挿話 寒雷 3
天に躍り上がった騎獣像の背で、スサーナは遠い目になっていた。
轟々と吹きすさぶ風。は辛くない。模造の獣が走る先から鋭く吹き付けてくる雪、も辛くはない。
さすが魔術師の技術だけあり、獣の背は無風で、安定性が高く。そこだけ風も雪も避けていくようなのだ。
だからそれは問題にならない。
問題にならないのだが。
――この人、やっぱり私のこと5歳児だと思っていますよね?
思わずスサーナは血筋とか家族とかそういう今考える必要があった気がする事以外の喫緊の問題に対して気をとられ、述懐した。
現在、スサーナは魔術師のローブの下に抱え込まれている。
先程。像の上に引き上げられて微妙に思考停止していたスサーナは布越しに抱えられた感触に再起動した。自分の後ろから片腕が手綱を取り、もう片腕が布越しに腹の前に回されるのを見る。
数秒、どういう状態なのか全くつかめないでいたスサーナは、体の前に回った手が布を掴み抑えるとジッパーバッグめいた接合の仕方で留まったことや、視界に入った布がさっきまで見ていた暗い赤だということでようやく前を開けたローブの内側にしまい込まれたのだと言うことを把握した。
流石にその保持の仕方はとご遠慮申し上げようかと思った時には獣の像は空に舞い上がっており、空とぶ乗り物の背でごちゃごちゃ動くのはどうだろう、と思ってしまったスサーナは完全に言う機会を逃したのだ。
居心地が悪い、かというとそうではない。
見た目は「いかにも魔法使い!というデザインの布の服」と見えるそれはやはり何かのハイテクか、なんらかの術がかかっているらしく、中にしまい込まれてみると上側が大きく開いていても適温が保持されるよう設定されている気配がし、肌に触れる布の感触は最細の布で丹念に織ったシルクサテンに似てやたらと肌触りがいいし、何か花に似た甘い匂いもする。
多分この場では最適解なのだとはわかる。わかるのだが。
――これ、小さな子供を馬に乗せる時のやり方ですよね!
上着の下に抱える、というのは諸島では幼い子供を暴れないように落ちないように馬に同乗させる時の保持の仕方だ。
スサーナにも少し覚えはある。5つや6つの頃はほとんど馬に乗る機会などなかったスサーナだったけれど、6つの秋に叔父さんと牧場にお出かけしたときに乗馬に誘われたスサーナは馬にはそうやって乗るのだと聞いて、中身の精神年齢的に耐えられまいと考えて、力いっぱいお断りしたのだ。
連鎖的に光景を思い出したスサーナは小さく鼻を鳴らす。
――こんなことなら、あの時断ったりしなければよかった。
記憶が戻ってから、スサーナは家族からのハグや頬ずりや、ともかくべったりくっつく行為を最低限度に抑えた。
家族たちはしっかりしたねと誇らしげにしてくれたし、スサーナのスキを見ては抱き上げて振り回すことはやめない人たちだったけれど、こうなってみてスサーナは思う。甘えられるだけ甘えておけばよかったのだ。
あのときは秋の終わりで、木々はみんな紅葉していて、どこもかしこも綺麗だった。叔父さんは林の中を抜けて馬を歩かせようと言った。おばあちゃんは馬の形の玩具をスサーナと作ろうとドングリをスカートいっぱいに集めて、叔母さんたちとうちに居たお針子のみんながピクニックの準備をしていてくれた。
――いやだ。寂しい。
うっかり込み上げたものを言葉の形で思考してしまってたまらなくなる。
スサーナは歯を強く噛み締めてその間から息を逃し、泣き出す衝動を堪えた。
服の中に抱えた子供がいきなり思い出し泣きをはじめると言う状況は不気味で非常に迷惑だろうと判断する客観視は流石に残っているつもりだった。
後ろの気配が身じろぎし、上がった腕に力が込められたような気がした。
ぼすんと後ろに抱き寄せられて、服の前合わせの向こうに灰色の空と雪が遠くなる。
布地越しに肩のあたりをあやすように叩かれる。
――ほら、5歳児扱いじゃなかったらなんだっていうんですか、これ。
一度しゃくりあげたスサーナは、涙がこぼれたのを自覚した途端にこみあげてくるものに抵抗しきれなくなり、服の中なら顔も見えないし、だとか、泣き声も漏れづらいはずだ、とか、ぐるぐると言い訳を考えてから、子供扱いをいいことにべそべそ泣いておくことにした。
第三塔の魔術師は抱えた子供が泣くのに全く慣れていないという様子の泣き方で声を殺してすすり泣くのをしばらく黙って聞いていた。
やがて泣き声が途切れ途切れになり、まだ許容できる以上に冷え切っていると感じる背がくたんと
彼はうとうとと眠りに落ちかけているらしい子供を起こさぬように獣像の手綱を取り、意志を書き込んで少しその走る速度を早めた。
金属でできた獣は主の望みに応え、雪が絶え間なく降り注ぐ鈍色の海の上、はるか高空を疾走していく。
スサーナはふわふわと不安定に揺れる感覚に目を覚ました。
一瞬現状がつかめず目を瞬き、それからはっと気づく。
――あっ! わ、わたし寝てました……!?
