第25話 市場に行こう 5

次の日のスサーナは最初からまったく落ち着かなかった。

朝、親たちが共同で出資している巡回馬車で初等講へ向かい、座っているときも。

午前中にデナル貨とアサス貨を混ぜた足し算引き算の講義を受けているときも。


「では回板9の問題。勘定台に5デナルもともとあるときに、お客様が2デナル3アサスの商品を買い、お支払いに3デナル出しました。お釣りはいくらかと、最後に勘定台にいくら入っていることになるのかを答えなさい。」


「はい、そこまで。じゃあスサーナ答えて、……スサーナー?」

「うひゃっ、あ、ええっとええっと」

「あら、わからない? じゃあティト。スサーナ、座っていいわよ」

「す、すみませーん」


さすがにわからぬはずがない。この後のことを考えるあまり問題文を一切聞いていなかった、というのが正解だ。

ほのかにそのあたりのプライドが高い――というよりも、聡明さを示すことで家名なんかに関わってくるという概念に抵抗がない――スサーナが授業後にしょんぼりしていると、昨日話しかけてきた男子たちがすすっと寄ってきた。


「なあ、オンラード正直屋の、えーとなんてったっけ!俺さ、おまえが問題間違うの始めて見たぜ」

「ねえ、さっきのやつ書けてたじゃん、なんで答えなかったの?」

「どれを答えたらいいのか聞いてなかったんです」


お前らのせいだよ、という思いを乗せて答えたものの、少年たちにはとくに堪えなかったようだ。

一人はくしゃくしゃに癖のある金髪を短く刈り上げ、仕立てはいいもののどうやら首周りのボタンを引きちぎったばかりのようなシャツを着て、高そうな柔皮のブーツもどこでどうしたのか泥にまみれている。

一人はミルクティー色のやや長めの髪に小奇麗なベストを着て、ポケットからは丸いコマの柄がはみ出している。

どちらもそれなりに裕福な商店主の子供だと見受けられた。


「あー、しょうがないよな。」

「あ、そっか海賊市が楽しみだったのか!」

「あんまり大声で連呼する名称じゃないと思うんですがそれ」


急いで遮ったスサーナに顔を見合わせると、にししっと笑った男の子二人がスサーナの左右の長椅子にぼすんぼすんと腰掛けた。


「俺ドナート!親父はガナール商会の重役なんだぜ!」

「俺はリュイス。今日はよろしく。なんて呼んだらいい?」

「え? ああええと、スサーナです。」

「……ふーん。」

「じゃあスイでいい?俺のことリューでいいよ。ドンはボンネットちゃんって呼びたいんだっけ?」

「おっばっテメーなぁ!?」


左右から話しかけられてスサーナは目を白黒した。村の子供と遊んだりもしているので、集団と過ごすことにもそれなりには慣れはしたが、こうやって左右からいっぺんに話しかけられたりすることにスサーナはあまり慣れてはいない。


「ボンネットちゃん……?」

「お、おぅ……や、なんか……いつも被ってるしさ……」

「ああ」


スサーナは得心した。帽子やスカーフ、ボンネットのたぐいを被っている子供はほかにも居ないわけではないが、これだけきっちり、しかも毎日かぶり続けている子供はほかに居ない。


「髪の色がちょっと濃いんです。おばあちゃんがそれで心配して」

「いやっ、うん、そんなん被ってんのおまえだけだし、俺はー、俺なー!よ、よっぽど澄ました奴だなって思ってただけだからな!」

「ああー、悪目立ちしちゃってます……? それは困るなあ……」

「おっ、ぃやっ、……しらねーよ!!」

「似合ってるって言ってたじゃん」

「リューーー!!!!!」


椅子から飛び上がった男の子たちが長椅子の周りをぐるぐる追いかけっこし始めたと思ったら、ドタバタと取っ組み合いが始まった。


せわしないなあ。スサーナは呆れた。

まあ、この年の男の子などという生き物は、一瞬も大人しくしていないものなのかもしれないが。


このひと騒ぎは次の時間に教師がやってきたことで有耶無耶になり、誰も座っていない長椅子を2つひっくり返した男の子二人は、授業が終わったあとに部屋を掃除することを仰せつかった。



講とは、スサーナの理解では私塾みたいなものだ。3人の教師のうち2人は夫婦もので、講に使っている建物は彼らの私宅だし、教師たちには月ごとに月謝を払う。

30人の子供達は10人ずつ、年齢と進度で適当に別けられて授業を受けている。


つまり、日本の学校よりもだいぶアバウトで校則もなく、別に教師が子供を平等に扱うという決まりもなく、いいおうちの子が贔屓されてもなんの不思議もない。中世的な自力救済というやつだ。


――でも、今日だけは平等に扱ってほしかったなーーー!

