第233話 まさかの辺境スローライフ 2
夕食は携行食を多用した、ごく簡単なものだった。
干したサラミとチーズとパン。りんご酒となまの小さいりんご、ピクルス。
当然のように水はない。
明日の昼からは近くの村で食料品を買い付けられると料理人さんが説明し、腕を振るうので楽しみにしてくださいね、と言う。
スサーナとしては簡単なもので全然問題はない気がしたのだが、今後は食事のときの作法も修練しなければならないので、手の込んだ料理はどうにも必須であるようだった。
夕食後の作法のレッスンは侍女たちにやることが多かったせいかまずはごく短く終わる。
どうやら侍女たちは本当に「グリスターン育ち平民の間で生活」ぐらいの想定をしてくれているようで、立ち方やら歩き方から始まったため、流石にスサーナとしても一日目の内容はひっかかることはない。
――いやうん、しかし。田舎……ってこういうものなんですね。
スサーナは、手燭を持ったネルと、隣室に控えることが決まった侍女を付き従えながら私室まで戻る間にひとりごちた。
夜が暗いのだ。
勿論、スサーナが通る廊下の石壁の蝋燭立てには侍女たちが昼の間にどんどん足した蝋燭が立っているし、食堂のテーブルと壁際に立てた燭台にも明かりは灯っていた。頻繁に人の出入りする使用人部屋や厨房にはオイルランプも使っているようで、明かりの使い方は非常に贅沢といえよう。王都の屋敷基準で明かりをつけているのか、それで蝋燭が足りなくなってしまっては本末転倒なのではと少しスサーナが聞いてみたところ、しばらく人の入っていない屋敷ではそうしてすみずみまで明るくするものだと言われたので、何らかの慣習に関係しているのかもしれない。
それでも、持ち込んだ蝋燭が数日でなくなると侍女たちが想定したぐらいに明かりをつけているのに、印象として夜が暗い。
それはこの屋敷の天井が高いというのもあるし、今晩が月の見えない夜だというのもあるだろう。ここの所前世の記憶が強いというのもあるかも知れない。しかし、それだけではなく、これまで居た島の街や学院では、大体誰かが何処かで明かりを使っていたので、――現代日本に比べれば無いようなものだが――広い範囲がうっすら明るかったのだとスサーナは気づく。王都だってそうだ。
ここで今明かりがついているのはスサーナか付いてきた使用人の誰かが居る場所だけで、もしいま窓から外を見たとしても何処までも真っ暗だろう。逆に、周りから見ればこの屋敷にだけぽつんと明かりがついているはずだ。ガラス窓の数もそれなりに多いことだし。
――お話の導入で旅人が見かける怪しい屋敷の明かり、こんな感じなんですね……。
それはまあ、多少怪しくても入るなあ。スサーナはそう納得しながら私室に入り、部屋の蝋燭に火を移してから、一礼したネルを見送った。
「さて、どうしましょう」
部屋の扉を閉めて、それからスサーナはそっとひとりごちた。
常識的に考えるなら蝋燭の節約のためにさっさと寝てしまうべきだ。
とは言うものの、闇が重くて陰影が濃い馴染まぬ部屋はそのまま寝台に入るには親しみがなくて落ち着かないし、なにより数日ぶりに他に人の目がないという状態になれたので、スサーナは他の人の目があるとしづらいことをやっておきたくもあった。
とりあえず邪魔されないようにもう眠ります、と隣室に告げ、それから手燭に火を移す。
机の上に明かりを置いてから、スサーナは薄暗い光に目を細めつつ荷物を開けた。
手荷物の底の方に慎重に仕舞われていた手紙用紙を取り出し、羽ペンを削る。
実のところ、ここにいる間は他所に手紙を出すことは禁じられている。
近況をあとに残る形で誰かに伝えるのも、それを伝書使に渡すのも良くない。それは当然だ。
しかし、手紙を出す相手が魔術師で、何より手紙が自分で飛んでいくのなら話は別だろう、とスサーナは思っている。魔術師が情報をバラすような相手ならそれはもう負けているのと同義だし、空を自分で飛んでいく手紙など、どうやって盗み読みをするというのか。
あの事件から第三塔さんとは一度も顔を合わせずにこちらに移動してきたのだ。何があったかはよく分かっているだろうからいいものの、その後の事情みたいなものは伝わっているのかどうか分からなかった。
