第236話 まさかの辺境スローライフ 5

 次の日。

 何食わぬ顔で礼儀作法のレッスンをしたあとの休み時間にスサーナは必死で糸を紡いでいた。

 うっかりすると無念無想になるところを、

 ――これは守ってくれるものこれは守ってくれるもの……

 時折はっと思い出しては念仏のように頭の中で繰り返しながらの作業である。


 一通りお家でお針子さんたちやおばあちゃんに習った作業ではあるが、スサーナは糸紡ぎ自体はそこまで得意ではない。仕立て屋である以上糸は買い付けたほうが早いので、習熟し難いのは如何ともし難い事情だった。

 ――魔術に使う糸って撚りが均一じゃないと駄目とか節があったりしたら駄目とかありますかね……!!

 編み物に使うわけではなく、多分刺繍なので出来るだけ細引きの毛糸に仕立てているのだが、これが少し面倒なのだ。

 この地方で取れる羊毛、もしくは使用人さんが買い付けてくれた羊毛はどうも繊維があまり長くないタイプの羊毛だった。編み物用の撚りの甘い毛糸を作るなら十分なのだが、一生懸命梳かして繊維を揃えても糸にしてみるとなかなか毛羽立ちやすく、繰り出しをできるだけ一定にしても撚りを強くすると糸に太い細いが出やすい。


 全く未体験の貴族のご令嬢とか、同じ商家でも糸に関わりのないおうちの女の子よりかはそれでもずっとスムーズな糸紡ぎなのだが、プロの作った糸を見慣れた目だと

 ――これは安い毛糸!!!!!!

 みたいな雑念がどうしても混ざるスサーナである。これは安い毛糸!の念が混ざった糸が一体どういう働きをするかはあまり考えたくはない。


 それでもなんとか単糸を二巻作り、夜を待つ。


 ぷすーぷすーと太平楽に上下する、仰向けに広がった猫の腹を眺めて時間を潰していると、昨夜と同じようにドアを叩く音がして、開けると今夜も立っていたのはネルだった。


「いらっしゃいましたか」

「ああ。……今日は行く先が違う。これを。」


 その言葉とともにネルに手渡されたのは深紺と焦げ茶の糸を交互に使って織りだした光沢のないマントだった。薄手に見えたが指に重く、裏を見た時にその理由がわかる。

 表地とは別に付けられた裏地には光沢のある糸で鬱蒼とした森が縫いとられていた。


「これは……着れば?」


 問いかけたスサーナにネルは頷く。


「ああ。魔法だそうだ。なんでもこれが人目から隠してくれるらしい。今日は外に行く。」


 言いながらネルは部屋の常夜灯代わりに一つだけ点け残してあった蝋燭から香炉に火を移した。

 香炉には柄がついていて、柄を持って持ち運ぶためのもののようだった。


「そっちはなんでしょう。香炉……ですよね?」


 部屋に匂いが残って怪しまれるのではないか、とスサーナは疑問に思ったが、これは今から持って歩くものだ、とネルに柄を向けて示されたので少し納得する。


「マントだけじゃ足りない時の為の備えだそうだ。これを焚いてると常民はそっちに意識を向けづらくなるし、難しいことを考えづらくなるそうだ。獣避けにもなるとよ。便利なもんだ。」

「……お城攻めに良さそうなお香ですね……。」


 お城に忍び込んで要人暗殺をする暗殺者が大喜びしそうな香だ。自分が守ってもらっている屋敷で焚くものじゃないな、となんとなく矛盾を感じつつも、この深夜に出掛けていくのなら見咎められてはたまらない。スサーナはマントを羽織ると香炉を受け取った。

