挿話 寒雷 2

 遠くで低く雷の音がする。

 雪はだんだん強くなるようで、しばらく乗っても他に馬車に乗ろうというお客はいないようだった。

 停留所をいくつ過ぎただろうか。体の震えにまかせてぼんやりしていたスサーナは御者の声で現実に引き戻される。


「お嬢さん、この馬車はここまでだよ。村に行きたいなら駅馬車に乗り換えておくれ。」


 スサーナははっとして、足をもつれさせて立ち上がり、所定の金額を御者に支払って馬車を降りた。


 そこは、スサーナにはほとんど来たことのない場所だった。

 スサーナたちの住んでいる街は広い。港周りの商業区。運河周りの倉庫街。商業区に隣接する雇い人たちが住んでいるあたり。職人たちの工房が集まっている場所。港周りよりもっと上等の店が集まる商人街。神殿とその周辺。いわゆる司法とか公務が行われる建物が集まっているあたり。今は貴族たちが多く住んでいる高級住宅と庭園の区画。ほかにも様々な場所が一つの街の形で纏まっている。

 スサーナが馬車から降りたのは、その中でも外縁と呼ばれるあたりだった。講で使っている建物も外縁の一部にあるが、街の外周のあとあと増えた街区を指す言葉なので、そことはずいぶん離れている。


 区画整理はあまりされていない様子の建物は丈が低く、それぞれが小さく、街の中心部に比べればまばらに建っている。

 空き地に停まっている大型の幌馬車は漂泊民のものだろうか。スサーナはそちらの方を少し眺めたが、持ち主はどうやら外には出ていないようだった。


 それどころか外を出歩いている人がいる様子はなく、島では珍しい雪に行商人も商売を諦めたのだろう、路上に残された露店の台には布がかけられ、紐で縛られている。

 ――むしろ、人がいなくてよかった。


 スサーナはうっすら雪がかぶりだした石畳を特に行くべき場所も思いつかないまましばらく歩き、小さな広場を見つけて足を止めた。石のベンチがいくつかと、間を空けずに五人も並べば一杯になってしまいそうな、小さな石造りの野外劇場のステージ。

 スサーナは広場に入り込むと、石のベンチの雪を少し払って座り込んだ。

 見渡す限り誰もいなくて、静かで、何かを考えるには邪魔が入らなくてとてもいい、と思ったのに、座って何かを考えるはずが、他人事みたいに目の前の風景に思考が逸れる。

 スサーナは真っ白に曇る息を吐いて指先に吹きかけた。

 ――こんなところに野外劇場があるなんて。お祭りのときに使うんでしょうか。

 楽しいお祭のことを考えようか、と思ったが、なんだかうまく想像できなかった。


 そうしてしばらくぼんやりと座る。組立材料は沢山あるはずなのに冷静に組み立てようとした先から千千ちぢにバラけてもとに戻ってくれない。

 目線の先、鉛色の空から落ちる雪の粒は、眺めるうちに密度を増し、散々に視界を遮っていく。


 背中がぞくぞくと冷たい。勝手に体が震えて煩わしい。手を握り合わせようとしたスサーナは指の関節がうまく曲がらなくて握りこぶしが出来ないことに気づく。それでもつま先が鼓動するみたいにズキズキ痛むので、まだ感覚がなくなったとかそういうことはなさそうだ、と思う。

 ――何処かに移動したほうがいいのかな。

 ベンチに身を預けていると、それもなんだかとても面倒だった。

 ――ええと。

 座り続けているからには何か考えなくてはいけない気がした。

 スサーナは深呼吸して頭の中に散らばっていた材料をかき集める。

 冷たい空気を吸い込んだ喉がピリピリうずいた。

 ――私、そんなにショックは受けていないですよね。泣いたりもしてないですし。なんだか落ち着かなくてちょっと遠出しちゃってますけど、結構呑気にこんなところに座っているし。