オルランド卿に聞いた所、魔術師たちもそれなりに重く見るような事態だったらしく、事態の収拾の手伝いをしていくらしいと聞いたのできっと忙しいだろうし、スサーナ一人の去就など気にしていないだろう。だから、そろそろまたやってくる検診の日に待たれていたらとても申し訳ないので、連絡しておかねばなるまい。
「と、いっても……、一体何を書けばいいものやら……。事件の後ですから、時候の挨拶……をするのも変ですし。この度はお疲れさまでした……? と書くのも変ですよねえ。」
半年ばかり前にも似たような事柄のとき悩んだな?などと思いながらスサーナはしばらく唸り、時折足音を立てないよう気を使いつつ部屋の中をぐるぐる回るなどしながら文面をひねり出した。
結局書き記したのは単純な事柄だ。
あの後体に異常はないこと。
事情が色々あってミランド公の娘ということになったこと。ちょっと危険なことに関わってしまったので対処のために生活の場所が変わること。
そのため、学院には少なくとも来年までは戻れないので、検診には行けないだろうということ。
大貴族が面倒を見てくれるので、食事も生活もいたれりつくせりだし、体調はいいので全く心配なく、気にしないでほしいこと。
護符は代わりのものを貰ったので心配いらないこと。
お米のことについてはゆっくりでもよくて、多分来年に入って以降に機会はあるだろうから、その時にでも商談したいこと。
「まあ……ええ、こんな感じで……。」
書くべき内容はこれでいいのかどうか。余計なことを書いているような気もするし、妙な抜けに後で気づきそうな気もする。ともあれ蝋燭の残り具合と相談して、とりあえず必要最低限のことは書けた、と判断したスサーナはそっとバルコニーに出て手紙を飛ばす。
これで少なくとも連絡の不備でご迷惑を掛ける、ということはないだろう。
闇夜に一瞬輝いて浮かび上がり、裂くように飛んでいく美しい読めない文字を精緻に組み合わせたような銀の輪郭を持ったそれを見送り、スサーナはとりあえずやり残しの宿題を終わらせたような気持ちでほっと脱力した。
次の日の朝、早朝に目覚めたスサーナが外を見ると、特に返事が来ているという様子もなく、静かなものだった。
――まあ、伝わっていればそれで済む話ですし。返信が必要というわけでもないものですよね。
そう考えて納得し、さてこの後どうしよう、と考える。
正直自分で着替えて外に出たかったのだが、王都での数日の生活とエレオノーラの生活を思い返すと、どうにもそうはいかないだろうと予想がついた。
――「貴族らしくボロの出ない生活態度」の修練が要件でなかったら着替えてしまうところなんですけど。
しばらく侍女が起こしに来るのを待ち、部屋に水差しと小さな桶を持ってきてもらって体を拭く。これはスサーナにとって素直に嬉しかった。朝だけではなく夜にも是非水は使いたいところだが。
化粧椅子に座らされて化粧をし、胴着を着せられた後に体にドレスを合わせられ、数着試したのちに「午前のドレス」を着付けられる。
「お嬢様、午前のドレスはこちらとこちら、どちらがお好みに合いますか?」
「……どちらも嫌いではありませんので、出来たら選んで頂けますか?」
ややくすんだラベンダー色と明るいブルーが候補に残り、最終的にラベンダー色のものが午前中のドレスだと決まったようだった。
スサーナは最近はじめて気づいたけれど、自分でパッと着替えて前で留める服が自分は非常に好きだなあ、と往生際悪く考えつつもなすがまま、一人では着替えづらい後ろ留めのドレスに着替えさせられた。
馬車旅の間は簡単な一人で着られるドレスを着ることを許されたので、果たして数日ぶりだ。
――留め針を多用するドレス、好きじゃないなあ。大きく動かないのが前提なんでしょうからいいんでしょうけど……
なんだか体に刺さりそうで落ち着かない。ピンで体に沿うように布地を調整されながら、スサーナは安全ピンかせめて留め金のついたピンは世の中に出回っていなかろうかとしばし遠い目になった。
ブローチはあるのだから発想はあるはずなのだ。つまり金属加工が面倒だということか。
王都に戻されたあと、職人に作ってもらえないか問い合わせてもいいかも知れない。
