13歳後半の陰謀との付き合い方。

図説 ヴァリウサ貴族の暮らしと日常 Vol.1/辺境

第232話 まさかの辺境スローライフ 1

 いちめんのなのはな

 いちめんのなのはな

 いちめんのなのはな

 てんからふるひばりのね



 だいたいそんな感じの詩歌を内心によぎらせながら、スサーナは四方を見渡した。

 いきなり前世で聞いた詩にバリエーションを付けて思い出す趣味がある、というわけではない。

 今、彼女の周りに広がるだけ広がっている光景が、まさしくそんな感じであったからである。



 ミランド公の屋敷で目覚めてから一日。家族への説明は秘密裏に使者を飛ばす、ということが決まり、同時にスサーナはそっと旅支度を――ここも旅先なのだが――整えることになった。


 スサーナを引き取る為のアリバイ作りと、王都の屋敷周りのをするので、大体一月で済ませるのでその間領地にある屋敷の一つで過ごしていてほしい、そうミランド公に求められたのだ。

 それなりに気軽に通いの商人などは家に入れていたことだし――とはいえ、普段ならそこまで恐れはしないのだが――契約の戒めを問題にしない者が相手方にいるなら気をつけて損はないし、念には念を入れて、色々と支度をするだけだ、と国内有数の大貴族に微笑まれ、スサーナは否やなどなく頷いた。

その際に、曰く、家変わりをしたばかりの幼子が病むのは大人なら気にもならぬ些細な呪詛からだというからな、と言われたのは何らかの蟻の穴から堤が崩れる的な故事成語であり、ホラーじみたことではないと信じたい。


 王家を狙ったは、そちらの情報を何故か知る事が出来たスサーナを不確定因子として危険視するだろうと予想された。状況の危険さは来年の初め、第一王子が皇太子として叙任する、というところまでが最大だろう、とミランド公は言い、その間スサーナは王都の守りやすく目の届くところで過ごすという予定になっている。

 組織だった動きはしづらいだろう直後の時期を狙い――また、逆に王都にいると考えなしな襲撃はあるかもしれないとも――まず土台を整えようと公は言った。

 平和に学院に戻れるか、と言うと無理だろうなあ、と思っていたのでスサーナとしては比較的想像の埒内である。


 そっと面会を許されたミアとジョアンにしばらく学院には戻れそうにないので部屋を保持していてほしい、と家賃を代わりに払ってもらうようお財布を渡してお願いし、ついでに水を融通することも出来なくなりそうだから、と水筒を渡しておく。

 裏でどうやらミランド公に「彼女はわけあって命を狙われかねないので仕方ないことであり、そうそう予想はついていたかも知れないが彼女の身分は本当は……おっほん! 悪いが色々内密に頼んだよ」というようなことをやられたらしく、別れは非常にスムーズだった。


 ミアはもう公の息女だのそういうものが周りにいることにすっかり慣れていて、発生した立場の違いみたいなものにおののいたりなど全くせず、言うことは戻ってきたら連絡をしてくれというそこだけに終始しており、スサーナは少し面白かった。

 ジョアンはなんだか泣きそうなような怒ったような顔をしていたものの、大人しく水筒を受け取ってくれたのでよしとしておく。


 嬉しい誤算として、お守りは帰ってこなかったものの手紙用紙は戻ってきたので、第三塔さんまでには流石に予定が伝わっているとは思えないけれど――あちらもいわば渦中で、どう考えても事件の余波でお忙しいのだろうし――、次の検診の時に困らせてしまわないようこれで学院には戻れないと近況を送ればいいかな、とスサーナは少しホッとした。


 そんなこんなでなんとか出来る心残りをなんとかした後に、早馬車に載せられて数日。たどり着いたのは北部の大領地、ミランドである。


 スサーナは一月余り、そこに点在する公の別邸の一つで過ごし、ミランド公が環境を整える間待機して、その間に貴族らしい礼儀作法などを突貫で身につけたりする、という予定だ。


 というわけで公の信頼の厚い使用人数人と侍女数人、それからセルカ伯から贈られた青帯奴隷……という顔をしたネルさんと一緒に滞在する城の前で馬車から降り……そこで浮かんだのがくだんの歌であった。


 青い夏空の下、ハーブ類の茂る小さな丘の上に半ば山城といった風情の、石組みの外壁のある屋敷が建ち、その周辺を見渡せばどこまでもどこまでもどこまでも広がる菜の花畑。そして菜の花畑にアクセントを加える麦畑だ。

 遠くを見れば森があり、通ってきた街道もあり、放牧に向くような草原やら、村やらもあるのだが、とりあえず視界を占めるのは菜の花と麦の波である。

 どうやらそれはカラシナの類で、マスタードは領で作っている特産品のようなものだと使用人に聞かされてスサーナは納得する。


 ――いえ、納得はしましたけど。なんというか……牧歌的と言うか……。他になにもない、と言いますか……。

 なるほど、確かに「狙われている人間の守りやすさ」と考えるとここはなかなかのものだ。誰かが近づいてきたら覿面にわかりそう。スサーナはそう思い、いやしかしここに一月かあ。そう思って遠く聞こえる猛禽の鳴き声に目を細めた。



 中もなかなか牧歌的なものだった。

 ふだんから使用人を常駐させている、という屋敷ではなく、普段からいるのは門番とその一家、屋敷の手入れと管理をする半農の一家、というぐらいだそうで、美しく磨き立てられている、ということもなく、豪華な装飾にあふれている、ということもない。