 胸の中で、はっきり声に出して軽い調子で言う。


 そう、単純に考えてみるがいい。スサーナは思考する。

 自分はショックを受けていない。そんな権利なんかありはしない。

 ショックを受けたり悲しんだりしていいのは、大事な長男の子供だと思って育ててきた子供が自分たちと全然関係ないかもしれない家族だ。

 ――カッコウじゃないですか。そんなの。いい迷惑極まりない。

 いわば自分は加害者だ。まるで自分が可哀想であるかのように打ちひしがれていいいわれはないのだ。

 ――精神が違うどころか血統も違ったんじゃ、もう育てる理由がないどころの騒ぎじゃないですよねこれは。

 スサーナは皮肉げに笑ってみようと試みたが、凍えた顔の筋肉はうまく笑顔になってくれなかった。


 しばらくボーッとして、それからぼんやり考える。

 ――このことがバレたら、おばあちゃんも叔父さんも、きっとショックを受けるんだろうな。

 盛大な詐欺にあったようなものだ。スサーナの見る限り、家族たちはスサーナに長男の血が流れていないとは思っていないようだった。それは、叔父さんがぽろりと話題に出したことがある、父が漂泊民の女だった母をとても溺愛していて、仲睦まじい無二の恋人同士に見えた、という記憶のせいか。

 首を振ると髪覆いの襞から湿った重い雪が肩に落ちた。きっと布は上から下までぐっしょり濡れていて、髪の色が透けて見えてしまっているかもしれない。


 スサーナは背を丸め、小さくなって息を吐いた。体がこわばって姿勢を変えるのになんだか苦労する。爪の間や関節が痺れるように痛い。

 ――動くの、めんどくさいな……

 落ち着いてきたせいか、頭がふわーっとする気がした。どうすればいいのか考えるべきだという気がしたけれど、思考がほどけてまとまらず、ただ目の前を見ている時間が増える。

 眼の前の石畳に目を落とす。少しずつ四隅から被る雪が増えて石のブロックが白くなっていくのをぼんやりとなんとはなしに眺めていると、灰色と白の視界に別の色彩が割り込んできた。

 ――焦げ茶? あ、くつ。誰かの靴だ。

 靴を見てからそれが靴だと理解するまで、一拍の空白がある。

 靴のラインを追って目を上げる。すると暗い蘇芳色があり、灰色と白を見つめ慣れた目にはくすんだ色のくせに変に鮮やかに見える。


「君は。何処にでもいるな。」


 そこには長身の顔の見えない魔術師が立っていて、淡々とした感情のよくわからない声音のわりになんとなく不機嫌そうに感じられた。



「上着も着ずに何をしている」


 薄手の革手袋の指がスサーナの肩に触れ、みぞれ状に溶けかけた雪を払った。

 ――ああ、そういえば上着は脱いだんだっけ。

 スサーナは、薄めの仕立ての毛織のワンピースの肩がぐっしょり濡れているのを見て、ようやくコートを脱いだまま出てきたのだということを思い出した。

 諸島の気候は温暖で雪が降ることも珍しい。そのため冬服も薄くて、コートで帳尻を合わせるのが普通だった。この雪でコートなしでは、きっと半袖半ズボンで真冬に登校してくる男子のような一種異様なものに見えたことだろう、とスサーナは把握する。

 魔術師が指先で何か描くと濡れて肩に張り付いていた服はみるみるうちに乾き、ふわりとした風合いを取り戻す。これ以上体温を奪われず済むと喜ぶべきところだったが、冷えきって無感覚になった肩には直接恩恵は感じられはしなかった。


「ええと。考え事をしていまして」


 声を出しかけて、うまく声が出ないのにひっそり驚く。それでもええと、と言い終わる頃には寒さで掠れてはおれどなんとか恰好はついた。


「そうか。」

「はい。第三塔さんはどうしてこんなところに?」

「ここは魔術師にとって意味がある場所でね」

「起点地」

「ではないが、魔術に関係がある場所ではある。」


 なるほど、街の設計にも魔術師が関わっていたという話なのだから、そんな場所の一箇所二箇所はあるだろう。確かに自分が劇場と見たものは石造りで遺跡っぽい佇まいにも思える。

