第235話 まさかの辺境スローライフ 4

 口の端を上げて笑った女性はネルの方に首を向ける。


「お前も暫くぶりねひよっ子ちゃん。お前がお守りをしているの。」


 軽口に渋い顔になりながらネルはああ、と頷いた。その神妙な様子にスサーナはなんだろう、偉い人なのか、何か頭が上がらない理由があるな、と察する。


「使い手、それも巫師の兆候があると聞いたわ。ふふ、コノハズクには恩があるから誰にも言わぬという約束は守りますが、一体何処にこんな子を隠していたのです? しかもこんな場所、訳ありにも訳ありなのね。……ああ残念。詮索しない約束でもあったわ。」


 甘い声で言った彼女にネルが少し眉をひそめて返す。


「俺の妹のようなものだ。氏族とやらのしきたりも基礎とやらも何も知らん」

「ああ、そうなの。そこまで血の濃く出た逸れハグレなんて、何年ぶりかしら?」


 言って、やにわにすっと目を覗き込まれたものでスサーナはぴゃっと身を強張らせた。


「ああ、ええ。いい目ね。光を吸う闇夜の目。ワタシはカリカ。ワタシが今からアナタの教師です。」

「よ、よろしくおねがいします……スサーナと申します……。」


 たじろいだスサーナからすっと体を離し、カリカと名乗った女はくすくす笑う。


「ふふ、そんな緊張しなくても取って食べたりしないわ。さ、楽にして。じゃ、これから色々、話していきますからね……。」


 床の上に彼女があぐらをかくように座り直したので、硬い石床に直に座らせるのはなと思ったスサーナはとりあえず作ってあったクッションをよければどうぞと勧める。あら礼儀がなっているのねと微笑んだカリカはクッションの上に座り直し、それじゃ、と仕切り直した。


「まずは鳥の民ワタシたちのことから話しましょうか。スサーナ。アナタは鳥の民についてなにか知っていて?」

「はい、ええと……」


 スサーナは慌てて記憶を探る。そういえば知識の殆どはおばあちゃんから教わった話と、街の人達の噂話程度だ。そこに僅かにレミヒオの解説が乗る程度。


「常民……の噂程度です。世界を彷徨う方々で、みな黒髪をしていて……魔法を使うことが出来る方が居て……それは刺繍を使うものだということ。契約が必要ない、ということと……それは昔ヤァタ・キシュから奪った力だという噂を……。」

「はい、よく出来ました。最後だけ間違いかしら。では、そこから。」


 夏の深夜の気配がする部屋の真ん中で、彼女は手元にだけ灯りをつけた蝋燭を残した。長い話になるからね、と笑った彼女はクッションの上で背筋を伸ばすと、ゆったりと歌うような口調で伝説を語りだす。


 鳥の民は遠い昔、鳥の神がその卵より呼び起こした者たちであり、もとを正せば常民たちなどよりずっと神々に近いものだったということ。あるとき、鳥の神がお隠れになり、鳥の民たちは神の庇護を失ったこと。そこに呪司王様が冥界から神のちからを携えて戻る。神の権能を持って戻った呪司王様だったが、そのまま神の後釜に座ることはしなかった。しかしその人はほんとうの王であり、地上に住処を失った鳥の民に国を与え、長くよく統めたという。


 そこまで話して彼女は一度瞑目し、小さな祈りの仕草をした。


「偉大なる我らが長、呪司王様に衷心よりの敬愛を」


 スサーナはそっと思う。

 ――こう聞くと、権威の由来譚みたいですね。昔おばあちゃんに聞いたのにも似ている。でも殺して奪い取ったのか多分正当なものなのかという点がおばあちゃんに聞いた昔ばなしとは違うし、国があったんだ。

 つまりこれは鳥の民とその力と正当性についての由来譚かな、とスサーナは思う。実際にあったことかはまた別の話で、これが彼らの中で口伝されているということを知るのが重要なやつだ。


「常民に伝わっている話はまずそこから間違っているの。ヤァタ・キシュは鳥の神様ではないのですよ。あれは鳥の神様がお隠れになった後の、後釜の神。本当の鳥の神様の名前は今はもうワタシ達と、……もしかしたら月の民達、それぐらいしか知らないわ。ワタシ達は愛されていた。だからこそ呪司王様は全ての権能を持ち帰ったの。」


