第133話 前途多難の学生生活 6

 寄宿舎に戻って、先輩方の質問攻めに対し口裏を合わせた内容、実家の関係の青帯奴隷の人だと返答し、さらにその際に自分は偶然髪の色が濃く生まれついたのでその縁で親しくしてもらったのだとさらっと自分の髪色を見られても騒がれない布石まで敷いたスサーナはそれなりのファインプレイと思える言い訳に満足していた。


 先輩たちや同級生たちはスサーナの言い訳に納得したようだった。ただし寄宿舎に裕福な商家の子供が来るはずがないと思っているせいか、実家の関係といったはずが伝言ゲームを二回も経ないうちにお針子で働いていたお店の使い人、ぐらいになっていた――説明を聞いてなるほどと纏めたものがもうすでに違う――が、間違ってはいないし説明が面倒くさかったスサーナはそういうことにしておく。


 ――一時はどうなるかと思いましたけど、ま、まあ結果オーライですね! これで寄宿舎で髪を出していても多分大丈夫ですし? 王子様もよく考えたら関わり合いになる機会はなさそうですし、おとなしく学生生活していたらネルさんにご迷惑をかけることもない、はず!


 あとはお守りの残り回数にだけ気をつけて生活していこう。スサーナはそう決めてその日はこんどこそ夕食も取らずお布団に潜り込んで気絶するように眠った。





 それから7日は、スサーナの期待通り比較的平穏な日常だったといえる。

 次の日の朝、そういえば教室で回収し忘れていた書き付けをミアが届けてくれて、おかげで細々した予定にミスもなかったし、どの授業のコマも初日はどれもごく平易な受講説明とオリエンテーションに留まるものがほとんどだった。


 内容らしい内容があった授業も簡単な美文の文法からで、スサーナとジョアンにとってはほとんど休憩時間と同じことだった。

 スサーナには驚くべきことだったが、この本土の学院では美文の書き方から学ぶのだ。

 流石に皆平文の読み書きは可能であるらしかったが、講では数年前に終了した美文……つまり、正式な文書表記のための記述方法は習得していない様子でスサーナを驚かせた。

 そのうえ教師が説明するのを聞けば、島で美文と呼んでいたものは古典ラトゥ語であり、平文はヴァリウサ語であるらしい。さらにいえば幼年講で学ぶ一番簡単な読み書きがいわゆるヴァリウサ口語であり、平文は一応ちゃんとした文語だという扱いなのだ。そういえば初日に回された平文の書類を書写する際、妙に皆筆記に手間取っていたな、とスサーナは納得する。

 スサーナは予想以上に講凄かった! という思いを新たにした。


 その他算術基礎という名前での複数桁の四則演算やら、神学基礎という名前での神名の暗唱やら、基礎と名のつく講義でやるらしいことはどれもこれも講で齧ったものばかりで、スサーナは島の教育制度をありがたがるべきなのか学院の高等教育イメージが崩れるような残念さを覚えるべきなのか微妙にわからなくなった。



「なるほどこれは島の皆さん重宝されるわけですよ……」

「今更何言ってるんだお前」


 初日の夕方、直前のコマが説明と課題提示のみの短縮授業だったためにお嬢様達と合流前にしばらく教室に居残っていたスサーナは、課題の平文の書き取り――美文に入る前の文法構成の問題だ――を見ながらしみじみ呟いたところ、どうやらそのことを知っていたらしいジョアンに鼻を鳴らされた。


 まあ、大学一年の基礎教養も思い返せば最初は高校レベルからの復習からのものが多かったので、そういう要素もあるのかもしれない、と思い直す。


「まあ、貴族の皆さんも家庭教師をつけて勉強しておられたんでしょうし、まずは復習からってこともあるんでしょうね。」

「ま、それはそうだな。あぐらをかいてたらすぐ追い越されるよな。」


 島育ちの二人は深く頷きあう。


 書き取りの課題、が出た、とはいえ、紙は高価なので提出できるプリントや書き取り帳はない。ではどうするのかというと、次回の授業の最初にいきなり試験があり、蝋板に定められた文章をそらで筆記することが求められる。

 学生がすべきことは教師が蝋板に書いた文字を自分の手元のものに写して帰り、覚えるまで石板に書き込んで練習することである。

 蝋板が記録用ノートで、石板が反復練習用のノートのような働きをするものなのだが、教師が使用するのは消しやすさを重視しているのか濃い灰色に白の石筆で見やすいためか、大判の画板サイズの石板である。