 それでもギャラリーは確保してあってグリスターンものらしい大鉢が飾ってあったり、所々にミランド公の趣味が滲んでいるのがそれらしいのだが。



 居館の中を一通り見回った後、壁の片隅を安住の地にしている大きな蜘蛛やら、なんとなく埃を被った調度やらに卒倒しそうな顔になった侍女たちは掃除用具を集め、腕まくりをして三々五々居館の中に散っていく。

 あとに残されたスサーナは――手伝おうかと申し出たものの、淑女はそんな事をするものではないと一応断られた――ネルを連れてもうしばらく居館内を見回ることにした。


 居館の設備は城だと思うと小さなものだが田舎屋敷だと思うとそこそこ、という塩梅で、エントランスホールには大階段があり、中庭をぐるりと建物が廻る作りをしている。

 大広間もサロンも礼拝堂もあり、食堂や広間も大小複数あるようだった。

 スサーナを少し喜ばせたのは小川を引き込んで洗い場を作った洗濯室の横に水浴場らしい施設があったことだが、貴人が使う場所ではないと使用人に言われてしまったものでしょんぼりした。

 寝室のたぐいは上階らしい。居館の裏手に回れば結構な広さの裏庭があり、一応庭園が作られているものの、更に奥を見れば田舎らしい納屋が立っている。

 奥には小さな厩舎もあるらしく、アヒルやら鶏が日向ぼっこをしているのも見えた。


 中庭周りの柱廊を周り、外壁よりに作られた螺旋階段を使って上階に上がる。

 警備の兵士の詰め所のための部屋だろうか。個人用ではなさそうな寝室と居室の為だろうと思われる部屋があったり、それなりに興味深い。

 建物の北側には他の部分より数階高い塔――魔術師達の住処とは全く別物の構造物を指す――があり、あまり高層ではないことからどうやら見張り塔などではないようだった。

 中を見ると階層毎の倉庫として運用されていたもののようで、干した藁や豆殻が置いてあったり、使われていない綿だの羊毛だのが少し残っていてスサーナの興味を引いた。


 ――なんていうかここ、ある程度中で生活を完結できるようにできてるんですね。

 籠城に備えているものか、それとも田舎だからだろうか。スサーナは悩み、前者を想定してここを選ばれたのなら怖いな、と思って後者だろうと信じることにした。


 そういえば、こちらで生まれてから今までずっと都市生活者で、時折取引先の村に行くのと、一度だけ他所の島に泊まった以外は田舎の生活を知らないのだなあ、とスサーナは思う。

 前世ではそれなりに田舎だった気がするし、母方の祖母なんかは思えば台所で味噌を自作していたり漬物を漬けていた記憶もあるので、結構な田舎暮らしであった気もするのだが。……いや、あれは純然たる趣味だった気もする。



「ネルさん、ネルさんって田舎暮らしってしたことあります?」


 後ろに付き従うネルに声を掛けると彼は首を傾げ、ややあって首を振った。


「地べたで自給自足で暮らしたことがあるか、ってことならあるが……、そういうんじゃなくこういう所で、ってことなら無い。」

「な、なにかすみません……。その、私、そういえばこういう場所で暮らすのは初めてなんですよね。多分、全部自給自足でやるんでしょうねえ、こういうところですと。」

「まあ、一番近くの村でもそこそこ離れてるしな。そうなるだろ。」


 貴族の令嬢らしい習慣を身に着けろ、と言われた気がするのだが、なんだかこの分ではもっと別の何かが身につくのではなかろうか。使用人の人数も明らかに少ないし、後から合流して増えるにせよやることは多そうだ。侍女たちの言うとおりの貴婦人らしい生活を送るのには全く向いていないような気がする。

 スサーナはそんな事を言いながら、隅っこのホコリを被っている棚の隅に、抱えて動かせる程度の大きさの糸車があるのを見つけて目を輝かせる。


「あっ、糸車! ああ、これ油をさしたら十分使えますね。おうちでは紡ぎ方を習ったものでしたけど。」


 糸車があり、古いとはいえ綿もある。

 数キロ行った所には村もあったし、多分綿とか羊毛ぐらいは買えるのではないか。スサーナはそう算段し、暇つぶしにはなりそうだなと考える。

 ここで生活するのは一月のことなのだし、本格的に糸を紡がなければならないようなことは無いだろうが。


 流石に機織り機までは置いてあったりするようなことはなく、それは少し残念だった。



 しばらくすると侍女が一人探しに来たのでとりあえず付いていくと、どうやらなんとか主寝室の掃除は終わった、ということだった。

 淑女らしく、を合言葉にしている侍女たちにしてみれば非常に文句のある部屋のようだったが、スサーナとしては漆喰と石で出来た壁も、むき出しの木床も嫌いではない。天蓋の代わりにベッドの頭側に急ごしらえの布が貼られていて、侍女たちの苦心を思わせた。


 流石に横の部屋でネルを寝泊まりさせるということは出来ず、横の部屋で控えていることになったのは侍女の一人らしい。


「さあお嬢様、本日は夕食が終わったら早速礼儀作法のお稽古を始めますよ。こちらでヴァリウサ流の淑女の振る舞いに早く慣れてくださいませね。」


 スサーナの家庭教師役として選ばれて付いてきた、侍女頭、もしくは老嬢という雰囲気の侍女に言われながら、スサーナは――同時に、夜のための蝋燭が足りないかも知れない、と報告を受けたのを聞いて――本当にここで淑女の振る舞いに慣れることが出来るんだろうか、とそっと首を傾げたのだった。

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