第234話 まさかの辺境スローライフ 3

 それから何日かは日々は特に変わりなく過ぎた。

 日一日居館の中は掃除されていったし、厩舎や納屋も修理され、洗い場や井戸も使えるようになったらしい。


 スサーナは順調に礼儀作法のステップを進めている。

 どうやら侍女たちは、公の隠し子とやらがグリスターンでもそれなりの小貴族の娘ぐらいの生活はしていたものと理解したらしい。


「なんと言っても旦那様のお眼鏡にかなった方のご係累です。お嬢様にも恥ずかしくないぐらいのご教育はされていたのですね」


 そう囁き交わした侍女たちのまなざしが、家に上げられた野猿を見る目から値踏みするものへと変わり、教えられる礼儀作法自体は全般的なものから個別の例になって間違いが許されない厳しいものへと変化したが、最初の何日かはほぼ目覚めたときから眠るまで続いていた特訓の時間自体はほんの数日でぐっと減った。

 朝食時の礼儀作法の指南はなくなり、午後のお茶の後の侍女たちが雑務で忙しい時間は基本的には自由にして構わない、ということになったのだ。

 スサーナは発生した自由時間をどう使おうかとしばらく考え、結局糸車を塔の上の方にあった空き部屋に運び込むことにした。


 塔の上の方の空き部屋はそう高さは無いことから見張りの用途のためのものということはなさそうで、しかし大きく開くロンデル窓が付いていたし、屋敷の周りに広がる菜の花畑を一望することが出来た。

 ネルに頼んでそこに椅子と、塔の下の方に放置されていた作業台を修繕してもらってからよく拭いて運び込む。

 ミランド公からは屋敷の中のものは全て――といってもコレクションらしきものを壊したりしたら気落ちされる気はするのだが――スサーナの好きにしても構わない、というお墨付きを出る時に貰っているので、その程度の模様替えは問題にならないはずだ。


「さて。……いやまあ、でも、このぐらいの気晴らしはいいですよね?」


 近くの村まで買い出しに出る使用人に頼んで羊毛や真綿、木綿もめん綿があればいくらか買ってきて貰うことにする。糸と布もあれば少し、とお願いした。

 機も置いてあればよかったのだが、少なくとも塔めいた作りの部分の中には見つからなかったので仕方ない。まあ気晴らしの数時間では一月で大した量は織れないのであった所であまり変わりはないかもしれぬ。

 スサーナは余暇時間にとりあえず手芸に勤しむことにしたのだ。


 それは、慣れた作業である、というのもあるけれど、侍女たちが明確に嫌な顔をしない趣味であるという確信があるせいでもある。

 専門業種として親しんできたスサーナとしてはさほど高尚なものとも思えない作業だが、どうやら貴族や王族の姫君方もたしなみとしてある程度行えるほうがいい、ということになっているらしい。(とはいえ、学院で貴族の令嬢達と顔を合わせるようになってからこちら、スサーナは布仕事が得意だという貴族の令嬢に出会ったことはない)

 というわけで、布と糸を持っている間は姫君らしい行為として侍女たちは詮索してこないし、寝室以外に巣を作ったとしても放っておいてくれる、というわけだ。


 事実、ネルに頼んで部屋の改装を始めた時には何を始めたのかとあまり好意的ではない感じだった侍女頭も糸車を運び込んだのを見た後は文句なさげだったし、なにをしようかと考えていた時に、畑や納屋に入ってみようとした時にはぴったりくっついて一々止めてきた侍女たちも特には近づいてこない。


 塔は居館の北側のあまり皆用事のない方にあり、常に周りには人気が少ない。これならネルと内緒話をするとか、侍女たちに見られたり聞かれたりしたくない事象があったとしてもさほどの警戒なしに行うことが出来るという思惑もスサーナにはあったりする。

 ――侍女の方々は私のことを本当にグリスターン生まれの公のご係累だと思ってるみたいですしね。お家の話とかを目の前でするわけにも行きませんし、丁度いい。


 とはいえ、緊急に話したいことがあるわけでもなし、とりあえずは予防的に普通に針仕事をするつもりでいるスサーナだ。


「ああ……やりかけのレース編み、こっちに持ってきていたら良かったんですけど。まあ……こういうことになるだなんて思ってませんでしたからね」


 荷物の中から針や糸を出しながらスサーナは少しぼやく。ブリダの結婚式の時にレースのヴェールを使ってもらおうかと思って眠れない夜なんかに学院でちょっとずつ編んでいたものを置いてきたのがこうなってみると返す返す残念だった。