 ネルは手早く自分でもマントを身につけ、香炉をもう一つ点ける。


「じゃあ行こう、お嬢さん」


 スサーナはうなずくと昼紡いだ糸を入れた袋をマントの下、肩に掛けた。



 月がとうに沈んだ後の夜の中、一面の菜の花畑のただ中を歩く。

 今夜は雲がなく、空一面所狭しと星が輝いているため、目が慣れてくるとぼんやりと菜の花畑が見えて、なんだか奇妙な夢のようだなあとスサーナは思う。


 すぐ横、半歩先を歩くネルが灯りを最小限にしたランタンを点けていて、削げた顎の線から目元がぼんやりと浮かび上がっているのもそれらしい。


「ネルさんー」


 なんとなく呼びかけた声にネルが振り向く。


「ん? どうしたお嬢さん。」

「いいえ、特になんでも無いんですけど。屋敷から距離も離れたことですしちょっと喋って大丈夫ですよね? 話していきませんか」

「ん、構わんが……。ああ。お嬢さん、あんた夜闇が怖いのか。」


 ぼふんと頭に手を置かれ遠慮会釈なく笑われてスサーナは膨れてみせようかと思ったが、ニッコもそうだったな、と何かを懐かしむような声で言われてしまったのでやめる。


「そう……いうわけでもないんですが。本土は悪霊が出るとか言うじゃないですか」

「そういうことだろ。……こういう土地にはほとんど出ねえさ。」

「ほとんど!?」


 ほとんどというのはゼロではないということではなかろうか。夢っぽくて落ち着かない、というのだと説明しづらいなと出した悪霊という単語のせいでまた知らないで良いことを知ってしまった気がする。スサーナは非現実感を明々後日の方向にかっとばして戦慄した。


「悪霊が多いのは戦跡だとかそういう場所だよ。遠目だとか真っ暗なのにはっきり見えるやつは怪しいな。後はそういう土地は陰火が出たり……」

「話してくださらなくて結構ですから!!」


 目的地は屋敷からやや離れた場所にある小さな森の中だった。

 たどり着いた時には小さな焚き火に鍋が掛けられていて、カリカはその横で荷物から出した干した薬草を並べているようだった。


「案内ご苦労さま。」


 ネルを労ったカリカに手招かれ、スサーナは急いで袋の中から糸束を出して見せる。


「ええと、あまり上手く行っていないんですけど……これで魔法に使う糸は作れますか?」

「あら。予想よりもずっとよく出来た糸です。慣れているのね。これなら十分ちゃんと使えるわ」


 カリカに褒められてスサーナはほっとする。どうやら彼女はスサーナの糸紡ぎの腕を本当の初心者ぐらいに見積もっていたようだった。


 その後、糸を煮る時に使う薬草を目の前に並べられて復唱させられる。どうやら糸を煮る工程はその後血につける際のにおいを消す意図と撚り止めの意図もあるらしい。

 それでも主目的は浄化だとかそういう超自然のなにかのようで、魔力が見られるようになればわかりやすいのだけれど、見えずとも出来ないわけではないから安心するよう、と言われたスサーナはそれがどうやら目に(?)見えるらしいということを知った。

 薬草にはヤドリギを足したりイチイを足したりすることもあり、完全に決まった品目があるわけではないらしい。慣れるとどの薬草を使うのか応用が出来るようになる、とカリカは言った。


 薬草を入れるタイミングの指示を覚えるよう言われながら糸を煮る。


「糸を入れるまではぐらぐら沸き返らせてもいいけれど、糸を入れたら沸かないように。火から少し離して。ええ上手。……さ、このまま少し煮ます。その間に血を取りましょう。」


 言われたスサーナは少し身構えた。

 ――血を取る、と言っても、そういえばどう取るんでしょう。

 必要な血液量はそこまででもないようだが、ナイフかなにかで何処かを切るのだろうか。

 利き腕ではない腕を出すように言われて言われるまま腕を出すと、きゅっとリボンを巻かれ、はいじゃあ刺すわね、と言われて腕に針を刺される。

 見ればそれは中空になっているようで、小さな器に針の先から血がこぼれ落ちるのが見えた。

 ――だ、大体採血! 洗練されている……。


「……ナイフか何かで切るのかと思っていました。」

「このやり方は傷が小さくて済むけれど、慣れている者でないと難しいの。自分一人でする時はそう量は必要ないでしょう? その時はナイフで手のひらを浅く切るか、手の甲を浅く切るやり方がいいわ。手首は血が出すぎることがあるから避けて。慣れぬうちはできるだけ浅くが鉄則。」


