第30話 市場からの帰り

 ふわふわ、ゆらゆら。いい気持ち。

 船に乗っている夢から目覚めたスサーナはぱちぱちと目を瞬いた。

 ――あれ?


 影が長く長く伸びる冬の夕暮れ時。

 スサーナは、荒れた路地を誰かの肩に頬を乗せるような形で持ち運ばれていた。

 横を見ると、暗い赤色のフード。

 スサーナは反射的にもう片腕にフローリカが居やしないかと確認する。

 いない。当然だ、さすがに四年まるごと居眠りした夢だ、なんてことはありやすまい。スサーナは思う。第一なんだか細部の状況が色々違うし――あれ、ええと何があったんだっけ――


「気がついたか。」

「魔術師、さん?」


 スサーナは抱えられたまま、よいしょっと身を起こす。

 今日は確か、そうだ、海賊市に行って――


 奴隷の、混血の子と話したあとに、そのまま帰るのは忍びなくて。

 商談が終わったあとに少し話せやしないかと待っていた。商談が決まればよし、もし、ダメだったら――多額のお金が動く話だ。スサーナには決められることではないけれど、お店の名刺―薄く削った木を接着剤で固めて店の名前なんかが焼印してある木札――を、あの子に渡しておこうと思いついたのだ。

 あまり褒められたものではない取引の場に素性を明かすのは良くないし、いろいろな面で悪い取っ掛かりになりかねない行動だとはわかっていたけれど、もしかしたら、なにか役に立てるかも知れないと思ったから。