 カリカは流れるようにその続きを語りだす。


「それでも。その繁栄は永久には続かなかった。呪司王様がご自分の命数を予言されたのです。」


 そして呪司王様がお隠れになるときが来た。鳥の民たちはとても悲しんだけれどその定めを変えることは出来ず、しかし呪司王様は自らのちからをすべての鳥の民に分け与えたのだという。国を持たず、世界に散っても生きていけるように。そして鳥の民は全て権能を帯びるようになり、ばらばらになっても生きていけるようになった。

 鳥の民はそれから世界に散らばり、しかし自らが呪司王の臣下であったということを忘れぬように氏族ごと、旅隊ごとに群れを作って世界を放浪することになった。


「それがワタシ達の起源。」


 まずはそれだけは覚えてね、カリカはそう微笑む。ワタシ達は皆呪司王様の臣下。呪司王様に生かされ、その帰りを待つものよ。と。


「呪司王様は皆生きやすいように生きて行けと命じたのです。だから普段はワタシ達自身、お互い利益がない時はあまり関わらないし、生きていきやすいところに流れながら生きているのよ。でも、いつかまた元の群れに戻る時が来る。だからワタシ達は自分が氏族の一員だということは忘れないわ。呪司王様への忠誠も。それでもどうしても群れから逸れた鳥は出るでしょう。その時のためにワタシのような語り手がいて、伝承と魔法を先に伝えているのね。」


 スサーナは小さく首を傾げる。なんだか飛躍した展開が一つあったような気がした。


「……帰りを待つ、ですか?」

「ええ。呪司王様はいつかお戻りになるの。その時にまたワタシ達は一つの群れを作り、国を持つ民となるのだと伝えられているのよ。」


 スサーナは少しメシアの復活論とか弥勒菩薩降臨みたいな話だなあ、と思ったものの、何しろ超自然のある世界なのだから真実ど真ん中なのかもしれぬ、ととりあえず無批判に受け入れておくことにする。

 カリカは流石に目の前の少女がいきなり文化人類学方面に気を反らしていることになど気づかなかったようだった。じゃあ、と小さく囁いてスサーナに目を合わせる。


「それで、魔法ね。ワタシ達の魔法の力はかつて呪司王様がお分けになってくださったちからの欠片。羽の一枚。呪司王様とかつてそれに連なるものの血筋である祖の六氏族につよく出やすいけれど、極稀に下の氏族や、血の薄い逸れ者から出ることもあるわ。アナタのように。」


 ――なるほど、混血は使えない、と言うのに血の薄い濃いがあるらしいのは不思議だったんですけど、最初の段階から何かそういう物があったんですね。

 スサーナはかねてから疑問に思っていたことに回答が出て納得した。ほんの少し、実は混血でも出る、と言われたかった気もまだしなくもないのだが、これは本格的にそれは無いようで少しだけ残念だった。


「常民達の間では、刺繍だということばかり伝わっているようだけど、糸の魔法の本質はそれではないの。本当に意味があるのは、ワタシ達が愛されている、ということ。」


 世界を織るのは確かに鳥の神様の力で、だからこそ魔法が糸と布で行われることには意味はあるけれど、と彼女は言う。刺繍は私達が世界に愛されているということに形を与える手段であり、外形を整えることでちからに方向性を与える門でもある。と。


「その力を受けやすくするためにワタシ達は特別の糸を使うのよ。じゃ、まずは特別の糸の話をしましょうね――」




 彼女は糸にもランクがある、と言った。

 まずは遠い昔に鳥の神によって授けられた最も特別の糸。神の羽毛が撚り込まれているというそれは鳥の民にとって特別な場所にしまい込まれていて、普通では見ることも適わないという。

 次が呪司王様が残した糸。これも同じように仕舞い込まれているそうな。


「ここからはワタシ達でも触れられるものね。誰でも使える、というものではないけれど。 ……呪司王様にお仕えする方々が今でもおられます。特にうけついだちからが強い方々で、姫宮と仰るの。その方々が作り出す綾糸。はらわたを割いて作るものがまず一位。」

「は、はらわた!?」

「ええ。腸を割いて糸にするの。……精進潔斎をして、体の中を綺麗にしたあとで癒し手を呼んでお作りになるのよ。腹を割いて腸を取り出したところで、元通り癒やしてしまえばいいのですから。」