 つまり、そう沢山は書けず、書かれた文言はさっさと消される。

 正直スサーナとしては教育者としてどうかと思わなくもないのだが、どうやらこの初年度を教える教師は学生あがりで人を教え慣れていないらしく、そちらもやり方を学んでいく途上ということなのだろう。


 というわけでスサーナは筆写しきれずしょんぼりしていたミアに自分の蝋板を渡し写させているところである。


「ごめんねスサーナ、あなた語学が得意なんだね……昨日も思ったけど、凄いな」

「ちょっと長い時間やっていたのでその分慣れてるんですよ。多分すぐ追いつかれます」

「ありがとう。あ、ハコブもラロも書き終わってないみたい。ねえ、見せてあげてもいい?」

「あ、どうぞどうぞ」


 それを見ながら舌打ちしていたジョアンも同じように書ききれずいた他の寄宿舎生に自分の蝋板を回したので、スサーナはおや案外面倒見がいいのだなあ、とほのぼのした……のだが、毎時間そんなことをやっていたところ、7日目にはすっかり寄宿舎側の代表生徒AとBみたいな扱いになっており、一日目にあんなに気を使ってそんな風にならないようにしたはずのスサーナのあてを盛大に外れさせた。


 それはそれで悪いことばかりではなく、一緒に授業を受けている市内通学組の商人層の子供たちにも結構彼らのノートは回っていったため、初日には全く交流がなかった寄宿舎組と商人組の子供の一部がなんだかそれを縁に打ち解けはじめたので、教室内ではそれなりにギスギスせず過ごしたいスサーナとしてはまあそれでいいことにしたのだった。



 そんな風に7日過ごし、始まった授業以外にそれなりに各種発見もあった。

 それは素晴らしいものもあったし、気分を曇らせるものもある。


「なるほどこれは皆さん島から出ないわけですよ……」

「今更……何言ってるんだお前……」


 ジョアンとデジャヴュを感じるやり取りをしたのは三日目の昼時だ。

 授業が始まるまではだいたい縫い物をしていて昼は平焼きパンを買い、夜は寄宿舎で夕食を貰うみたいな生活をしていたスサーナは食事の質の差をだいたいその日の偶然か寄宿舎の特色のように思っているフシがあった。

 しかし、基本的にはお嬢様達と一緒に学院の中にある食堂を使い、時に外にある貴族の料理人が出している屋台、そして学院前の通りの食事処を使う、というような生活をはじめてみて判ったことがある。


 ひとつ。本土では生野菜を食べない。出てくる緑は基本的に茹で豆だ。それ以外で野菜というと玉ねぎが目立つ。これもしっかり加熱したものが基本。

 また、本土では生の果物もほとんど食べない。

 何故だろうと思っていたが、何の気なしに生のものを口にしてわかった。

 野菜は記憶より苦エグく、果物は食べるところが少ないか酸っぱいかエグいか味が薄い。ものによってはアクで口の中がキシキシする。


 魚は淡水魚であり、メインに出てくるものはしっかり加熱した肉。それは内陸部なので仕方がないが、それにしてもスサーナが食べ慣れていたものよりずっとハーブも香辛料も少ない。


 ふんだんに使うオイルと白カビと青カビのものが多いチーズはだいたい美味しかったし、全粒粉のものが多いパン類や、島では食べ慣れていなかったけれどスサーナにとっては嬉しい米料理が特に不味くなかったのが救いだったが、それはもう島とはだいぶ食文化が違ったのだ。


 ついでに言えば食事には水がついてこない。基本的にアルコールのようなのは門前町の飲食店と同じだ。

 井戸水を割り水にすることはあるようだが、水だけで飲むのはほぼ見かけない。



 これは庶民だからどうということでもなく、どうも貴族たちもそうであるようで、学院内部の食堂は前世でいう修道院式というか、カフェテリアのような形式で下級貴族の子女達が食事をしているのが見えるのだが――流石に上位の貴族たちは専用の食堂でもっと良い食事をしているらしい――大体皆そのようなものを食べていた。


 余談だが、本来の気質として神経質なのだと思っていたジョアンのイライラがひどい水あたりその他にある可能性があると授業開始三日目で理解し、胃腸薬を与え、朝普通の水筒に水を入れて持たせることをはじめたところ、なんだか一割ぐらいは温和になったのでなんとなく言いようのない気持ちになったスサーナだった。