 入口のあたり、安全そうな場所でしばらく時間を潰して、それから様子を見に行った。

 そしたら、あの子が殴られていて――音にも声にも周りの誰も気づいていないようで――


「あっあの!すみません!戻っていただけませんか!」


 慌てたスサーナが魔術師の肩をぺしんぺしん叩く。


「どうか」

「しました!あの!男の子が殴られてて、奴隷ではあるんですけど、ええっと海賊市なんですけど、でも!それで…!」

「それについては終わったよ。」

「お、終わった!? 終わったってあのっ、どういうことなんでしょう! なんだか本当に滅茶苦茶な人で、その!」

「……そうだな。当該の人物は……うん、取り押さえられた。君の言う奴隷の男の子は、円満に次の客を探したろう」

「ほ、本当ですか? ひどい人だったんですよ! 私も殴られて……あ、あれ?」


 勢い込んで喋っていたスサーナが急に止まり、今度は疑問符を顔いっぱいに浮かべて後頭部をぺたぺた触りだすのを魔術師は見ていたようだった。

 両手が離れたことでぐらんと上半身が揺れるのを黙って抱え直す。


「あれ?あれ、たんこぶ一つない……まさか夢? いや、そんなことないですよね……」


 うーむうーむと唸りながら後頭部を触っていたスサーナだったが、はっと真顔になって魔術師に向き直る。


「あのっ、もしかしてまた助けていただいたんでしょうか!ありがとうございます!」

「……」

「あっ、あれっ、違いましたか? 前助けてくださった方……ですよね?」

「いや…… 君を助けたのは、あの奴隷だ」

「えっあの子!? でもどうやって……」


 ほっそりして優しそうで、年の頃も自分とほとんど変わらなく見えたのに。スサーナは首をかしげる。誰か人を呼んだ、とかそういうことなんだろうか。


「そっかあ……なんにもお返しできなかったなぁ」


 お話をしてもらった分はなにかお返ししたかったし、助けてもらったならなおさらなにかお礼をすべきだったろうに。

 もし次に会うことがあったらなにか恩返しができたらいいのだけれど。


 スサーナは、ようし、お金を貯めよう、いつか、もしかしたら奴隷を買い取れるぐらい。そう、そっと決意し、それからふと首を傾げた。


「そういえば魔術師さんはなぜあそこに?」


 そして、なんで自分は持ち運ばれているんでしょう。


 疑問符を顔中に浮かべて再度魔術師をじっと見つめるスサーナに、魔術師は見通せないフードの闇の向こうで、面倒臭そうに視線をそらしたように思えた。


「……偶然近場に。その上であの時とっさに君たちに防護式を掛けたのを忘れていた。それが網に反応したので確認に出てきただけだ」

「ぼうごしき。」

「防護式。犬に噛まれた程度なら防ぐ」


 おお、と目をきらきら輝かせて、フードに鼻先がぶつかりそうなほどにずいっと身を乗り出したスサーナに魔術師はフード越しでもわかるほどはっきりたじろいだ。


「やっぱりすごく便利ですね……! あっえっと、じゃあ殴られても怪我してないのはそういうことなんでしょうか! ええっと二回分ありがとうございます!」

「いや……」


 魔術師は短く黙って、それから問いかけた。


「あのフードは誰に貰った?」

「ふえ?」

「君の被っていたものだ」


 スサーナは目をパチパチして、それからもう一度頭をぱたぱたと触る。そういえばさっきからなんだか頭がすうすうしていると思っていたのだ。


「あっ、無い…… ええと。私が縫ったんです。……なんかまずかったでしょうか、その、色とか……」

「色?」

「そのう、フードのデザインとか色をですね、えーと。前お見かけした時に印象が強かったので、そのう、真似を……強そうに見えるかなーって」

「……そうか。」


 なんに対するそうかなのか、魔術師が黙り込んでしまったので、スサーナにはよくわからなかった。


 数本の路地を抜ける。魔術師は治安の良いほう……――スサーナが幼い頃に通った道に近いほうだ――を目指していたらしい。最初に辻馬車から降りた大通りよりずっと閑静で瀟洒な通りに出る。

 ええと、とスサーナが見上げたところ、非常にめんどくさそうな口調で 『君を家に帰す。寄り道は無しだ』 と断言された。特にスサーナに否やはない。


 まだ夕暮れが消えたばかりの夜の通りで、人通りはそれなりに多い。

 スサーナは道行く人々のつむじが見えるアングルを一瞬楽しみかけ、そしてはたと気づいた。

 ――10歳にもなって抱っこされてる!


 6歳児ならまだしも、10歳になっての抱っこはこう、世間体的にも精神的にもダメージ量がなかなかのものがある。中の精神年齢は多分殆ど変わっていない、というのは別の話だ。どうもテンションや思考の方向性なんかは肉体年齢に多少、いや、やや引きずられているのではないか、というのは気づかなかったことにしている。


「す、すみません!歩けます! もう抱っこっていう歳じゃないので!」


 ちたちたと自己主張をするスサーナの願いを聞き入れたか、抱えた大きな子供が暴れるのが嫌だったか、ともかくすっと降ろされる。

 靴が地面についてほっとしたスサーナは、上機嫌で魔術師の袖を握り――珍獣を見る目で見下された気がして、再度首を傾げた。


「……あっ、10歳にもなって手を繋ぐのってナシでしょうか……?」


 叔父さんやらがナチュラルに手を繋いでくるので忘れていたが、そういえば前世で10歳の時には保護者と手を繋ぐなんてことはないのが普通だった気がするぞう。

 なんたって小学四年生、大人ぶりたい年頃だ。――紗綾はもっと幼い頃からそういう機会もなかったので、テレビなんかで判断した普通ではあるが。


 この世界の10歳も手を繋ぐのはナシかもしれない。お子ちゃまと謗られる要素である可能性がある。

 なんてこった。戦慄したスサーナはぱっと手を離し、それはそれで人通りの多いよく知らない道、なんだか迷子になりそうで、逡巡した。

 前世でも今生でもいまいち方向感覚というものに縁がない。というより、どうにも外出機会が限られているせいで街歩きの感覚を掴んでいない、という方が正しいか。


 ――代わりにローブの紐とか掴んだら絶対ダメですよね。


 思案しつつじいっと魔術師の衣装の装飾を眺めていると、何を考えているのか伝わったのだろうか。魔術師がはっきりと長い溜息をついて、中空で彷徨わせていたスサーナの手首を握った。


 手をつないでそれなりの距離を歩く。

 街路が途切れて小さな広場に出る。円形で、真ん中に小さな噴水があり、市民の憩いの場になっているのだろう。広場を囲んでぐるりとティーハウスや酒場、ちょっとした食料品店などが並び、賑やかだ。