 スサーナは合点し、第三塔の第一声に納得した。


「お仕事ですか。ええと、お邪魔でしたでしょうか」


 立ち上がろうかとも思ったが、関節が強張ったようになっていてうまく動けない。

 ぎしぎしと腕を曲げ伸ばしたスサーナを魔術師は見下ろしたようだった。


「済みはした。」


 手が伸び、スサーナの手首を取る。

 軽く引かれ、スサーナはぎくしゃくと前のめりに身を起こし、腕を頼りに立ち上がった。

 たたらを踏み、なんとか真っ直ぐに踏みとどまる。

 なんだかいつもの胡乱げな顔をしたような気がした相手にきまり悪くぎこちない笑いを向け、言葉を探した。


「ええと、済みません。雪靴じゃないので、滑って」

「――」


 特に反応なく手が離されてホッとする。

 スサーナはその場を辞そうと一礼しかけ、魔術師がもう片手で手袋を抜くのを見た。

 頬に沿わされた感触がたじろぐほど熱くて、指で頬に触れられたのだという理解が一瞬遅れる。


「やはり。……君は冷え過ぎだ。いつからここに座っていた?」


 第三塔の責めるような口調にスサーナは目をそらし、曖昧に視線をさまよわせた。


「ええと。えへへ、そう長くはないと思うんですけど……」

「来なさい。馬車を停める。君はすぐに帰ったほうがいい。」


 魔術師は娘の腕を引き、広場から歩み出るよう促そうとして、その感触の重さに少女の方を見下ろした。歩き出そうとせずその場に立ったまま小さく身をすくめた彼女に眉を寄せる。


「どうか――」

「ええと」


 スサーナは言い訳の口調で言う。


「あの、まだお昼ですし、お休みなので、夜まで帰らなくても大丈夫で」


 降ってくる物問いたげな視線の気配に居心地悪く一瞬視線をさまよわせ、それから、


「心配されなくて済むので、ええと、もう少し遊んでいこうかなって思うんです。元々手足は冷えやすいたちなのでちょっと冷たいかもしれませんけど、動けば問題ないぐらいなので!」


 笑って誤魔化しながら言い切って、そろそろと握られた手首を抜いた。



 紙みたいな顔色をして何を言っている、とその言葉を一蹴しようとした第三塔は口を開きかけ、やめる。

 娘の表情は見覚えのあるもののような気がした。


 喉元に石でも飲み込んだのに似た正体のわからない不快感がじわりと湧く。嫌なものを見たと思った。記憶の中で異国の娘が父母に見せていた笑顔によく似た、笑顔の要素を完璧に備えたきれいな笑顔。血の気の引いた頬にはこれほど似つかわしくない表情はそうそう無いだろうと彼は思う。

 何があった、と問いかけかけて思いとどまる。この場で問うた所で本当のことは話さぬだろうと朧気な直感があった。


「――」


 顔の見えない魔術師が黙り込む。


「ええと、ですから――」

「そうか。」


 スサーナが言葉を繋ぎかけたところに声が被った。


「はい。」


 多分それは肯定の言葉で、うまく逃れられたとホッとしていいはずなのに、なんだか突き放された気がしてスサーナは喉の奥でキュッと息を詰める。


「そういえば君には用があった」


 しかし、続いた言葉は完全にスサーナの予想外で、思わずキョトンとした彼女は疑問符の声を上げた。


「はい?」


 見上げた彼女は魔術師が袖から出した小さな獣の像が猫科の大型獣めいた形に変わるのを見る。


「訪ねなければいけない先があるわけではないのだね」

「え、ええ、はい。」


 スサーナは反射的に頷く。

 さきほど腕を掴んだのと逆の角度で眼の前に手が差し伸べられた。


「おいで」


 一瞬状況が飲み込めない。

 辞退の意を述べる理由を何一つ思いつかぬうちに、スサーナは騎上に引き上げられていた。

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