第132話 前途多難の学生生活 5

 入学式の一日に起こった面倒な出来事たちはそれで大体終わり、西棟に出入りするためのお嬢様達の家の紋章が出来上がるまではそちらの教室には出入りしないほうがいい、という共通理解を得、でも課題などはぜひ手伝って欲しいと要請されたので――課題の内容はどうも内容は貴族も平民も同じようなものらしい――放課後の待ち合わせ場所などを決め、その後は寄宿舎に戻ったスサーナはようやくぐったりすることが出来た。

 と、言いたいところだったが、その後ちょっとした出来事がスサーナを待っていた。


 寄宿舎に戻ってすぐ、レティシアについてやって来ていたセルカ伯のところの侍女が面会にやって来たのだ。

 服を着替える間もなく寮母さんに呼ばれたスサーナが談話室にやってくると、呆れた顔で天井のシミやらぎいぎい鳴る床板やらを確かめつつ待っていた侍女――カティアという名前でスサーナともそれなりに親しい――に手紙を渡される。

 どうやら到着の次の日にレティシアが出した手紙の返事が戻ってきたのが今日、ということらしい。


 封を開いてみると見事なセルカ伯の筆跡で、入寮を拒まれたと連絡があったこと、学院側に抗議を入れたよということ、なんとか寮の方に入れるよう働きかけてみるということ、駄目なら市内に部屋を借りて構わないし、そうするなら両替商を使って為替手形で送金する、というよりそうやって生活費は送るので使うように、ということが書いてあった。


 カティアによればレティシアやマリアネラにも手紙が来ており、明日返信を出すという。

 こっちで発生した懸案事項的にもなかなかいいタイミングだ、とスサーナは思う。


 スサーナは少し考え、お使いのカティアには少し待っていてもらい手紙の返信を持って戻ってもらうことにした。

 学院の方針にあまり異を唱えるというのはどうかと思うということ、お嬢様達とはクラスなどは離れてしまったけれど選択授業は合わせるということ、昼や放課後は一緒に行動することなど、侍女として学院に出してもらった以上最低限のことはしていますよという姿勢をしっかり書き、それから寄宿舎でそれなりに楽しくやっているし、平民の自分がそんなにお金をつかうのも良くないので個人的にはこのままで問題ないと思っている、ということを書いた。王子様関係のことはレティシアが書くだろうからそちらに任せることにする。スサーナ自身にはまず関係のない話だ。


 ――侍女で来させてもらってるようなものなんですから、いつも直ぐ側に控えていられないのは申し訳ないですけど、いわゆる「本学の精神」って大抵強いものですから無理そうだし……。……そういえば思いついてなかったんですけど、貴族寮、平民の生徒は雇い人として従者の控室で生活するのって駄目なんですかね? ……いえ、お嬢様達の使用人の使っていい人数は埋まっちゃってますから出来ませんけど。


 もしかしたらさっきお嬢様達に聞いた平民の乳兄弟の従者とかはそうしているのかもしれない。スサーナはそう思い付き、何事も先達はあらま欲しきものだなあ、と詠嘆した。

 ……とは言うものの、下級貴族は仕える召使いは一人に付き一人までなので、お嬢様達二人がいつも一緒に過ごしていたと仮定してようやくその枠が創出できる程度。お嬢様達の日常のいろいろに支障をきたすのは本意ではないし、マリアネラにチータが付いていない、というのも、レティシアの世話までチータが、というのもナシだろうから、事前にそれがわかっていたとしても召使いをひとり減らす選択肢は無い気がする。


 とりあえずスサーナは必要なことを書いてカティアに返信を渡し、貴族寮に戻っていく彼女の背を見送って、それから部屋に戻り、着替えてベッドに潜り込――もうと思ったところで次の客が来ていることを寮母さんに知らされた。


 ――今なら夢も見ずに朝まで眠れる気がするんですけども!!