 ――うん、下痢、辛いですよね。トイレもアレですし。

 とはいえ一割程度なので、生来神経質なことに変わりはなさそうだったのだが。



 ――異世界チート、ならぬ島チートを感じる……。それは出てきませんよね、世界で一番居心地のいい場所なんじゃないかなあ、島って。


 何処の出身の人間も自分の出身地が一番いいというものらしい。しかし島は客観的に見ても格別だ。それはよほどの出世心がなければ外に出る気になどなるはずがないのだ。誰だって気持ちよく暮らしたいに決まっている。

 スサーナはやっぱりたまに耳にする、島出身者の神秘性……島の人間が本土に全然出てこない、と言われる理由の一端を理解した気がした。



 素晴らしいよりの方の発見のいくつかとしては、学内でクロエと顔を合わせた瞬間拉致された図書室が広く、各種専門書に満ち満ちていたというのがある。

 受付で記名だけすれば内部では自由に書物を読んで良く、書物を見かけることの少なかった島では読む機会の少なかった本をふんだんに読めそうだ、ということが一つ、貸出はしておらず、本を持ち出したければ写本をする必要があったのだが、「写本作成のバイト」という結構に割の良いバイトがあることがわかったことが一つ、そしてそれら図書館の設備が代々受け継がれてきた……一説によると設立の頃、つまり魔術師の手がかかっている頃から続いてきたらしい、ということが一つ。


 古い時代のものはいまいち分類がされておらず、経年蓄え続けてきた本――巻子本や冊子本を含む――が奥の方の棚にぎっちり詰まっている、というふうだったが、クロエが目の色を変えるだけあって専門性も希少性も高そうな本が大量にあるようだった。

 スサーナは、見てくださいスシーさんごく古い時代の口承文学の聞き書きがあるんですよお! 古代の単語と発音が保存されているんですよお!! なんて素晴らしいんでしょういやー来てよかった! と叫びながらぺったり棚に張り付くクロエを見ながら考えた。

 ――これだけ本がいっぱいあるなら調べ物が捗りそうですよね。……鳥の民のこととか、ネーゲについてとか。


 本土にやってくる原因になった鳥の民のことも、誘拐中に見せられたネーゲ語のことも、どちらもずっとそれなりにスサーナの心を占めていたものだ。

 とはいうものの、どちらも気軽に人に聞けるようなものではなく、知りたい理由も自分の中で納得したいから、というような理由のため、知っていそうな誰かに深く突っ込んで聞く、という行為は覚悟を決めるという何かが絶対に付随している気がしてどうしても嫌だったのだ。

 しかし、本なら。

 ――本を読んで調べるなら私一人のことで完結できる!!!!

 スサーナはそおっと意気込み、ぐっと拳を握って気合を入れたものである。



 学院の中を見て回るというオリエンテーションが階級事に別々にあり、庶民生徒たちは貴族たちが終わるのを待っての8日目か9日目。

 商家の子供たちはそれが終わるまで学内を出歩くつもりはないらしく、空き時間にちょくちょく手の届く範囲を歩き回ろう、というのはどうやら寄宿舎の生徒たちだけらしい。

 スサーナは貴族生徒に出会ったら彼らも不興を買ってしまうのではないか、と心配したが、新入生の貴族生徒たちはまだ慣れない学院の中をフラフラするという思考はないらしく、出来た空き時間、お嬢様達が授業中などの待機中にスサーナが学内をウロウロしても新入生らしい貴族生徒たちに遭うことはほとんど無かった。


 しかし記章の色が違う上級生らしい貴族の生徒たちとはそれなりにすれ違った。同時に上級生の寄宿舎生や、街中から通学している商家の学生もそれなりに見かけ、どうやら一年もすれば慣れるものらしく、貴族たちが庶民生徒に目を向けることもほとんど無く、あっても廊下の備品を見る目をされているようなので、ジョアンはイライラしていたようだがスサーナはだいぶ気楽でいい。

 とりあえず、共有部分的な場所では貴族生徒と庶民生徒は――庶民生徒が多大に気を使っている感じはあったが――共存しているらしい。


 いかにも豪華、という場所を避ければ貴族生徒に睨まれるということもなさそうだ、とスサーナは薄々理解する。これもまあ一応素晴らしいよりの発見と言えた。


 ついでに言えばできるだけ避けていたのもあるが初日のように下級貴族用の廊下で上位らしい貴族の子供に遭うこともなく、6日目にはお嬢様達が作らせた紋章付きのストールが完成し、下級貴族の廊下に大手を振って出入りできるようになったスサーナに向く目線は異物ではなく空気を見る目になった。



 いやあいい感じですね、ずっとこうありたい! スサーナは安穏とした学生生活に光明を見出していた。

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