グリスターン生まれの黒髪の姫君、という触れ込みなので髪は押さえずに露出させておく。
どうにも侍女たちはスサーナの短く切った髪が気になるようだったが、流石に人目に触れるわけではないのでつけ毛までは付けられずに済んだ。
彼女たちが喋るのを聞くところによると、黒馬の毛を使って優雅にウェーブさせたかつらを王都に戻ったら付けることになるらしい。まだ髪を結う歳ではないので結いはしなくて済むらしいが、十分面倒そうでスサーナは再度遠い目になった。
――白かろうが黒かろうがかつらはかつら……。頭が痛くなるしいいこと無いんですけど。伸びた分でなんとかならないかなあ。……ああ、でも地毛はこの髪型でいたい。
今はまだいい。しかしこの分だと結うようになったらどれほど面倒なことになるのか。きっとそれに重たい髪飾りも毎日付いてしまうのだ。貴族の大人の女性はさぞや日々肩こりで頭が痛かろう、と時ならぬ同情をしたりもする。
朝食の前に朝の散歩を勧められたので外に出ると、使用人さんたちが井戸の掻い掘りを行っていた。
しばらく使っていなかった井戸の中の古くなった水をかいだし、底の砂を掘って水の出をよくするのだという。
やはり普通の井戸は手間がかかるものなのだなあ、と思って見学しながらスサーナは使用人さんたちが少し羨ましい。
北部でだいぶ涼しいとはいえ、盛夏の時期だ。
空気は乾いていてさほど過ごしづらくはないとはいえ、暑いものは暑い。
井戸の底に溜まった……もうそれなりに澄んでいる水を外にかいだしながら、使用人さんたちは時折頭から水を被り合っているのだ。
貴族の令嬢らしいドレスではお手伝いを申し出るわけにも水をかぶるわけにもいかぬ。
羨ましいなあ、と思いながら部屋に戻って、それからは食事も含めて礼儀作法のレッスンの時間になった。
朝食後には基礎のレッスン。午後に入った所で着替え、昼食とともに食事のマナー確認。午後はまた礼儀作法の勉強に入る。お茶の時間にはお茶のマナーについて。座学に加えて適宜実際の動きを体に覚え込ませ、慣れてきたらこれにダンスの練習が入るらしい。
「時間がないのはわかっているんですが。とはいえ、まとまった休憩時間の一回ぐらいはあってしかるべきだと思うんですよ!」
夕刻、ごく短い休憩に用足しに――これだけは絶対に譲れない。部屋でしてたまるものか。茶巾だ――出たスサーナは、屋敷の中で行き合ったネル相手に愚痴を零していた。
「不機嫌だな。お嬢さん。……礼儀作法はそう難しいのか?」
「いいえ。少なくともいま気にして頂けている分は。」
問いかけてきたネルにスサーナは首を振る。
事実、今朝からの礼儀作法は上位貴族の令嬢用なのだろうが難しくはない。多分初級であるのだろう。侍女の作法が一旦身についてしまった分は矯正しないといけないが、講で習ったものの延長だ。
「それにしちゃ疲れてるようだが。」
「外に出る度に。」
「外に?」
「外に出る度に皆様子羊を抱えておられたりですとか、猫を抱っこしていたりですとか、アヒルを捕まえていたりですとか!」
この屋敷での使用人たちの仕事は、まずは生活環境を整えることだ。
その一環として庭の好き勝手な場所に巣を作っていた動物たちを厩舎や納屋に戻す、という作業を行っていたのだが、レッスンの合間、侍女達が部屋を整えたりする間、5分、10分と短く貰える休憩時間になんとなく外に出るたび、それがどうにも楽しそうに見えてならなかったのである。
「小川と井戸の掃除をしてらしたりですとか……いえ、それはいいんですけど、ついでに泳いでおられたり、小魚をいっぱい捕まえて厨房で揚げておられたり……」
それなりに元々良いお家の出だろう、都市生活者であることと、更に言えばミランド公の屋敷で仕えていることに上流らしい誇りを持っているのだろう侍女たちはみなとても呆れた顔をしていたが、なんだか男性使用人たちはこの田舎暮らしについて結構二日目を楽しんでいる気配がする。
「ああ……お嬢さんは野良仕事が羨ましいのか。」
「そういうわけでも無いんですけどね……」
野良仕事が羨ましい、と括ってしまったら多分大変な部分もちゃんとやっている使用人の皆様に失礼だ。