 ここしばらく夜はジョアンの上着を縫っていたのでごく短時間睡眠で、そこに入学式とオリエンテーションの疲労があり、細々と頻発したハプニングでの精神的疲労も足し、それでもまあ初日一日無事に終わったという開放感をそこに加えることで今ベッドに入れば完全に寝落ちが出来るという算段をスサーナは立てていたところだったのだ。

 唸りながら捲って準備万端にした毛布から離れ、急いで身支度をする。折角の理想的睡眠タイミングを邪魔されたような気がして少し不機嫌になりながら寮母さんの後について階段をとんとん降り、談話室に向かった。



 カティアの時は声を掛けてさっさと戻っていった寮母さんがわざわざ着いてくるので一体今度はどんな人が来たんだろう、と疑問に思いながらスサーナが談話室に入ると、そこには不審そうな先輩寄宿舎生にチラチラ見られながら椅子に腰掛けて待っている男性が居た。

 伝書使特有の頑丈そうなブーツと革でできた大きなメールバッグ。帆布のコートと膝から下を絞ったズボンという、これまた伝書使がよくしている服装をし、鎖骨が見えるぐらいに大きく開けた首元には奴隷の印の青帯があり、黒い髪を後ろに撫で付けている。


「お久しゅうございます、お嬢様。お変わりはありませんか」


 スサーナの姿をみとめて立ち上がり、優雅に一礼したその人にスサーナはぽかんと口を開けた。なにやら談話室に居座っていた先輩方数人がよくわからないどよめき方をする。


「くっ……」


 ――黒犬さんーーーー!!!????


「えっええー、お、お久しぶりです……お元気でしたか」


 なにやらわけがわからないままにぽかんと答えたスサーナをちょっと、と引っ張って脇に行き、本当に知り合いなんだねと確認してくる寮母さんにはい知ってる方で、と頷く。

 借金があるわけでも詐欺に遭っているわけでもないんだねと再度念を推してきた寮母さんにええそういうことではないと思います、と返答して、それからスサーナは黒犬に向き直った。詐欺ではないと思うのだが、何故彼がここに居るのか全くわからない。

 黒犬はうっすら笑い、積もる話もありますから、お嬢様さえ構わなければ移動しましょうと言った。スサーナもとりあえずこの寄宿舎の談話室で前の誘拐の話などをするのも後々面倒臭そうなので否やはない。まあ再度誘拐はされないだろう、と常識的に信頼することにして頷いた。


 スサーナはとりあえず全速力で二階に取って返し、上着を被り、一応緊急連絡用紙を一枚と財布をポケットに突っ込んでまた全力で階段を駆け下りる。


 そして、入り口のところで待っていた黒犬のあとに続いて外に出た。先輩たちはどよどよとなにやらこちらを伺っていたようだったが、少なくともついてくる気はないようだった。

 戻ってきた後これは質問攻めにされるなあ、とスサーナは直感し、居ないタイミングで帰ってくるのが良さそうだなと算段しつつ扉を閉めた。


「ええと……」


 ぱたぱたと黒犬の後を追いながらスサーナは首をかしげ、とりあえず声を上げる。

 その声に振り向いた黒犬はかつて聞いたぶっきらぼうに戻った声音で、


「ま、詳しい話は何処か話し易い処に着いてからだ」


 そう言った。


 寄宿舎の比較的側にある通用門を出、早足で門前町を歩く。そして、学校側の通りに開いている学生向けの店よりもだいぶ一般向けらしい宿の一階、茶屋の隅に結局落ち着いた。


 そこは店員がろくに客を構わない形式の店で、カウンターで注文品を受け取ると後は適当な席に各々が着くようなやりかたなので、確かに話しやすいといえば話しやすい。客も少なく、先払いの店のせいか黒犬にもあまり注意は払われていないようで、そういう意味でも好都合だった。


 スサーナは目を瞬く。


「え……この街に詳しくないです? なんでこんなお店を知って?」

「伝書使宿。どこもこうなってる」


 黒犬は梨酒ポワレの木製カップを卓上に置き、椅子を引くと足を組んだ。

 眼の前にリンゴ酢の湯割りを置かれてスサーナはまたええと、と考える。

 客も少ない上にほとんど声が通りそうもなく、更には宿の方の厨房の側らしい、竈の音やら絶えぬ水音やらで他の席から声が聞こえづらい席を黒犬が選んだために普通に話しても良さそうだったが、とりあえずスサーナは抑えた声で話しだすことにした。


「ええと、なんだかあまりにも予想外過ぎて一体何からお聞きしていいのかよくわからないんですけど、とりあえずまずはええと、何の御用でしょう?」


 あの冬のさなかの日から黒犬とは顔を合わせては居ない。

 その前もレミヒオによって一度引き合わされ、レミヒオの口から簡単に彼の経歴と貴族が嫌いな理由を聞き、レミヒオに鳥の民のやり方を教わってそっちでやっていけるようにする、と説明されて、特に伯の隠し子ではないこと、実はただ混血なだけで街中の普通の商家のこどもなのだと説明して、あのとき助けてくれてありがとうと頭を下げただけだった。

