第345話 偽亜麻色の髪の乙女、邂逅する。
ガラスの厚い板を透かして冬の日が室内に差し込んでいる。
淡く緑がかったガラスの表面はわずかに歪み、冬氷を透かしたように光を散乱させていた。
サラはその窓辺に一人立ち、ひどく身の置きどころのない気持ちをそっと宥めている。
乙女探しの娘たちは国中から、身分も問わずに集められたという触れ込みだ。それゆえに、王都の屋敷で支度を万全に済ませ、馬車で現れる、ということが出来る者たちばかりではなく、僻地の貴族の娘たちが多く含まれるということになっているこの三度目の宴では――なんでも、数日前の二度目の宴の反省もあるようで――参加する娘全てに控えの部屋が用意されている。
部屋の中には彼女が一人きりで、彼女をここに連れてきたアブラーン卿は、サラを見ているよりももっと有用な事前の社交とやらにさっさと向かってしまっている。
だが、それも当然で、この王宮では流石に令嬢の着替えに養父であれ男性が無作法に同席するということは眉をひそめられる。流石にあの男も王宮務めの女達相手にひと悶着起こし、大事な局面の前に些細な理由でけちがつくことを避けたらしい。
サラは窓辺に立ち尽くしたまま、ぼんやりと部屋の中を見渡した。長椅子とテーブル、寝椅子を少し広くした形の、簡単な寝台と化粧台。花瓶台に載せられた大きな花瓶にはたっぷりと常緑樹の枝と名も知らぬ赤い実。寝台横の小卓にはカレンデュラが生けられている。
まだ昼間であるからか、備え付けられた灯りには火はなく、心もとない陽光で照らされた室内は淡い灰色にくすんでいる。
――こんなときなら……現れるものかと思ったけれど……
人気のない部屋の長椅子。寝椅子の端。あの幻覚が現れるのならいかにもおあつらえむきのようで、ふと視線を向けた先に座っていやしないかと思ったものの、どうやら自分はしっかり気を張っているものか、呑気に幻覚を見ている暇ではないと体が判断したのか、目を向けた先には誰も居ないままだった。
「話し相手が欲しかったのだけど」
呟いて、幻覚を待っていることも、幻覚が話し相手になると思っていることもだいぶおかしいのだと気づいてサラはくすくすと笑う。
それでも、アブラーン卿の屋敷に引き取られてからずっと、まともに言葉をかわしていたのはあの幻覚の道化師ぐらいなもので、王子様が選ぶ亜麻色の髪の乙女ではとうてい考えもしなさそうなうるわしくない胸の内を吐き出すのならきっとそれが、あの意地悪で皮肉しか言わない道化師こそがよかったのだけれど、声の余韻が消えてからも妙に皮肉げな声がするということはなく、案外に自分はしっかり正気なのだと、サラは少しだけ残念だった。
「……残念がることではありませんわね。」
気を取り直して、声に出して言ってから窓辺を離れる。意識して出した声はちゃんと張り、これから王子殿下に選ばれようというしっかりものの娘の声に聞こえた。
ぐっと背中を伸ばして血を巡らせ、首を上げて、サラは部屋の陰影に溶け、高い天井の隅でゆらゆらと曇る光を眺めた。控えの部屋の天井は高すぎて、昼間だというのに淡い陰に沈む中からシャンデリアの黄金色が鈍く光る。自分のような身分の娘に用意されるにはなんと豪華な部屋なのだろう。
――と言っても、豪華すぎるわけではないのだわ。下級侍女のときに幾度も目にした場所だからわかる。
用意された控室は、外廷にやってくる人々が待ち時間に休めるように用意された部屋の一つで、遠方からの客、下位中位の、官僚やその身内、召喚されて来た領主の家族などの御婦人の待機するのによく使われる客室だ。
格式高い方が通されないということも無いのだが、贅を尽くしたというよりはやはりいくらかは事務的な色を帯びた場所。
サラよりもひとつ下だという王子の、成年まではまだ長い年齢に合わせ、開催されるのは日常行われるようなごく小規模なパーティーだという。
祝祭に紐付く祝宴でもなく、正餐でもなく、ダンスもない、日のあるうちにはじまり、夜を待たず終わる、国の慣習に従った「子供向け」のもの。