 よ、良かった!とスサーナは思う。生贄みたいな話ではなさそうだ。なるほど欠損部位を再生できるならそういう乱暴なことも出来るというわけか。

 しかし人由来のカットグットとは。スサーナは恐れ入った。なんとなく特別な糸、と言われて何かおまじないをした、というようなイメージでいたが、これは本当に特別だ。


「次が特別に育てた蚕糸を特別なやり方で姫宮様達の血で染めたもの。これは巡礼の時に氏族の長老が頂けるの。守り刺繍に一筋混ぜて使うのね。ここまでは氏族であればいかなる者であっても糸の魔法を働かせることが出来るものよ。」


 もっとも貴いのはこれらの糸。ここから先は一段落ちます。カリカはそう言って言葉を継ぐ。


「魔獣を捕らえて血管や神経を使って糸を作り、使い手の血で染めたもの。氏族の長老たちが作る糸。術糸……男衆の肌の下に埋め込むのは多くこれを使います。」

「魔獣を……?」

「ええ。魔獣の血肉は魔力に反応しやすいの。だから糸の魔法を使えない男たちでも魔力を通すことがしやすいのね。この下は長老たちが血で絹糸を染めて作る糸になるわ。」

「あの……」


 スサーナはそっと小さく手を挙げる。


「おかしな事を聞くかもしれないんですけど、長老様達はその、はらわたを糸にしたりは……」

「作れないわけではないのだけれど。はらわたをまるごと再生できるような癒やし手はそう各氏族に都合良くはいませんからね。作ったとしてもお亡くなりになった時にほとんど限られる。死んだからだから取り出したものだと効果が劣るし、ご自身で念を込めて紡ぐのが大事な工程だから、あまり一般的ではないの。……そういうものを秘蔵している氏族はいると言うわ。」

「よ、よくわかりました。」

「ふふふ、疑問に思うのは良いことよ。仕組みの類推が出来たのも素晴らしい。覚えが早くてよろしい。」



 カリカはスサーナを褒め、その後で、さてここからがアナタにも関わりがある話よ、と微笑んだ。


「そしてまたその下。これが各々の使い手が作る糸よ。大きな魔法を使うのには向かないけれど、少しの力、ちょっとした魔法だったら働かせられるの。」


 丁度ここには糸車もある様子、丁度いいわ、と彼女は言う。


「まずは一番最初、初歩の初歩。その糸の作り方をアナタに教えましょう。」




 まず、念を込めて糸を紡ぐ。本当は絹糸がいいのだが、それは少し専門的な設備がいるので今回は考えないでいい、と彼女は言った。木綿よりもまだ羊毛なんかの獣の糸のほうがよく働く、という。

 糸束が出来たらヨモギとサンザシ、ニワトコなどの数種の薬草とともに糸を煮込み、きれいな水を用意してそれに傷から流れたばかりの血を溶かして糸を入れ、乾かす。


「大体糸ひと束につき、片手の手のひらに溜まるぐらいの量を使うわ。この間ずっと、これが自分を守ってくれるものになると思いながら行うのが大事。」


 その後で望む色に糸を染めて、それで一応の完成なのだそうだ。


「作るのは闇夜のほうが効果が高い、とか、煮る時に石英のかけらを一緒に入れる、なんてのもあるけれど、力の弱いものの作る糸としては誤差だから、あまり気にしなくてもいいことね。さ、今のは概要。詳しくは実際作る時に話しましょうね。」


 そうして作った糸で魔法の講習をしましょう。と彼女は言った。


「明日から毎日、アナタがここにいる間はずっと来るわ。バレないよう、何もなければおいでなさい。来られない日は連絡はひよっ子ちゃんにしてもらうからね。一月で他所に行くとは聞いていますけど、多分、長い付き合いになるでしょう。」


 今日は説明だけ、明日来た時に薬草を用意するわ、とカリカは微笑む。小さな傷ぐらいならワタシも治せますから安心して頂戴ねと言った彼女は、じゃあ明日の夜やってくるまでに糸を紡いでおいてね、とそう言って去っていった。


「明日までに……」


 スサーナは脇に積んだ羊毛の量を見る。

 魔法の講習にどのぐらい糸を使うものかはわからないが、多分ほんの少しあればいい、というものではなさそうだ。

 まあ、糸車はあるのでスピンドルだけで紡がなければいけないよりもずっとマシだが。


「羊毛……予洗いして梳かしておいてよかった。でも間に合うんでしょうかこれ。」


 糸が紡げるのは午後の数時間。時間勝負になりそうだぞう。スサーナはそう思いながら羊毛を一掴みつかみ取り、まじまじと眺めるのだった。

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