで無料で配られているという飲食物を貰いにいくと席を外した。


「うふふー、うふふー、凄かったねぇ……あんなに高音域が出る提琴ヴァイオリンを揃えるなんてなかなか無いよー……? やっぱりお金があるところって凄いねぇ。複簧管ドゥルサイナもあんなに深い音で……えへ、えへへ、まずあれだけの種類の楽器を同時に演奏して調和させるのってねぇ、珍しくて~、それもどの楽器も最上質なんだろうね……あんなに音の膨らみがいいんだもん。それに……」


 ほわんほわんになったミアが楽器の質と演奏技術について説明するのが止まらなくなっているのにスサーナが相槌を打っているとこつこつと扉がノックされる。


「あれ? ジョアンさん、早かったですね?」


 メイド達は帰してしまった――ミランド公のブースに萎縮しきっていたので、なんだか申し訳なくなったのだ――ので、スサーナは自分で扉を開ける。


「やっぱり、もしやと思っていましたけど……スサーナさん」

「わぅ、レオ……カディオ殿下。」

「入れていただいてもいいですか?」


 ドアの向こうに居たのは第五王子殿下で、まじまじと顔を見つめたあとで何やら納得したように頷いてにっこり微笑む。そして、手の動きで小さく中にと示した。


 ――聞いた話ですと、王族の方々って休憩時間もご自分たちのブースから出ないものじゃなかったでしたっけ?

 いや、まあ、第二王子が偶然の運命の出会いを演出するつもりならこのタイミングだろうから、王族は自分たちの席を絶対に出ない、と決まったものではないのだろうが。


 予想外の、しかし現れても確かに場所的には全くおかしくない、という相手を目にしたスサーナはあっこれは予想していなかったやつだぞう、とちょっと固まったのだった。

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