――官僚の打ち上げぐらいのものだ、とか、宴好みの第二王子殿下が毎週開く軽い酒宴よりも簡素だとか……アブラーン卿はずいぶん馬鹿にしていたけれど。
乙女になりうるとこの中から選び出されたのならもっと豪華な、いわゆる社交界で行われるものに招かれるのだと聞かされたが、まず出席するのがそこまで華やかなものでなくてよかった、と思う。
多分、そこで王室の威光を示すような大掛かりな宴に招かれたりせずにいるのは、彼の言うように第五王子が軽視されているからでも、本日参加する乙女の候補達が身分の低いものと軽く扱われているからでもなく、王子や第三妃様の優しさなのではないかと思う。
中位の貴族の娘もいたという最初のものでも気軽な茶会であったというし、逆に、商家のものたちが多くいたという二度目の宴もさほど格の下がったものではなかった、と聞いている。乙女候補達はたしかに元々の身分で大きく区別されてはいないように思える。
もちろん、亜麻色の髪の乙女の候補達は身分が低かろうとも、彼女をその候補とした後ろ盾の貴族はそれなりの家格ということもあり得るし、サラのように、後ろ盾の家格は低くとも、無視してはおけない影響力を持った誰かだということもありうるし、何故か「王子殿下を助けた亜麻色の髪の乙女は下級の貴族か功ある郷士の娘程度の地位の低いものだったらしい」という噂も絶えないので、地位の低い者たちと高い者たちで区別なく扱うというのは公平意識のなせるものではないのかもしれないが。
でも、そう夢見ることはきっと自由だ。
――お優しい人たちだという印ならいい。だって、いきなり格式高い宴になど参加させられたら、きっと私、すくんでしまう……
そうなれば、きっととてもアブラーン卿の不興を買うだろう。王妃様とお近づきに、あわよくば第五王子殿下のお相手にと望まれて参加する、他の娘たちだって、きっと同じようなもののはずだ。
そうして怯えるだろう娘たちの心を慮ってくれる方だと今は懸命に信じておく。
お目通りがかなったときに、硬い表情などしないで自然に感じよく微笑めるように、少しでも好感を抱いてもらえるように。
だから、下級侍女として幾度も見た場所で、少しは落ち着いて参加できる自分は、きっととても運がいい。
サラはまた一度そう唱え、もうひとつ息を吐いた。
「着替えが届くのはまだ掛かるのかしら……」
衣装の着付けをする者は王宮で用意してくれると聞いている。これはある程度の影響力のある貴族が関わる身分のない娘、という今回の候補達を慮ってのものなのか、それとも持ち物などを王宮の制御に置くためなのか、なにやら微妙な政治的な問題があるようだったけれど、サラにはよくわからないことだ。ただ、それは第三者の手が入るということで、流石にあまり常識はずれなものはアブラーン卿も出しはしない……つまりアブラーン卿が憐憫を掻き立てることを狙って用意する衣装を身に着けなくてもいいということを意味していたので、サラにとってはとても喜ばしいことだった。
こつりこつり、とノックの音が響く。
「はい」
「失礼いたします。身拵えの用具をお持ち致しました」
ドア越しの言葉を聞き取って何も考えずに開いた先、着付けや化粧のための雑具を持ってきたのは下級侍女のようで、道具を載せたワゴンの向こうでサラも着慣れた衣装だった焦げ茶色が揺れる。
「室内までお運びしてもよろしいですか?」
そう快活に言った下級侍女の娘を見つめ、サラは短く息を詰めた。
「スシー……。」
重たそうな栗色の髪と、頬に散ったほくろを隠そうとしているのだろうかと微笑ましく思った少しやぼったい濃いめの化粧。サラよりぐっと小柄なのに頼れるのならこちらだろうと思わせる、年下で、同期で、サラがとてもひどい目に合わせてしまったのかもしれないおともだち。
見ないように目をそらしたまま、それでもその罪を投げ捨てることもできずに胸を騒がせていた。その相手がそこに立っていた。
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