スサーナはきゃーっとなった。服の中は暗いし静かだし、外気からは遮断されているし、なんだかいい匂いはするし、背中からじわりと温かいしで泣き疲れてスンスンしているうちに睡魔に完全敗北していたのだ。
――こ、これは、五歳児扱いされても仕方ないと言うか、むしろ三歳ぐらいの所業……
忸怩たる思いに駆られ首を上げると、自分が何となく既視感を感じさせるやり方で持ち運ばれているのに気づいた。流石に服の下ということはなく、普通に腕で抱えられている。
「目覚めたか」
掛かった穏やかな声にスサーナは恥じ入った。
「ええと、すみません、ご迷惑を……」
「気にすることはない。いま着いたところだ。」
――そういえば、ご用事とは聞きましたけど、目的地は何処かを聞いてなかったっけ。おうちじゃないのはなんとなくわかったけど……
「あのですね、そういえば目的地は――」
言いかけてスサーナは言葉を止めた。ぽかんと目前の光景を眺める。
高さは多分、前世で見た高層電波塔より高いのだろう。上は灰色の雪雲の向こうに隠れている。
口径さまざまな丸筒を複雑に細く束ね合わせたような形で、色は曇りのない白。晴れた日に見ればそれはそれは眩いだろう。
「……そうだな、言っていなかったか。」
少しきまりの悪げな声が横からして、特になんでもないことのように言葉が続いた。
「識別番号の三。君たちの言う魔術師の塔、第三の塔だ。」
第三塔の魔術師は小さな駒状に戻した騎獣像を袖に仕舞い、少女を抱えたまま早足で進んでいく。巨大な鳥かごめいた大温室が大小と建てられ、なにか意味があるらしい遺跡めいた構造がそこら中に立ち並んでいる。
冬枯れた木々の並びや土を盛った構造に規則性があることから、スサーナにもそこがどうやら庭園らしいと理解できた。
スサーナが木々を熱心に目で追っていたのに気づいたのだろう、第三塔が口を開く。
「気になるようだね。ここは『庭』だ。育種試験にも使うが、主に種の保存と、後は楽しみのための場所だ。……品種改良はあちら。君の注文の
「お米!」
反射的にスサーナは目を輝かせ、魔術師が指さした先を目で追った。
「もしかして、ご用事とは品種改良が完成したと……」
「残念ながらそれはもう暫く掛かる。第一世代ぐらいは採種できたが条件に合致するまでにはまだまだ。……気になるなら後で見ていけばいい。」
そうでないと言うなら用事とは何なのだろう。首を傾げたスサーナに魔術師は薄く微笑み、大きな扉の前で足を止める。
「手を伸ばして目線の位置に嵌っている石に触れなさい」
スサーナが言われたとおりにすると、第三塔はそれに手を重ね、人差し指で何かを描いた。するとなめらかな動きで左右に扉が開く。
――自動ドア!
スサーナがおおっとなっているうちに魔術師はドアの内側に入り、その背の後ろでまた扉が閉まった。
「ええと、今のは」
「入室者の登録。ここへは入れる者が決まっているのでね。私が管理者のうちは、君が出入りがしたければ前に立てばここの扉が開く、ということだけ覚えておけば支障ない。」
――自動ドアどころかオートロック!
スサーナは一時的に憂鬱をすっかり忘れて完全に目を輝かせた。
入った室内も夏頃入った小さな塔がいかにも農家の台所らしい作りだったのと違い、大概にハイテクめいていた。
入った先は天井の広いホールで、壁も床もなにもかも白い。流石に生活することを考えてあるらしく目が痛い、ということはないが、生活感のない清潔そうな場所に見えた。
第三塔がホールの奥にある小型の扉に進むと、そこは小さな小箱めいた部屋がある。
床には絨毯が敷かれ、端に籐椅子が一つ。広さは四畳半ぐらいだろうか。あそこから繋がる部屋にしてはなんとも狭い。スサーナは一瞬首を傾げかけたが、扉がすっと閉まり、ふっと腹の底が浮くような感覚にはたと気づいた。
――あれ、これもしかして。
すうっと扉が開いた先に見えるのは予想通り先程のホールではなく、全く趣を別にした部屋だった。
――やっぱりエレベーターだ!!!!
スサーナはふおおおっとなる。わくわくと興奮した表情を浮かべる彼女に、抱えた魔術師がほっとしたような表情になったことには気づかなかった。
どうやら目的地はこの部屋だったらしい。
広さはちょっとしたミニコンサートが開けそうなホールほどあるが、扉から続いていたホールとは違い、床がフローリングになっていて、丈が低いソファとテーブル、壁際が一面の書棚か薬棚らしい、ボックスが並んだ収納のような場所になっており、生活用品らしいものもいくつか置いてある。どうやらリビングルーム的な場所なのだろうと推測された。
スサーナはソファの上にぼすんと降ろされる。
はてこれからどうするのだろう、と目をパチクリさせていると、第三塔が壁際にあった石像らしきものに短く手をかざすのが見えた。なんだろう、と思う間もなくそれがわずかに浮き、すうっと目の前まで滑ってくるのを見る。
下半身を極限まで単純化させたような人型の像、に見える。性的な特徴は一切備えていないようだったが、首から上は穏やかな女性を思わせる精緻な作りをしていた。
「ふえ」
声を上げた少女に魔術師は少し慌てたような顔をした。
「ああ、驚かせた、すまない。害のあるようなものではない。見慣れないだろうと言うことを失念していた。」
「あ、はい、ええと、これ、ええっと、このひとは……」
「統率体……いや、機能か。見ていればわかる、と思うが……」
なんだか自信なげに彼は呟き、それに手をかざすと、温かい飲み物をと言った。
10も数えないうちに近くにあった扉がすうっと開き、それよりやや小型の、同型機と呼べそうな同じようなものが近づいてくる。見れば手には盆を携えているようだった。
――ろ、ろ、ロボメイドだーーーー!!!
盆の上から第三塔が取り上げたのがどうやら大ぶりのカップらしいと認識し、目の前に湯気が立つそれを差し出されたスサーナはとうとう憂鬱を何処かにかっとばし、目をぐるぐるにして興奮した。
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