 その際に反応は穏やかだったし、先のことについてそれなりに後ろ向きではなく考えている様子だったのは見た。

 悪い人ではなかったな、良かった、とその時思いはしたのだが、それからなんだかんだと顔を合わせる機会は消失していたので、今何故この本土の内陸の街で目の前にいるのか、正直スサーナにはよくわからなかった。


「そうだな。話せば長いようなそうじゃないような……端的に話せば、あの坊っちゃんがお前に付いてると都合がいいと言うんで乗った。」

「ふえ、ええと、坊っちゃん……ってことは、レミヒオくんがですか? ええともしかして黒犬さんもセルカ伯に雇っていただいて? あっええと、だからその青帯が?」


 完全に虚を突かれた顔をしたスサーナを見て、黒犬はこめかみ辺りに指を差し込み、グシャグシャにかき回しそうになってから綺麗に撫で付けてあるのを思い出したらしく動きを止めた。


「そっちってわけじゃない。コレはそういう色を塗ってあるだけだ。漂泊民には首輪をしてあれば市民の皆さんはご安心だってことでよ。……ま、それはいいだろ。そうだな、ここの場所はちょっと特殊だそうで、なんつったか、学院の自治特権? つまり騎士団様が入ってきづらいらしくてな。」

「あ、ええと、見つかって生きてるってバレたら良くないですもんね」

「ああ。ついでに言や俺は氏族とやらのしきたりはよくまだわからねえからそっちじゃ使い物になるほどじゃないらしい。ま、出来て使いっ走りが精々ってことで、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていろとよ。それでまあ、遊ばせとくぐらいならお守りをさせとこうって腹だろ。お前は俺の事情を知ってるしな。」

「あ、ああ……? あ、でもそちらの顔を知ってるクロエさんがここでお勤めしてるんですけど、大丈夫でしょうか……?」


 つまり潜伏先として選ばれた、みたいな感じなんだろうか。確かにこの学院の周りに発展した都市は国内でもそこそこ人口も発展も上の方の街の一つだそうで、彼みたいな立場の人が潜伏するにはいいかもしれない。スサーナはそこでなぜおりがでてくるのかと疑問に思いつつもうっすら納得し、新しく湧いた疑問を問いかけた。


「あの眼鏡とかいうやつ、人の顔を見るのにそこまで向いてねえそうだ。疑われたらお前が「違う」と言ってくれればそれこそ何よりの裏書きになる。」

「なるほど」


 スサーナは今度こそ納得した。まさか被害者が加害者をかばうはずがない、ということか。騎士団に睨まれたら話は別かもしれないがクロエが疑うぐらいならスサーナが証言をすれば疑いは晴れるだろう。つまり、この街に潜伏したいならスサーナと関わりがある方が彼にとっては得なのだ。レミヒオくんがそういう理由でここに居ると都合がいい、と取り計らったということなのだな、と理解する。


「ま、それに」


 黒犬がカップの飲み物、煮て酒精を飛ばした酒を啜る。


「どうせ拾われた命だ。拾ったやつが使うのが道理だろうし、お前が使うといいと思った」


 あっ。違うコレ重いやつだ。レミヒオくんの推薦理由はともかく承諾した理由がめちゃくちゃ重いやつだ。

 声音のガチっぷりにスサーナは頬を引きつらせた。


「ええと、そのう」


 話を変えよう。スサーナはからからと思考を空回りさせて話題を探す。聞きたいことはあったはずなのだがちょっとこの際重い話題は全部脇においておくべきだと察した。


「そ、そういえば、なんで伝書使の恰好を?」

「逸れ者の漂泊民の伝書使はたまに居るんで目立たず済む。実際日銭稼ぎにもなったしな。伯からの手紙とやらを受け取ったろ?」

「あ、受け取りました。あれを届けてくださったんですか?」

「ああ。」


 特に話は膨らまず、短い沈黙が落ちる。スサーナはまたからからと話題を探した。


「ええと、そういえばさっきいらっしゃった時の雰囲気、だいぶ違ってびっくりしましたけど」

「貴族に仕えてるとああいうのを教え込まれるんでな。ああした方が疑われることが少なくて都合がいい。……ああいう態度のがよけりゃこれからはそう振舞ってもいいぜ」

「いえ、普通で結構です!」


 スサーナはぶんぶか首を振った。話が逸れずに戻ってきてしまった感じがある。


「ええと、黒犬さん」

「……特にそう呼びたいというわけじゃないならネルかネレーオと。その呼び方は好きじゃない。」

「ええと、じゃあネルさん。そ、そんな大したことをしたわけではないですから、そう重く考えていただかなくても……こう、なんと言いますか、自由になったわけですから好きなことをしてみるというのもですね……」