 その一角に数台の辻馬車……辻馬車と言ってもスサーナが今日はじめて乗ったものよりも数段豪華に見えるものが停まっている。なにせふつうの辻馬車があのがたがた揺れる多人数乗りのタイプのものなのに比べて、これは懸架式の二人客席。街中でもほとんど見ない高級なタイプだ。

 魔術師は迷わずその一台に近づき、御者台を叩く。


「この子供を葡萄蔓ダッリ通り7番の屋敷まで」


 目を剥いた御者の手の中に即座に貨幣を握らせた。

 ――あれ、5デナル貨幣金貨だ。

 御者が確認した金色に、スサーナは思う。さすがに高級な馬車とはいえ、家までの距離に払う金額ではない、と思う。多分。


 よいしょとスサーナを持ち上げて客席に放り込み、乗る様子もない魔術師に急いでスサーナは声を掛けた。


「あのっ、運賃、お支払いします! おうちまで一緒に……あの、あとお茶とか!お茶とか飲んでいかれてください!お礼にというのもアレですけど!」

「君は。魔術師など連れて帰ってごらん、ひと騒ぎでは済まなくなるぞ。」

「ええっ、そうですか……?そんなこと無いんじゃないかと思うんですけど」


 スサーナは魔術師の立ち位置をいまいち飲み込みきれていない。とても便利な能力の人たち、という語られ方をすることもあるし。特権階級としてまるで水戸黄門の悪代官のような扱いをする話も聞いたことがあるし。魔術師産の付与術式物品アーティファクトは非常に便利で、お高いものはステータスとして羨望の的のアイテム――街の最高ランクのある飲食店がランプを全て魔術師産の熱くない明かりに替えたという話は一年経ってもまだ語り草だ――だし、夏の魔術師の属託商人の屋台は毎年長蛇の列だ。ついでに言えば、普段人物として魔術師について語られることなどほとんど無いのだ。よって、社会的に好かれているのか嫌われているのか、スサーナにはいまいち判断がつかない。これならまだ漂泊民のほうが話題に出る。


 ――だからよくわからないけど、どうも昔から恩人みたいなんだし、うちでは歓迎されると思うんですけど。


「だいいち、説明が出来ないのでは? 海賊市に紛れ込んでいたことは家族公認だとは言うまい?」

「あっ……ううーん。じゃあ、お金、馬車の運賃だけでもお支払します。おうちに行ったらあるんです!ちょっと待っていてもらったら……」

「構わない。なに、そちらから何か依頼があったらそれに上乗せするとするよ」


 魔術師が外から扉を閉める。御者に行け、と声を掛けた。

 スサーナの意見を聞く様子もなく、馬車が動き出す。


 うー、と唸りながらもおとなしく座席に収まったスサーナだったが、はっとあることに気づいてがっくり顔を覆った。


「せっかく魔術師さんに会ったんだから、うさぎさんのことを聞いておけばよかった……!!」


 馬車は屋敷に向かっていっさんに走っていく。






 魔術師は滑るように歩いていく。だれも魔術師の方を振り向きはしない。まるで視界に入っていないかのよう、もしくは視界に入っても認識できていないかのようだ。

 建物の密集地帯を抜け、町外れに出る。

 袖の中から奇妙な小さな彫像を取り出す。数言なにか唱えて指を動かすと、彫像の表面に複雑な形に光が走り、彫像は鋼を組んで作った巨大な異形の獣となった。


 魔術師は獣の首に掛けられた手綱を掴み、ふと気づいて腰をかがめ、彫像を取り出した際にすべり落ちたものを拾い上げた。


 それは簡素な作りの暗い赤のフードだ。質素で簡略化した作りながら魔術師自身が身につけているものに少しだけ似ているようだった。

 獣の背に乗り、登ってきた夜月にフードを透かす。

 魔術師の目には裏地に縫い付けられた補強材に刺繍された奇妙な文字がうっすらと光をはなつように見えた。


 袖に畳んだ布をしまい直す。鋼の獣につよく手綱をくれた。ごう、と風が巻く。

 鋼の獣はまっすぐに夜空に躍り上がっていった。

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