 注釈されてわあ常識的だ、とスサーナが考えているうちに必要な量の血液は溜まったらしい。リボンが解かれ、すっと針が抜かれて傷口を押さえられる。

 一瞬カリカが目を閉じ、深く息をした。


「はい、おしまい。」


 傷口にぞくっとした感触がして、カリカがめまいを抑えるように首を振る。

 押さえた布を取った後にはなんの傷も残っていなかった。


「すごい、便利ですね……。」

「ふふ、ワタシがいる時はこのやり方が出来るわ。糸を作るなら今のうちになさい。傷はあとに残さないのが一番ですから。」


 少し疲れた表情で、しかし誇らしげにカリカが笑い、スサーナは自分の腕をまじまじ見る。


「その、傷を癒やすのって自分の傷を自分で癒すこととかって、できたりしますか?」

「傷を癒やすわざ自体が使えるものが少ない魔法なんですよ。もし出来たとしても、自分の傷を癒やすのは少し厄介な魔法になります。」


 他人の傷を治せるの、言っていいのかなあ、とスサーナはネルの顔をそっと見上げる。二人が魔法の授業をしている横でそっと控えていたネルはスサーナの視線を受けて意味を察したらしい。曖昧な表情をされたので、とりあえず今はまだ黙っているべきかな、とスサーナは判断した。多分、レミヒオくんに判断を仰いだりする必要があるのだろう。


 それから少しして鍋から糸を上げ、一緒に煮ていた薬草も上げる。血に薬草を浸し、そこに瓶から水を注いで次の工程の準備ができたらしい。

 布の上に糸を上げ、水を切って持てるぐらいになってから血に潜らせる。

 その間には血液が糸の間に染みていくイメージを持つようにとカリカは言う。


「血と魔力が糸に染みていく。染料で糸が染まるようにでこの糸が染まっている。それを意識なさい。」


 彼女は数度そう言葉をかけ、スサーナが器の中に泳ぐ糸にふっと没入したタイミングでええ、いいでしょうと頷いた。

 最初これでいいのかとか意識をそらしているうちには絶対OKが出なかったので、これは本当に何か見えているのか、とスサーナは恐れ入る。


 後は陰干しをし、糸が乾いたら一応準備は完了だとカリカは言った。

 その後はその糸を色染めしてもいいし、そのまま使ってもいいらしい。

 水で薄めた血に潜らせた糸は、いかにも血染め、という風には色づいては居ない。血染めの纐纈布とやらは真紅になるとかいう与太話を前世聞いたものだったが、これならそのまま使ったとしてもそこまで怪しまれないだろう。


 すぐに糸は乾くものではないので、その後の時間は陰干しした糸の具合を見て干し方の指示を受けつつ――普通の糸ならスサーナは十分干し慣れているし、干すことに魔術的な意味はなさそうだったので楽な仕事だ――カリカが話す知識に耳を傾ける。

 行ってはいけないタブー、逸話。望ましい行い。刺繍の表す一般的な効果など。


「単純な話ですけど、嫌いなものを刺してはいけないわ。」

「嫌いなもの……ですか?」

「ええそう。昔、ムカデが死ぬほどお嫌いな方が、他所でそれがとても役立つと聞いて、うかうかとその形象を刺したそう。でも、どれほど祈ってもその刺繍は効果をあらわさなかったのだそうだわ。」



「アナタは髪を短くしているけれど、髪は緊急時の早打ちに使えるの。糸の代わりに針に通して……ただし常用には向かないわ。髪は一本だと長く保たないし、しなやかすぎて取り回しが悪いの。それに撚るとゴワゴワしてしまうし、肌に当たるとチクチクしてしまって……」

「そ、そういう実利的な理由なんですか!?」

「それだけではないわ。雑念が混ざるからかしらね。制御がしづらくなるの。髪は魔力を溜めるものですから働きは強いのだけど、思わぬことが起こるようでは安定して使えないわ。そういうわざを得意にされた方もいらっしゃるそうだけど、糸を用意できる時にはあえて使うものではないわね。」



 その他、まだ生きている特定の人間を刺繍すると呪いになりかねないので良くないだとか、どうしても体に傷をつけられない場合経血は血の代用になるが効果はぐっと劣る、だとか――前世の知識でいうと民俗寄りの魔法的なんとやらというと経血Menstrual Bloodという印象があったスサーナはなんとなく意外だったが、何かややこしい事情があるらしい――、細々した知識を聞かされ、糸がある程度乾いた所で本日はお開きとなった。

 一旦カリカが糸を引き上げ、流石にスサーナには時間的余裕的に難しい染色をやっておくと言ってくれたのでありがたく任せることにする。

 染色の際に普通は染料やら触媒に漬けるのだし、血が落ちてしまうのではないかとスサーナは少し心配になったが、一旦乾いた後なら問題はないそうだった。


「ええ、じゃあ、また明日の夜。明日こそは刺繍に入りますよ。覚えておいて。」

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