しかし、それはそれとして、淑女のドレスでは出来ないことが多すぎやしないだろうか。貴族の令嬢らしいドレスと礼儀にかなった態度では、せいぜい優雅に庭園の花を摘んで眺めることぐらいしか許されないのである。それすらも多分しばらくは角度とかを監督されなくてはいけないのだ。
スサーナは憤懣やる方なく、みずあびー。ねーこーー。と呻く。
その様子にネルが腕を組み、なにやら思案した。
「よほど辛ければ俺からアンタ付きの侍女に言い含めるが……」
深刻げに言ったネルにスサーナははたと止まり、ああ言いすぎたな、という顔で向き直って、いや流石にと苦笑して首を振る。
「ああ、済みません。大げさでした。始めてたった一日目ですしね。辛いほど疲れたりしませんよ。ただ言いたいだけの愚痴です。無い物ねだりをしているだけなのは分かっているので。」
「無い物ねだりか。」
「ええ。なにしろ、今頃はおうちで遊び呆けている予定でしたので。」
本来、スサーナは一日中習い事が詰まっていた所でさほど苦にはならない。エレオノーラの使用人になったときも、最終的に図書館の潤いこそ求めたものの、雑務に続いて休まず侍女の作法を詰め込まれても普通に付いて行けていた。
言ってしまえばもっと昔からお稽古事にも、一日中続く修養にだって慣れている。
今回、なんだかやたらちょっとしたことが不満だったり、自分がやっていないことが楽しそうに見えたりするのはマインドセットが足りないのだなあ、とスサーナ自身理解している。そしてその理由も多分。
本当なら今頃はフローリカちゃんと夏休みを満喫しているはずだった。そうちらちらと思うせいで、なんとなく余計なことが気にかかるのだ。思いつく不満材料はそれだけなので、つまり無い物ねだりだった。
「……それは、そうか。アンタが寂しくないはずはねえよな。」
「ああいえ、寂しいとまで言うと大げさなんですが。……ちゃんとここで貴族のお嬢さんに見えるようになるのは大切なことだと分かっていますし、侍女の皆様もご自分たちの時間を削って教えてくださっているのはわかるので大丈夫です。すみません。なんだか変な愚痴を聞かせてしまって。」
スサーナは謝ると、まあ愚痴も言ったし気も晴れました、と続けてお礼を言い、礼儀作法の特訓中の部屋に戻る。
それから夕食後まで礼儀作法のレッスンを受け、昨夜よりもやや遅い時間になってようやくスサーナは開放されることとなった。
そろそろ眠るか、とスサーナが
静かに扉を叩く音がする。
――何かあった? ちょっと遅い時間ですよね。それとも……誰か、来客、とかでしょうか。
スサーナは小さく眉をひそめ、すいっと息を吸ってドアを開ける。
すると、そこに立っていたのはネルだった。
「ネルさん。どうかしましたか?」
「いや、大したことじゃねえ。」
小さく首を振ったネルの服の前が妙に膨らんでいる。
「ええと、これは?」
「ん」
もぞもぞと動いた気がするそこにネルが腕を突っ込み、引っ張り出したのは一匹の白猫だった。
子猫から中猫に変わりかけ、というぐらいの具合で、金色の目の中で瞳孔をまんまるに膨らめている。
「外で捕まえた。……お嬢さんの家族の代わりにゃならんだろうが、洗ったから毛皮は柔いと思う。」
「ふえ」
押し付けられた猫をとりあえず抱え――暴れたりはせず、大人しく腕に収まったので良かったとスサーナは思う――首を傾げたスサーナにネルは、猫が欲しかったって夕方言ったろ、とぶっきら棒に呟き、それじゃ、お休み、とだけ言うと扉を締めて去っていった。
一瞬の嵐めいた出来事にスサーナは目をぱちくりすると、とりあえず扉を開けて廊下を眺める。ネルはさっさと自室かもしくは雑務に戻っていったようでそこにはもう人の気配はないようだった。
腕の中でくつろぎだした白猫を見る。
「え、え、どうしましょう。お前、一緒に寝る?」
白い猫はぐるぐると喉を鳴らして特に異論はなさそうだったので、寝台に放流すると、しばらく踏み心地を確かめた後に我が物顔で真ん中で長くなった。
その様子に少し笑ってスサーナも猫を避けて布団に潜り込む。
スサーナの辺境生活二日目はだいたいそんな感じで終了した。
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