「やりたいことがあるわけでもなし、他の生き方なぞしたこともねえしな。ニコラが生きていれば考えることもあったろうが……ま、お前のお守りはあいつ相手とやることが変わらなくて楽そうだしな、気も紛れそうだ。」


 ――くっ、そういう!

 ニコラというのが妹の名だというのは聞いた。自分が救われたのもその子が貴族に殺されたから同族の女の子が貴族に殺されそうなのが我慢できなかった、というようなことも礼を言った際に短く聞かされた。

 そういう事情のある人にそういうことを言われて固辞できる人間が居るだろうか、とスサーナは遠い目になる。


「ええと、本当に重く考えないでいいですからね……」

「そちらこそ重く考えなくていいさ。俺の勝手でそう決めたんだしな」


 覆す方法が思いつかない。スサーナはため息を吐き、渋々なんだか凄い質量のものを背負ってしまったらしいぞ、という状況を追認した。



「そういえばお嬢さん、聞きたいことがあったんだが」


 お互い一呼吸おき、双方飲み物を口にした後にネルがまた口を開く。


「スサーナで……いえ、まあ、呼びたいように呼んでくれたらいいです……なんでしょう。」

「大したことじゃねえが、冬の中頃、雪の日に宿に来てたか?」


 彼の言葉を聞いてスサーナの表情が固まる。表情かおを覗き込んできた相手から目を少しそらし、スサーナは頷いた。


「ええ、えーと、気づきました?」

「宿の親父が来てたはずだって言ってたからな。後で見たら中庭でパイが凍っててよ。……教育役どのがそれからお前……アンタが余所余所しいと毎日煩かったんで、気になってた」

「ああー……。レミヒオくんには悪いことしちゃいましたね……。」


 スサーナは偶然座った場所がいつ踏み抜くかわからない腐った床だった、というような気分になりつつも、さてどう返答しようかと考えた。

 一旦納得はしたけれど、それでも口に出したくない話題とはいえ、当日センシティブな話を立ち聞きしてしまっていたのは確かだし、心配されていたというのだったら誠実に答えるべきだろう、と思う。

これまで話していた声音よりも更に声を落とすと自然な動作で彼が身を乗り出して聞きやすそうな位置に収まった。

なるほど、なんというかサポート慣れしている、と変に感心する。


「いやあええとですね、実は……あの時中庭で魔法の話を話してるのを聞きまして。ええとー、純血でなければ魔法は使えないという話……」

「ああ、そんな話を確かしたな……」

「それでこう、ええと、うちは常民の商家でしてー、その、母が鳥の民なんですけど……。ええとこう母の不義の子かもみたいなのってあんまり自覚したくない話題でしたので……ちょっと急いで帰ったら籠を忘れて……という感じで。立ち聞きしてしまってちょっと気まずかったものであんまりレミヒオくんとお話をしなかったので、こう。」

「……悪かった。」

「いえ、まあ、いいんですけど。想像もしてなかったのでちょっとびっくりしただけで、仲いいカップルだったって話だったもので、ええ。」


 スサーナはどんどん早口になりながら、ああなんか要らないことを喋っているなと自覚しつつ、ネルが話を遮ってくれないものだからやめるタイミングも見つからず、家族みんな仲良かった仲良かったって言うんですよね、私が父の子じゃないとかなんだか全然疑ってないですし、などとぼやき、いえもしかしたら父も私が居るのに納得ずくで母と一緒になったのかもしれませんけどなどと付け加え、特に話題を変えてもらえる話の接ぎ穂が何もない!と一人で憤り、なんだかいたたまれない気持ちでコップの飲み物をごくっとやって、派手に酢に噎せた。




 黒犬……ネレーオは半眼で飲み物を啜っている娘を眺めた。

 彼の言ったことは皆真実ではあるものの、その全てではない。


 出立する前の日、彼は彼を船から撃ち落とし結果その生命を救った漂泊民、彼らの呼び方で言う鳥の民の少年の訪問を受けた。

 氏族のやり方とやらと力の使い方のいくらかを彼に教え込んだ――そのやり方は辛辣で詰め込み主義で荒く、仮借ないものだったが、まあ教師とも恩人とも言えないこともない――相手は、開口一番彼にエルビラ学園都市に向かうことを要請した。