 まあ、編み上がってもここからではブリダに届けるのは難しそうなので同じことかもしれない。スサーナはそう考えることにして、とりあえず猫を遊ばせる布おもちゃから作ることにする。

 白猫はすっかり部屋で我が物顔でくつろぐようになっており、ネルによって洗われた上でスサーナが丹念にブラシで梳かすものだから毛並みが日々磨かれて、侍女たちにも受けがいい。こっそり山羊乳なんかを貰ったりしているのも見かけたので、ご機嫌取りのアイテムがあって悪いことはなさそうだった。



 それからまた数日。スサーナが屋敷についてから七日が過ぎる。


 その日、門に旅芸人の一座が迷い込んできた。

 一番近くの村までは少し遠いため、彼らは屋敷で泊めてほしいと申し出たらしいが、使用人頭は門番に言い含めて彼らにいくらかの食べ物と蝋燭を渡してお引取り願うことにしたようだ。


 実はその前にも夜の明かりに惹かれた旅人や行商人などもやって来ていたのだが、使用人たちの意識はその点では完全に統一されており、使用人頭がいない時でも門から中に来訪者を絶対に入れはしない。その頑なな態度に門番が少し不思議そうにしていたほどだ。


 ――これ、多分私のことで警戒してくださってるんですよね。

 スサーナはゲートハウスの所で押し問答をしているらしいのを窓辺から眺める。

 男性使用人たちは規律と高貴さを旨とする、という感じの侍女たちと違ってほとんどがご陽気で気さくなお兄さんたち、という感じだったが、ミランド公の信頼深い者たちというのは間違いないらしい。一見では見えないものの、こういう時に垣間見える連帯の強固さは眼を見張るものがある。


 諦めて門を離れるらしい旅芸人達に使用人の一人が食べ物を渡し、さり気なく去っていくのを見送っている。


 スサーナの横でそれを眺めている、この屋敷の中では珍しくミランド公とは関係のない一人……ネルがふと目を細め、お嬢さん、と静かに囁いた。


「アンタ、今晩は本当に寝ちまわないで、侍女が寝たあとで着替えておいたほうがいいな」

「ネルさん? ……どうしてです?」

「ああ、怯えるような話じゃねえ。多分、客が来るってだけだ。……ほら、あれだ。漂泊民カミナだろ。」


 ネルが指差したのは一行の最後尾にいる、やや小柄な人影だった。一度こちらを振り向いて、それから去っていく。遠目だがどうやら女性らしく見えた。


「……ネルさんの立場ですと、鳥の民って言ったほうがいいのでは?」

「まあ、それもそうか」

「お友達の方なんです?」

「……いや。知ってる相手……ではあるけどな。見分け方は習ってる。」



 果たして、その日の深夜。ネルの言う通り皆が寝静まったあとで動きやすい服に着替えてベッドに潜り込んでいたスサーナは、静かなノックの音にそっとドアを開ける。


 そこに居たのはネルで、ごく静かに小さく会釈し、低い小声で言った。


「客だ。糸紡ぎ部屋に通してある。……見咎められちゃマズいから人のいない道筋を案内する、付いて来てくれ」


 スサーナはけりぐるみをしっかり抱え込んで寝ている白猫を起こさないようにしながら寝台の毛布を膨らめて偽装工作をし、ネルに続いてこっそり部屋から出る。



 不寝番の巡回にかち合うことなくたどり着いた糸紡ぎ部屋で待っていたのは、確かに昼間に旅芸人たちと一緒に居た気がする女性だった。


 常民の感覚ではだいぶセクシーに見えるだろう服装で、コチニール染めの鮮やかな赤紫の衣装には音の鳴らない鈴と金属の板が縫い付けられ、金と黒で風景画めいた刺繍がなされており、色とりどりの色布を繋げた頭巾を頭の周りに巻いて、全体的に占い師のように見える。

 豊かな黒髪を背に流し、目の上には蝋燭の光で濃い金色にきらきらと粒子を輝かせるアイシャドウ。

 年寄りには見えなかったけれど、若いのかと言えば老成した雰囲気でそうは思えない年齢不詳の女だ。


「はじめまして、お嬢ちゃん。 あなたが魔法を知りたいって子? 呪司王様の織る文様のう糸に感謝を。」


 彼女はゆったりと両手を組み合わせながら緩やかな動きで床に片膝をつく礼をして微笑む。

 スサーナは慌てて頷き、よろしくおねがいします、と頭を下げた。

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