スサーナはとても残念だった。

男の子たちが授業後の掃除を言いつかったので、今日の決行はナシになるかと

期待していたのだ。

それが、ドナート……ドンが、今日は用があるんだと少しゴネただけであっさりと掃除がナシになり、代わりに反省詩を書いてくることになっていた。

いっそそれでは良くないとゴネ返して率先して掃除をしてやろうか、とも思ったが、授業後にあっさり使用人がやって来て掃除を始めたのでその野望も潰えた。

もともと、ここの掃除は使用人が行うのが通常で、こどもが部屋を掃除をするのは罰を受けたときだけに限られるそうで、数回授業を受けただけのスサーナは誰かが掃除をしているのを実はまだ見たことがない。


……贔屓とか関係なく、ただ単に先生はドンが部屋のものを損なうのが嫌だったのかもしれない。

壁にかかった絵やら、窓際に置かれた彫刻やらを使用人が丁寧に乾いた布で磨いているのを半眼で見ながらスサーナがのろのろと授業後の後片付けをしていると、今日は別のクラスだったあの女の子と、二人の男の子がやってきた。


「や、支度できた?」


リューが手を振る。朝は着ていなかった地味なマントを服の上に重ねている。

子供達も変装とかそういう事をまったく考えていなかったわけではないらしい。スサーナはちょっと安心する。


「ようし、ワクワクするな!」

「ねえねえドン、何か怖いことがあったら私のこと守ってくれる?」


リューと揃いのマントを被ったドンが上機嫌で何やら色々ポーズをとっている。

その袖をなんとかとろうとして女の子がチャレンジしているが、ドンがあんまりバタバタ動いているので捕まえられていない。

はしゃぐ方向はまったく別ながら、非日常にはしゃいでいるらしい残り二人でやっぱり不安になった。


「ええ、まあ……一応……」

「うん、良かった。俺、上着持ってきたからさ、服の上から着れるから、着といて」


リューに揃いのマントを渡される。暗い柿色で、シンプルな作りだ。

これはスサーナが作ってきたフードを重ねても別に違和感がないだろう。


「あー、顔とかわからないように、作ってきたんです。良かったらどうぞ」

「うわあっ、すげえ! あのさっ……くれんの?」


スサーナがフードを出すと、ドンがわかりやすくはしゃいだ。男の子とはこういう悪役ルックが大好きな生き物だ。リューもうわあ悪役みたいだと言いながら、ニコニコといろいろな角度からフードを眺めている。


女の子がちょっとムスっとした表情になる。


「可愛くなーい……」

「それは仕方ないですよ。えっと……」

「アンジェリーナよ。」

「はいアンジェリーナさん。どうぞ。顔が悪い人にバレないように着るものですから。」


狐を連想する、ブラウンと金髪の中間の髪をハーフアップに結って、赤い細いリボンをいくつも結んだなかなかのお洒落さんだ。ちょっと釣り気味の目が印象的な顔も、うっすらチークの気配があり、化粧を始めているように見える。確かにこれだけオシャレな子なら、飾り気のないフードは気に入らないことだろう。


むすーっとした顔ながらも受け取ってくれたことにスサーナは満足する。素顔を晒してそういう場所に行くのはどうにもごめんだった。

その場でかぶりかけたのを急いで止める。


「あ、そばまで行ってからにしましょう。ここだと別の方向性で目立っちゃいますから」

「えっ、あ、そっか。」


目をパチクリしてちょっと恥ずかしがった様子に好感を持つ。

ちょっとツンツンしていたとしても10歳である。まだまだ無邪気な年頃なのだ。


「じゃ、いこうぜ。商業区までは辻馬車を使うぜ」


男の子たちがマントを脱ぐ。どうやら着く前に我慢できずに着ていた、ということらしい。バッグにフードとマントをしまい込み、ドンがにっと笑う。


「ええっ、私乗ったことないわ?」

「俺らが乗り方おしえるよ。スイ、君は?」

「私もないです……」


子供達よりも人生経験があることを自認しているスサーナだったが、辻馬車に乗ったことがないことを申告してしゅんと首を落とした。

循環バスやらタクシーならあるのだが。



目立たないように講の建物を抜け出す。庭先に巡回馬車が止まっていたが、それに乗る子供達だけでも20人近い。たった四人少ないだけでは待たれることもないだろう。

建物の外壁沿いにぐるっと裏庭に周り、塀の崩れたところから外に出る。

「ここ、こんなふうになってたの」

「俺らは幼年講からここだったからな! 抜け出すルートは完璧なんだよ」

「ドンは三回に一回は授業の合間に抜け出してたからね」

「先生たちの苦労が目に見えるようです……」


講の建物は、やや郊外の一軒家の多いあたりにある。

巣のすぐ横に着地されて、うろんげに一同を見つめるめんどりに謝り、小さな冬枯れの畑を抜けると、道沿いにティーハウスと酒場を兼ねる小さな田舎家があって、そこに辻馬車が溜まっている。


いい天気だ。

冬特有の薄い青の空を見てスサーナは思う。

空気は乾いて、息は白く、近くの川岸から見える鈍色の水面には水鳥がいっぱい羽を休めている。遠くに見える木々の緑が濃い。


このままピクニックに行くとかならいいのに。

実際は、海賊市なのだ。


スサーナは何度めかわからないため息を、ながながとついた。

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