 あの事件で誘拐し、妙な成り行きで結局彼の命を拾った娘がなにやら鳥の民とやらにとって重要なものかもしれない、と言うのだ。


 自分の正体を知らない――まだはっきりしていないが高貴な血だろうと教師役の坊やは言った――娘に、未確定の情報で、結局違って混乱させるだけかもしれないのだからと余計なことを明かさずにないように護衛する、それが坊やの言い分込みの課せられた任務とやらで、彼にとってその重要さとやら自体はどうでもいいことだったが、今ではないがいつかは命を狙われることがある娘かもしれない、と言われれば拒否する理由はなかった。


 そうでなくとも、騎士にひき肉にされるか縛り首かになる命を拾われたのだからそれを使う権利はあの娘にある。

 長く使われ者だった故の思考だが、彼にはそれが一番自然と思えたし、いけ好かない貴族に使われるよりも、馴染みのない氏族とやらに従うよりも、小さな妹を庇って過ごした頃と大差ないように思われるそれのほうがずっと好ましいような気がした。

 それならそうしよう。彼は頷き、任務とやらを拝命することにした。



 護衛対象に護衛していると知らせるな、などバカげた話だ。未確定の話だろうがなんだろうがその可能性があるなら納得させればいい。

 彼はいくらか打ち解けたらさっと娘に訳を話し、守りやすく自覚させる気でいたのだが、今の話を聞いたせいですこし気が変わった。

 妹のニコラは本当の両親やら家族やらに妙な憧れがあった。彼にはよくわからなかったが、きっと他の家族とやらが側に居たら今頃どう過ごしているか、なんて話を孤児院で、路上で、よく彼に話していた。


 眼の前の娘にはそういうものがあるように思えた。


 そういうつながりがあると信じているなら信じさせておけばいい。確かにそうだ。

 小娘一人、ちょっと自覚しようが自覚しまいがそう行動は変わるまい。やることに変わりはない。

 結局、氏族とやらにとってどうだろうが彼が守るべきものであることに違いはない。

 弱くて美しい。貴族共の好む魔法の才がある。そうしなければならない理由はいくらでもあった。

 ニッコと同じだ。



「なあお嬢さん」

「……なんでしょう」

「そういえば、あの寄宿舎とやら、外部の人間は」

「あっ何を言わんとしているのかわかりました! 住めませんよ! ええとそういう……近くに居てくれるみたいなのはいいですので! あんまり気にしないでいただきたいと言いますか、ええと、普段からおりがいるような生活はしていませんので! もっとゆるい感じでいいと思います、そうお願いさせていただけませんか!!!」




 そんな経緯でスサーナはその入学式の日の夕方、あんまり安穏とも平穏とも言えないような気がするお友達を一人手に入れ、いや本当にどうしよう、とまともに扱いに困ることになった。


 結局、実家の関係の青帯奴隷の人だということにしようと口裏を合わせてもらい、普段は市中で普通に暮らしてもらって何かあったときに保護者として呼ぶかもしれない、というスサーナの折衷案になんとか同意してもらえたのでスサーナはとてもホッとした。いきなり自分を自由に使ってくれていい、などと言われても正直困る。スサーナは――今日はこんなことばかり思っている気がするのだが――本来お針子志望で、誰かを召し使うとかそういう事はまったく起こる予定がなかったし、研究者になったとしても精々通いのお手伝いさんぐらいしか使うはずがないと思っているのだ。特に起伏もなく安穏と平穏に生きていきたいのだから。



それからスサーナはネルに対外的には偶然髪が黒いということになっている、とか、学院に入学した上での自分の身分保障者はセルカ伯だとか、共通理解があったほうがいいことを幾つか説明し、それから一旦自由行動をしてもらうということにする。滞在場所が決まったらまた寄宿舎に来てもらって接触し、場所などを説明してもらう、ということに決まった。

 偽造の主人証――青帯奴隷の所持者を保証する証書で、奴隷が所持し、ときに提示するものだ――がさっと出てきて渡され、裏書きを求められたのでスサーナは遠い目になり、世の中って結構剣呑なのでは? 結構非合法の人ってそこらへんに居るのでは? となんとなくアンダーグラウンドに思いを馳せたのはまた別の話である。

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